第32話 エトワールのゆくえ
「実は、ニースに居られるエトワール伯爵と連絡を取る機会がありました」
「え、お父さまと?」
会って話したわけではない、誰かを通してという意味なのは頷ける。
「伯爵が望んでいたのは領民の安全とこれから。伯爵家は潰えても構いはしないとも」
心当たりがあったエシェッカは、それがきっと本当のことだろうと解った。そしてあの時キャトルに言った「伯爵など捨てても構わん、男ならば一人の女を守り切れ」という言葉も本気だったのだろうと。
「それは私も望むところですわ。より多くの方々が幸せになれればと願っています」
それでエトワール家が潰えることになっても。兄らには不憫な思いをさせてしまうけれど、きっと文句を言わないというのが想像出来た。
「結論から申し上げましょう。エトワール伯爵領は私が統治します」
それを拒むならば戦争になる、戦えば多くの犠牲が出てしまう。その判断はエシェッカには出来ない、話をするのもここまでという意思表示だろうか。
「そうすることでステア王国からの干渉を防ぐ名目にもなるでしょう。領民を保護するのは領主の義務、我が名において民を害する者を許しはしません」
さきほどの宣誓と重なるところがある。もしここでゼトワール子爵が死力を尽くして防衛をしても、いつかは揉みつぶされてしまう。そうなればエトワールの民はどういう扱いを受けるか。力がある内に降伏してしまう、そうして待遇を確保する。
「…………ゼトワール子爵キャトル・エトワールがイーゼル侯爵と会談を持ちたいと望んでいます。会ってお話をしていただけるでしょうか?」
「そう願われるならば、私は決して断ることをしないでしょう。エーン、会談の準備を行え」
「ヤ! セニャール!」
会談の場所はベッツ村郊外、それぞれの供は軍兵百までと取り決めが行われて、三日後と日時が約束されるのであった。
◇
ベッツ村郊外に、今までにない旗が多数翻っている。初めてエトワール領内にドフィーネ王国の旗がたち、その軍勢が武装して待機していた。
「デュクス兄上、エシェッカ、準備は良いですか」
それは質問ではなく確認、代表として三人が会談の場に出ることにした。アンリやトロワは軍事についてのみの判断しかしない、しかし此度はそういう場ではない。ゆえにこの三人が向かうことにする。
「ドフィーネ王国は、あの黒い軍勢クァトロが支援して再興したものだ。事実上の頂点がこの場にやって来ると考えて構わないぞ」
「モン・ジェネラルと呼ばれていたイーゼル侯爵は、落ち付いた人物でした。きっと真摯な態度で会談に臨んでくれると思います」
左右からそれぞれが知り得ることを助言する。決めるのはキャトルだ、みなでそう決めた。どのような結末になろうとも恨まず、全てを委ねると。
「分かった。行こう、多くの者の未来を背負って」
平地の中央にテントが設営されて、そこに椅子とテーブルが置かれている。兵士は後方に置かれて、それぞれの代表だけが進んで来る。
エシェッカの話では、黒い肌の男性と白い肌の男性が傍に控えていたらしいが、今日は二人とも白肌だった。片方はこの前エシェッカが見た人物で、もう片方は白いひげを生やした年配というには少しだけ早そうな男性。
「初めまして。私はエトワール伯爵の継承者で、ゼトワール子爵キャトル・エトワールと申します」
その後に控えている二人を紹介する。黒服に紅い裏地の外套を身に着けたイーゼル侯爵が応じる。
「イーゼル侯爵ルンオスキエ・イーリヤです。どうぞお掛けください」
見知らぬ男性はアンリ・グロック将軍だと紹介された。それだけではないのだろうが、まずは椅子に腰かける。
「聖女に話を聞きました。私もゼトワール子爵と話をしたいと考えていました」
エシェッカが言ってた通りに、物腰が柔らかい人物だった。圧倒的に有利だというのに、他者を蔑ろにする気配が感じられない。
「ありがとうございます、このように場を持てたことに感謝を」
目を見て互いの人物を想像する。語らずとも大きな枠はこれで感じることが出来る。一度の面識があるかないかで、人の関係は大きく変わるものなのだ。
「大切なことなので、会っておきたかったのはこちらですから」
イーゼル侯爵は微笑を浮かべてそう語る。事前に話を聞いていなければ、ドラポーの件も不明なまま言葉を交わすことになってしまっていた。エシェッカに感謝するところが大きい。
「エトワール伯爵と連絡を取られたそうで」
「ええ。立派な方だと理解しています。可能な限り伯爵の意志を尊重する所存」
民を保護する。それさえかなうならば、キャトルも言うことはない。
「詳細をお聞かせいただけるでしょうか?」
「グロック、説明を」
それまで黙って控えていたグロック将軍が初めて口を開く。役目があるからこの場にいた、ならばこの話もまた重要なことがらだ。
「ご説明いたします。エトワール伯爵領をイーゼル侯爵の統治下に加え、侯爵がエトワールを領します。他方でステア王国の領有請求を棄却し、ドフィーネ王国の所領だと宣誓。これと同時に、ニースを始めとしたグロッカス王国の中北部をドフィーネ領として宣誓することになります」
一部と言えば一部、それでも首都と北部地域、伯爵領域を領有出来るのは国としての大躍進。共同を行ったステア王国としても、仕方なく承認せざるを得ない内容だとデュクスは判断して頷いた。それをみたキャトルも小さく頭を動かす。
「そうなるでしょうね。それでエトワールの民が安寧を得られるならば、私は喜んで受け入れましょう」
その爵位や地位をすべて失い追放される、命だけは助けてくれるとのいうのが相場だろうか。デュクスが手を上げると、イーゼル侯爵が目で発言を促した。
「前領主は財産没収の上追放、或いは亡命を認めるのが外交上の習わし。その点はいかがお考えでしょうか」
爵位の請求権を残して国外に放たれればそれは即戦争の火種になる。だからと降伏する者を酷に扱えば名声に傷がついてしまう。グロック将軍は黙って中空を見詰めている、答えられるのはイーゼル侯爵だけとの態度だ。
「それについてですが、私はゼトワール子爵がエトワール伯爵を継承し、そのまま統治を行って貰えればと思っています。今のままエトワール伯爵を据えて置くわけにはいきませんが、代替わりしてドフィーネ王国に忠誠を誓うならばそれを受け入れる用意があります」
キャトルとデュクスは目を大きく見開いた、そんな馬鹿な話は聞いたことが無い。これがエトワール伯爵領に多数の軍事力があり、戦ってもどうなるか不明というならば盟約を結ぶ意味でこういうことがあったかもしれないが。
「私がグロッカス王国への忠誠心を発揮して、反乱を起こす可能性は否定できませんが」
キャトルが敢えて目を細めて危険を告知する。だがイーゼル侯爵は目を逸らさずに応じた。
「私の統治方針に異があるならば反乱も良いでしょう。ですが、それで民を苦しめることになるならば、私は決してそれを許しはしない」
求めている結果は同じだと言わんばかりの言葉に、キャトルは直ぐに言葉を返せなかった。前代未聞の扱いをどうしてすんなりと受け入れられるだろうか。
「……聖女の扱いはいかがでしょうか」
「悪意のある扇動者でなければ、私がどうこうすべき話だとは考えません。クァトロの聖女や巫女らと仲良くしてもらえたら嬉しい限りです」
キャトルはイーゼル侯爵という人物に全く敵わないと痛感した、これが上に立つ者なのだと強い衝撃を受ける。椅子を外して一歩下がると片方の膝をついて頭を垂れる。デュクスとエシェッカも後方に下がって膝をついた。
「エトワール伯爵代行のゼトワール子爵キャトル・エトワールは、イーゼル侯爵イーリヤに降伏を申し入れます」
イーゼル侯爵は席を立って、キャトルの前にやって来ると、肩に手をやって顔を上げさせる。
「私は正義を躊躇しない、理想を諦めない。未熟者だが支えて貰えるだろうか」
「喜んでお仕えさせて頂きます。エトワールの民と共に、侯爵閣下の支えとなれるよう邁進いたします」
両者の言葉を以て戦争は停止、直ぐに書面が交わされることとなった。轡を並べてリュエール・デ・ゼトワールに入城した二人、その日は深夜まで語り合うことになった。
◇
盟約を交わしたは良いが、実際のところどうなるか緊張していたのは事実だった。十日ほどでドフィーネ王国軍がやって来ると、領内の西側と伯都へ駐屯を開始した。ゼトワールの警備隊が猜疑心むき出しの監視を行っていたが、都にやって来た黒服の兵士らは暴行略奪一切を行わず、大人しいものだったのが意外といえば意外。
シュトラウスと名乗る北部出身者が頂点で、ゼトワールに司令部を設置し、そこに常備兵が出入りしている。そこから更に十日が経った頃には、市民の警戒も薄れていつものような日常が帰って来た。キャトルは屋敷の窓から市街地を眺めて目を細めていた。
彼にはやらなければならないと考えていることがある。グロッカス王国を失い、エトワール伯爵領という故郷を失うかも知れない時にも支えてくれた人物に対して。本来ならばキャトルが庇護しなければならないのに、このところ助けられてばかりだった。
「キャトル様、エシェッカ様がお見えです」
サルヴィターラがそう伝えるだけ伝えて部屋を去る、事前に席を外して欲しいと頼んであったから。
「お兄さま、お話があるとのことですけれど?」
忙しい職務を日々こなしているので、出来るだけ邪魔をしないようにしていたエシェッカ。話があるので部屋に行きたいと言っているとサルヴィターラが伝言を持ってきたことに対して、エシェッカが伺いますと返したのがつい先ほど。
「ああ、わざわざ来てもらってすまない。こういう時は私から出向くべきなんだけど」
「構いませんわ。お兄さまは今、とてもお忙しいのですもの」
にっこりとして仕事をしている兄に感謝を伝える。キャトルは何とも言い難い変な態度に終始してしまう。いつもならば果断で丁寧な彼だが、妙にそわそわしているような感じがした。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いや、その……エシェッカ」
「はい、なんでしょうか?」
小首をかしげて言葉を待つ。珍しいこともあるものだと。
「父上だが、陛下をお護りするために最後まで立ちはだかり落命されたのは名誉だと受け止めている」
「お父さまらしい最期でしたわ。きっと満足しているのでしょうね」
ドラポーは王の間手前にある控室で剣を履いて、ガブリエラと共に誰一人通すつもりはないと最後の最後まで抵抗して、力尽きたと聞かされていた。それを耳にした時、悲しい気持ちにはなったが、妙に納得したのも事実だった。それを望んでいただろうことを、心のどこかで理解していたからだろうか。
「私も父上のようでありたいと考えるものだ」
「……それはどういう意味でしょうか?」
心配そうな表情になってキャトルを見詰める。人身御供として自身を犠牲にするつもりなのではないかと疑ってしまう。
「いや、私はまだまだ死ぬつもりはないよ。やらなければ、いや、やりたいことがあるからね」
「そう……ですか。ならばお言葉を信じます」
微笑みを取り戻して真っすぐにキャトルを見詰める。すると何故か彼は少しばかり視線をそらしてしまった。それから天井を見て、咳払いをして、チラッとエシェッカを見てから「あー」意味のない言葉を吐き出して、視線をそらしてからまた正面向き直る。
「エシェッカ、エトワールの一族にならないか?」
「はい? あの、私はエシェッカ・エトワールですけれど」
「いや、そうではなくてだ。その、何と言うか、父上が亡くなった今、養女の件も継続はやや難しいと言えるんだ」
「そう……ですか」
養子縁組をした人物が逝去してしまえば、確かにそういう取り決めも効力を失ってしまうのかもしれない。王国が滅亡した今、聖女というのもどうなってしまっているのか本人にもよく解っていない。ところがキャトルが問いかけて来た言葉とは矛盾している。聞き間違いかとすら思えてしまう。
「お兄さま、一族にならないかとは?」
「それはだな、養子縁組を一旦消失させてだ、改めて、その……私の妻としてエトワールになって欲しいんだ!」
後半急に声が大きくなって、エシェッカがポカンとする。数秒で妻との響きに頬が赤くなってきて、何を求められているかが頭に入って来た。
「聖女だとか、伯爵家の娘だとか、そういうのは一切関係なく、私はエシェッカを一人の女性として妻として迎えたい。いつどうなっても何の文句も言えない身だけれども、それでも言わずにはいられなかった。どうか良い返事をしてもらいたい!」
頭を下げて目を閉じる、このままどこかに姿を消してしまっても探すまいと決めて。エシェッカは緊張で固まっているキャトルに歩み寄り、頭を抱くようにして寄り添う。
「私は、巫女で聖女で性悪で面倒な女ですけれど、後悔はしませんか?」
「その機会を与えてくれるだけで、私は決して後悔しないと誓えるよ」
「私より先に死なないと約束してくれますか?」
「約束するよ、エシェッカも同じように私より先に死なないと誓ってくれたら」
両親の死を意識してか、そう返答した。二人は抱きしめ合うと自然と口づけを交わす。情勢が落ち着いて少ししたら皆に打ち明けようと頷きあう。
「私、とても幸せな気持ちです!」
エシェッカの笑顔を見たキャトルは、心が満たされる想いで一杯になった。人の数だけ様々なドラマがあるものだと、深い感慨を得てしまう。リュエール・デ・ゼトワールで婚儀が行われるのは、それから数か月後のことであった。
その後のお話
イラスト付☆婚約破棄を受けた巫女が次の聖女になりました。婚約破棄ありがとうございました! 愛LOVEルピア☆ミ @miraukakka
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