唐沢卓郎(19)
敦也はシャワー室のドアノブにタオルを巻き、首を入れた。
結局最後まで意味の無い人生だった。人から嫌われ、傷つけ、人にプラスを与える事などない人生だった。
だが、それももう終わる。
首を入れ終わると、座っている姿勢から寝転ぶ体勢にし、体重を首に掛けた。
苦しい……早く意識がなくなればこの無意味な人生からオサラバ出来るのに……。
その瞬間、ギーと言う音が鳴ったので目を開くと、敦也は有り得ない物を見た。開くはずの無いドアが開き、どこか見覚えのある男が立っていた。
「敦也!」
男は敦也に近づくと、体を支え、タオルを外し助け出した。ゴホゴホと咳き込む敦也を、男は抱きしめた。
「良かった……間に合って良かった」
男は泣いていた。敦也は、なぜ男が自分の為に泣いてくれるのか不思議だった。
だんだんと呼吸も楽になり、もやが掛かっていた敦也の意識もしっかりとしてくる。敦也の目に男の顔がはっきりと映ってきた。
「……もしかして卓郎さん? なぜここに……」
「説明は後だ。ここで待ってろ、千尋を助けに行ってくる」
「え? 千尋を……」
やはり卓郎さんだった。なぜここに? 千尋を助けに行く?
「お、俺も行きます」
「動けるのか?」
「大丈夫です。一緒に行かせてください」
美紀は同じようなドアが並ぶ廊下を、番号プレートを頼りに、千尋の部屋を探していた。
「あった」
鍵と同じ部屋番号。
重いドアを開けて中に入ると、手首から血を流した千尋が布団の上に横たわっていた。
「千尋さん!」
美紀は駆け寄り、千尋を抱きかかえた。
「千尋さん!」
もう一度話し掛けたが、意識が無い。慌てて、タオルで手首の止血をする。守衛所に電話をし、救急車を呼んでもらった。
お願い間に合って……。
どうやって千尋を運ぶか考えていた時、卓郎と敦也が飛び込んできた。
「敦也手伝ってくれ! 千尋を運ぶぞ」
「はい!」
千尋は建屋から運び出され、救急車で病院に搬送された。
一か月後、千尋は一命を取り留め、今日が退院日だった。敦也はすでに職業訓練を受けており、今日は退所手続きの為に二人で施設に来る事になっていた。
卓郎と美紀は二人を見送ろうと廊下に出た時、岸部所長に出くわした。
「今から見送りに行くのかね」
「知っていらしたのですか?」
卓郎は意外だったので、思わず岸部に聞いてしまった。
「あの、私先に行っています」
所長が苦手なのか、美紀はそそくさと行ってしまった。
「ありがとうございました」
卓郎は岸部に向かい、頭を下げた。
「何がだ?」
「二人の退所を無効にする事も出来たのに変更しないでくれましたよね」
「ああその事か……」
岸部は相変わらず無表情で、とぼけているのでは無く本当にその事とは思わなかったようだ。
「前にも言ったろ。どうせ戻って来るよ。簡単に自分で死を選ぼうとする奴らだから。同じ事だよ、誰が外に出ようとな」
岸部は本心からそう信じているようだった。
「そんなに嫌いな奴らの味方をする、私や藤本をどうして助けたのですか? 減給程度の処分で済むように尽力して下さったと聞きましたが」
卓郎の質問に岸部はすぐに返答せず、少し考えるように間を取った。
「君は本当にあの二人が現実世界で幸せになれると思っているのかね?」
「私はそう信じています。きっかけがあれば二人は変われると」
確信と言うより願いの意味が強かったが、卓郎は言葉に出す事でそうなる気がした。
「見たくなったんだよ、君の行く末を」
「俺の行く末ですか?」
「本当にここのクズどもに生きる意味を与える事が出来るのか。それとも親父のように夢破れて無残にくたばるのか」
岸部は少し辛そうな顔を見せた。
「俺はくたばりませんよ。第二、第三の敦也や千尋が出るように、ここが更生の場所になるまで」
卓郎の言葉からは覚悟が感じられた。
「ああ、そうしてくれ。それが君の仕事だからな。まあ、俺はそれを望んじゃいないが」
岸部は妙な激励をして、卓郎から背を向けた。
「あ、所長」
立ち去ろうとした岸部は、卓郎に呼び止められ振り返る。
「親父さんは無残に死んでいった訳じゃないと思います。家族を守り、胸を張ってお亡くなりになったと、俺は思います」
卓郎の言葉に、岸部は驚いたような顔になった。
「ありがとう。そうだと良いな」
岸部は笑顔になった後、背を向けて立ち去った。
なぜか卓郎は、ここで会ったのは偶然でなく、所長が自分を待っていたのかもと思った。
卓郎が管理建屋を出ると、三人はそこで待っていた。
「悪い、待たせたな」
千尋は顔色も良く、敦也と二人で笑顔だった。
「本当にお世話になりました。ありがとうございます」
二人が声を合わせてお礼を言った。
「これからがんばれよ」
「はい。……あの……」
「ん?」
敦也は何か言いにくそうに口ごもり、卓郎を見ていた。
「あの聞いたんです。卓郎さんの過去を」
「……そうか……」
卓郎は少し悲しそうな顔になったが、覚悟はしていた。それで人から責められても、自分が背負うべき罪だと考えていたから。
「ごめんなさい、唐沢さん。私が話したんです。他の人から聞いて、誤解されるのが嫌で……」
美紀が申訳なさそうに、卓郎に弁解した。
「違うんです。千尋が卓郎さんの嫌な噂を耳にしたから、見舞いに来た藤本さんに確認したんです」
「私が無理やり藤本さんに聞きだしたんです」
二人は懸命に美紀が悪者にならないようにフォローしていた。
「いや、藤本、気を使わせて悪かったな。事実なので、隠す気はないよ」
卓郎は美紀を穏やかな顔で見た。
「敦也、千尋、ごめんな。俺は二人が思っている程良い人じゃないんだ」
卓郎は自棄になった訳じゃなく、すっきりとした笑顔で二人にそう言った。
「あの……俺達二人は卓郎さんに命を救われました。だから卓郎さんが自分の事を偽善者とか罪人のように思っているのが堪らなく辛いんです。もう自分を許してください、お願いします」
敦也が最後は泣き出しそうな顔で訴えてきた。
「……」
卓郎は言葉に詰まってしまった。
「卓郎さん言っていましたよね。『幸せになるのに資格はいらない。悪かった事は反省すればいい。そして目の前に誰か傷つけられた人がいれば癒してやればいい』って。卓郎さんは十分に目の前の人を癒しています。幸せになるべきです」
千尋が泣きながら訴えてきた。
「良いのかな……俺は幸せになって」
卓郎の声が震えている。
「良いに決まってます!」
今まで黙っていた美紀が強く言い切った。
「あなたが駄目だと言っても、私が絶対幸せにします!」
美紀も泣いていた。
ごめん、祐介。お前の事は一生忘れないし、罪を背負って生きる。でも、幸せになる事を許して欲しい。俺はこの人達と生きたいんだ。
卓郎は自分も涙を流しているのに気が付いた。
「ありがとう」
卓郎は心から三人に礼を言った。
敦也が笑顔で手を差し出してきた。卓郎はその手を強く握った。つないだ手の上に千尋が手を重ねてくる。美紀も同じように手を重ねてくる。
現実の世界でつないだ手は温かかった。
了
養鶏たちの素晴らしき世界 滝田タイシン @seiginomikata
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