第28話 世界は厳しい

 ヘイムダル、など。


 ヘイムダルなど、とっくに抑え込んでいた。


 たかだか世界の終わりを告げる神の記憶になんて、私の魂は引っ張られてなどいない。

 前の九世機構にいたころから、私は私のままだ。


 今生きるこの場所が全てだ。


 私とリョーコの間には、もう何年も会話すらも無かった。

 話すきっかけだけが、欲しかった。


 過去、リョーコは私に向き合ってくれていた。


 それより遙かな過去、リョーコは私と向き合って、本気で戦ってくれていた。

 私の吹く取るに足らないオリジナルの口笛を、リョーコは必死に練習してくれていた。


 運命も、宿命も、因縁も、宿縁も、共にあった。


 この世界でだけ、私達の縁は途切れてしまった。


 ――私は、約束した物語を書くことを諦めてしまった。


 欲しかったのは小説の才能だったのに、須藤達が与えてくれた才能は別の物だった。


 筋書きをなぞり、終末を告げる神の笛。


 リョーコともう一度同じ時を得られる方法は、ヘイムダルが持つ因縁に頼り、ロキとしてリョーコを目覚めさせることだった。


 私は、それしか思いつかなかった。


 再度のラグナロクにおいて私が敗北を認め、決着がついてしまえば、ロキとヘイムダルの――私とリョーコの未来も変わるのでは無いか。

 だが私は別の未来に敗北してしまった。


 私が覗き見ていたリョーコと世界樹の日々は、私とリョーコの過去の思い出よりも遙かに瑞々しかった。

 憎悪に包まれたロキの魂が、日常に帰還してしまうほどに。


 世界樹は恐らく、私の心に気づいていたのだろう。


 彼女は誰にも聞こえないように、私の耳元で囁いたのだ。


「本当にリョーコが好きなら、笛吹春として、人間の力で、自分で向き合え」と。


 それでいて、自分の過去や行動から逃げぬようにと、ヘイムダルの記憶だけは残酷にも残していったのだ。

 しかも最後にこう付け加えた。


「ライバルという縁も経験したいしなー」


 ――非道い奴だ、と思った。


 これからまた、リョーコと友人として向き合えるのだろうか。

 それはラグナロクを生き残ることより、就職難の時代を生き抜くことより、遙かに困難な道だ。


 世界は厳しい。

 そして狡い。


 人と生きるのは大変な仕事だ。

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