道玄坂無糖ココア(或いは俺の犯した殺人)

秋島歪理

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 見つけたきっかけは忘れてしまった。

 道玄坂を少し上ったトコの喫茶店が、お気に入りだ。

 いいか、カフェじゃない。喫茶店だ。実は看板のアタマにはカフェとしっかり書いてあるが、それでも俺の中では喫茶店だ。

 コレは重要なことだ。わかる人にはわかるんじゃないかと思う。

 さて、渋谷駅近辺の喧騒から逃げるように緩い坂をだらだら上り、やっと並木が青々としてくる。

 そこらでふっと横に曲がった先のビル2Fにそこはある。外階段からのぼってドアを押すと、驚くほど小気味良いベルの音がする。

 紺エプロンに総白髪の初老のマスターが,文庫本か新聞を読んでる。

 テキトーに座ると、3億回はやったというような自然な造作で水とメニューが自然な造作で置かれて、今日のブレンドの説明が始まる。

「今日は新しいスマトラがベースでして、水出しは酸味を強めに出してますが……」

 云々。

 豆の産地なんかそんな知らないので、毎回よく覚えていない。

「ああ、いや僕はその」

 しばらく黙ってりゃいいものを、俺はついさえぎってしまった。

 そしてすぐマズった、と思った。こんな店代たなだいの高い場所で個人店をやっているご年配なんてのは、儲けは度外視、トントンでいいや、って思ってるだろう。

 客を選ぶし不快がるかもしれない。

 あろうことか俺はご説明に割って入ったザマである。

 まあマスターは特に表情を変えず、

「どうします?」

 と言った。

「ええと、ココアが飲みたいんです。甘くないココア」

「無糖ですね。生クリームは」

「ほんの少しだけ」

「かしこまりました」

 店主は奥に下がっていった。

 やっと一息ついてすすった冷水からは、レモンの香りがほんのかすかにした。

 その席は歩道から並木に隠れていつつ、見晴らしがよかった。

 アリ地獄みたいな渋谷の迷路を、同じナンバーの配送車が何度もぐるぐる回っている。ビジネスマンやリクルーターが、ネズミ色の衣装を日光と放射熱で焼かれながら歩いている。そのほか幸福そうなの、不幸そうなの、だまされていそうなの、陽気なの、二日酔い。

 みんな生きてらあ。

 それから、俺はここを自分の特等席と決めた。ここで人間を眺めていると非常にいとおしくて気分がよかった。

 ここに座るためだけに、通過せずに用もなく渋谷駅で降りた。

 待ち合わせがあれば2時間早く到着して、席に座って飲んだ。

 明け方まで遊んだら近くのネカフェで開店時間まで仮眠をとり、ココアを飲んだ。

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