第14話 どうか命令を
景気は上昇している。人々は居場所を得ている。
喜ばしくもあり、ある者にとっては、由々しき事態だ。
古い組織ではその動きに追従出来ない。
世界樹は動き出すであろうか。動き出さねば困る。
人柱で勝てる相手ではあるまいが。
世界樹の枝は、世界樹と同質の力を手に入れるただ一つの道具だ。
私は世界樹があらゆる根を張る世界を観測し、同一の魂の記憶をこの世界に喚起する。
氷に包まれた世界。
炎に包まれた世界。
妖精の世界。
巨人の世界。
死の世界。
全ての魂は世界樹を通して、共通の期限を持つ。
最も多岐に渡り、多義に渡る人間の世界。
私も眠る度に、知らないはずの知っている場所の夢を見る。
既視感では無い。
私はどの世界でも愛され、また疎まれた。
居場所が無いくせに、あの者も私も、自分から居場所をぶち壊す。
それがそのころからの私達の宿命であったかのように。
強き魂の記憶は、弱き魂の記憶を蹂躙する。
さながら成熟した個人が、幼年期の思い出を意識の奥底に追いやるように。
記憶の上位に君臨しうるのは、世界樹そのものだけだ。
プスプスと魂の炎がくすぶり、私の人格は乾いてゆく。
生き残り世界を再生する運命を背負わされた神名も、異なる世界の運命に虚言されているはずだ。
ラグナロクが再び到来する、と。
彼は虚言のままに動けば良い。
世界は焼かれる。
炎は、私の宿敵が背負う運命でもある。
*
誰かが、私の頬を撫でている。
懐かしいような、身近なような、心は安らぐけど、くすぐったい。
繰り返される絶望に疲れ切った私も、つい笑いこけそうに――
「ああ凉子様のほっぺた暖かくてつるんつるん」
耳元で囁かれる甘い声に、全身が粟だって目が覚める。
寝汗びっしょりで横たわる私の隣に、ラタトスクちゃんが添い寝していた。
「な……何やってるのよ……」
はねのけたいのに体に力が入らない。
呼吸するのも辛い。
「人のぬくもりにすがっているのです、私は卑しき小動物でありますが故に」
ぴょこんと掛け布団の端からはみ出た尻尾が、上機嫌そうに揺れている。
「ハムスターと添い寝なんかしたら、潰しちゃうよ……ふー、しんど……」
「凉子様ったら息を荒げさせちゃってまあまあ、くふ」
ルビー色の目をぱちくりさせながら、ラタトスクちゃんがアイドルっぽく笑む。
可愛らしいけど小憎らしい。
「……せかいじゅさんは?」
視線を病室の中に向けてみる。
せかいじゅさんの姿はどこにも見えない。
フレスベルグさんもいない。
この状況だと、添い寝されていてもおかしくは無いのに。
「…………」
ラタトスクちゃんは、気まずそうに視線を逸らした。
「世界樹様は出ていった……です」
視界の外からフレスベルグさんの声がした。
声はすれど姿は見えない。
だるい首の筋肉を動かすと、ベッドの横からむくりとフレスベルグさんが起きあがってきた。病室の床に雑魚寝していたらしい。
綺麗な銀髪に触角みたいな寝癖がついて、瞼は半分閉じている。
「フレスベルグさん……床冷たいでしょーに……」
「フレスベルグは、所詮鳥類……ですから」
「鳥類は寒さに強いわけじゃないでしょ……」
女の子三人で添い寝するぐらい、別に私は問題無い――
余計なモノさえ生えていなければ、の話だけど。
「あれ……? 今、せかいじゅさんが出ていったって……」
こくり、と眠そうにフレスベルグさんが頷く。
「世界樹様は……ニーズホッグを追われている……ですよ」
「……は?」
私は耳を疑った。
「責任を感じられた世界樹様は、自分だけでニーズホッグ様を討伐せんと旅立たれました。世界樹様がその指を体内に射し込むことが出来れば、ニーズホッグ様を元の世界に追いやることも可能でしょう」
ラタトスクちゃんは添い寝したまま、神妙に言った。
「あのバカが……いや、なんでラタトスクちゃんやフレスベルグさんは着いていってあげないの……?」
侍従なんだし、フレスベルグさんに至ってはニーズホッグちゃんは宿敵のはずだ。
「世界樹様が、私達に命じられたのです。『何があっても凉子様の側を離れるな』と。凉子様をお守りするために」
「世界樹様のご命令は絶対……ですから」
「……心配じゃないの? 命令されたからって、一人で行かせるなんて……」
常に一緒にいたのに、それは白状では無いのだろうか。
「心配に決まっています。それでも私達の魂と体は、世界樹様に喚起していただいた物であり、あの方の所有物。『言うことを聞かないなら、元の世界に返しちゃうぞー』と世界樹様に仰られれば、抗えません。だから――」
ラタトスクちゃんが、ベッドからのそのそと出ていった。
フレスベルグさんが、私の足下へと移動する。
二人は並んで、業の深い視線で私を見据えた。
「――だから我々は、凉子様のお目覚めを待っていたのですよ」
「リョーコ様が動けば……リョーコ様が命じることに従うことは、世界樹様に禁じられていない……です。リョーコ様の命令なら、世界樹様も従う……でしょう」
「私が動くって……私は、毒でやられて体が……」
「だから、お願いするしかない……です」
フレスベルグちゃんは、苦渋に汗を滲ませて、唇を強く噛んでいる。
侍従でありながら、宿敵を相手にしながら、待機を命じられた彼女の心が、痛んでくすぶり軋んでいる。
二人は、膝をついて私の前にかしずいた。
「どうか」
「ご命令を」
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