第50話 砦の影を知れ
スノウは剣を構えて、足を動かす。
振り回しはしない。ただ構えを変えながら、同じところをグルグルと回る。
これは以前マナに教えられた足運び。
すり足で地面に弧を描くように移動する歩法。
毎日飽きもせず、ひたすら反復練習。
意識せずともできるように身体に覚えさせていく。
いついかなる時でも素早く動けるように。
それがこの歩法の目的。
重心を低くし、大地を踏みしめる。
体力と時間はある。
生きるために、強くなるために技術を蓄積させていく。
スノウにとってこの技術が戦いにおける全てではないが、足りないと感じていたことでもある。
自分が持つ力を十全に発揮できるように身体をコントロールするため、また自分で技術を理解することによって敵がやられたら嫌なことも学べるかもしれない。
拮抗する実力を持つ者との戦いにおいてはやはり引き出しが多い方がいい。
全ては生き残るため。
スノウは来たるべく迷界での対人戦闘を見据えていた。
その時が来たらどうなるかはわからないが、できることはなんでもやっておきたい。
スノウが鍛錬をしていると、時折マナが様子を見にくる。
ただじっと見ているだけの時もあるし、あれこれと指導してきたり、見本を見せるように横で鍛錬することもあった。
その度に、頭の中のイメージを修正し確認していった。
彼女の足運びはまるで地面を滑るように移動する。
彼女の域まで到達するにはあまりにも遠い道のりだが、実際にできている人間がいるのだから努力する価値はある。
練習の甲斐あってか、始めの頃と比べれば自分の中ではまあまあ見れるものになりつつある。
スノウは少し得意げに思っていた。
俺だってやればできるんだ……。
マナに言わせればまだまだであったが。
ひたすら身体を動かしていると、思考の片隅で別のことを考え始める。
そういう時は決まって昔のこと。
身体を動かすこと、運動は前世でも今世においてもあまり好きではなかった。
正確には嫌いになっていった、と言うべきか。
昔は運動は嫌いではなかった。
しかしどうしても自分より上手い奴はいるもの。
それを受け入れられずに、劣等感を刺激されて嫌いになっていったのかもしれない。
孤独な人間は自らの心の内側にそんな思いを抱えて、さらに孤独になっていく。
スノウのそんな昔の記憶。
忘れることのできない根っこの部分。
今は違う。
物の見方が変わった。
生きるために必要なこと、最初はそれが理由だった。
経験を積む内に思うように動き出す身体。
自分はもっとできると思わせてくれる。
そうなると楽しくなってくるものだ。
成長が、努力の成果がはっきりと感じられる。
今ならバク転だってできる。それも何回も。
与えられた物ではなく、自分で掴み取った力、心からそう言える。
それだけ死線を乗り越えてきたからこそ言えること。
この場所では幸いにして練習相手には事欠かない。
スノウが誘うと嫌がる者も多いが、なんだかんだで付き合ってくれたりする。
今では新兵に教えを乞われることもある。
もちろん鍛錬中に怪我は多いし、危険もある。
刺し傷、裂傷、打撲、骨折と毎日のように怪我は絶えない。
それでもスノウは子供のように夢中になって剣を振って遊んだ。
*
きっかけはレナードからの一言。
大体が彼から始まる。
「スノウ、グレイグ。お前らに斥候の話が来てるぜ」
その言葉に鍛錬の手を止めて顔を見合わせる二人。
心あたりはある。
グレイグは元からそちら向きのスタイルであるし、スノウはこのところよく迷界に潜っている。
スノウにも声がかかったのは、向上心ありと認められたからであろうか。
「やるか?」
レナードが片方の眉を上げて問う。
それにもう一度顔を見合わせた二人は再度レナードの方に顔を向けるとどちらともなく頷いた。
斥候。その存在はもちろん知っている。
だが具体的にどのような活動をしているのかは謎だった。
それほどまでにひっそりとした、砦の外での活動が多い、いわば影の組織。
スノウは新しいことが学べる予感に胸が高鳴る。
「私にはー?」
声がかからなかったマナが聞く。
後ろで司祭もうんうんと頷いている。
除け者なのが気に入らない様子。
そんな二人にレナードはどうせやらないだろう、という目で見やる。
この二人はレナードの班でも一番華奢な二人だが、最も戦闘に特化した二人でもあった。
彼らは迷界においては最低限のことができればいい、最低限で。
早速門前まで向かうスノウとグレイグ。
向かう先にはジェイルとフェイスが既にいた。
小さな声で何かを話し合っている。
フェイスがこちらに気づく。
彼が斥候の長。
こちらを睨むように見てくるが、普通に見ているだけだろう。
慣れているので気にしない。
「おっ、やる気みたいだな。んじゃああとはフェイスに任せるわ」
防衛隊長のジェイルはそう言って帰っていく。
残された三人。
「着替えろ」
フェイスにそう言われ渡されたのは緑色の外套。
元からスノウ達が纏っているものに似ているが、匂いが違う。
強烈な、緑の香り。
その匂いに思わず顔をしかめる。
「これでヒトの臭いを誤魔化す。この任務は森と同化することが重要」
言葉少なめに語るフェイス。
残りは道中で、と言い残し早足で迷界に向かう。
渡された外套に目を落とすスノウ。
やけに準備がいい。
用意された二人分の外套。
レナードは自分たちがこの話を受けるだろうということを想定済みだったようだ。
スノウとグレイグはフェイスに遅れまいと、後を追いかける。
迷界に向かう道中の速度は普通の人間には早すぎるくらいだが、スノウ達にはどうということはない。
外套をたなびかせ歩く三人。
「俺が迷界に潜っている時はこんなもの必要なかったが……」
スノウはこの匂いの付いた外套についての質問をする。
臭いは重要だ。
風に乗った臭いで魔物に見つかる恐れがあるし、何より先手が取られることがきつい。
しかし大事なのはわかるが、なくてもなんとかなっている、というのがスノウの感想。
そういう意図の問い。
「探索時と違い俺たちは長距離の移動はしない……。任務はあくまでも魔物達より先に発見し連絡すること。目的を履き違えるな」
フェイスの返答になるほど、と心の中で相槌を打つ。
確かに探索時は長距離を比較的速い速度で休みなく移動することが多い。
そのため臭いを嗅ぎつけられても、結果的に追いつけず撒けることもあるだろう。
対して今回の任務では迷界の入り口を中心に敵の侵入を察知しなければならないため、同じ場所に留まることが多くなる。
フェイスの説明は少なくとも今は論理的であるように思えた。
「なぜ鐘は鳴る?」
スノウが思考の渦に沈んでいると、フェイスが唐突に問うてくる。
質問の意味がわからなかった。
魔物がくるから鐘を鳴らしている、それが二人の認識。
それ以外に何があるのか。
「俺たち斥候兵が知らせているからだ。魔物の種類も、数も。だからお前達は魔物達に不意を突かれないでいられる」
言葉が告げれないでいるスノウ。
鐘が鳴れば魔物が襲ってくる。
そんな当たり前に思っていた砦のシステムの裏には陰の立役者の存在があった。
そうだとするならば今回の任務は間接的に仲間の命を救う非常に重要な仕事となる。
「……それはわかったが伝達はどうやんだ?上から砦までまあまあの距離がある。……狼煙か?」
グレイグは考えたことがあるのか驚きもせず、努めて平静にフェイスに問いかける。
まさか走って伝えるわけもない。
何か情報を伝える正確な手段があってのことだろう。
「それは実際見てからの方がいい……。お前達も迷界に慣れた頃だろう。基本は言うまでもない……。だがこの任務で重要なのは魔物に察知されないこと……。戦う必要はない。それは向こうの仕事……。そして俺たちが死ねば向こうではさらに死人が出る、それを忘れるな」
砦で戦う兵士たちが光ならば、斥候兵は影。
光を浴びることはないが、決して蔑ろにしてはならない存在。
派手さもなくただ忍耐と辛抱強さが問われる。
スノウはそんな新しい領域に足を踏み入れようとしていた。
楽園の焔 @atami_room
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