第3話 家出
長男は私大の付属高校に通っていて、三年の二学期には推薦で進学先が決まった。それを機に三人でマンションを借りることにした。東京都葛飾区3DKで8万円だった。この辺は23区ではかなり安いエリアだ。
Aさんに内緒で3人は引越しの準備を始めた。頭のおかしい母親だが、見捨てるのはかわいそうな気がした。
でも、仕事に行っている間に、引越してしまおう。なぜ黙って行くのかを、3人ともうまく説明できなかった。たぶん、引き留めて来る気がしたからだ。そして大騒ぎするはずだ。そしたら計画がおじゃんになってしまう。
「この恩知らず!どんだけ大変な思いをして育てて来たと思ってるんだよ!」
自分たちが出て行ったら、家中を猫が出入りするようになる。これまでは、自室には入れないということにして、自分たちの砦を死守してきたが、3人はそれを放棄してしまうのだ。だから、猫に汚されたくないものだけは持ち出すことにした。
決行の日。3人は引越し業者を呼んでいた。電化製品などは全部置いて行くので、荷物はほぼ段ボールだけだった。
業者の人が段ボールを運び出す間、猫は猫部屋に閉じ込められていた。逃げたりしたら大変だからだ。母親が怒り狂う。そして修羅場になる・・・。
父と息子は引越しの人を手伝って、できるだけ早く段ボールを運ぼうと頑張っていた。
その時だった。猫部屋の引き戸を猫が自分で開けてしまったのだ。
それは一瞬の出来事だった。
3人は慌てて捕まえようとしたが、猫は一斉に玄関に侵入し、開け放たれたドアからそのまま道路に出て行ってしまったのだ。
「あ!」
反社的に出たのは叫び声だけだった。
Aさんの家に来て、初めて外にでる猫たちはそのまま散り散りになって見えなくなってしまった。もともと野良だった猫たちだ。ずっと気詰まりな暮らしをしていたのかもしれない。
1匹逃げても8匹逃げても同じだった。3人は引き戸を閉めようともしなかった。
「やばい・・・どうしよう」
「お母さん怒り狂うよ」
「猫たちもここの暮らしがいやだったんだろう。仕方ないよ。みんなで出てくんだ」
旦那は笑った。嫁が家に帰って来て、もぬけの殻だったら、さぞがっかりするだろうと想像すると愉快だった。積もり積もった不満で、旦那はもう嫁に愛想をつかしていたんだ。
3人は引越し屋さんのために新居の鍵を開けなくてはいけないから、誰かが先に行かなくてはいけなかった。誰も何も言わないが、家に残ろうとする人はいなかった。猫を逃がしたことで、母親に激しく責め立てられるのが目に見えていたからだ。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
父親が音頭を取った。そして、玄関に鍵をかけただけで立ち去ってしまった。Aさんには何も告げずに・・・。
Aさんが夕方家に帰ってみると、猫たちが家の周りでにゃーにゃー泣いていた。どこの猫だろう。いつも家の3階に電気がついていたのだが、その日は真っ暗だった。もしかして・・・泥棒が入ったんじゃ。Aさんは恐る恐る玄関のドアを開けようとすると、鍵がかかっていた。
家の中は誰もおらず、猫もいなかった。
しん、と静まり帰っていた。
Aさんはがっくりと肩を落として玄関に座った。_| ̄|○
みんな出て言っちゃったんだ!
私を置いて!あんなに頑張ったのに!
出産だって、育児だって、仕事と両立するのだって大変だった!
どうして!どうして!
猫だってみんないなくなっちゃったじゃない!
この恩知らずどもめ!
Aさんは、もうドアを開けようとはしなかった。
猫が外でニャーニャーと鳴いていたが、中から鍵をかけた。
誰か一人でも残ってたら、その子だけはかわいがってあげたのに。
誰も残らなかったんだ・・・。
みんな私のことが嫌いなんだ。
家族はもうAさんに連絡しなかった。
そのうち連絡が来るだろうと思って放っておいた・・・。
Aさんも家族が謝って来ると期待していた。
しかし、1日経ち、3日経ち、1週間経つと、もう家族から連絡は来ないと気が付いた。
Aさんはそのまま会社に来なくなった。
誰も心配していなかった。職場に親しい人がいなかったからだ。
ただ、Aさんが使っていた机の上には、猫の柄の入ったマグカップがいつまでも置かれていた。時々誰かがAさんどうしてるかなぁ・・・と言ったが、誰も連絡を取る人はいなかった。Aさんはパートなのに、上から目線。独りよがりで強引だったからだ。
俺はAさんは更年期障害だったのかなと思うが、家族に理解がなかったせいで、こんな風になってしまったんだろう。あれほど金をかけていた猫たちも、野良になってすぐ死んでしまったに違いない・・・運のいい猫だけは誰かに引き取られたかもしれないけど。
Aさんのその後が気になるけど、俺もAさんも会社を辞めたからその後は知らない。
優先順位 連喜 @toushikibu
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