第30話 王都ニース陥落

「父上、共に脱出されないおつもりで?」


 その為に迎えに来たのに何故と、声が少し上ずれる。


「王陛下を見捨てて姿をくらますなど貴族の恥、お前は俺を卑怯者にしたいのか?」


 言い出したら決して退かない、そんなことは小さい頃から知っていた。たとえ自分の命を失うことになっても、ドラポーが考えを変えないのは解っている。


「これはフレイム王国とステア王国の謀略でしょうか?」


「そうだ、だがグロッカスは恨みを買い過ぎた。ドフィーネの新女王もこれに一枚かんでいるはずだ」


 ドフィーネ王国、グロッカス王国の隣国で、一度は侵略して滅亡させた国だ。ところが王の分家であるヴァランス伯爵の娘が国外へ逃げ出して、亡命地のサハラー王国で女王継承を宣言。フレイム王国の支援を受けて旧領地に上陸すると、これらを奪還してドフィーネ王国を再興させた。


 グロッカス王国が恨まれて当然、ナキ・アイゼンシア女王は私兵集団の司令官だった男をイーゼル侯爵として、軍事の頂点に据えた。ソーコル王国の貴族の一部もこれを支援して、グロッカス王国に対峙している背景がある。


「自分はどうすれば?」


「お前は聖女の庇護者なのだろう? ならばその務めを全うしてみせろ。伯爵など捨てても構わん、男ならば一人の女を守り切れ」


 聞きたいこと、話したいことは山ほどあったが「司令、王宮警備兵がやってきます!」切迫した声があったので我に返る。


「行け、私のことは考えずとも良い。お前が決めた未来こそが私が望む未来だ。エトワールの名を汚すな。それと、キャトルよ、立派に育ってくれてありがとう」


「司令!」


 キャトルは俯くと歯を食いしばる。ドラポーと目を合わせ大きく頷くと、ガブリエラも微笑んでエシェッカの背を押した。


「……総員王宮より離脱する! 家人らを保護した後に、エトワール領まで強行軍をかける、続け!」


 背負うものが大きすぎるなどと文句を言うつもりはキャトルにはない。ただ、己の不甲斐なさが悔しかった。その後、グロッカス王国は滅亡することになる。人が作ったものなど、人の手でいともたやすく壊れてしまうものだ。



 家人らと合流すると、エトワール軍を率いて騒乱が起こっている王都ニースを離脱しようと試みる。民間人を連れているので出来るだけ荒事は避けて通りたい、率直な考えがそれだ。


「キャトル様、どうやら攻めてきているのはステア王国ではなさそうです」


「ドフィーネってことだな」


 ちらほらとドフィーネ王国軍の軍旗が見え隠れするようになっていた。ついこの前、グロッカスも同じことをドフィーネ王国に対してやったのだから、報復されても文句は言えない。ここからエトワール領までは数日かかるが、一度も争いごとなくたどり着けるはずがない。市街地の高所にも兵が居て、何か赤や黄色の旗を振り合って連絡を取っている。


「味方の軍じゃなければ敵なんだろうが、あれを排除している暇は無いか……」


 ただ戦うだけならいくらでもやり方はあったが、今は避難することが最優先。眉をひそめて大通りをただただ逃げていく。メイドらの不安な表情を見て、キャトルは自分のことを考え直す。無理にでも笑みを作ると余裕を示すことにした。


「お兄さま……」


 すぐ傍でずっと彼を見ていたエシェッカにはその気持ちが痛い程良く感じられる。どうにかして気を軽くさせたい、彼女は馬車の隣を進んでいるキャトルに「船に乗ってみたいです」唐突に話かけた。


「ん、船に?」


 意図が掴めずに言われた言葉をただ繰り返してしまう。


「リュエール・デ・ゼトワールを海の側から見てみたくなって。きっと綺麗でしょうね」


 微笑みかけられたキャトル、自分が無理しているのを見透かされていたと気恥ずかしくなってしまう。


「実は私も全く海からの記憶が無くてね、戻ったら一緒に見に行こう。組合に行けばきっと喜んで案内してくれるさ」


「まあ、楽しみです」


 何気ない会話で緊張がほぐれる、するとこれからどうしなければならないかが一気に頭の中に湧いてきた。


「シューラー、アンリ兄上に伝令を。現況報告の一報を速やかに、概要を第二報で、詳細を第三報で出すんだ」


「了解です、司令」


 自分よりも判断力に優れていると信じている、一報を受けた後に直ぐ出迎えを出すように指示してくれるはずだ。第二報があった時点である程度の連絡を領内責任者で共有し、詳細を受けて大まかな方針を下すだろうと。こういう時には細かいことよりも、まずは報せることを優先する。


「ビリント、前方へ偵察を出させるんだ。二人一組で中距離を、五組だ」


「解りましたキャトル様!」


 ばったり出くわしたではすまない、呆けていた分色々と働かなければならない。急いで動いている、徒歩の者らの疲労も考慮に入れる必要がある。


「エシェッカ、すまないが皆に休息は一時間後だと伝えて欲しい。まずは騒乱の場を離れることを優先するって」


「はい、お兄さま」


 メイドらに指示を与えて目安を教えてやる。不思議なもので人は先がある程度決められていると、それに向かって努力をする生き物なのだ。逆に聞かされていた時間よりも遅くなると、急激に不満が募って行く。キャトルは一時間以内に休める場所を見つけるという目標を自らに課した。


「しかし……時折見かけるあの黒い軍服の兵、妙に統制がとれているな」


 文字通り都落ちしているエトワール勢を見ても、それを追いかけるような真似をせずにニースを攻略することにのみ集中している感じだ。そう言えば高所にいたのも黒服だった気がすると今頃思い出す。家から出るな、こういう時の鉄則が身に染みているのか、そこらに一般市民の姿は殆ど無い。暫くすると中距離偵察に出ていた兵が戻って来る。


「司令、南の丘に兵気を感じます。確証はありませんが」


 申し訳なさそうに報告する兵士に対して「感じたことをそのまま報告して欲しい。実際にその場に在ってのことだ、きっと潜んでいるんだろう」その言葉を認める。


「丘と街道の間に河があるので、そちらへ向かわなければ大事ないと思われます」


「…………街道を東へ向かい、その後南下してズシーミ北部へ出る道をとる」


 多少行程は遠くはなるが、問題を回避する方がより有効との判断だ。いわゆる旧街道とよばれるもので、道は整備されているが使い勝手が悪い。近年開拓された道の方が近いしなだらかだからだ。こうしてのろのろと歩み続けて十日ほど、ようやくズシーミの国境警備と接触する。


「キャトル様! グロッカス王都ニースが落城し、ドフィーネ旗が翻りました!」


 渦中に在ったせいで、その突拍子もない報告もすんなりと受け入れることが出来てしまった。



 ズシーミの国境を副司令官に預け、家人を警備に託すと主要な面々は伯都へと急いだ。緊急呼集がかけられて、リュエール・デ・ゼトワールの屋敷に十人程が集まる。それらの人物に対してサルヴィターラが給仕を行う、慣れたものでこの位の来客では一切動じない。


 集まったのはキャトルら四兄弟とヴィオレッタ、船舶組合のドン・デンガーン、シューラー補佐官と、マール秘書官だ。マールは伯都防衛の司令官として、伯爵秘書なのに残されている。一緒に行っていたらきっと無事では無かっただろう、今思えばドラポーは知っていて置いていったのではないかとすら思えた。


 皆の視線がキャトルに集まる、事の顛末を一番詳しく知っている人物なのは間違いない。一度大きく息を吸ってから口を開く。


「皆さん、王都ニースでの出来事をお伝えします」


 事の経緯を時系列に従い淡々と話す。主観を出来るだけ排除し、事実のみを伝えられるように留意して。伝え終わるとエシェッカも同じようにあったことを話した、その間誰も口を挟まずに黙って聞くことに徹する。


「そうだったのか、親父がな……」


 アンリが状況を把握して、腕組をする。ドラポーの表情が想像できると小さく呟いた。皆の想像以上に大事が起きているのを確認すると、デュクスが机に指をトントンとして注意を集めた。


「さてここで皆の考えが聞きたい。最初に一つの大きな事象を承認すべきだろうと思う。エトワール伯爵は継承者にキャトルを指名した、その証拠に指輪をしている。伯爵の代行者と推定し、それを承認すべきではないかな」


「私はそんな――」


 キャトルが兄らを差し置いてそんなことは出来ないと否定しようとするも、間髪入れずに「俺もそれは賛成だ。そのつもりでニースには行かずにズシーミで待機してたんだからな」アンリが賛同してしまう。


「海事には詳しいが統治や現状どうすべきかはピンとこない。キャトルが当主になるんだったら納得だ、あの親父が簡単にくたばるとは思えないが、今は代行を据えるべきだろうからな」


 意外や意外、三人の兄らが末子を頂いても良いと簡単に認めてしまう。普通ならばここでひと悶着起きそうなものだけれど、いともあっさりと決まってしまった、本人が一番驚いているが。


「ま、そういうわけだから、キャトルが当主代行ということでいいかな」


 デュクスが話をまとめて視線を合わせて来る、受けるわけにも断るわけにもいかず、押し黙ってしまった。こんな大切なことをじっくりと決めずにだ。


「お兄さま。お父さまは仰いました、恥も卑怯者の誹りも受けるつもりはないと」


 漢気で生き抜いてきたドラポーらしい言葉、自分は何が出来るだろうと机に視線を落とす。望まれて押し上げられようとしている今を、退くなど笑われてしまうのではないかとの思いに至る。


「…………私は……父上が戻られるまでエトワール伯爵の務めを代行させて頂きます」


 立ち上がると皆に頭を下げる。仕方ない奴だとの笑みを漏らす面々が多い。


「では今よりキャトルはゼトワール子爵だ、エトワール伯爵の推定法定相続人として、我等の主となる。みな構わないね?」


 意思の決定に携わっていないマール将軍やドン・デンガーンらも大きく頷く。彼らは伯爵の臣下であって、発言権を持ち合わせていない。それでも勢力の一つとして尊重されている。


「では子爵、今後の方針はいかがいたしましょう」


 この中では外交官をしているデュクスがこういったことに適しているらしく、議事進行役を買って出る。アンリもトロワも軍事に精通はしているものの、全体状況の把握と言われるとあまりしたことが無い。戦術や戦略の範囲と政略の範囲は似ていて違うもの。


「父上は陛下を裏切るような真似は決してしません。エトワール伯爵領はグロッカス王国を全力で支えることを方針とします」


 いっそ思い切りがよい言葉に皆が頷く。それがどんなに困難なことかはわかっているつもりではあるが、それでもそうすべきだとの意思を確認した。


「海上封鎖は今回あまり意味がないかも知れん、何せステア王国は陸続きだ。まあ海戦で打撃を与えるつもりなら出来るが」


 もしかしたら被害が大きくなれば講和をする可能性もある、グロッカス王国の海軍とは、その殆どがエトワール海軍なので遜色はない。


「海軍力は保守しておきたいと考えています」


「その理由は?」


 トロワがうっすらと笑みを浮かべて質問をする。答えは解っている、認識の共通化をするだけの話だ。

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