第24話 神々

 本当に? 


 本当に私なんかが友達でいいの? 


 うん、嬉しい。ありがとう!


 みんながどう言おうと関係ないよ。


 私達、友達でしょ。


 なんで春くんには口笛吹けて私には出来ないのかなあ。

 いつか私も出来るようになってみせるからね。


 お母さんはいなくなっちゃったけど、春くんはいなくならないよね?

 

 聞いてよ、またお父さんがご飯残したの。

 昔は私が作ったら全部美味しい美味しい言ってたのに、むかつくなあ。


 何年かして、二人とも外で働くようになっちゃったら、お互いのこと忘れちゃうのかな?


 春くんは私のこと忘れない?


 うん。私は忘れないよ。他に友達いないし。


 うちのお父さん、病気なんだって。

 なんでみんな私から離れてっちゃうのかな。


 明日からはあんまり会えなくなっちゃうかも。

 ごめんね。


 楽しい小説、書けるといいね。


 そしたら必ず読ませてね。


 ちょっとぐらい会えなくなっても、待ってるからね。


 ――リョーコの言葉は、一言一句、思い出せる。


      *


 すでに校舎の中には、多くの元ニート達――


 神の記憶を有するリンク・アクター達が侵入してきている。


「今の僕の味方は、神々の軍勢だ。もちろん、記憶も力を不完全ではあるが――それでも君一人ぐらいならなんとかなる」


 どこまでも現実味の無い言葉を、笛吹くんは連ねる。


「覚えてないって言ってるじゃない!」


「ならば戦いの中で思い出してもらうさ。ニーズホッグのときには出来ただろう」


 笛吹くんがぴいっ、と甲高い口笛を吹く。


 直後、二人の若者が教室の中に飛び込んできた。


 一人はTシャツにジーパン姿のラフな若者、一人は背が高く巨体のスーツ姿青年。


「君達は――ガルムの少年くんに、スリヴァルディの大学生さんだね。スリヴァルディの方は就職活動中だったかな。変わった組み合わせが最初にたどり着いたものだね」


 ガルム――


 それはヘルヘイムの入り口に住む、獰猛な赤き番犬の名前だ。


 スリヴァルディ――


 それは九つの首を持つ、剛毅な霜の巨人の名前だ。


 神と呼ぶには荒ぶりすぎてはいるが、強大な存在であることには変わりがない。


 ――私はどうして、彼らの名前をすぐに、思い出せてしまうのだろう。


 囲まれている恐怖より、自分が自分で無くなっていく恐怖の方が強い。


「さて、どう戦うんだいロキ?」


 余裕ぶって腕を組んでいる笛吹くん。


 ガルム、と呼ばれていた若者は眼を赤く輝かせ、両手を床に着いた。


 ぐるるるる、と唸り声をあげながら私を睨んでいる。


 そのシルエットは飢えた野犬そのものだ。 


 スリヴァルディ、と呼ばれた大学生は、仁王立ちしたまま「ふん」と気合いを込めた。

 

 高級そうなスーツがばりばりと破れ、人間離れして発達した筋肉がその下から現れた。

 パンパンになったYシャツに、捻れたネクタイが絡みついている。


 ――どう戦うと言われても。


 私の方は身動ぎ出来ない。


 先手を切って、ガルム少年が両足で床を蹴った。


 数メートル分の距離を物ともせず、私の眼前に迫りくる。

 濃いカフェインの臭いがする荒い息が、頬にかかった――


 その時。


 音が鳴り響き、一迅の魔風が空を切り裂いた。


 艶めかしい羽毛を生やした広い袖が、私達の間に割って入る。


 続けて裾から延びる白く細長い足が、ガルム少年を蹴り飛ばした。


 きゃん、と可愛らしい悲鳴をあげて少年は壁に叩きつけられる。


「フレスベルグさん!!」


 銀の着物、銀の髪、銀の瞳。銀の翼。


 窓ガラスをぶち破って乱入してきた巨鳥の化身、フレスベルグさんが、散乱するガラス片の上に泰然と立っている。


「リョーコ様、お怪我は……?」


 涼しげに囁くフレスベルグさんの声が、とても優しいものに聞こえた。


「う、うん……なんとか無事」


「それは良かった……です」


 無表情に頭を下げるフレスベルグさんの背中から、闇色黒髪の幼女が顔を出した。


「ニーズホッグちゃんも……!」


「きししし、間に合った間に合った! 最高のタイミングでの登場じゃねーの」 


 ニーズホッグちゃんは、フレスベルグさんの首にしがみついていたようだ。


「二人とも、せかいじゅさんを助けに行こうとしてたんじゃないの?」


「世界樹様の元へはラタトスクが向かっている……です。心配はいらないと思う……です」


 巨体大学生と対峙し、一歩も退かないフレスベルグさん。


「世界樹からこっちに向かえって連絡があったんだぞー。あいつ、上手くあっちの組織と折り合いつけたみたいだね」


 床に降り立ったニーズホッグちゃんは、床に深く腰を落として立ち上がろうとするガルム少年を睨んでいる。


 あっちの組織、とは笛吹くんが逃げ出してきたという、世界樹さんを最初に捕獲した組織のことだろう。


 笛吹くんは眉一つ動かさず、フレスベルグさんとニーズホッグちゃんを見比べる。


「嘲笑う者ニーズホッグに、死を飲み込む者フレスベルグか……まさか君らが協力しあうとはね。ニーズホッグ、君はそれでいいのか? 世界樹を憎んでいたのだろうい?」


「憎しみと愛情は裏表なんだぜ、きしし」名前の通りに嘲笑うニーズホッグちゃん。「命令は一応果たしてやったんでね。ここからは好きにやらせてもらうよ。あ、フレスベルグと来てやったのは仕方なくだからね!」 


「勝手に背中にひっついてきた……です。決して仲良しではない……ですから」 


 フレスベルグさんが微かに頬を膨らます。


「……ふむ。君達はラグナロクには参戦しないんだったな。ではギャラルホルンで強制的に戦ってもらうわけにもいかないか」


「その通り――」


 瞳を妖艶に輝かせたニーズホッグちゃんが、


「だああああああッ!!」


 咆哮をあげてガルム少年を急襲する。


 避けようとしたガルム少年の頬に、ニーズホッグちゃんの両手が襲いかかる。

 長く鋭い爪が、若い肌を裂いた。


「がるるるるる!」


 荒々しく唸る、ガルム少年。


「犬っころ、お前はラグナロクではティールと相打ちになるんだってねー。このニーズホッグ様の相手としては不足無しだねえ! きしししし!」


 熱く嘲笑いながら、ニーズホッグちゃんは激戦を繰り広げる。 


 神に比肩する獣同士――ただし幼女と少年――の対決は、肉眼で追うことも困難だった。


 一方、フレスベルグさんは凍てつく氷の視線でスリヴァルディ大学生を睨めつけながら、相手の初動を待っていた。


「霜の巨人スリヴァルディ……古くは私と同じ血に連なる者……こうしてまみえるのは初めて……ですね」


 フレスベルグさんが薄笑みを浮かべる。


 世界樹の梢で大地を見渡す巨鳥フレスベルグは、本来は神に並ぶ列強種族、巨人の血を引く存在でもあるのだ。


 先に動いたのはスリヴァルディだった。


 斧のような豪腕を振りあげ、フレスベルグさんの方へと向かっていく。

 その拳を、ボクシンググローブ状の霧氷が覆っていた。


 間髪入れず、フレスベルグさんは羽毛に覆われた袖を翻した。

 巻き起こる強風が振りおろされかけた拳を押し戻し、スリヴァルディを後退させる。


 神に比肩する巨人同士の、大気を震わす威圧感。


 見ているだけでも疲弊した。


 気圧されそうになりながらも、私はその戦いに口を挟んだ。


「フレスベルグさん、ニーズホッグちゃん、相手を殺しちゃダメだよ!」


「はああ?!」


 ニーズホッグちゃんが動きを止める。

 その隙をついて、ガルム少年が爪をニーズホッグちゃんに突き立てようとした。


 間一髪、ニーズホッグちゃんが仰け反って避ける。


「殺すな……?」


 フレスベルグさんも一瞬風を止めて、スリヴァルディ大学生の剛拳を避ける。


 振りおろされた霧氷と怪力が、教室の床を発砲スチロールのように簡素に砕いた。


「だ、だって……リンク・アクターだか何だか知らないけど、みんなこの世界の人間には違いないんだからさ! 今まで普通に生きてきた人なのに、『別の世界では争っていたから』なんて理由で殺されちゃうのはあんまりだよ!」


 本心だった。


 だけどニーズホッグちゃんも笛吹くんも、眉を顰めて呆れたように笑った。


 フレスベルグさんだけが、肩をすくめて困ったように目を細める。


「リョーコ……いや、ロキ。僕をゲームの魔王なんて言ったけど、ゲームの勇者だって魔物は殺すよ? 君の前にいる者達はすでに人間じゃない。RPGにだって引用される歴とした怪物達なんだ」

 君も含めてね、と笛吹くんは嘯いた。


「……私は、ロキじゃない」


 ニーズホッグちゃんとフレスベルグさんも、激戦を再開している。


 私の人間としての言葉は、どこにも誰にも届かない。


「君が望むまいと、ヘイムダルとしての僕の魂は君に戦いを挑まずにはいられない」 


 笛吹くんが口笛を吹く――その音色が消えぬ間に、彼の姿が消えた。


「――!!」


 笛吹くんが、私の眼前に突然立っている。


「僕の力がギャラルホルンだけだと思ったかい? 僕はロキが強奪した宝物を、正々堂々と奪い返したこともある。人間の体でも、それなりに動けるんだよ――それなりには」


 もう一度彼が口笛を吹く。


 今度は、一瞬で私の隣に移動されていた。


 私は咄嗟に飛び退く――


 はずが、両手首を彼に掴まれた。


 抱き寄せられるように引っぱられた私の首に、彼の両手が食い込む。

 万力のような力で、ぎりぎりと締め付けられる。


 呼吸が止まり急速に意識が遠のく。

 ニーズホッグちゃんとフレスベルグさんは、互いの相手に苦戦していて、こちらを助けてくれる余裕は無さそうだ。


「ロキ、弱くて可愛らしい女の子のまま、ラグナロクから逃げるのかい?」


 大好きだった友達の顔を見つめながら、わけの分からない理由で殺される。


 こんな人生嫌だ。

 

 こんな運命は嫌だ。


 私は、花屋さんの娘で。ニュートラル・ニュートラルな人間で。


 たまにケーキを食べて、就職に悩むだけの女子高生で――


「調子に乗るんじゃねえぞ、くだらねぇヘイムダル……」


 ――意識の奥から、しわがれた声が浮上してきた。

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