第5話 甲子園残酷物語
明日、8月6日から第104回全国高等学校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園大会が開催されます。
新型コロナの感染が拡大する最中ではありますが、今の三年生はコロナ禍でなんとか懸命に練習を積んできた子たちです。賛否両論あるでしょうが、無事に最後までやりきることができるよう祈るばかりです。
さて、これからちょっと甲子園のマニアックな話を致しますので、あらかじめご了承ください。
実は私も小学4年から大学生までの約13年間、日本野球界の場末ではありますが野球をしておりました。
甲子園なんて夢のまた夢でしたが憧れの地でした。あんな大きくてキレイな球場で、代表校として野球ができたらさぞかし楽しいだろうなぁと思います。
高校野球ファンは総じて優しく、勝者にも敗者にも声援を送ってくれます。特に敗者に対する温かい拍手には毎度泣かされます。
ただ、まれにその声援が残酷な状況を引き起こすこともあるのです。
判官びいきという言葉があるとおり、日本人には強者に挑む弱者を応援する気風があるようです。
私も甲子園大会ではやはり自分の地元の高校を応援し、それ以外は比較的フラットな気持ちで試合を観ているのですが、ただ前評判の良い高校とそれほどでもない高校が対戦すると、そこで判官びいきがなんとなく発動して無意識に後者を応援していたりします。
もちろん何も悪いことはないです。誰がどこを贔屓に応援しても自由ですから。
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2016年8月14日、夏の甲子園大会8日目の第3試合。
青森県代表の八戸学院光星高校と愛知県代表の東邦高校が対戦しました。いずれも強豪校ですが、特に東邦高校は昭和9年春の選抜大会に初出場してから今日まで、春夏通算47回出場、優勝5回、準優勝3回、40人近くのプロ野球選手を輩出した名門校です。この当時ものちにプロとなる選手が一人いました。
一方、八戸学院光星高校も平成9年春の選抜大会に初出場、以来春夏通算20回出場、準優勝3回、プロ野球選手13人を輩出していますからこちらも強豪校です。
この二校の対戦であればあまり判官びいきを発動させるような要素はないのですが、強いて言えば甲子園で優勝のない青森県勢、プロ注目の選手もいない八戸学院光星高校の方が弱者と言えば弱者だったかもしれません。
下馬評でもおおかたが東邦高校優位を予想していました。
しかし試合は意外な展開を見せます。
東邦高校のプロ注目のピッチャーが序盤で4失点し交代します。その後もホームランや四死球、エラーも重なって、7回を終わった時点で4対9と東邦高校は5点を追う状況に追い込まれたのです。
残り2回で5点差。絶望的な点差ではありませんが、観ている側としては東邦高校の敗色は濃厚と思われました。
8回裏、東邦高校が1点を返します。5対9。首の皮一枚残った感じです。そしてこの辺りからむず痒いようなイジワルのような感情が甲子園球場に湧き上がります。
これで9回に東邦高校が追いついたら面白いな、そんな感情です。それは判官びいきが引き金となった、傍観者の無遠慮な面白がりとでも言えばいいでしょうか。
9回裏、東邦高校の先頭バッターがヒットで出塁します。観客席は3塁側アルプススタンドの八戸学院光星高校応援席以外は大歓声です。甲子園の大観衆が東邦高校の大逆転劇に期待を膨らませた瞬間です。
1アウト後、またヒットが放たれました。観客のボルテージはさらに上がりました。大歓声とともに観客は外野席でも内野席でもバックネット裏までタオルを頭上に掲げ、くるくると回し始めます。東邦高校がんばれと。
観客は悪くないのです。どこを応援しようと自由なのです。観客は面白い試合が見たい。大逆転劇を目の当たりにしたい。そう期待しただけです。
私はこの試合をテレビで観ていました。
自然と涙が出てきました。
騒然とする甲子園球場。
色を失う八戸学院光星高校の選手たち。
大観衆に対抗しようと必死に声援を送る八戸学院光星高校応援席。
でもその声援は大歓声に飲み込まれ、グラウンドの選手たちには届いていないようでした。
動揺を抑えようとマウンドに集まる選手たち。無理に作った笑顔からこぼれる白い歯に、私は胸が絞られる思いでした。
2アウトからの4連打。東邦高校は一挙に5点を取り逆転サヨナラ勝ちします。
大歓声がグラウンドになだれ落ちました。
大観衆の声援が実を結んだのです。残酷な実を。
誰も悪くない。誰も悪くないんです。
自然に偏ってしまった声援が、八戸学院光星高校を負けに追い込んだと言うつもりは毛頭ありません。
ただ、間違いなく彼らには残酷でした。
試合後、八戸学院光星高校のピッチャーがインタビューに応え、声をしぼってこう言ったそうです。
「周りみんなが敵に見えました…」
彼らは野球に優れた能力を持っていますが、まだ16、17、18歳の少年です。甲子園のような大観衆のなか、試合をするという経験もほとんどの子がありません。
声援は大きな力を持っています。
だからこそ少年たちへの配慮も必要だと、そのとき私は思ったのでした。
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