第8話 コンプラ違反
その日は休み時間も授業中も、笛吹くんのことが気になって仕方なかった。
気になるのに、こちらから近づきはしない。
彼の席は私より後ろなので、ずっと視線を感じて精神的に疲れるだけ。
自意識過剰になっているんだろう、と思ってそっと振り返ると、必ず笛吹くんは私を見ていた。
こんな体になってしまった私を。
何度も何度も目が合うのに、私達は結局最後の授業が終わるまで一言も口を利かなかった。
いや、本当は休み時間の度に向こうが話しかけてきそうな気配を感じていたんだけど、私がつい避けて女子トイレやらに逃げ込んでしまっていた。
自分でもどうしてここまで避けてしまうのか、分からない。
無言で踵を返す笛吹くんをトイレのドアの隙間から覗き見ながら、私はズキズキと痛む胸を抑えて深呼吸する。
幸いだったのは、胸が痛む間は女の子達を見て、余計なアレが反応しなくなったことだ。
放課後、私は教室掃除当番の由里に謝り、さっさと帰宅することにした。
黙って教室に残りでもしたら、彼に話しかけられてしまうかもしれない。
そうなったら一環の終わり……何が終わるんだか。
逃げずに向き合って話せばいいじゃないか、と心の中の誰かが告げてくる。
でも無理だ。そんな余裕は無い。
嫌っているわけじゃないのに、怖い。
カバンを抱えて、前だけを見て廊下を真っ直ぐに疾走する。
昇降口で靴を履きかえて、誰とも視線を交わさずに校門を出る。
よし、イベント回避。
「おーリョーコ、待っていたぞ!」
回避できてなかった。
正規ルートのラスボスが、私の前に立ちはだかった。
「せかいじゅさん! なんで学校にいるの!?」
「あー、この子、ひょっとしてリョーコの店のバイトさん?」
上機嫌に跳ねる声が、背後から近づいてきた。
ついさっき別れたはずの由里だった。
「由里?! 掃除当番はどうしたのよ!」
「あ~、あんなの男子に押しつけてやったし。こういうときに使ってやらないと駄目になるし、あいつら」
「駄目になってるのはお前だし」
ろくな死に方をしないと思う。
「む。お前はリョーコの友人だな……?」
「そうだよ~」
せかいじゅさんはハンターの目つきで由里を睨み、由里は偏愛の眼差しでせかいじゅさんを見下ろす。
「お前はアレか! リョーコと友情を越えた心情を交わしているんじゃないだろうな!」
「せかいじゅさんでかい、声がでかい!」
校門から校舎まで、せかいじゅさんの芝居がかった台詞が鳴り響いた。
言うな、名前を言うな。
そして訳の分からん詰問をするな。
「なははー! リョーコ、この子変わってて可愛いじゃん! せかいじゅさんってそれ、あだ名? 本名は教えてくんないの?」
由里は口角上がりっぱなしのでれんでれん顔で、せかいじゅさんの顔の高さまで腰を落とした。
子どもや野生動物は、視線の高さが同じ相手には心を許しやすい。
「私は世界樹、大いなるトネリコ、ユグドラシル。偽りの名前など持たない!」
せかいじゅさんは背伸びをしながら、声高々に叫んだ。
私の方が焦慮で冷や汗が吹き出してくる。
「あっさり自分の正体バラしちゃっていいの……?」
「ふん、こんなところに『奴ら』がいるとは思えんし、いいのだ」
腕組みをして偉そうにふんぞり返るせかいじゅさん。
「うんうん、じゃあせっちゃんね。ぬふー可愛い可愛い」
おばちゃん達と同じ発想でせかいじゅさんの愛称を決めた由里は、自分を睨みつけるせかいじゅさんの頭を愛しそうになでなでする。
頬ずりもする。
さすがのせかいじゅさんも面食らって、されるがままだ。
「リョーコ、こいつ私に惚れてしまったようだが。私の裁量で侍従にしてやるべきか?」
「人の友達を勝手に奴隷にしないで……って、せかいじゅさん、フレスベルグさんとラタトスクちゃんは?」
見たところ、近くにはせかいじゅさん一人しかいない。
いや三人一緒に来られたら、目立つどころじゃ済まないけども。
せかいじゅさんは、「あーん」と寂しがる由里の手から逃れて、私の傍らに寄ってきた。
しっかりと私の袖を握られて、離してくれない。
「あの二人には店番を任せてある。心配するな、ナンバー1の私がおらずとも、あの二人なら売り上げを落としたりしない」
「何のナンバー1よ……店はいいけどさ、一応あの二人はボディガードみたいなもんでしょうが。一人で勝手にほいほい町中に出てきちゃっていいわけ?」
「はっ」
「鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔するな! やっぱり何も考えず店抜けて来たのね、もう少し後先考えて行動しなさい!」
私の剣幕に、たちまちせかいじゅさんは身を縮める。
「ひああ……ごめんなさいもうしません」
その姿に由里はまたしても胸を射抜かれてしまったようだ。
ズキュゥゥンと絶叫ながら腕を延ばしてくる。
吸血鬼かお前は。
「いいなあリョーコ。私妹もいないから、ちっちゃい子に懐かれてみたいんだよねえ」
「ちっちゃい言うな! 肉体年齢設定は、ほとんどお前達と変わらないのだぞ!」
逃げまどいながら吠えるせかいじゅさん。
服を着ていると分かりにくいけど、そこそこ胸は膨らんでいたせかいじゅさん。
抱きつかれるとぷにぷにと腕に当たってこれがまた。
――また余計な感触を思い出してしまった畜生。
「とにかく学校にまで来られるとこっちも説明が面倒なのよ、せかいじゅさん」
熾烈な接戦を繰り広げる由里とせかいじゅさんが、ぴたりと止まって私を睨んだ。
「な、なぜだリョーコ!」
「そうよ、なぜよリョーコ!」
由里まで乗ってきた。面倒臭い。
「恥ずかしいんだっつの。学業ぐらい、大人しく集中させてよ!」
一人でも集中出来てないけども。
「む、迎えに来るぐらい良いじゃないかー! 私はリョーコの伴侶となる者なのだから当然だろう!」
「な……!」
「伴侶っ!?」
絶句する私を横目に、由里が絶妙なタイミングで突っ込んだ。
「は、は、伴侶って何よ! そんな話聞いてないわよ!」
ただ居候するのが目的じゃなかったのか。
「伴侶、ともなう者、連れ。配偶者。居住を共にする婚姻の相手型のことを言う。女性の場合は妻、家内、女房、カミさん、奥さん、嫁さんなどの呼称が存在する」
すらすらと冗長なせかいじゅさん。
「そーいう解説をしろってことじゃない!」
カバンの端っこで小突いてやった。
「いでー! なんか金具の固いところ当たったー!」
喚きちらしながら、せかいじゅさんは飛び跳ねる。
しまった余計に目立つ。
「リョーコ、あんた……どういう育て方してんのよ。女の子が女の子の嫁さんってあんた……嫌いじゃないけどあんた……」
由里が顔を顰めて、冷えきった目で私から距離を取っていた。
「由里ー、違うんだって……せかいじゅさんが勝手に言ってるだけで、私は普通の――」
そこで私は口をつぐんでしまう。
普通じゃなかったんだった。
親友にドキドキしてしまうぐらいに、今の私の体はおかしいのだった。
懊悩しながら俯く私を、由里は怪訝な目で見つめている。
「私はなー!」
いきなりせかいじゅさんが気合いの入った大声で叫んで、強ばった空気が壊れた。
「私はなー! リョーコの赤子を成すと決めたのだ! 何人でも生むのだ! 誰にもリョーコは渡さないからな!」
からなー。からなー。からなー。
山の向こうにまで、せかいじゅさんの声が木霊した。
校舎の窓から、たくさんの生徒がぽかんと口を開けてこちらを見ている。
血液が顔に集まってきて、足がぷるぷる震えた。
恥辱なのか興奮なのか分からない感情がオーバーヒートして、全身から火が噴き出そう。
「あ、赤子……」
由里も言葉を失って、唇をひきつらせている。
女の子同士で、冗談でも言う言葉では無い。
赤ちゃんって。何人もって。
仕事に就くイメージもわかない私が、子どもを作るって。
彼氏もいないのに。出来たことも無いのに。
コンプラだけが破られる。
「リョーコ……この子、すごく可愛いけど、すごく変」
腕組みしたままのせかいじゅさんを見下ろしながら、由里はほざいた。
今ごろになって気づいたか親友。
私はその子に未来を握られてしまったんだぞ。
「ふん、変でも私は実行すると決めたのだ。リョーコ、だからすぐにでもお前の子種を」
「わー!」
叫んで遮る。
人目がやばいけど、私に生えているアレのことをばらされちゃまずい。
子種って。変な想像しちゃうじゃないか反応しちゃうじゃないか。
私はぐっちゃぐちゃのイマジネーションをを振りきって、せかいじゅさんの手を握った。
「もういい、もういいから! せかいじゅさん、一緒に帰ろうね、うん! 由里、また明日ね! この子のこと言いふらさないでね! 親友だからね、信じてるからね!」
「え? ああ、う、うん」
必死に唾を吐く私の形相に気圧されながら、由里が何度も頷く。
うわ信憑性無い。
「と、とりあえず、じゃあ!」
振り返らずに私は
「ではなー」
と由里に手を振るせかいじゅさんを連れて、瞬時にトップスピードに達した。
私は何から逃げているんだろう、と自問しながら。
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