第6話 大優勝旗が白河の関を越えた

 これからそこそこマニアックな高校野球の話をいたします。興味のない方には退屈で苦痛を感じる文章になるかと思われますので、予めご了承くださいませ。決してご無理はなさらないようお願いを申し上げます。 


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 全国高等学校野球選手権大会は1915年(大正4年)に大阪の豊中グラウンドで始まった。当時は全国中等学校優勝野球大会といった。

 1917年の第3回大会からは会場を鳴尾球場に移し、第9回までが開催される。

 1924年8月1日、現在の甲子園球場が完成。この年は十干十二支の最初の年である甲子年きのえねのとしという60年に一度の縁起のいい年であることから園大運動場と命名され、同年第10回大会からの会場となった。

 

 第1回大会は現在とは異なり、47都道府県の49代表ではなかった。この制度になったのは1978年(昭和53年)第60回大会からである。

 第1回大会は全国参加校73校、代表は10校であったが、東北地区からは秋田中(現県立秋田高校)が代表となり決勝まで進んでいる。決勝では京都二中と対戦し、延長13回の末に1対2で敗れたものの、東北勢としては幸先のいいスタートだったといえる。この時はまさかその後に107年もの間、東北勢が優勝から見放されるとは思いもしなかったろう。


 東北勢は春夏の甲子園で12度決勝に進んでいる。

①1915年夏、秋田中(秋田)1対2京都二中(京都)。

②1969年夏、太田幸司を擁する青森・三沢高校が決勝で松山商業と対戦。試合は 投手戦となり延長18回0対0の引き分け。しかし再試合で2対4と敗れる。

③1971年夏、磐城(福島)0対1桐蔭学園(神奈川)。

④1989年夏、仙台育英(宮城)大越基投手(早稲田→ダイエーホークス→山口県早鞆高校監督)の闘志あふれる活躍により決勝へ進出するも、0対2で帝京(東京)に敗れる。

⑤2001年春、仙台育英(宮城)6対7常総学院(茨城)。

⑥2003年夏、東北(宮城)2対4常総学院(茨城)。2年生エースのダルビッシュ有(パドレス)、同じく2年生リリーフエースの真壁賢守を擁して決勝に臨むも惜敗。私はこの年に仙台にいたが、正直に言ってダルビッシュで優勝できないならもう東北勢は今後も優勝できないと思った。

⑦2009年春、花巻東(岩手)0対1清峰(長崎)。

⑧2011年夏、光星学院(青森)0対11日大三(東京)。

⑨2012年春、光星学院(青森)3対7大阪桐蔭(大阪)。

⑩2012年夏、光星学院(青森)0対3大阪桐蔭(大阪)。三期連続で決勝に進出するという偉業を成したが優勝には至らなかった。

⑪2015年夏、仙台育英(宮城)6対10東海大相模(神奈川)。佐藤世那せな(元オリックス)、平河大河(現千葉ロッテ)、郡司裕也(現中日)、西巻賢二(現千葉ロッテ)などタレント揃いのチームで、小笠原慎之介(現中日)を擁する東海大相模に対峙するも最終回に4点を取られ力尽きる。

⑫2018年夏、金足農(秋田)2対13大阪桐蔭(大阪)。まだ記憶に新しいところ。エース吉田輝星(現日本ハム)らの奮闘で決勝に進み、根尾昂(現中日)、藤原恭大(現千葉ロッテ)、柿木蓮(現日本ハム)、横川凱(現巨人)ら超高校級選手が揃う大阪桐蔭に挑んだが、すでに疲労困憊していた吉田の投球はもはやスター軍団の敵ではなかった。


 そして2022年夏、東北勢13回目の挑戦で、仙台育英(宮城)は8対1で下関国際(山口)に勝利した。仙台育英としても悲願の初優勝だ。

 両校ともにスター選手はいない。仙台育英は140㎞/hを越える速球投手を五人揃え、長打は少ないが強く低い弾道の打撃で勝ち抜いた。一方の下関学園も二人の好投手の継投と勝負強い攻撃で優勝経験校を次々と撃破し、特に優勝候補筆頭の大阪桐蔭に勝ったのは今大会のハイライトとなった。

 両校がこの大会で放ったホームランは1本(決勝の満塁ホームラン)のみ、ともに完投した投手もいない。エースが一人で投げ抜いて勝つ甲子園のや、金属バットの使用と超攻撃型打の池田高校出現以来、潮流になっていた長打力の戦法は、しかしここにきて再びの変革期が訪れることを予感じさせる決勝戦だったように思う。


 『大優勝旗が白河の関を越えた』と題したが、実は甲子園の優勝旗はすでに白河の関のを越えている。そう、2004年夏に北海道の駒大苫小牧高校が優勝しているからだ。

 この時は白河の関を越えたと言わず、津軽海峡を越えたと表された。白河の関は空路では越えたが陸路では越えていない、というわけだ。

 ちなみに夏の甲子園大会では優勝校にの優勝旗が授与されるが、春のセンバツ甲子園大会ではの優勝旗が渡される。この紫紺の優勝旗はまだ津軽海峡も白河の関も超えていない。寒冷地の東北や北海道では練習の量や質の不足が否めず、春先の大会で勝ち進むにはやはりハンデがあるということだ。しかしそれもいずれ北国の高校は克服することだろう。持ち前の粘り強さで。


 名実ともに白河の関を越えた優勝旗。

 私は優勝旗が津軽海峡を越えたあの時と今回に、ちょっとした共通点を見つけて面白いと思った。いや、そんな大層なことではないのだが。

 初優勝当時の駒大苫小牧高校も今回の仙台育英高校も、ベンチ入りメンバーに地元出身者が想像以上に多い。駒大苫小牧高校は18人全員が道内出身(大阪出身の田中将大マーくんは当時1年生でスタンド応援だった)、仙台育英高校は東北出身者が16名(うち9名が宮城)で県外出身者は2名だったようだ。強豪の私立高校なら近畿や関東から選手が集まってきていると想像していたが、これは意外だった。

 私は甲子園を目指す選手が越境して進学することを全く否定しない。規則を違えるものでなければ、それは夢を叶えるための正当な手段だと思う。都道府県の代表なのだから地元出身者が多くないと、と考えるのは大人の勝手な理想だ。

 だいたい日本人は農耕民族だからか土着の意識というか郷土への偏愛が強いように思う。話は少々逸れるがオリンピックなど国際大会の日本代表の方々など、本当に見るに忍びないと感じることが多々ある。不断の努力を重ねてきた人に対して、負けると非難するというのはいったいどういう料簡なのだろうか。敬意が希薄に過ぎる。

 昔、親父がオリンピックで敗退した選手を(テレビに向かって)痛烈に批難したことがある。私はとても嫌な気持ちになって、なぜ縁も所縁もまして直接支援もしていない選手をそこまで批難するのか、そんな権利があるのかと聞いた。答えはこうだ。


 ――日本代表なら税金の一部が選手に使われているから。


 なんてみみっちい…。一応、理屈はとおっているが、であるなら親父が発していい批難の言葉は一文字分にも満たないはずだ。一般のサラリーマンである親父の納めた税金の、いったいいくらがこの選手に費やされた? 長々と文句を言っていいほど使われてはいまい。まぁこれはこれで屁理屈かもしれないが。

 親父はテレビに向かって独りごちただけだからまだいいが、いまやSNSの時代。独り言は独り言に留まらず凶器になる。無節操な匿名の批評家たちは、自分が狂気を孕んだ無粋な人間であることに気付いていない。人はその他大勢になると不寛容になる。


 昂奮して話がだいぶ逸れた。

 私が思ったのは近畿や関東にいなくても、野球のレベルは地方でも上げることができると証明されつつあるということだ。

 考えてみれば大谷翔平選手も菊池雄星選手も佐々木朗希選手も地方で育った(なぜか三人とも岩手)。ティモンディの高岸さんじゃないが、やればできるの証左ではなかろうか。


 世の中、環境は必ずしも平等ではない。そこに有利不利も生じる。でも環境のせいにばかりして、己の中に越えられないと決めてしまっている白河の関や津軽海峡がないだろうか。どうも私にはありそうだ。

 この歳になってようやくそれに気づくとは、いささか無念ではあるが絶望するにはまだ早い。歳のせいにはするまいよ。

 いつ身体が萎えるかもわからないが、でもいつまでも白球を追う気持ちは持っていたい。

 そして優勝旗を、いつの日か必ずこの手に掴もうぞ!

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よしなしごとあれやこれや 乃々沢亮 @ettsugu361

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