第6話 ともだち

 そんなこんなの波瀾万丈な日々を、私は抜粋しつつお父さんに話す。


「やっぱり楽しそうじゃないか」


 咳き込みながら、お父さんは鷹揚な背中を見せて笑った。


「全然楽しくなんか無いよ! 自分の家なのに自分の家じゃない感じ。手伝わなくていいのは助かるけどさ、このままじゃ乗っ取られちゃうよ、うちの店」


「それならそれでいいかもしれないな。リョーコだって店を継ぐ気なんて無いだろう?」


 ぐさりと突き刺さることを、平板な調子でお父さんは言ってのけた。


「それは……」


 次の句が出ない。言い返せない。

 確かに花屋は好きだけど、私はお父さんのように店を切り盛りする気にはなれない。


 将来就きたい仕事なんて一つも無いけれど、漠然とやりたいことはたくさんある。大学にでも入って、のんびりどうでもいい時間を過ごして、自分に適性のある仕事を適当に選びたい。就職氷河期のこの時代、そんな生温い考え方では生き残れないかもしれないけど、将来働いている自分のヴィジョンが浮かばない。


 その点では労働を最大限に楽しんでいるせかいじゅさん達の方が、人としてマシかもしれない。あっちが人間だったらの話だけど。


「……お父さんが元気になって、またちゃんとお店に出てくれたらいいよ」


 私は視線を逸らしながら、話題を逸らす。


「そうだなあ。早く店先に立ちたいよ」


 目を細めたお父さんの横顔は、どこか憂いを帯びている。

 お父さんの病気は完治させるのは難しい類のものだと、主治医にも告げられている。


 お父さんも、その事実をちゃんと受け止めている。日に日にお父さんの体力が落ちてきていることも、私達親子は分かりきっている。それぐらい大変な病気だと言うことも。


 それでも私達親子は、砂漠から一匙掬えるかどうかの希望を模索している。

 何故かせかいじゅさん達に頼る、という選択肢は私には無かった。あの蘭を生まれ変わらせたように、お願いすれば人の命もせかいじゅさんは繋ぎ止めてくれるのかもしれない。


 でもそれは、私の好きなお父さんを助ける手段としては、相応しくないような気がした。


「体が動いて働けるってことは、それだけでいいことだぞ、リョーコ」


 窓の外を眺めながら、お父さんは囁いた。

 茫洋な視線を追うと、雄大な世界樹の幹が泥臭く屹立していた。


      *


 真円の灯りに照らされて佇む、この若人の集うヴァルハラに似た宮殿は、物言わぬ影を広大な庭に落としていた。 

 遙か遠くの空には巨大な世界樹の幹と、地平線の先にまで伸ばされた枝葉が見える。

 この場所の屋上は、町の中では最も世界樹の姿を認めやすい。昼は落ち着けないが、今は静穏に世界を見渡せる。何もせず世界樹を眺めていると、不安や期待が複雑に絡み合った感情が私と、私に重なる幾重もの魂の記憶から押し寄せてくる。


 孤立した波(ソリトン)に乗り制すようなこの感覚も、悪くない。


 ――世界樹の化身が、力を放ってから時が経った。


 その場所を動かない世界樹は、あの少女を本当に気に入っている様子だ。世界を支えるというその役割から離れてまで、その精神の一部を小さな労働に委ねている。


 世界樹。機構。私。あの少女。運命とは。知っていて尚読めない。


 だからこそ。立ちふさがる運命は乗り越えねばならない。

 まずは一手、先手を打たせていただこう。


 私は傍らに置いてあったキャリーバッグのジッパーを開き、小振りなケージを取り出して、その蓋を外した。ペットショップで手に入れてきた幼い毒蛇が、まだ冷たい春の夜風に晒されて身を縮ませている。


 世界樹が見捨てた侍従。その本質に似た毒蛇を見下ろしながら、語りかける。


「世界樹に仕えし者よ、彼方の地より、同調する魂を触媒に、今こそこの地に呼び出さん」


 世界樹に触れた者だけが持つ、世界樹と同じこの力で、私は毒蛇に呼びかける。

 曇天の空に浮かぶ真円よりも目映い七色の光を放ちながら、毒蛇の体が――ぐん、と伸びあがった。

 がらん、とケージが倒れ、毒蛇が外の世界に溢れ出でる。


 光が幾重にも重なり輪郭を失った毒蛇の体に――四肢が生え、凹凸が彫られ、艶やかな黒髪が流れる。どこから現れたのか、装飾過多な闇色のドレスが毒蛇の体を覆っていく。輪郭が固着され、細い瞳の儚げな童顔も露わになる。


 毒蛇はわずか数秒の間に、黒衣の少女に変生した。


「あっふぅー……」


 大きな欠伸をした少女の口元に、異様に長い犬歯が見えた。


「ようこそ、『嘲笑う者』のリンク・アクター」


「んー……あたし、こっち来られたのか」


 眠たそうに周りを気にしている少女は、こちらを全く意に介していない。


「世界樹は君を必要としていない。君を必要としているのは、私だ」


 私が断言すると、少女はぎろりとこちらを睨めつけてきた。


「……あんたが? へえ。あたしを必要とするなんて、どーかしてんじゃないの?」


「ああ、どうかしているさ。私はこの世界に大いなる責任をもたらそうと考えている。そのために必要なことなら、世界樹だって切り倒そう」


「……よく分かんないけど、面白そうだね、あんた。その変なマークは気に入らないけど」


 少女は、私の胸元を見ていた。制服の下に私が着ているシャツの胸には、大きく曼陀羅が染め抜かれている。私が率いる、古から続く『組織』の象徴。


「これは験かつぎのようなものさ。君には強要しない。君にはその牙という属性が元から備わっているからね」


「……ぞくせーねー。どうでもいいけどねー。また世界樹と会えるなら」 


 少女は見た目に似合わぬ、老獪な皺を頬に刻んで。


「きしし」


 奇妙な声で笑った。


      *


 騒々しくて落ち着かない、何度目かの朝。


 空腹を刺激されて、寝癖を確認もせずにぼりぼりと頭をかきながら居間に降りてくると、


「凉子様はマヨネーズとごまドレッシング、どちらになさいますか?」


 豪快にちぎったレタスときゅうりとコーンのサラダを皿に取り分けながら、ラタトスクちゃんが待ち構えていた。


「えーと、私はドレッシングで」


「かしこまりました」


 ラタトスクちゃんは恭しく一礼して、私の取り皿に適量のドレッシングをかけてくれる。


 酸っぱそうな香りに、頭がすっきりしてくる。


「ありがと、ラタトスクちゃん」


「いえいえ。これも私の仕事ですから」


 フレスベルグさんとせかいじゅさんも、すでにテーブルについている。

 テーブルの上は、ラタトスクちゃんが作ってくれたハムエッグ、バターを塗った厚切りトーストも並べられてる。どちらも二人分、こんがりと香ばしい。


 美味しそうな匂いにつられる目覚め、なんていう絵空事みたいなものが、我が家に訪れるなんて思いもしかなった。

 せかいじゅさん達が来てから、我が家の朝食は賑やかの極みだ。元々お父さんと二人きりの食卓は素朴なものだったし、お父さんが入院してからは辻さんが家でご飯を食べてくるので、基本的に食事は一人だった。


 それを辛いと思ったことも無かった。

 今みたいなお嬢様気分は悪くないけど、ご飯を作ってもらうことで諸処の不都合を誤魔化されている気がしないでもない。日々の私のさぼりっぷりとか。


 サラダを取り分けてくれたラタトスクちゃんは、せかいじゅさんの様子を見ながら椅子に座る。執事なら立っておくのが正解だと思うけど、彼女のルールは微妙に緩い。


「立ちっぱなしでは足が疲れるではありませんか。そんなのは効率が悪いです」


 正論を真っ直ぐな目で、尻尾をブンブン振られながら言われると反論出来ない。別に文句も無いから言わない。


 ラタトスクちゃんは料理が得意なのに、自分ではほとんど手をつけない。食事は私が買ってきてあげた、数種類のハムスターフードで充分らしい。たまに茶褐色のジャンガリアンハムスターの姿を取ってポリポリと食べている所を見かけるけど、あの姿はあの姿で実に愛らしい。今度手押し車を買ってあげる予定。


 フレスベルグさんも同様、セキセイインコ用のペットフードで事足りているそうだ。足りないときは銀毛のイヌワシの姿を取って、遠くの山に颯爽と餌を狩りに出かけている。こちらは愛らしいと言うか、雄々しい。こちらには止まり木を買おう。


 食費がかからないことは大助かりだけど、毎回作ってもらっておいてそんな侘びしいものだけ食べられるのも申し訳ない。ちゃんと人間の食べ物も摂取出来るようなので、せかいじゅさんはたまに自分のご飯のおかずを「あーん」と二人に分け与えている。


 ラタトスクちゃんは大口を開けて「あーん」と何でも美味しそうに食べるのだけど、フレスベルグさんは目を瞑って恥ずかしそうに、小さく口を開けて施しを受け取っている。


 その様を見ていると自分でもやってみたくなり、私は何日かに一回、フルーツなどを差し入れで買ってきて二人にあげている。ぱっと晴れやかな表情で苺のパックを抱きしめる二人を見ると心がほだされて、人の親ってこんな感じかもと思う。逆に手懐けられている可能性も否定出来ないけど。


 深く考えるのは止めて、綺麗に焼けたトーストの角に口をつける。ほどよく溶けたバターが舌の上をさらりと流れる。一日を開始する元気が湧いてくる、そんな味。


 フレスベルグさんはテーブルの隅で、自分で煎れた初めての緑茶を湯呑みに注いでいた。

 注意深く、アンモニアの刺激臭を確認するかのように手でお茶の湯気を扇ぎ、香りを確かめて、そっと薄い紫の唇を湯呑みに近づけ、口をつける。


「………………かふっ」 


 濃すぎたのか味に慣れていないのか、フレスベルグさんは顔を背けて咳き込む。クールビューティのささやかな失敗が、私を和ませる。


 一方せかいじゅさんは自分の取り皿に盛られたサラダにどばどばと水道水をかけて、フォークとスプーンで掬って食べている。


「サラダの食べ方とは思えないんだけど……」


 見ているだけで、自分のサラダの味まで薄くなる。


「水気のある野菜に水を加味して、水分を一度にいっぱい摂取するのだ。リョーコも真似をするといい」


 快活にしゃくしゃくと、レタスを咀嚼するせかいじゅさん。


「フツーの人間がそんなことしたらお腹壊すっての」


「リョーコだってもうフツーの人間では無いのだぞ」 


 サクっとハートを抉られた。


「フ……フツーだもん! へ、変なモノは生えてるけど、心はフツーの女の子だもん!」


「それはどうなのでしょうねえ……くふ。肉体と精神は本来同一、ズレがあろうと重なりあい、互いに影響しあいます。やがて体の方に心が引きずられてゆきましょう」 


 ラタトスクちゃんは邪悪な笑みを浮かべながら、ハムスターフードのペレットをポリポリ食べている。


「フツー、だもん………」


 意識して女の子でいようとしないと、私に生えたモノは問答無用で反応してくる。



 昨日だってお風呂上がりのせかいじゅさんが、バスタオル一枚でごろんと畳に横になったのを見たときはやばかった。


「時間がかかっても構わん。自分の変化を受け入れて、辛いことも乗り越えるべきなのだリョーコは」


 楽しそうに楽しくないことを囁きながら、せかいじゅさんはハムエッグを食べ終わった皿をぺろぺろ下品に舐める。


 もういい。先のことを考えていたら頭が変になる。


 私は気分を変えようとテレビをつけた。エンタメ情報や十二星座占いランキングのコーナーがある、朝のニュース番組をやっていた。気を紛らわすにはこういう取るに足らない雑多な番組がいい。これで天秤座が最下位とかだったらテンションガタ落ちだろうけど。


 ぼけっと眺めていると、タレントみたいにルックスが整った女性アナウンサーが奇妙な原稿を読み上げている。


「――全国的に就職率が上がっているというニュースです」


 上がっている? 下がっている、では無くて?


 聞き間違えかな、とテレビのスピーカーに耳を澄ます。


「就職氷河期として新卒の大学生の内定率が下がり続けていた昨今ですが、幾つかの専門職では広く優秀な人材が集まっているとのことです。とある建築業者からは、即戦力としては申し分の無い若者が増えたという喜びの声が……」


 聞き間違えでは無かった。原稿を読み続けるアナウンサーによると、引きこもりから一転、起業して成功しているという青年もいるっぽい。


「あらまあ。この国は経済的にはガタガタと聞いておりましたが、思ったより未来は明るいようですね」


 ラタトスクちゃんが尻尾をふりふり左右に動かしながら、感心していた。


「んー……それはそうだけど……そんなに優秀な奴、クラスにはいないけどなあ」


 政府が画期的な就職対策をした、とかそんな話も聞いていない。なぜ社会レベルで優秀な人間が増えるんだろう。自分で言うのも何だけど、私達の世代はかなりゆとっている。言われなければやらないし、言われても面倒臭い。


 夢も無いのに店を継ぐ気が無い私も、きっと同類。



「リョーコが気づいていないだけで、才覚が溢れている若者がいるのかもしれないぞ!」


「人は本質を隠すもの……ですね」


 トーストを平らげながら叫ぶせかいじゅさんに、ちびちびと緑茶を飲み続けながらフレスベルグさんも同意する。


「本質を隠す、引きこもりかあ……」


 呟いた私は、一人の男子を思い出した。


 笛吹 春(うすい はる)。


 私のたった一人の、男友達だったクラスメイト。


 もうずっと会話を交わしていないけれど、私が唯一大切にしたいと思っていた濃い『縁』を持っていてくれた彼。中学生のとき、クラスの誰も遊びに行かない彼の家に遊びに行った私は、彼の話す夢に心奪われたものだった。


 笛吹くんの夢は、小説家だった。何度か読ませてもらった、大学ノートに手書きで書かれたキャラクター中心の小説は、お世辞にも上手な出来とは言えなかった。キャラクターが物語の道具として扱われるだけの人形みたいで、生きているようには見えなかった。


 本人もそれを自覚していて、「書くべき話が思いつかない」なんて笑っていた。自分の欠点をちゃんと受け入れて、それでも人に見せられる彼を、私は素直に尊敬した。


 彼の困ったような笑顔を見ていると「ずっと側で応援してあげよう」なんて柄にも無いことも思えた。

 そんな夜店の綿飴のようにべたべたした友達関係も、中学生までの話。


 同じ高校に入って偶然同じクラスにまで入れたというのに、入学以来、彼はほとんど学校に出てきていない。彼の母親の話によれば、ろくに外にも出ない引きこもりの状態が続いているという。


 周りに合わせて自分を偽ることに長けてしまった私と違って、彼は自分を大切にしすぎてしまった。進学校で自分の夢を語り続けるのは難しい。結果が伴わなければ、自分を潰すだけになる。


 人の理由に踏み込みたくなかった私は、彼を学校に誘うこともしなかった。

 ちょっと薄情だったかもしれない、と今は思う。


 ――久しぶりに話をしてもいいかな。


「でも、こんな体じゃね……」 


 自分の下半身を見つめて、私は嘆息する。今さら会って、以前のように――あるいは以前より仲良くなれるとは思わない。どうでもいいと思われているかもしれない。


 それでも彼は親友だった。そのうち体が元に戻ったら、会いに行ってみよう。


「リョーコ、何を一人でにやにやしているのだ」


「わ!?」


 せかいじゅさんが目の前に立って、私の顔を覗き込んでいた。


「思い出に浸っていたか? 悪くは無いがな、過去に浸りすぎて未来を見ないととんでもないことになるぞ。せかいじゅたる私からの進言だ」


「わ、分かったから、座ってなさい……」


 女の子が目の前にいるだけで恥ずかしい。


 こんな変な幼なじみ、疎まれても仕方ないだろう。

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