第25話 レーヴァテイン
「その声は――!!」
笛吹くんの目が驚愕に見開かれる。
私の腕が勝手に動き、笛吹くんの手首をがっしり掴んだ。
みしみしと骨が軋む音を立てて、笛吹くんの手が左右に開閉していく。
「たかが見張り番が、図に乗るんじゃねえ!」
私は口汚く絶叫しながら、右足を思いっきり前に突き出していた。
「ぐお!?」
笛吹くんが教室の端まで吹っ飛ぶ。
壁に激突する直前に、空中で体勢を変えて床に両足でブレーキをかけている。
「ロキ、お前だな……!」
笛吹くんは狂喜に染まった笑顔でこちらを睨んでいた。
――私じゃない。私はそんな名前じゃない。
「あーロキだよ、ドスケベ角笛野郎」
勝手に口が、言葉が、意識が、名を名乗る。
全く体の自由が効かないのに、意識だけが、全てを体験している。
「リョーコ様!!」
「げ、目覚めちまったの!?」
フレスベルグさんとニーズホッグちゃんは、それぞれの相手を下したところだった。
気を失ったガルム少年とスリヴァルディ大学生が、床の上で重なって伸びている。
殺すな、という私の願いを、きちんと聞いてくれていたようだ。
「おー。フレスベルグとニーズホッグか。お前らとはあんまり縁がねーけど、元気してたか? ん? げらげらげら」
酔っぱらいみたいに下世話な声で、私は笑った。
「世界樹様が封じていた記憶が、戻ってしまった……ですね」
苦々しくフレスベルグさんが呟く。
「なんだよぉ、邪険にすんなよ。お前らが元々いた世界じゃ俺はスターだぜ?」
「黙んな変態死にたがり。あんたのせいで何度世界が滅茶苦茶になったと思ってんだよ」
刺々しくニーズホッグちゃんが毒づく。
「人聞きの悪いこと言うなよな。俺の火遊びの度に神々は新しい刺激を得てやがったろーが? この前出してやったグングニルだって、元はと言えば俺のおかげで出来たんだ。オーディンの野郎には、可愛らしいスレイプニルだってプレゼントしてやったじゃねーか」
ぺらぺらと私の口が、嬉しそうに言葉を吐き出す。
「ふはははは」
という、リアルでは聞いたことのない高笑いが聞こえた。
笛吹くんが腰に手を当てて、アメコミヒーローみたいなポーズを取っていた。
「相変わらず口の減らない奴だなロキ……! だが、私は待っていたぞ! お前との決着をつけられる世界の到来を!」
「そうだなあ、お前とはずっと相打ちかましてたからなあ、げらげらげら。そろそろ身の程を知らせなくっちゃなあ」
「そっくり返してやる。狡猾なる裏切り者め」
三文芝居のようなやりとりだけど、私の体は満更では無さそうだ。
私の魂は、笛吹くんを求めている。
「せっかく女の体に生まれたんでなあ、この体のままで相手してやるよヘイムダル。武器は……アレでいいか!」
体の奥の奥から、何かが沸き上がってくる。
ニーズホッグちゃんと戦ったときに、私の中からあの黄金の槍グングニルが生まれてきたときと同じ感覚。
がくんと私の顔が空を向き、喉から目映い光が天高く吐き出されていく。
光は長く長く、水平に薄く進展する。
それは巨大な剣の形状をしていた。私の背の高さほどもある。
私の手が、その剣の束を片手で軽々と掴む。
「レーヴァテイン! ……ですか」
光を凝視していたフレスベルグさんが呻いた。
「げらげら、その通り。何やらこの国の俗説じゃー、スルトの武器とか言われてるみたいだけどな。俺が鍛えた剣なんだから、俺が使ったって文句はねえだろ? こっちの世界でなら、俺が生み出した因縁は全部俺が持ち越せるみたいだからなあ……世界樹の樹液ってのは便利な代物だなあ」
ぶんぶんと剣を振り回しながら、私は、自分の体に力が染み渡っていくのを感じた。
大剣を持った細身の女の子なんて、近頃アニメでも見ない。
凄く恥ずかしい。
「そちらが武器を持つのならば、私も使わせてもらうぞ」
笛吹くんがまたしても口笛を吹くと、彼の口からも光が溢れだした。
その光の中から、黒光りした巨大な角笛が現れる。私が持つ大剣と同じほどの長さだった。
あれがギャラルホルンの本当の姿なんだろうか。
笛吹くんは角笛を口にして、力一杯息を吹き込んだ。
爆音と共に――
空気が、直線に振動する。
私の体は瞬時に側転。
スカートが逆さになったので、きっと下着は丸見えだ。
姿勢を整えて振り返る。背後にあった壁が円形に削れて、消失していた。
「おうおう、相変わらずの威力だねえ……」
内心では呆然とする私だが、口の方は余裕しゃくしゃくだ。
さらに笛吹くんが、角笛に息を吹き込む。
角笛の直線上に、一瞬だけ撓んだ空気が視認出来た。
私の意識が動こうとする前に、私の体がそれを避ける。
再び爆音が鳴り響き、哀れ直撃を受けた教室の机が幾つも微塵となって爆散した。
空気そのものが、音速の弾丸として角笛から発射されているのだ。
「なんだなんだーヘイムダル? ちっとも当たらねえぞだらしねぇくだらねぇ。そんなことで俺の宿敵気取るつもりか? 神の力(アースメギン)も切れ切れじゃねぇか」
「逃げてばかりの者に何が出来ようか。死者の爪の船(ナグルファル)の軍勢も今は巨人の味方では無い。始まりのラグナロクにおいても、貴様が逃げて戦いが長引いた」
笛吹くんが大仰な仕草で叫ぶが、私の体はほくそ笑みながら、手にした大剣――
レーヴァテインの切っ先を笛吹くんに向ける。
「やってみろや……」
ずぎゅん、と周囲の光景が一転した。
一息。
一歩だけで、前傾した私は笛吹くんの目前に踏み込んだ。
先ほどの笛吹くん以上の速度だった。
口を真一文字にした笛吹くんに対し、私はレーヴァテインを横薙に一閃。
刀身が笛吹くんの肩に触れる寸前、笛吹くんはロケットのような勢いで垂直に跳躍した。
レーヴァテインは笛吹くんの靴裏をかすり、空隙を切断する――
だけでは無かった。
私が気づかぬ間に、レーヴァテインは灼熱の獄炎を纏っていた。
その火炎が太刀筋に沿って平行に空間を走り、教室の窓に到達――
轟音と共に、窓の殆どは爆砕した。
着地した笛吹くんが振り返って「ちっ」と舌打ちをする。
私と笛吹くん、双方の背後に空間が広がってしまっていた。
校庭も廊下も丸見えだ。生徒が残っていたら、どうなっていたことだろう。
「もう、終わり……です」
横から、フレスベルグさんの壮烈な嘆きが聞こえた。
「ロキとヘイムダル……両者がぶつかれば止められるものなどいやしない……ですから」
「ったく、放っておいても無くなっちまいそーな世界で、ドンパチすんなよな……」
ニーズホッグちゃんも、沈痛そうに歯噛みしている。
それぐらい私と笛吹くんの力は桁外れらしい。
ピンと来ない――。
いや。しっくりきすぎる。
私のちっぽけな心は、すでにもう一人の私の巨大な悪意に溶けかけていた。
こんなに恐ろしい私の力を、私は心で認めようとしている。
韜晦に己を隠している自覚すらある。
どうしてせかいじゅさんは、私を目覚めさせようとしたんだろう。
自分の側に置いておけば安心とでも思ったんだろうか。
私の懊悩を余所にもう一人の私と笛吹くんは、レーヴァテインとギャラルホルンという現代日本に於いては馬鹿馬鹿しいネーミングの神器で切り結び、撃ち合う。
轟音、爆音、激音。
斬撃、砲撃、連撃。
強襲、旋回、加速。
砲煙、弾雨、剣舞。
爆ぜる激闘。
くだらない。
私にはヒーロー願望も無ければ破壊願望も必要無い。
神話の通りの、定石通りの戦いなんて面白くもなんともない。
じゃあ、私にあった願望って何だっけ?
――生まれただけなのに。
――そうさ、生まれただけさ。
生まれてしまったなら、楽しめばいいのさ。
自分が生まれたことを憎み、忌み、避ける者達を、黄昏の向こうへ消し去ってしまえばいい。
ラグナロクとは、私の――
悪神の、壮大な。
「!!」
笛吹くんの――
ヘイムダルの驚愕の表情が、私の視界を奪った。
私が突き上げたレーヴァテインの凪いだ熱風が、笛吹くんの体を直撃していた。
炎の奔流が空気を巻き上げる。
ボロボロに崩れた教室はすでに壁の大半を失っていて、笛吹くんはそこから校庭に向かって吹っ飛んでいった。
「げらげらげらげらげらげらげら!!」
私は哄笑をあげ、その後を追ってバッタのようにひとっ飛びで跳躍する。
ここは二階のはずだが、人を越えてしまっている私にとってはどうということも無い。
濃い橙の空に包まれて滑空しながら、私は焦げ茶色のグラウンドに降り立つ。
傷だらけの笛吹くんが、地面の上に横たわっている。
ズキズキと私の心が痛む。
それは誰の痛みなのか。
「あ? 何倒れてんだ……?」
つまらなそうな声で、私は吐き捨てる。
「…………ここまでのようだな」
あっさりと笛吹くんが呻いた。
「はあ……? 前の戦いのときは、こんなもんじゃなかっただろう。どうしたよ? 人間の体に慣れきっちまったのか」
レーヴァテインを肩に担ぎ、私は訝しむ。
つまらない、と私も思った。
笛吹くんが黙している間に、フレスベルグさんとその背にしがみついたニーズホッグちゃんも校庭に降り立った。
二人は手を出しては来ない。
ラグナロクを生き延びた二人は、見送ることしか出来ないし、しない。
愚かしい。神の世界では世界樹ですら火を放たれたというのに、侍従共はなんと無力なことか。
「おい、ヘイムダル……因縁ってのはもうちょっと粘着質で、しつこいもんだろうが。神話だぜおい。決着が呆気なかったら面白くないだろ」
私の声が請う――
寂しそうに。
「貴様の、勝ちだ」
笛吹くんが掠れた声で呟く。
勇猛な光の神とは思えぬ一言だった。
今度は私が呆然としていた。こんな展開は、ラグナロクには存在しない。
双方力尽きるまでが戦い、運命を焼き付くす。
それがヘイムダルとロキの黄昏であったはずだ。
自分の手の中にあるレーヴァテインも、まだ戦い足りない。
突き立て足りない。
掻き回したい。
滅茶苦茶にしたい。
「立てよ、ヘイムダル……簡単に俺に勝たせるなよ」
衝動を孕んだまま、私が膝をついたまま動かぬヘイムダルを見下ろしていると――。
「リョーコーーーーーっ!!」
世界を支える声が、赤い空に響きわたった。
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