第27話 帰ろう

 小一時間が過ぎ、黄昏が過ぎ去った静謐の星空が、私達のいる場所を見下ろしていた。

 春風が冷たいけど、体の奥の方が暖かくて、肌寒さは感じない。


「これで良し! ふ~疲れた」


 せかいじゅさんがげっそりと、肩を落として疲弊している。


 笛吹くんが所持していた『枝』を奪還したせかいじゅさんは、一時的にその枝を経由して本体である世界樹の力を解放した。


 一人一人引きこもりニートの皆さんの眉間に指をぶっ刺し、こちらに統合されてしまっていた神々の記憶を、元の世界に返してやったってだけの話だけど。

 分霊であっても、樹液さえあればこの程度はやってのけるらしい。


「うー、枝に残っていた樹液も全て使い果たしてしまったな。まあいいか、もう伐採出来る部分も無いだろうしな~」


 安堵しながらせかいじゅさんは、ラタトスクちゃんに寄りかかっている。


「よく頑張りましたね。それでこそ世界の支え――否、凉子様の支えでございます」


 膨らんだ尻尾で、せかいじゅさんの頭を撫でるラタトスクちゃん。


「あー、なんかあたし達って思い切り巻き込まれただけじゃんねー」


 ニーズホッグちゃんは、校庭隅の花壇にどっかり足を開いて腰掛けている。


「ラグナロクが始まらなかっただけでも良しとする……です、ニーズホッグ。元々フレスベルグもお前も、参戦する予定も無い存在……なのですから」


 フレスベルグさんが諫めると、ニーズホッグちゃんは


「けっ、いい子ぶりやがって」とそっぽを向く。


 互いに気の置けない仲のいい姉妹、って感じがした。

 何故かせかいじゅさんは、笛吹くんからはヘイムダルとしての記憶を奪わなかった。

 『枝』はもう無いし、彼一人ぐらい放っておいてもいい、という判断らしい。


 敗北を認めてしまった笛吹くんは、すっかり忘我して地面に座り込んでいた。


 その姿は学校に出てきても会話する相手を見つけられず、登校してこなくなったころの彼と変わらない。


 そんな笛吹くんに――

 私はようやく自分から声をかけた。


「笛吹くん……あのさ、私、もうロキの因縁とか、そういうのに拘る気は無いから。だから、なんていうかその……ラグナロクの決着とか、そういうのも興味が無いの。下らないし。君と戦うつもりもない。それで、いいかな? 前のままの私達ってことで……」


「…………ああ、そのようだね。仕方ないね……」


 私の提案を、笛吹くんはすんなりと飲み込んだ。


 あれだけ狂気染みていた、ヘイムダルとしての印象が薄れている。

 ギャラルホルンの力で手に入れた組織も仲間も、彼には残されていない。


 本当に友達に戻れるかどうかも、私には分からなかった。

 因縁は嫌いだけど、縁が切れてしまうのも同様に寂しい。

 また彼と、この世界で繋がれるかどうか。


 その答えは私達次第だ。

 

 さて、一応はややこしい戦いは終わったので、後は家に帰るだけ、なんだけど。


 せかいじゅさんは、私から遠く距離を置いてラタトスクちゃんの背に隠れながら、もじもじとこちらを見ていた。


「何してるの、せかいじゅさん?」


「……本当に、一緒に帰って良いのか?」


 しおらしく顔を赤らめて、せかいじゅさんが顔を半分だけちょこんと出す。

 だから、そういうのはやめてほしい。


 自分を可愛いと分かっている人がやるとムカつくんだけど、天然でやられるとたまらない、その曖昧な境界にある仕草。


「い……いいって言ってるでしょうが」


「フレスベルグとラタトスクとニーズホッグも一緒にだぞ?」


 呼ばれた三人もじっとこちらを見る。

 美少女四人に一心に見つめられている。


 どっきどきだよこん畜生。


 私の中で眠っているはずのロキが


「据え膳食わぬはなんとやらだ」


 なんて邪悪に囁いてくる。

 気がする。


 一緒にするな、と私は自分にツッコミを入れる。


「か、家族なんでしょ、せかいじゅさんにとっては――好きなだけいたらいいよ」


「ひひへ」


 無邪気に笑いながら、おずおずとせかいじゅさんがラタトスクちゃんの背中から出てきて、すっと手を伸ばしてきた。


「また、帰ろっか」


 私はその手を握りしめる。


「うん、何度でも帰るぞ!」


 私とせかいじゅさんが、再び繋がる。


 出かけてもいい。

 帰ってきてさえくれれば。


 私の中にいるロキは、今でも自分や世界を呪詛する気配を放ちながら、それでもじっとしていた。

 その暗い心は、いつも私が抱いていたものと大差なんて無い。


 余程のことが無ければ、きっと私はこれを死ぬまで抱えていられる。


 何がラグナロクだ。

 こんなもの、人と関わりたくない誰かさんの自殺願望に過ぎない。


 抑えて居られる、いつまでだって。

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