第5話 体が動いて働けるってことはそれだけでいいことだぞ
病室の窓から見上げる正午過ぎの空は、高く澄み渡っていてミントの匂いがする。
まばらな雲は独立して互いに触れることなく、干渉しあわずに稜線を保つ。
隣に誰がいても心は一人でいられる、それが私の理想の人間関係だ。
絡み合う因果なんてものは、私の周囲から消えてなくなれ。
運命の赤い糸なんてものは、片っ端から切断してやりたい。
あの日、ケヤキ並木に埋まってる女の子さえ拾わなければ。いつもは出さない余計なお節介など出さなければ、私にこんな余計なモノが生えることなんて無かったのに。
どーすんだこれ。
この醜くて貧弱な棒状のモノを、私は日々の生活で持て余していた。生理的な反応を含めて、トイレでの扱いにも困る。
どこを持てばいいのか、とかさ。
いっそ鋏でちょん切ってしまおうかとも考えたけど、そんなセルフ阿部定チックな行動を取ったところで長期入院させられるだけのような気がするので止めた。
このまま放っておけば、私の体は完全に男性化してしまうらしい。
とんだ悪夢だ。
私をこんな体にしておきながら、せかいじゅさん達は私の世界に溶けこもうとしている。とんだ日常だ。
「どう思うよ、お父さん?」
病室のベッドに横たわるお父さんに、私は訊く。
今日は週三回のお見舞い日。
洗濯してきたお父さんの下着を丁寧に畳む私の声音は、きっとトゲだらけだろう。
「どうって、リョーコの好きにすればいいよ」
個室なので会話に気を遣う必要は無いけど、家に世界樹の化身とその侍従が来て、自分に余計なモノが生えたことは伏せてある。
ちょっとした縁で居候とお金があんまりかからないペットが増えた、という説明をしたら父はむしろ喜んでしまった。
「娘に寂しい思いをさせておいて、無責任すぎない? 退屈は嫌いじゃないけどさ」
「別にいいじゃないか。その子は店の手伝いもしてくれてるんだろ? それに、リョーコの表情がそんなに変わるのは久しぶりだよ。話を聞いているだけで楽しくなる」
暢気にお父さんは笑う。そんなことで喜ばれても私は嬉しくない。
それに一つとしてポジティブな表情はしていないはずだ。していないと思う。
賑やかな家庭を夢見ていたお父さんには申し訳ないけど、私のベストスタンスはあくまでもニュートラル・ニュートラルなのだ。
「ころころ変わりたくもなるよ。本当にめっちゃくちゃなんだもん、あいつら」
今、せかいじゅさん達は進んで花屋の手伝いを始めている。
居候の身としては恩義を図って働くのは当然だろうけど、せかいじゅさん達は恩義のために働いてくれているわけではない。働くのが楽しいのだ。
我が家に住み着いたその翌日、せかいじゅさんは唐突に店員用のエプロンを身につけて店頭に立った。エプロンの下には、私があげたお古の白いパーカーワンピ。フードと袖にリボンをあしらい、フロントにはレースフリルという少女仕様。たまには甘々な女の子になってみるかという気の迷いで買ってはみたものの、一度も着ていなかったやつ。
これがせかいじゅさんの小柄な体には実に良く似合って、その上にエプロンを重ねるとまたどうしてたまらない。
「これが地に足をつけて働くということなのだな! リョーコ、私に出来ることがあったらどんどん言ってくれ!」
鼻息荒く声高らかに、せかいじゅさんはモチベーションを上げる。
調子が狂う。人の体を作り替えて脅してまでやりたいことが、仕事なのだから。
今まで人の姿を取ったことが無かったせかいじゅさんにとって、働くという行為を始めとしたこの世界の日常は、何もかもが新鮮であるらしい。
「どんな『視界』を以てしても、この手で触れる『感触』の刺激にはかなうまいよリョーコ。全てを知っているということは全てに触れているということでもあるのだ」
せかいじゅさんがふんぞり返れば、
「さすが世界樹様。この卑小な栗鼠めもそう思います」
「ワシだって狩りの際は、危険を伴って地上付近に降りてくる……です」
ラタトスクちゃんとフレスベルグさんも深く考えず同意した。
自立しろ、君達。
他人に意思を委ねるのは良くないぞ。
「お店の迷惑になることだけはしないでよ……」
私はげんなりしながら忠告したのだけど、困ったことにせかいじゅさんの仕事ぶりは大評判だった。
ニキビ跡が目立つ男子高校生がもじもじしながらやってきて、
「好きな女の子にプレゼントしたいんだけど……」
と訊けば、
「それならアイリスなどはどうだろう。『貴方を大切にする』という花言葉を持つ花だ、お前にその覚悟があるなら、ぴったりだぞ!」
せかいじゅさんが尊大に助言する。
運気を向上させたいという信心深い中年のご婦人が、
「縁起のいい黄色い花は無いかしら」
と訊けば、
「それは黄梅が適任だな。風水を生み出した中国では、吉兆をもたらす植物として尊ばれた花だ! まだ他の花が咲かない時期から咲くために『迎春花』とも呼ばれているぞ!」
せかいじゅさんが豪快に断言する。
小学生の女の子がぱんぱんの小銭入れを首から下げて、
「入院してるおばあちゃんのお見舞いにお花をあげたいの」
と訊けば、
「それならオーソドックスに向日葵はどうだ? 太陽を象徴する健康的な植物だからな。縁起を担ぐこの国では鉢植えや散りやすい花、血を連想させる真っ赤な花や菊などは疎まれるだろうから、気をつけなきゃなー。おまけにこのレモン色のカーネーションを一輪つけてやるからな!」
せかいじゅさんが快彩に進言する。
いや勝手におまけをつけるなよと言いたい所だけど、私も家族が入院している女の子に感情移入してしまって、苦言を呈することが出来なかった。
「ではなー!」
女の子に手を振るあの小さな笑顔には、神様も勝てまい。
花屋に訪れた誰もが満足そうな顔で帰っていって、ついでにリピーターになった。
せかいじゅさんは自分が植物なだけあって、花や植物に関する知識は雇われ店長の辻さん以上だった。その口調の子どもっぽさに難色を示す人もいるけど、おおらかな商店街の住民のほとんどが、せかいじゅさんのはつらつオーバーリアクションを気に入っていた。
おばちゃんおじちゃん達には「せっちゃん」と呼ばれていて、本人も満更でも無さそう。
「また来い、いくらでも相手になってやるぞ!」
名のある格闘家のような口上でぴょんぴょん飛び跳ねるせかいじゅさんに、年寄りはデレデレだ。
また、ラタトスクちゃんとフレスベルグさんも自分から店の手伝いを申し出てくれて、こちらもお客さんに大人気だった。燕尾服のラタトスクちゃんはせかいじゅさんとは対照的に、落ち着いた物腰でお客さんに接する。
「お帰りなさいませ我が君――貴方に似合う花を、この小動物めが共に選んでさしあげましょう」
と日本人離れしたルックスで囁かれれば、そりゃもう若い子達は、特殊な感性が発達してもおかしくはない。
男の子はもちろん、コスプレ男装花屋と勘違いした一部女性の常連客まで増えてしまった。向日葵の種をこっそり懐に入れていたときは、思わず後頭部にフライングニードロップをかましてしまったけど。
着物姿のフレスベルグさんは言葉も少なく愛想だって無いのに、その立ち居振る舞いに艶があって大変よろしいということで近所のお父さん達を常連に変えてしまった。
「演歌歌手の香澄サユリちゃんに似ているねぇ」
とは、三軒隣にある三石酒店のご主人の弁である。
知らない名前なので真偽は不明。
フレスベルグさん自身も演歌なんて興味が無い。和服を好んでいるのは、単に日本に関する情報が偏っていただけっぽい。
店頭に花を並べるフレスベルグさんに、しつこくお酌を頼むおっさんもいた。熱燗を花屋に持ってくるなって話だ。
ああ見えてプライドが高いフレスベルグさんは、調子に乗ったおっさんに、
「百年早い……です」
と決してお客さんに言ってはいけない言葉を返すのだけど、そのクールビューティっぷりが新鮮とのことで、不自然なまでに高価な花が売れてしまう。
何だかなあと思う。
何より悔しいのが、そんなせかいじゅさんやラタトスクちゃんやフレスベルグさんを、たまらなく可愛いと思ってしまう自分自身の反応だ。
あんなモノが生えてから、性別を超越して感性が鋭くなってしまい、同性だったはずの彼女達を見ていても胸の鼓動が高まってしまう。ズキズキする。ポカポカする。
そういう状態での同居生活を想像してほしい。真横で眠るせかいじゅさんの寝息にいちいち反応してしまう私を許してほしい。
だってあいつったら寝相がとんでもなく悪くて、一晩に一回は毛布を蹴飛ばして細い足をさらけ出すのだ。
「お、大人しく寝なさいよ馬鹿……!」
といった感じで、私はよだれを垂らして爆睡しているせかいじゅさんの素肌を見ないようにして、毛布を掛けなおしてやっている。
こんなやりとりが毎日続けば、例えば男子中学生だったらどうなるか。
気が安まると言うならその人は聖人だ。
今の私を一番理解してくれているのは、きっと雇われ店員の辻さんだろうと思う。
せかいじゅさん達が放つポテンシャルのせいで、店内での辻さんの存在感は希薄を通り越して皆無となってしまった。
地味な事務仕事に従事している辻さん、冴えない受難の辻さん、貴方は決して悪くありません。
世界樹の化身などという常識外のこいつが悪いのです。
お給料はきちんとお支払いしますのでまだ辞めないでください。
一般人は貴重なんですお願いします。
困ったことに、私の花屋は、盛況です。
困ったことに、私の体はそのままです。
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