第7話 体育の時間

 私の学校は高台の上にあって、心臓破りの坂道を登って校舎にたどり着くのはちょっとした重労働である。

 その上最寄りの駅からは歩いて十五分ほどかかる。道中コンビニは一件も無く、ひなびた土の匂いがする田圃や家が延々と視界を埋める。


 ひ弱な同級生達からは非難轟々なこの立地も、登校するだけで足腰が鍛えられると運動部には評判――との噂だ。進学校で運動部の評判ばかり集めても、意味が無いと思うけど。


 私はというと、歩くのは嫌いでは無いので、特に苦ではない。


 家の近所のケヤキ並木もそうだけど、季節に沿って姿を変える道を眺めながら、ぼんやり一人で登校するのは結構楽しい。夕陽に染まった道中も好きだけど、下校中は大抵由里が着いてくるので景色に集中出来ない。


 少しだけ早めに家を出た、人の少ない朝こそが私の黄金時間だ。誰より早く教室に到着して、冷たい空気に肌をひりつかせながら一心地するのも良い。


 ……落ち着いていられるのも、生徒が一揃いするまでだけれど。


 あんなモノが生えてしまってから、学校生活もままならない。体育の時間、更衣室で着替えるのも大いなる試練と化している。スカートを駆使し、上手くアレを隠しながら上下ジャージに着替える。そこまではいい。ハーフパンツでも無ければ上手く収納出来る。


 問題は周囲の女子達だ。当然のことながら更衣室には女子しかいないわけで、相手が女子ならばあけっぴろげにもなるわけで。下着丸出しの子もいて。


 ――反応しちゃうのだ。


 心だけは女の子であろうと思っても、肉体の方に引っ張られてしまって、私の一部は膨張しやがるのだ。

 見てしまうからいけない。そう思って顔を背けながら着替えようとしても、今度は女の子同士の忌憚の無い会話が気になって仕方なくなる。


「あーその下着かわいー」


「あんた胸大きくなった?」


 みたいな無邪気なやつが、四方八方から聞こえてくる。汗ばんだ女の子の匂いもする。下手に間近に見るよりイマジネーションを刺激されて、脳内麻薬がいっぱい分泌される。


 ときめきすぎて生き地獄だった。


 普通に無難に会話出来ていたクラスメイトを、男性的な視線で見ている自分を自覚するのは何より惨い拷問だ。初恋をしている自分にある日いきなり気づいてしまう感覚と、ちょっと似ている。


 困ったことに、今日は授業の一コマめが体育。


 更衣室で無心を得ようとする一人の女子高生の姿が、そこにあった。着替え終わるまでの時間が非常に長くなってしまう。


 ――元々は女の子だっていうのに、女の子ばっかり見ている私にも問題があるのかも。


 そう思いたって、私はクラスの男子に注意を向けてみることにした。

 体育館でクラスの女子達とバレーに興じる合間に、外のグラウンドを見る。


 男子達は、二チームに分かれてサッカーをしていた。ここから見ても分かるぐらいみんな汗だく。ただの授業でしょーがと冷笑したくなるぐらいに、怒声や怒号が響いている。肉体年齢に精神年齢が追いついていない。


「もーちょっと洗練されてくれればねえ」


 つい口に出しながら、私は反応しない自分の胸に手を置いてみた。

 ちっともときめかない。駆け回る男子も可愛くはあるし、世間一般にはイケメンという評価がつくっぽい男子もクラスにはいる。けど、反応しないものはしない。


 私は男子に魅力を感じない女の子だったのか。

 それとも、元から女子にしか魅力を感じない男の娘だったのか。


 ……どっちも嫌だ。


 私普通の感覚を持っていたなのに。戻ってこいニュートラル。


「珍し~、リョーコが男子見つめてる~」


 ぼんやりしていたところに、由里が後ろから抱きついてきた。


「わっひゃ!?」


「何、その変な声」


 愉快そうに笑う由里。私の方は洒落になっていない。


 豊満で、それでいて均整の取れた由里の体が、背中にぴったり密着する。伝わってくる体温が、私の全身の血流をみなぎらせる。


「い、いきなりくっつくんじゃないの!」


「え~、これぐらいフツーのスキンシップじゃん――わ、リョーコ顔真っ赤だよ」


 体を離しながら、由里は口を尖らせる。


「いや、その……ごめん。考え事してたから」


 申し訳なくて涙が出そう。


「最近のリョーコ挙動不審だったから。こっちも心配してたんだからね?」


「う……気づいてたのね……本当にごめん」


 申し訳無さ、さらに倍。クラスメイトを男女双方の視点で値踏みしている自分に、猛烈な嫌悪感を抱いた。


「いいって。リョーコだって乙女で人間だもんね~。気になるんでしょ、彼のこと?」


 一瞬、乙女という言葉が引っかかってしまう。


「彼って?」


「え、だってあいつ……リョーコの幼なじみなんじゃなかったっけ?」 


 由里が怪訝そうに、グラウンドを指さした。

 目で追う。ジャージ姿で全力疾走する男子なんてみんな洗っていないゴボウのようなものなので、見分けがつかない。


 けど、『幼なじみ』というありがちなキーワードから私が思い出せる男子なんて、たった一人だけだ。


「笛吹くん……?」


 たった一人の姿が、そこにあった。


 黒いフレームの眼鏡をかけて、撥ねた髪は寝癖と見分けがつかない無造作ヘア。遠くを見ているような涼しげな瞳。丸かった背筋はすらりと日に向かって伸びていて、健康的。


 せっかく同じクラスになったのに、学校に出てきていなかった、彼。

 唯一の親友だった男の子、引きこもり笛吹春くんが、元気にボールを追いかけていた。


 なんて楽しそうなんだろう。じめっとして悶々としている私とは大違いだ。


「リョーコ、まさか気づいてなかったの? 今朝、いきなり登校してきたんじゃん、彼」


「そ、そうだっけ……」


 私は全く気づいていなかった。誰より早く学校に来ていながら、笛吹くんが来ていたことに気が回らなかったなんて。

 どんだけ女の子ばっかり見ていたんだ、私。


「昔は仲良かったってリョーコも言ってたでしょ。そりゃ気になるだろうなーって思ったんだけど」


「うん……今気になった」


 言われなければ、ずっと気づかなかったかもしれない。本当に私は薄情な人間だ。

 何重にも自己嫌悪が重なって、潰れてしまいそう。


「笛吹くんのことほとんど知らないけど、あんなに体動かせるなんて、引きこもってたとは思えないよね」


 由里の言う通り、笛吹くんの機敏なドリブルはクラスの誰よりもスピーディだった。

 でも、私は知っている。


「笛吹くん、昔からスポーツは得意だったよ。足だって早いし、何やらせてもかっこ良かったもん」


 自然と私の脳裏に、泥んこまみれになるまで一緒に遊んだ彼の姿が浮かんでくる。

 オタクといじめられても、果敢に立ち向かった彼。

 逃げ足だって早かった彼。


「へ~。やっぱ幼なじみっていいね」


 意地悪そうに、由里が横目で私を見ながら肘でつついてくる。


「……そんなんじゃないよ」


 そんなんじゃないけど、どういう関係かと言われても答えにくい。ずっと喋ってもいない相手のことを、訳知り顔で語るのは反則だ。


 なんで急に昔の笛吹くんに戻ったんだろう。


 じっと眺めていたら、ボールをクラスメイトにパスしてゴールを譲った笛吹くんが、踵で土を削りながら立ち止まった。


 ――笛吹くんも、こちらをじっと見ていた。


 その爽やかすぎる笑顔は、私の知る昔の笛吹くんの表情パターンにも無かった。


「わ! 彼、リョーコのこと見てるんじゃない?」


「そんなわけないって」


 由里に苦笑を返して、周りを見る。男子の方を見ている女子は私達だけだ。


 その上でもう一度、笛吹くんを見る。

 笛吹くんは、私と視線を会わせながら、大きく手を振っていた。


「……!」


 胸が急に痛くなった。


 私はまた、彼と会話出来るんだろうか。辿るべき縁の糸が見えない。

 振り返そうとして上げかけた手を、私は下げてしまった。

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