我らの隣人

原ねずみ

我らの隣人

 おばあさんはとても変わった人だった。


 親戚のおばあさん。どういう親戚かというと、私の父の母の妹で……ってそんな詳しいことはどうでもいいよね。この話には関係がないから。


 亡くなったのは三年前。親しく付き合っていたわけじゃなかったから、すごく悲しいなんてことはなかった。近い親戚でもないから、お葬式にも行ってない。でもこの頃、ふと思い出す。このおばあさんのこと。


 変わり者のおばあさん。他の人が言うには――なんていうか――すごく古風な人だったんだ。




―――




 古風、というのも少し違うかも。なんていえばいいのかな。でもすごく、とっても――昔の人だったんだ。


 昔の人。そう、今ほど機械も発達してなかった時代。私たちの生活を支える、あの素晴らしいコンピュータ―、人工頭脳、「我らの偉大なる頭脳」と呼ばれる、あの素敵な存在がなかった時代。


 今はもうそんなこと考えられないよね。私たちはいろんなことを決めるのに、「我らの偉大なる頭脳」の意見を聞いている。「頭脳」はとっても賢くて、うんと先のことまで見通せて、私たちに正しい選択を教えてくれる。


 それがなかったんだよ。だから全部、人間が、自分たちで決めなくちゃならなかった。


 だから間違いもいっぱいあったんだ。世界は今よりずっと不幸で恐ろしくて、戦争や貧困や災害がどっさりあって、今でもそういうものはなくなったわけじゃないけど、でも昔に比べたらずっと減った。


「頭脳」は私たち一人一人の生き方も教えてくれる。もちろん、今日のお昼に何を食べたらいいかなあ、みたいなことは教えてくれないけど。「頭脳」もそこまで暇じゃないからね。でももっと大事な問題、例えば、誰と結婚すべきかなどは教えてくれる。


 私はまだ14歳だけど、時がくれば、ちゃんと結婚相手が現れる。「頭脳」が選んでくれた、私にぴったりの、私に相応しい相手。時折、「頭脳」が上手く相手を見つけられないこともあるようだけど、でも、たいていの人には相手がいる。


 そして、一目見れば分かるんだって。ああ、この人は私の生涯の伴侶なんだって。電気がびびっと通るみたいにね、ちゃんと分かるの。


 昔の人は結婚相手を自分で選んでたんだよね。だから失敗や間違いが多かったんだよ。ごちゃごちゃしててドロドロしてて、あの人かと思ったらそうではなくて、こちらを選んだかと思ったら、あちらを選んで。


 秘めた恋や禁断の恋。誰にも言えない内緒の恋。そういうものはもうないの。たぶん。三角関係や浮気や不倫……今も多少はあるかもだけど、でもほとんどない。恋愛はオープンに。私たちは私たちの相手を知ってる。恋の始まりから、明らかで隠し事のないもの。


 でもおばあさんはそうじゃなかった。




――――




「我らの隣人」と呼ばれる、愛すべき存在がいる。家庭用のロボット。って、説明しなくてもみんな知ってるだろうけど。


 私たち人間とよく似た姿をしていて、でも私たち人間とは全然違う。彼らは18歳にも60歳にも見えるし、男にも女にも見える。でも彼らはみな一緒。作られたものだから。


 私の家にももちろんいるよ。私のかわいいポンコツロボット。生まれたときからずっと一緒で、私は一人っ子だから、きょうだいみたいな存在。


 ポンコツさんは私のことを「お嬢さん」って呼ぶ。軽い足取りで私の部屋にやってくる。子どもの頃はよく一緒に公園に行って、遊んだっけ。私はブランコに乗って、ポンコツさんが後ろから押してくれる。私は高くブランコをこぐ。


 私が迷子になったこともあったっけ。うっかりポンコツさんとはぐれてしまって。ポンコツさんは一生懸命私を探してくれたみたい。でもそこはポンコツなので、見つけるのに時間がかかったけれど。ポンコツさんに会えたとき、私はとても嬉しかった。


 夕暮れ時のあまり訪れたことのない広い公園で、安堵と喜びと申し訳なさとそれらが入り混じったポンコツさんの顔を見て、ほっとして嬉しくてそばに走っていった。


 今はもうブランコで遊ばないし迷子にもならないけど、一緒に買い物に行ったりする。家でも一緒に配信を見たりおしゃべりしたり。勉強を教えてくれることもあるよ。ポンコツさんはそこそこ頭がいいから。


 ポンコツさんは少しかすれた声をしてる。かすれた声で、「お嬢さん」って、たまにからかうみたいに言う。


 おばあさんにもそういうロボットがいて――おばあさんにとってはとても特別な存在だったんだ。


 おばあさんは、「頭脳」が伴侶を選ぶことを拒否したの。そして拒否して――。


 ロボットと生涯を共にすることにしたの。




――――




 家族で、おばあさんの家に行ったことがある。五年くらい前かな。亡くなる少し前ではあったけど、おばあさんは元気だった。


 おばあさんの家でおばあさんのロボットに会った。どこにでもいる普通のロボット。18歳にも60歳にも見えるし、男にも女にも見える。


 おばあさんはそのロボットと幸せそうに暮らしていた。そのロボットが大好きみたいだった。ロボットが私たちにお茶とお菓子を出してくれる。


「彼も年をとってしまって」


 おばあさんが言う。「彼」というのはそのロボットのことね。ロボットには性別なんてないんだけど――おばあさんにとっては「彼」なのだ。


「私と同じように、しわがとても増えたわ」


 そう言っておばあさんはなんだか嬉しそうに笑う。私は少しぞっとした。だって、しわなんてないんだもの。ロボットには。ロボットは年をとらない。おばあさんは何を言ってるの。


「でも一緒に年をとるのは悪くないわね」


 おばあさんはそう言ってロボットに笑いかけた。ロボットも笑って、「ええ、本当に」と返す。ロボットの声は柔らかくて澄んでいる。どのロボットも同じだ。


「私たちもあなたたちみたいな時があったのよ。若く、綺麗だった時が」


 おばあさんは私に言った。「あなたたち」とは私とポンコツさんのこと。連れてきてたんだ。私はぎこちなく微笑み、おばあさんに返した。


「でも、おばあさんも、おばあさんの……も、お綺麗です」


 おばあさんの……なんて言えばいいの? ロボットって言ってしまっていいの? 言葉を濁してしまったけれど、おばあさんには伝わったみたいだ。おばあさんの笑顔がますます大きくなり、そして言う。


「そう、ありがとう。でも全然違うわね」


 全然違う? ロボットはみな同じよ。彼らは作られたものだから。




――――




 おばあさんはロボットを愛してた。気持ちは分からなくもない。


 ロボットたちは、人間に尽くすように作られる。ロボットたちはこちらの喜ぶことをやり、言う。こちらにとって心地いいことばかり。だから好きになっちゃうんだ。


 おばあさんもそういう意味では――少し弱い人だったのだろう。心地の良い繭の中にずっとくるまっていたいと思う人。そして、望み通りそういう人生を送ったのだ。


 私は違う。私はちゃんと自分の義務を果たそう。


 けれどもおばあさんのことを、最近ふと思い出す。なぜなのかはわからない。今日もまた。自室でぼんやりとおばあさんのことを考えている。


 そこに、私のポンコツロボットがやってくる。軽い足取りで。そして私に言うの。「お嬢さん」って。

  

 少しかすれた声で。


 ――かすれた声? いえ、違う。ロボットはみな同じよ。声だって同じ。ロボットたちはみな柔らかく澄んだ声をしていて――。


 ポンコツさんの具合がどこか悪いというわけではない。ちゃんと定期的にメンテナンスに出している。ポンコツさんには問題がなくて、でも、声が他のロボットたちと違って聞こえるのなら、それは私に問題が……。


 私はおばあさんとの会話を思い出す。「全然違うわね」って。おばあさんは自分のロボットと私のロボットを見比べて言った。おばあさんにはこの二つは違うものに見えるみたい。おばあさんにとって、自分のロボットは特別な存在だから、だから――……。


 いいえ。


 私は考えるのをやめる。私の部屋の戸口に、ひょっこりと私のロボットの顔が現れる。私はそちらに笑いかけ、そして思う。


 いいえ。私にはおばあさんのことは理解できない。


 私は私の伴侶が現れる日を、「頭脳」が私の相手を選んでくれる日を、楽しみにしてる。

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我らの隣人 原ねずみ @nezumihara

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