第49話 今日を生きて、明日へ進む
暗闇から男が出てくる。
陽の光が眩しくて、スノウは思わず目を細める。
スノウが今いるのは砦。
今や自分の帰る家となった場所。
昨日迷界から帰還したスノウはいつものようにひっそりと夜を過ごした。
いくら慣れたといっても、やはり迷界帰りは神経をすり減らす。
定位置となったヨルの仕事部屋の記録室から外に出る。
この場所はいい。
日中でヨルがいたとしてもスノウからすれば彼は無害に等しい。
足が悪くか細い老人はスノウが居てもただ静かに自分の仕事をする。
紙を捲る音とペンの擦れる音だけが流れる空間は居心地が良かった。
すれ違う仲間に挨拶を返しながら広場に戻るスノウ。
広場の前の廊下で見知った顔を見つける。
レナードだ。
長身に短い金髪、整った横顔に鮮やかな碧眼が見える。
体付きは戦士のもので、肩や胸といった要所に金属の防具を着け、腰には長い長剣を差している。
この砦においても屈指の実力を持つ戦士。
砦の人々からも信頼が厚く、スノウが密かに目標としている男。
そんな彼の隣にもう一人の男がいる。
調達屋のエルカトル。
金さえあればなんでも調達してくるという商人。
黒髪で長身の優男。物腰の柔らかい男だが、しかしどこか胡散臭さが拭えない。
その原因はいつも微笑んでいるからか、それとも商人と言いながらもどこか油断のならない足運びをしているからだろうか。
「お久しぶりです、スノウさん。ご活躍は聞いていますよ」
エルカトルがレナードに何かを渡した後、こちらに気づく二人。
エルカトルはそう言ってこちらに会釈。
レナードは軽く手を上げ挨拶。
スノウも手だけで挨拶を返す。
このエルカトルという男、これまでにも何度か会っているが、スノウには特に欲しいものが思いつかなかったため何も頼むことはなかった。
二人の側まで行ってレナードの方を見る。
今何をしていたのか聞いていいものだろうか、という視線。
個人の領域に干渉したくはないが、目に入ってしまったのだからしょうがない。
「俺はこれだよ」
レナードが見せたのは紙。
何枚かあるうちの一枚を広げて見せてくれると、見出しのような大きな文字と細かい小さな文字が書かれていた。
「何それ?」
「新聞だよ。分かるか?新聞って」
レナードの問いに頷いて見せるが、正直なところこの世界では見た事がない。
紙はあるにしても印刷技術はそこまで発達していないはず。
それに紙はどれほど高いかは知らないにしても安くはない。
「初めて見た……」
「そうか?よく町の広場なんかで張り出されているはずだけどなぁ」
「ああ……そういう……」
頭をかきながらボヤくレナードにスノウはああ、と理解する。
前世のイメージに引っ張られていた。
大量に発行されるものではなく、各地域にある掲示板等に張り出されているものだろう。
一枚をみんなが集まって見る、そういったもの。
「発行されたやつを持ってきてもらってんだ。これを見れば向こうのことが大体わかるしな」
「気にしてたんだ」
「まあ、大人の嗜みってやつだ」
そう言うレナードだが、彼は貴族の生まれ。
国内情勢や政治的な事が気になるのかもしれない。
手に持った新聞を何枚か見せてくれる。
貴族向けのものや庶民向けのもの、中には下らないゴシップ記事なども。
いつの世も人々の関心は変わらないものだ。
大人の嗜みだ、などと彼は言うが、砦の連中は口より先に手が出るような奴ばかり。
喧嘩からの乱闘は日常茶飯事。
彼らが文字なんて読んでいるのは見た事がない。
本能で生きている彼ら。
そこがいいところでもあるが……。
「何かご入用ではありませんか?なんでもお申し付けくださいね?」
話が終わったと見てエルカトルがスノウに営業をかけてきた。
「いや特に……」
スノウはそう言いかけて、ふと考える。
視線の先には新聞を読むレナードの姿があった。
物ではないが、欲しいものがある……。
「何でもか……」
「ええ。可能な限り、努力は致します」
呟くスノウに肩をすくめて応えるエルカトル。
なんでもと言っても常識的に考えてできないこともある。
子供のようなことを言われても困るという仕草。
「なら……、情報……とかは?」
スノウのその言葉に一拍置いて笑みを深めるエルカトル。
これまでと打って変わって不気味な笑みだった。
笑みによって細められた双眸から、瞳が覗く。
こちらを興味深そうに見る目。
エルカトルという男の影の部分が垣間見えた瞬間。
「ええ、ええ……。そちらももちろん取り扱っております」
嬉しそうにそう答える調達屋。
下からこちらを覗いてくるような錯覚。
「気を付けろ……。あまり口出ししたくないが、そういうのは高えぞ」
レナードが新聞に顔を向けたまま目だけこちらに向けて忠告。
危険だと言わないのは彼のスノウへの信頼か。
古今東西、情報というものは価値があるもの。
人によっては大したことのないものでも、場所や人が違えばその価値は途方もなく上がる。
スノウはその忠告に心配ないと言うように軽く頷く。
それなら、と目で頷いたレナードはもうこちらを見ることはなかった。
「場所を変えましょうか……。あまり聞かれたくないお話でしょう」
エルカトルは大事な客にそう言って移動を促す。
スノウは一人、彼に着いて行った。
調達屋エルカトルにスノウが案内されたのは砦の地下にある一室。
広い部屋の真ん中に机と椅子が一式あるのみ。
聞けば彼がこういった商談の際に使用する場所。
「ここならば聞かれることはないでしょう」
エルカトルが部屋の扉を閉める。
扉は思いの外重く、分厚い。防音性が伺えた。
「それで、どのような情報がご入用ですか?」
単刀直入に聞いてくる。
スノウもその方がいい。会話の駆け引きは苦手だ。
「慣れてるんだな」
「ふふ……。ええ、まあ」
笑って返すエルカトル。
なるほど、彼は情報屋でもあるようだと納得。
表立って言う事はない裏の稼業。
恨みを買いやすい危険な仕事でもある。
「俺がここにくることになった事件を知っているか?」
「ええ、もちろん」
スノウが早速そう切り出すと知っている旨の返事。
彼が情報屋であると言うことは当然シアも知っているはず。
シアがスノウのことを知っていたのは彼を使ったからからなのかもしれない。
「それなら話が早い。そいつらの情報が欲しい」
スノウの要求にエルカトルは少し考える仕草。
「それは実行犯のことですか?それとも指示をした人間?」
「全部だ」
間髪入れずに返答するスノウ。
エルカトルがそう聞いてくる理由はおそらく貴族が絡んでいるからだろう。
スノウもそれには気づいていた。
それでも事件の裏にいる全員に裁きを与えたかった。
「それなら高くつきますよ……?実行犯周りだけなら簡単ですが……。それより上となると、少し手間がかかる……」
ふむふむと顎に手を当てて思案するエルカトル。
「すぐじゃなくていい……。一年、二年かかっても……できるか……?」
スノウの真剣な眼差し。
もう戻れない過去のことでも、彼にとってはとても大事なこと。
「ええ、もちろんです。それが売りですから」
エルカトルはその眼差しを受けてニッコリと笑う。
「金は俺のところから必要なだけ持っていってくれ。足りないのならあんたが来る度に持っていっていい」
どのくらいの金額かは聞かないが、かなりかかりそうだ。
今スノウにはそれなりに貯金があるはずだが、それでも足りないのなら、また稼げばいいだけのこと。
金には執着はない。
生きることに必死な毎日。
死ねば価値のないもの。
「ふうむ……。では分割払いということにしましょう」
エルカトルは調査が進む毎に金をもらうという契約を提案。
どちらもできるという確証などないが、シアが間に挟むことでどちらも不義理は働かないという不文律があった。
「もし俺が途中で死んだら……、調査は打ち切ってくれ……」
この復讐は誰かに任せるものではない。
己のけじめのためのもの。
死にゆく奴らの目を目の前で見て、そして自分でケリをつけなければ何の意味もない。
そうすることで、また前に進める。
「それでは、仕事を承りましょう。このエルカトル、必ず契約は守る男」
エルカトルは一歩下がり、胸に手を当て静かに一礼。
スノウに対して了承の意を伝えた。
「頼む」
この依頼は未来への布石。
そして決意の表れでもあった。
*
エルカトルと別れ地上に出ると、商人達の姿が見えた。
彼らは今来たのではなくこれから帰るところのようだ。
あれからもう一ヶ月経ったのか、と気がつくスノウ。
迷界に長く潜っていると時間の感覚がおかしくなる。
スノウは行商の長であるホッファに挨拶に向かう。
そして彼と前回の礼など軽く会話をしていると、見知った男が旅装をしているのに気が付いた。
その男はアレック。スノウが砦に来たばかりの頃、世話になった男。
純朴そうな顔立ちで、労役についた仲間からの信頼も厚い。
「アレック……、行くのか……」
「やあ、スノウ。……うん、お役目も終わったし、故郷に帰って畑でも耕すよ。残ることも少しだけ考えたけどね」
「そうか……」
アレックとはスノウが兵士になってからもたまに会っていた。
その度にいつも傷だらけのスノウを心配してくれていた、心優しい青年。
そんな彼が去ることに一抹の寂しさを覚える。
奴隷として来たから労役を終えて砦から去る者は少ない。
魔物の襲撃で巻き込まれて死ぬか、途中で兵士になって死ぬか。
それだけに長くいる者ほど頼りにされる。
彼もまたその一人。
幸運だけでなく、注意深くいたからこそ生き残る事ができた。
「元気でな……」
「そっちこそ。死なないで」
心からの言葉。
砦での生活の中で会話は少なかったが、数少ない友人でもあった。
出発する行商隊。
アレックもそれに着いていく。
こちらに振り向いて手を振るアレックに手をあげて見送る。
もう会うことはないだろう。
彼は普通の人間で、生きるべき善人。
ここで生き抜いた彼ならば故郷でもきっと生きていけるに違いない。
別れ際に言われた死なないでという言葉が頭の中に響く。
約束はできなかった。返事を返せなかった。
スノウを待つ戦いは命の保証などない、死と隣り合わせの毎日。
それでも今はただ、旅立つ友の安全を願っていた。
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