第48話 龍と呼ばれる男

 小高い丘の上で片膝をついて休む。

 スノウは今迷界にいた。

 周りに仲間の姿はない。一人だ。


 このところスノウは迷界に潜る回数が増えた。

 仲間と潜ることもあるし、一人で潜ることもある。

 もちろん危険も多い。

 一日中魔物に追われたり、到底叶わない魔物を目撃することもしばしばあった。

 それでも迷界に潜るのは妙な中毒性があったから。

 不思議な魅力とも言うのか、毎回嫌な思いをしているにも関わらず、なぜか惹かれてしまう、そんな場所。

 中に入る度に新しい発見がある場所。

 この場所はスノウに己の限界を見せてくれる。


 かつての刺すような圧迫感はなくなり、今では心地よい刺激となっていた。

 逆に言えばそれほどまでにスノウには外での刺激が少ないとも言える。


 今スノウがいる場所は湖の先にある丘陵帯。

 視線の先にはサソリのような姿をした魔物の死骸があった。

 以前湖の向こうからこの魔物の声を聞いた。

 その姿はあまりにも巨大。丘のように大きい魔物。


 死骸は緑の苔のようなもので覆われ、大地に飲み込まれるように沈んでいるが、その大きさ故に未だ姿は残る。


 スノウは丘を降りて魔物の表面に触れる。

 甲殻はまるで金属のように硬く、ひんやりと冷たい。

 持ち帰ることができれば、きっと素晴らしい素材になるだろう。

 しかしそれは叶わない。

 ここからでは砦と距離がありすぎる。


 この魔物を倒したのはシアだ。

 人知れず、この場所で闘った。

 周囲には破壊の跡が残っている。

 抉れた、裂けた大地、割れた大岩、薙ぎ倒された木々。

 そして目の前の死骸は二つに割れている。

 これを成した男はある日ふらりと迷界に入り、そして何事もなかったかのように帰ってきた。

 身体に傷はなかったが、激戦であったのはボロボロの服装から見て間違いはないが。


 スノウはこの行為を自らに当てはめて考えてみた。

 おそらく自らの体内にある魔力のため。

 シアは敵の存在を大切にしている。

 自らに並び立つ存在は貴重だ。

 刺激を受けて、体内の魔力が活性化する。

 そうすると、生の喜びを実感するのだ。


 今なら少し分かる。

 シアは常に自分の中の魔力と戦っている。

 暴れ狂うその力を抑えている。


 ホッファも言っていた。

 魔力は怠惰な存在を許さないと。

 常に前に進まないといけないと。

 シアが己の何もかもを捨てて迷界の奥へ向かわないのは彼の立場によるものなのだろうか。


 シアという男は奇妙な存在だ。

 スノウはこの男のことを思い出す。

 あの日、ウィリアの町長、アレンに言われた事。

 シアという男の話。


 スノウがシアと呼ぶ男。

 本名はシアトリス・オルバ・ユグリス・ミリアルド。

 長い名前だ。

 普通は名前と家名。

 特殊な役職があるとそれを加えて三つ。

 この国で一番長い名前なのが王族。


 この名前から分かる通りシアは王族。

 加えて辺境伯ということになる。


 王位継承権はあるのかというと……、ない。

 彼はもう随分と昔に放棄したらしい。


 やんごとなき血筋の彼がなぜこんな場所にいるのか、そこが複雑なところ。


 シアという男は……王弟だ。

 王弟といっても今の王の弟ではない。

 先代の、先代の、そのまた先代の王の弟。

 そう……、彼は相当な時を生きている。

 年数にして百四十歳前後。

 魔力が生んだ奇跡の存在。

 彼ほどの魔力を保持していれば、最早不老に近い存在である。

 不老に憧れる者は多いだろうが、そんな人に限って無理な話。


 権力とこの力は相対的に逆の位置にある。

 魔力を得ようとすれば人の世からは離れ、権力を得ようとすれば、魔力からは遠くなる。


 シアという男は幼い頃からどこか超然とした存在だったそうな。

 一を聞いて十を知る、そんな天稟を持ち、人を寄せ付けない才があった。

 兄からすれば鬱陶しい存在。

 歳の離れた弟は幸か不幸か王にはならなかった。

 当時の王は兄を次の王と指名した。

 兄も特段出来が悪いというわけではない。

 次代の後継者として育てられ、順当に王となった、ただそれだけの話。


 対するシアも特に文句はなかった。

 権力に興味はなく、ただ国のために使命を果たす。

 役割を与えられたら、それはそれで仕事をする。

 ただ静かに与えられたものを貪欲に吸収していった。


 だが兄はそんなシアを恐れた。

 有り余る才能を持つ弟を。

 そしてこの砦へ追いやった。

 誰からも見えなくなるように。


 重要な任だが、同時に危険すぎる役目でもある。

 監視者の砦の司令官は代々優秀な者だが、いずれも現役を退いた老将が務めていた。

 死んでもいいが、無能だと困る。

 そうでなければ魔物が砦を超えて大変な被害が出る。


 シアはその若さにも関わらず任を全うする。

 力を付け、さらに強力な存在へとなっていく。


 当時の砦の戦力は今ほど充実したものではなかった。

 その中でシアは自ら戦線に立ち生存競争を勝ち抜いていった。

 それどころか驚異的な速度で交易拠点と流通路を整備し、砦からもたらされる資源は国を潤した。

 兄である当時の王は最期の時までシアに会うことはなく、彼を恐れて死んだ。


 そして次の王、次の王と時は進む。

 彼らからしてみても、シアは恐ろしい存在で、触れたくなかった。

 そっとしておいて、王都に近寄らせない。


 誰よりも長い時を生きるシアは尊敬と畏怖の対象になり、王位継承権を放棄したにも関わらず未だ根強い支持の声がある。

 表だって声はあげないが、彼に従う貴族は多い。


 いつの間にかそんな彼に渾名がつけられた。

 ミリアルドの龍。

 大陸の長い歴史の中で龍の名がつけられたのはほんの数人。

 いずれも偉大な英雄で、龍の名がつけられたのは死後のこと。

 シアは存命のうちにその名がつけられた。


 普通は龍神教の連中が黙ってはいない。

 龍神教は龍を至高の存在と崇める宗教。

 古くからある宗教で世界中に信徒がいる。

 それだけに数も多く、影響力も大きい。


 人の身で龍を名乗るなど分不相応というものだ。

 それほど龍の名は大きかった。

 不老不死、生命と力を顕す象徴。

 人の身では届き得ぬ存在。

 それを彼らは認めたのだ、シアという存在を。

 彼らが神と崇める存在の名を名乗ることを許した。

 これがどれほど驚くべきことか。


 人間離れした存在。

 しかし国はその存在を隠したがった。

 そのためかシアの一般の認知度は低い。

 スノウが知らないのも無理はないことだった。


 今もシアは人知れず砦で任を果たす。

 長い時を生きる彼は一体何を考え、何を目的に生きているのだろうか。


 スノウの顔に強く、冷たい風が吹き付ける。

 既に季節は秋になっていた。

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