第22話 スルト

 核シェルターや海底石油プラントにも似た、白く四角く、殺風景な巨大研究棟。

 その深奥にある一室。


 そこが世界樹ユグドラシルにまつわる研究と実験の主戦場であり、オムパロス計画(プラン)の要であった場所だ。


 山間部の地下に築かれたこの場所は、民間人には存在すら知らされていない。

 アポも無しに来客があるとすれば、政府高官かテロリストのどちらかだ。


 であるから、突然に少女が訪ねてきても通されるわけが無い。


 ここを知る少女は、世界樹そのもの――


 またはその力に連なる侍従だけであろう。


 金剛界曼荼羅の印が刻まれた扉が、ゆっくりと開かれた。


「元気にしていたか、須藤?」


 世界樹の分霊は眼をぎらつかせて、燦然と立っている。

 かつて組織が調べ尽くした献体であるところの、分かたれた世界の支えたる存在が。


「どういった心変わりかね、世界樹よ」 


 世界樹が自らこうしてやってくることは、計画の中には無かったことだった。


 研究員達は部屋から追い出された。

 世界樹の望みを組織が聞いてやったのは、これが始めてだろう。

 今の世界樹に、戦闘の力が無いことは分かっている。侍従も連れていない。


 ここにいた間、世界樹は呪いの言葉しか吐かなかった。

 『枝』の力も使おうとはせず、誰も巻き込もうとはしない、気丈な一人の娘だった。


「とぼけるでない。私がこうしてやってこなければ、いくらでも貴様らは私の家族を巻き込むつもりだったのだろう?」


 あくまでも傲岸に、世界樹は呻く。


「家族だと……? 我ら九世機構は、貴様の居場所すら掴めなかったのだ。巻き込みようがあるまい」


「ではなぜニーズホッグを利用した! 私の樹液は、世界征服の道具では無いのだぞ!」


 世界征服、という語感に私は失笑してしまった。


「過去、私の枝を利用して力を手に入れた者達は多くいたけどなー。あのオーディンもそうであったな。私の枝であえて首を吊り、奴は別世界の真理たるルーンを手に入れた……しかし、あやつですら神々の黄昏を飛び越えることは出来なかった。哀れフェンリル狼に飲まれ、終わりを見送ることしか出来なかった」


「さすが世界樹。朽ちた世界の歴史を見続けてきただけはある」


「ふんふんふん。私はいつも世界が落ちぬよう支え、時には助けてきた。だが、いつも世界はそこに住む者達が滅ぼしてきた。例外など一度も無かったのだ。そんな世界を支配したところで魂が虚に包まれるだけだぞ、須藤……」


 世界樹は憂いに満ちた視線を、床に落とした。


「私達の目的は支配ではない。職能の確保だ」


「……ひへ?」


「太古の昔より、我ら九世機構はこの国の根幹に在った。我らが常に望んできたことは、この国の民草が『職』を失わず、社会の一員であるようにすることだった――我らが常に目指すものは『就職環境の改善』なのだ。貴様、世界樹の分霊のくせに知らなかったのか?」


 世界樹は、顔面を朱に染めて膨れ上がった。


「に、人間の組織などわざわざチェックしていられるか!」


「ふむ……常に世界の全てに意識をオープンにしていられるわけでは無かったな。見たいものしか見られないのは、我々人間と同じか」


「ううう……放っておけバカ」


 涙ぐんでいる。


 以前の気丈な世界樹なら、人間に涙を見せることなどあり得なかった。


「とにかく、我ら組織は世界の支配などに興味は無い。圧政で職が増えるのであればそうもしようが、歴史はそれを否定している。ただでさえ近年は、社会に我らの力が及んでいなかったのだ」


「ふん、知ってるぞー。少し前までこの国の就職率は悲惨なものだったではないか。離職率も高いし。ニュースで見てたんだぞ」


 情報源がニュースなのか。


「悔しいがその通りであるな。引きこもりもニートも増える一方だった。そんな現状を打破すべく、我らが立案したのが『オムパロス計画(プラン)』だった」


「オムライスプラン?」


「『オムパロス計画(プラン)』。我らは偶然から貴様という存在――世界樹の分霊なる献体を手に入れ、人の魂が幾多の世界に跨り、同一の起源に繋がっていることを知った」


「ほ~」


「ほ~って……貴様を調べて分かったんだぞ……まあいいが。ええとなんだったか。他の組織であれば、この研究結果を軍事に援用することも考えたであろうな。しかし我らが目的はあくまでも、『職』を安定させることのみ」


「平和ボケしておるな」


「……その平和ボケに捕獲されたのは貴様だ世界樹よ……我らは、この国に生きる引きこもりやニート達に、強引ではあるが『職能』を与える方法を考えついた。それが、リンク・アクターを使った計画だ。この世界では何の能力も無いただの人間でも、平行世界においては専門職に就いている可能性は充分にある。この世界には無い職業ではあっても、生きていくために必要な技術は持っているかもしれない」


「なんだと……では貴様等は、ニート達に力を与えるために私を研究していたのか!?」


「いかにもその通り」


「む…………むがー!! なんか体の隅々まで調べられたりしたのに、報われている気が全くしないぞー! 恥ずかしかったんだぞ私はぁぁあー!」 


 世界樹が憤慨して地団太を踏む。


「どう思われようと構わん。だが『職がある未来』は社会的動物であるところの人間の生活を、明るく豊かにするのだよ。『オムパロス計画(プラン)』は、そうしたリンク・アクターによる職能格差を無くすための計画だった」


「もうちょっと分かりやすい名前にすればいいのに。なんか崇高な目的があるっぽい感じがするではないか。人間の極限進化とか、人類の補完とか異世界への侵攻とか!」


 もっともなことを言われると返す言葉も無い。


「あまり深く考えていなかったものでな……我らが数多に重なる世界のへそ(オムパロス)にならん、とそれだけの意味だ。計画も順調だった。途中で貴様が脱走したときばかりは、肝を冷やしたがな」


「ふん、油断しているからだぞ」


「それでもすぐに、組織は世界樹の枝を伐採することに成功したのだがな……貴様という分霊が現れたことで、全ての世界に同時に存在する世界樹の、ほんの一部が鈍化して物質化していた。観測も容易だったし、削ったらびっくりするほどあっさり取れた」 


「人の本体の一部を……ギギギ」


「枝から抽出した樹液を希釈し、人体に投与する――実験の結果はすぐに出た。多くのニート達が、別世界の記憶と力に目覚めていった。しかし……」


「し、しかし?」


「……枝そのものが奪われた。樹液を投与した者達も皆、脱走してしまった。我々のオムパロス計画(プラン)は、そこで完全に頓挫してしまったのだ」


「なんというだっさい組織だ……む、ということは?」


「そうだ。新たなリンク・アクターを目覚めさせ、貴様を襲わせたのはその人物であろうな。我らもなんとかしなければ、と思っているのだが、タイミングが分からん」


「なんと無責任なのだ、アホー!」


「仕方あるまい! 相手は枝を使って、自分の味方と成り得るリンク・アクターを集めておるのだ。少量の樹液しか残されていなかったこちらは、たった一人のリンク・アクターを生み出すことしか出来なかった……それが私だ」


「貴様も、神の記憶を持ってしまったのか」


「然り――我が神名はスルト。火の民ムスッペルの長。かなり強い方」


「スルト! おお、スルトだったか! 懐かしいなー! 元気だったかー? あんまり喋ったことなかったけど! そうかそうか、お前はあの戦いでも生き残っていたものな!」


 世界樹はいきなりフレンドリーになった。


 自分がどんな目に遭ったのか、完全に忘れてしまったようだ。


「…………私が元気かどうかはどうでもよいのだが。というわけで世界樹よ。残念だが今私の所に来ても、世間で起こっていることの解決にはならないぞ。『枝』を奪っていった者も、どうやらリンク・アクターを用いて就職率を上げているようだが……我らの組織と同じ目的で動いているとは思えぬ」


「そいつの神名は、なんなのだ」


「ヘイムダル。ギャラルホルンを吹き、黄昏を告げる者だ」


 世界樹の顔が、一気に青ざめた。


「へ……ヘイムダル、だと……!? そ、そいつが我らを狙っていたというのなら……」


「……? どうした。問題でもあるのか」


「大問題だ! もし、そいつがヘイムダルの記憶に流されて行動しているというのなら、狙いは私では無いかもしれぬ!」


「ほう。ならば、気をつけるのだな。奴は、今もここを見ているのかもしれないのだから」


「……!?」


「忘れたのか。奴は貴様の枝を持っているのだぞ。世界を見渡す力を持つ、貴様の枝を」


「…………そうか。貴様は……」


 世界樹は、須藤の背後を見つめた。


「貴様――――見ているのだな!」


 漆黒の意志を持った、殺意の眼差し。


 私と世界樹の視線が重なった。


 私が『枝』で見続けてきた、世界樹の視界を通して。

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