第5話

 異世界で迎えた初めての朝は、様々な生活音で溢れていた。


隣の部屋から漏れる小さな話し声、廊下を歩いていく人達の靴音、大通りから響いてくる、馬車の通行音。


残念ながら、チュンチュンと耳に優しい、すずめたちの鳴き声ではなかった。


共同の水場で顔を洗い、木製のフレームに付いた動物の体毛のようなブラシで歯を磨いて朝食を取り、宿の主人にあと3日分の宿代を前払いして、今日も先ずは冒険者ギルドへと向かう。


昨日と同じ受付の人を探すと、幸運にもその窓口は空いていて、直ぐに話をすることができた。


「おはようございます」


「あら、昨日の・・。

おはようございます。

ご紹介した場所はお気に召していただけましたでしょうか?」


笑顔でそう話しかけてくれる。


「はい、とても。

ありがとうございました」


「本日はどのようなご用件でしょうか?」


「また少しお尋ねしたいことがありまして・・。

迷宮についてなんですが、何か規則のようなものはありますか?」


「・・やはり入るのは初めてなのですね。

事前にお尋ねいただけて幸いでした。

先ずは迷宮という存在を大まかにご説明致します。

この町にあるものに限らず、迷宮とは現実離れした存在です。

常識がほぼ通用致しません。

例えば、迷宮内で人や魔物を殺すと、その死体は瞬時に消滅し、跡にはドロップ品や装備、身分証の類しか残りません」


「人を殺す!?

人も魔物のように襲ってくるのですか?」


驚いて聴き返す。


「いいえ、普通なら先ず襲われることはございません。

ですが、迷宮内での出来事に関しては、全て自己責任が原則です。

犯罪を犯せば処罰されますが、それが明るみに出る前なら逃げ切れると考えて、お金や装備目当てに他人を襲う者は残念ながらおります」


「・・・」


考えていたよりもかなり深刻な内容に私が言葉を失くしていると、彼女が説明を続けてくれる。


「身分証をお出しください」


言われた通りに、受付カウンターに呈示する。


「下から3番目に、犯罪歴の有無が表示されていますよね?

これは1番下の現在時刻、上から4番目の年齢と共に、女神様により自動更新されます」


そういえば、身分証をしっかりと見るのはこれが初めてだ。


______________________________________


氏名:水月 夏海

人種:人間

性別:女性

年齢:17

地位:平民

犯罪歴:なし

本年度の納税の有無:支払い済

現在時刻:○○○○年○○月○○日○○時○○分○○秒


______________________________________


こちらではどうやって時間を特定するのだろうと思っていたが、ここに表示されていたのか。


今まで気付かなかった。


「あの、身分証を失くした場合も、ギルドで再発行して貰えるのですか?」


「・・・」


何だか一瞬、かわいそうな人を見るような目をされた。


「身分証というものは、人が生まれた際、女神様から直接に贈られる品です。

初めて神殿でジョブ認定を受けた際、その者の体内から浮き出るように出現致します。

子供でも、8歳になるとその子が15の成人に達するまでは扶養者に納税の義務が生じますので、それまでにはどなたも必ず神殿に行かれているはずです。

故意の脱税や、2年以上の税の未納は、奴隷落ちも有り得る重大な犯罪ですので。

・・ですから、身分証の再発行は、神殿でないとできません」


今後はめんどう臭がらずに、ステータスウインドウの項目できちんと調べよう。


「お話を戻しますね。

犯罪に着手した瞬間に、その者の身分証には犯した罪が明記され、呈示を求められた際に他者の知るところとなります。

犯罪がまだ確定していなければ、それが既遂になった瞬間に、表示が変わります。

迷宮内に入るためには入り口で徴収役の騎士に入場料を支払わねばなりませんが、

その際、必ずしも身分証の呈示を求められる訳ではございません。

明らかに怪しい素振りをしていなければ、ほぼそのまま素通りできます。

迷宮内では自己責任が原則なので、犯罪行為の目撃者が騎士達にそれを通報しない限り、暫くはその犯罪が明るみに出ないのです」


入場料を取るくらいなら、彼らにもう少し仕事をして欲しいと思うのは酷なのかな。


わざわざ全員を確認して記録を残しても、魔物にやられて帰って来ない人達だっているだろうから。


死んだ人が落とした身分証を、冒険者達に回収させた方が楽だしね。


「騎士達が入り口に立つ時間は、朝の6時から夕方の6時まで。

それ以外の時間は、迷宮内の危険度が増すため、入る者がほとんどいないので立っておりません」


「出現する魔物に違いでも出るのですか?」


「仰る通りです。

全てではありませんが、浅い階層に高位の魔物がランダムに出現したり致します」


「騎士の皆さんが入り口におられない夜間に、迷宮の魔物が外に出てきたりはしないのですか?」


「迷宮とは、女神様がこの世界に与えられた恩恵の最たるものです。

それが外部の人々を害するようにはなっておりません。

ご安心ください。

迷宮の魔物は決してその外には出てきません。

ですから、冒険者の皆さんが迷宮内の魔物を全く狩らなくても、溢れ出るような事態にはなりません」


漫画にあったような、スタンピードは起こらないという訳ね。


「迷宮内の魔物からは、実に様々な生活物資が手に入ります。

お金さえ落とす魔物も存在します。

命の危険さえなければ、人にとって計り知れない利益をもたらす場所なのです」


「迷宮内の魔物同士は争ったりしないのですか?」


「全く争いません。

彼らにとって、敵となる存在は侵入者たる人族だけで、襲う理由も、人を食べるためではないからです。

彼らに食事は必要ないのです」


「では、外部で仲間にした魔物を迷宮内に連れ込んで、彼らと戦わせたらどうなるのですか?」


「そもそも、外部からの魔物の連れ込みは一切できないので、問題になりません」


「え、全くですか?」


じゃあ召喚士とかテイマーのようなジョブはないのかな?


「迷宮と外部とでは、その法則性が異なります。

迷宮での死には、先程もご説明した通り、死体が残りません。

女神様の魔力で作られた魔物が倒されても、数分内にまた復活するだけですし、人が死ねば、消滅して輪廻の輪に加わるだけだからです。

ですが、外部で人や魔物を殺した場合には、自然の摂理に従い、死体がいつまでも残り続けます。

魔物からは何もドロップしませんし、人が死んだ場合は身体の表面に身分証の類が浮き出るだけです。

ただ、こちらの場合は死体がそのまま残るので、魔物からは各種の素材が調達できます。

迷宮は、女神様が我々に特別に与えてくださった、命懸けの遊びの場。

なので、外部から余計な存在を入れることはできません」


どうやらそれらのジョブは、存在したとしても、外部専用みたいね。


「迷宮内と外部、その2つの世界における法則性の違いには、もう1つ、とても大きなものがございます。

・・人や魔物の、死に方です」


「死に方?」


「迷宮内では、人や魔物を剣や魔法で傷つけても、致命傷を与えて消滅させるまでは、肉体が破損したり、出血したりは致しません」


「ええ!?」


「剣で何度も刺したり、魔法で攻撃したりしても、相応のダメージを与えるだけで、腕がちぎれたり、血が吹き出たりは致しません。

その分の痛みは感じますが、ある意味、とても奇麗な死に方になります」


「・・・」


「そのメリットとしては、死にさえしなければ、五体満足で迷宮から出てこられることです。

本来なら瀕死の重傷であっても、回復魔法を掛けて一晩眠れば、翌朝にはまた元気に迷宮に潜れるでしょう。

デメリットは、自分がいつ死ぬのかの判断がつきづらいこと。

外見上は分りませんから、ご自分のステータスウインドウを開いて、HPの残りを確認するしかありません。

下手をすると、その間に死んでしまいます。

迷宮が、『命懸けの遊び場』と言われる所以ゆえんがここにあります」


「・・それは、初心者にはかなり厳しい条件ですね」


「そう思います。

ですから皆さん、よほど自信がないと、無理をなさいません。

ご自分の実力よりも数段下の階層で、何か月、何年も力をつけています」


「因みに、この町にある迷宮は、何階層まであるのですか?」


「分りません。

現在確認できている階層は、41階層になります。

・・ああ、最後に1つ、付け足しておくことがございました。

これは女性の方にとっては朗報になるのですが、迷宮内では、その性的安全が完全に保障されます」


「・・どういう意味ですか?」


「婦女暴行、いわゆる強姦は起こり得ないということです」


「理由をお聴きしても?」


「女神様が、迷宮内でのそういった行為をお許しにならないからです。

相手の女性を犯す意思で行為に臨もうとした瞬間、非常に強力な番人が現れて、処刑されてしまうそうです」


「・・・」


「双方合意の上でなら問題ないと言われておりますが、怖くて実際に試そうとする人はいないみたいです」


「・・まあ、場所を弁えろということなのでしょうね。

不安が1つ、減りました」


「以上が大体のご説明になりますが、他に何かございますか?」


「じゃあ1つだけ。

この町に公衆浴場はありますか?」


今日はもう、お風呂に入ってゆっくりしよう。


なんか疲れた。

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