第19話 お父さんの顔
部屋ではイヌワシと蛇の姿に戻ったフレスベルグさんとニーズホッグちゃんが、満身創痍で爆睡していた。
私とせかいじゅさんが同時にいなくなったことで、ニーズホッグちゃんの裏切りが疑われたみたいだった。
そこをラタトスクちゃんが煽ったことで、先日に続く神話的な戦いが近所の空き地で再発したのだそうだ。
戦いの途中、互いが嘘を言っていないことが拳から伝わってくる悲しみで理解出来たとか、なんとか。
「私はあの戦いを見届けるために、この世界にやってきたのかもしれません……」
ラタトスクちゃんは端然と述べた。突っ込むのも億劫だった。
ラタトスクちゃんに用意して貰った、晩ご飯のたけのこご飯をせかいじゅさんと二人で堪能した私は、お風呂に入ってさっさと休むことにした。
乱暴に衣服を脱ぎ、いちいち引っかかる下着を洗濯機に投げ入れ、浴槽にだぶんと飛び込む。体を洗い忘れたけど、この後はせかいじゅさんだけみたいなので気にしない。
熱い湯に肩まで浸かっていたら、ほんの少し冷静な気持ちになってきた。
昨日からの出来事が怒濤のように去来する。
猛毒を食らったり口から槍が出てきたり、これまでも散々だったけど、ちょっと異常さが苛烈さを増している。
私はどこに日常を置いてきたんだっけ?
自分の頭に訊いてみた。
最初に思い出したのはお父さんの顔だった。
次に由里の顔。商店街の人達。
――急に笛吹くんの顔。
胸が熱くなって痛い。彼とまた話せたら、私は前の私に戻れるだろうか。
戻ったところで、彼との関係が変わるのかよって話だけど。
お母さんの顔はこんなときでも思い出せなかった。そんなものだ。
……あれ、もっと思い出せそう。なんだっけ。
「リョーコー、背中流させろー!」
「げ!?」
がらっ、とお風呂の扉が開いて、そこに全裸のせかいじゅさんが立っていた。
手にはタオルを持っているけど、体を隠そうともしていない。ぽよんとしてつるんとしてぷるんとしている。
「背中以外も流させろー!」
「こら! ダメダメダメ、今の私があんたとお風呂入っちゃまずいでしょ!」
「なんでだ?」
「なんでって、この……私、こんなのが生えてるし」
「なーんだ。そんなことは気にしなくてよいぞ! そもそも私はお前の子を成してやるつもりだといったろ! 良妻賢母を目指すぞ! 劣情をもよおしたのならば、どかーんずきゅーんと私にぶつけてきても良い!」
「ばばば、バカなこと言うんじゃないの! 自分の体大切にしなさいって言ったでしょ!」
やばい。早くも反応している。この状況で膨張はやばすぎる。
「むう……一緒にお風呂入るのもダメか?」
「それは……うーん……それぐらいなら」
体を見ないように工夫して、気を落ち着かせればいけるかも。
「おーいいのか、やった! リョーコとお風呂!」
せかいじゅさんも体を洗わずに、浴槽に飛び込んできた。
いつもなら怒るところだけど、まあ今回は許す。
顔を背けて冷静を保つ私に、せかいじゅさんは裸のまま抱きついてきた。
背中に、小さな脂肪の感触が二つ。
「せ、せかいじゅさん! くっつくのはダメ!」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだ。人と密着するのも、私にとっては貴重な体験なんだぞ」
腕いっぱいに強く、強く抱きしめてこられると、抵抗出来ない。
「し、仕方ないにゃあ……」
「ひへへへ」
しばらく、そのままでいてやった。
私も昔はこうやって他人に甘えたんだっけ、この子はこんな風に誰かに甘えたことがあったんだろうか、とかそんなことを考えながら。
お風呂から上がった私達は、すぐに眠りについてしまった。
悪夢は見なかった。
ただ、夢の中で、また私は一人になっていた。
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