第31話 ドフィーネの侵略軍

「もしエトワール伯爵領のみが残ったとしても、海さえ確保できていれば独立を保てる可能性が残るためです」


「海外勢力は正統王家が生き残っていれば、それを支援して影響力を得たいと考える者がいてもおかしくはない。居なければそう思わせる工作をするだけのこと」


 デュクスは余裕のある笑みを漏らす。一人が右と言えば一人が左と言うのが政治だ、支援者が皆無になることはまずない。望みを得るためにも力は残しておくべきだ、特に代わりが効かないものこそ貴重。



 王都ニースが陥落したと聞かされて十日、たったの十日だ。ズシーミの国境警備隊がステア王国軍の旗を掲げた軍と遭遇して、防衛戦を開始した。伯都から増援を引き連れてアンリが到着すると、にらみ合いと小競り合いが行われた。


 ゼトワール子爵を名乗り、エトワール伯爵領全土に戦争を告知、各地で郷土防衛隊が組織されて巡回を行っている。そんな騒ぎを見て、エシェッカは心を痛めていた。だからとキャトルもやめるわけにはいかず、さりとて放置するのも忍びない日々を送っている。


「エシェッカ、気分が優れないみたいだけれど?」


 理由はわかりきっているが、それでもそう声をかけるしかなかった。


「いえ……そういうわけでは」


 彼女は彼女でわがままをいって困らせたくないと、言葉を濁してしまう。元気なエシェッカの笑顔が見たい、けれどもそれはかなわない現実。キャトルは小さく息を吐いて目を閉じる。


「ステア王国軍はズシーミを越えることが出来ずに止まっている、平和とも言えないけれどもいつまでもああしても居られないだろうから、じきに引き上げていくさ」


 そんなことを聞かされてもどうなるわけでもないが、何か喋らないと心が重くなりすぎてどうにかなってしまいそうだった。


「私は……私は一体どうしたら良いのでしょう?」


「それは……」


 明確な答えなど出てこない。そもそも聖女は国の制度があってこそ、百歩譲って教会の求めに応じる役割でしかない。エシェッカの立場も随分と曖昧になってしまっている。何とも言えない空気が流れていたところに、息せきかけてビリントがやって来る。


「子爵、大変です!」


「そう焦らずとも良い、落ち付くんだ」


 警備兵からキャトルの側近の一人として若干の役割変更をされたビリントが、紙切れ片手に肩で息をしている。


「ダイケの方面からドフィーネ軍が物凄い勢いで侵入してきています! 現地の防衛隊から大至急増援をとの叫びが!」


「来たか」


 ニースを攻撃したのがドフィーネ王国軍だった、ならば東部方面からいつか攻めてくると思っていたのは事実。ダイケからベッツ、ゼトワールに辿り着くまでには迎撃しなければならない。


「シューラーに出撃準備命令を伝えるんだ。エシェッカ、すまないが席を外すよ」


「はいお兄さま」


 キャトルが屋敷から軍の司令部がある建物へと外出していく。サルヴィターラがハーブティーを淹れてくれた、心が安らぐ効果があるものだ。彼女もまたエシェッカを気遣ってくれている。


「サルヴィターラ、私はどうしたら?」


「ご自分のなさりたいことをされるのが宜しいかと」


「それでお兄さまに迷惑が掛かるかも知れませんが」


「迷惑などと思われることは御座いません。もしそのようなことを仰るようでしたら、私が引っぱたいてご覧にいれましょう」


 絶対にない、確信しているからこその暴言なのが良く理解出来た。急に目が覚めたかのような電流が脳内に走ったような気がした。エシェッカが立ち上がると「お出かけの準備を致します」何も言わないのにお辞儀をしてサルヴィターラは部屋を出て行く。


「ふふ、私なんかでは全く敵わないわね。私が望んでいるのはより多くの平穏無事、それがなされるならば他は何も要らないわ。たとえ私の平穏が音をたてて崩れ去っても」


 小一時間ほどして屋敷の正面に馬車が用意された、それに二人で乗り込むとゼトワールの北へ向かう。街道の郊外で差し止められるけれども、乗っているのがエトワール家の者だと解るとそのまま通過を許可される。二人の騎兵が護衛に付けられているので、前後で挟んで馬車を守り街道を進み続けた。


 陽が傾いたころにベッツ村に到着する。村役場に向かい来訪を告げ、一晩の宿と警備を求めるとあっさりと承諾される。住民はその多くが領主を肯定的に見ていて、ドラポーの統治が上手くいっていた証拠でもある。


 翌朝一番でダイケに向けて馬車を進めていると、遠くから土煙を上げてやってくる騎兵団と遭遇した。兵らは皆が黒い服に身を包んでいて、数は二十人程。偵察だとしたら多いが、戦闘をするにはやや少ない。護衛騎兵二人が前に出るも、寡兵で挑んでも無駄なことは素人にも解る。


 黒い騎兵が馬車を取り囲む、エトワール軍旗を掲げていないないならば、味方ではないということになる。


「そこの一行待たれよ! 私はドフィーネ王国イーゼル侯爵が配下、ゴンザレスだ。そちらは?」


 馬車の中に聞こえる声、エシェッカは立ち上がると自ら扉を開けて降りた。馬上の兵等の中でひとりだけ装飾が違う人物を見付ける。少し茶色い肌をした、三十歳前後の人物。


「私はエシェッカ・エトワール、グロッカス王国マリベリトフター教の聖女です」


 堂々と名乗りを上げる、恐怖心は微塵も無かった。人は性別問わず、その意志を燃え上がらせている時は決して動揺をしない強さを発揮する。黒服騎兵らが全員下馬して、片膝をつく。


「無礼を謝罪いたします。我が主イーゼル侯爵は、エトワール伯爵並びにゼトワール子爵と交渉の場を持ちたいと考えておいでです。何卒ご連絡いただきたく存じます」


「承知致しました。ですがその前に、私がお話をさせて頂きたいと思っています。一旦戻りイーゼル侯爵のお考えを確かめていただけますでしょうか」


「では直ぐにお連れ致しましょう」


 この場で即答、馬鹿にされているのかそれとも反故にするつもりなのか。このような場に在る騎兵が返事を出来るようなことではないのは明らかなのだ。


「ゴンザレスさん、あなたがお約束を?」


「イーゼル侯爵ならば、自分の判断を必ずやお認め頂けると信じております。聖女様がお話をしたいならば、それはきっと実現するでしょう」


「――解りました、宜しくお願い致します」


 サルヴィターラは目を大きくしてやり取りを飲み込んだ。もしかするとエシェッカは考えていたよりも大胆な人物だったのではないかと。



 黒い騎兵に先導されて、ダイケの東にまでやって来ると、古城に駒を進めた。場所はエトワール伯爵領なのに、居るのはドフィーネ王国軍ばかり。中庭で停車すると「こちらです聖女様」ゴンザレスがエスコ―トする。


 まっすぐ前を向いて歩くエシェッカに、サルヴィターラが従った。護衛の騎兵二人がその後ろについていくが、武器は取り上げられていない。古城の謁見室、左右に軍服の人物が幾人も並んでいて、その先にドフィーネ国旗と黒地に白の四つ星の旗が交差して立てられている。


 城主の椅子がある処に、一人の若い男性が座っていた。皆とおなじ黒い軍服に、裏地が赤の外套をつけて。壇上の端に、女性の姿も数人あった、そちらは緑の法衣や水色の外套をつけている。進んでいくと途中でゴンザレスが足を止める、まだ結構な距離があるというのに。


「モン・ジェネラル、グロッカス王国の聖女エシェッカ・エトワール様をお連れ致しました。お話がしたいとのことでありましたので、自分が承諾しここへ」


「そうか。ゴンザレスの判断を尊重する」


 座っていた男性が頷くと、立ち上がって中央に立っているエシェッカの傍まで歩み寄って来る。後ろについてくるのは白い肌の人と、黒い肌の人。白い方はデュクスあたりの年代に見えて、黒い方は彼女らには想像できなかった。


「私はドフィーネ王国のイーゼル侯爵ルンオスキエ・イーリヤです。よくおいでになられました、我等は聖女を歓迎いたします」


 片手を胸にあてて会釈をする。イーゼル侯爵、ドフィーネ王国を再興させたナキ・アイゼンシアの最有力の側近。彼が否と言えば彼の国は立ち行かなくなる程の実力者。それなのに三十代半ば程の若い人物だったことに驚きを隠せない、確か貴族としては初代なはずなのに。


「エトワール家の末子でエシェッカ・エトワールですわ。グロッカス王国マリベリトフターで聖女を賜っています。イーゼル侯爵とお話をしたくて、無理を承知でゴンザレスさんにお願いをしました」


「そうでしたか。ここでは落ち着かないでしょう、別室をご用意致します。エーン」


「こちらへどうぞレディ」


 黒い肌の人物が畏まって先導する。突然の訪問にも何一つ皮肉をぶつけもせずに応対されてしまい、ついサルヴィターラと目を合わせてしまった。通された部屋は十人程がかけられる椅子テーブルがある、小さな会議室のようなところ。


 黒服らに椅子を引かれたが、座ったのはエシェッカだけ。向こうもイーゼル侯爵だけが着席した。


「ここでは私の名に誓って身の安全を確約いたします。もしそれを破る者があれば、私と深刻な敵対関係に陥るものと理解して良いでしょう」


 白肌の男がメモをサラサラと書いて、配下に手渡す。今の言葉を命令にしたものだろうか。


「……私は何故などとは問いません。イーゼル侯爵にお尋ねします、あなたの望みはグロッカス王国の滅亡でしょうか?」


 聞いても素直に答えるはずがない。それでもエシェッカは怖じずに、恥じずに、瞳を見詰めて問いかけた。イーゼル侯爵は笑いもせずに、その瞳を見つめ返して来る。


「私の望みは民が平和を享受出来ること。正しいことを正しいと公言出来、正当な報酬が対価として認められる、そんな世界を望んでいます」


 グロッカスではどうだったか。宮廷では陰謀が渦巻き、理想と現実は乖離していた。頑張ったから認められるわけでもなく、そういう意味では言い分が無い。


「そうでしたか。エトワール伯爵領へ侵入してきて、この地を奪うおつもりでしょうか?」


 何となくでやってくるはずがない、望む先など解っているはずなのに。

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