第4話 ラタトスクとフレスベルグ

 せかいじゅさんを名乗る電波少女を追い出してから数時間後。

 お店は辻さんにすっかり任せてしまって、私は二階の自分の部屋で宿題を済ませることにした。


 由里と食べたモンブランが結構重くて、夕飯時だけどまだ食欲が無い。後でレトルトカレーでも食べよう。辻さんは閉店してから自分の家で食べるだろうし、食事の用意をする必要は無い。お父さんがいたらそれなりのものを用意してあげただろうけど、食べさせる相手もいないのに、料理に時間なんて割いていられないのだ。


 お母さんさえいたら。


 たまにそう思ってしまってしまうけど、そんな甘くて不要な考えはすぐに頭の中から追いやる。あの人はお母さんでも何でもない。


 お父さんとの夢だった花屋と私を捨ててお母さんが出て行ったのが、私が十歳のとき。今はどこにいるのかも分からないし、探したことも無い。捨てられたことはムカつくけど、ムカついて悲しい程度の日常なら何とか耐えられた。


 きつかったのは、父方の親戚の態度だった。


 元々お父さんは家業を継ぐはずだったらしいのだが、祖父母の反対を押し切ってお母さんと結婚し、花屋を始めた。祖父母とお父さんは、顔を会わせる度に口汚く罵りあっていたらしい。それでも私が生まれたことで関係も良好になったそうだけど、お母さんが出て行ったことで結局元サヤ。遊び好きのお母さんは、けれども家族ごっこは嫌いだったのだ。


 以来、お父さんの人生を狂わせたろくでもない女の娘として、私は親戚と顔を付き合わせるごとに陰口を叩かれる羽目になった。年齢の近い従兄弟や親戚の中で自分だけが無視されるというのは、それはもう、情操教育によろしくない。親戚付き合いなんて封建的な慣習は全くろくなもんじゃない、と私は十歳で悟った。


 私が何をした。私は生まれただけだ。


 気ままなお母さんが生み出した因縁に絡め取られる子ども時代をやり過ごすのが、どれだけ大変だったか、いつか自伝か私小説かカクヨムにでも書き残してやろうかとも思ったけど、まあ面倒臭いのでやらない。全然楽しくないし。


 そんな楽しくない思い出に浸り、シャーペンの筆圧を強めながら化学の宿題を進めていくと、店先の玄関をガンガンと叩く音が響いてきた。


 やかましい。辻さんも帰ったし、とっくに店は閉めている。


 私はサービス精神なんて欠片も無いので、店閉まい後に商売なんてしてやらないのだ。


 そう思って無視していたのに、音は止まない。それどころかどんどん強くなって、家の中どころか家の周辺に響きわたっている。近所迷惑だし、お父さんがいない間に、妙な噂を流されたらたまったもんじゃない。


 ゼフィランサスだろうがサイサリスだろうがデンドロビウムだろうがガーベラだろうが、さっさと売って追い払おう。


 私は苛立ち紛れにストレッチをしながら二階から下りて、店先の照明を点けた。


 そして鍵のかかった店の扉を開けて、すぐに後悔した。


「お初にお目文字致します、半野木涼子様でいらっしゃいますね」


 こちらが息をつく間も無く、目の前の少女は告げた。


 仄かに赤い短めのボブカットがおかっぱに近い、前髪ぱっつんの少女。目はくりくりと大きくてピンクがかっており、純度の高いルビーみたいだった。背はせかいじゅさんより少し大きい程度。


 高校生ぐらいに見えるけど、その服装は商店街を歩くにしては異様すぎる。少女は、臙脂色の燕尾服を着ていたのだ。執事が定着していないこの日本の田舎では、コスプレでしか見たことが無い。生でコスプレ見たことないけども。


 少女が片足を上げて私に向かって一礼しながら、あどけない笑顔ではにかんだ。趣味的にはすごく「ちゃん」付けで呼びたくなる。


「な……」


 何よあんた、と訊く前に私は、その隣にぼうっと突っ立っている長身女性の姿に気づいて言葉を飲み込んだ。


 少女のインパクトが強すぎた上に、そっちは身動き一つしないので存在を察せられなかった。


 女性は流麗に長い銀髪を、後ろで括って纏めている。白目が細い瞳は、淡い色の真珠っぽい。落ち着いて見えるのでかなり年上に見えるけど、小皺一つ無いのでもっと若いかもしれない。頬も首筋も青白く、背は高いのに柳のように儚い。


 おかっぱの少女ほどでは無いけど、こちらの女性も服装が商店街からは浮いている。


 銀髪に併せているのか、銀色に染め抜いた着物を纏った和装姿。模様は雄々しい鳥だろうか。妙に袖が長くて、地面に着きそうなのが気になった。


 女の私から見ても、二人は可愛くて綺麗。


 でも可愛くて綺麗だからってなんだ。何者だ。


「……お客さんじゃないの?」


 唖然としている私に、燕尾服の少女がもう一度はにかむ。


「私、名前はラタトスクと申します。こっちの銀色のお方は……」


 ラタトスクと名乗った少女がもう一人の女性を指さす。


「フレスベルグ……です」


 蚊の鳴くようなか細い声で、女性はそう名乗った。


「我らは揃って偉大なる世界樹様の侍従。どうぞお見知り置きを」


 ラタトスクちゃんが、膝をついて私の前にかしずいた。


 ラタトスクちゃんに袖を引っ張られ、「あ、うん……」とフレスベルグさんの方も慣れない様子でかしずいた。花屋の店先で、燕尾服美少女と着物美人に頭を垂れられている。


 人生初だ。そんな人生はいらない。

 それに、今ラタトスクちゃんは気になる名前を口にした。


「世界樹……?! あんた達もしかして、夕方うちに来たあの電波っ子のお仲間?」


 膝をついたまま、ラタトスクちゃんは首を横に振った。


「仲間などとは畏れ多い。私ラタトスクは、世界樹様のお声を聞いて走り回る弱く小さな栗鼠にすぎません」


 栗鼠と来た。確かに小動物っぽいけど、そこまで自分を卑下しなくてもいいと思う。


「私フレスベルグは世界樹様の梢にて死者をついばみ、風をもたらす者……です」 


 フレスベルグさんは、どうやら一人称が自分の名前らしかった。長いので聞く方も面倒臭いし、無理をして語尾に「です」を付け足してる感がまだるっこしい。


 ――そんな誰も得しない人間観察はどうでも良く。


「何だか知らないけどさ、電波仲間同士で私を丸め込もうとしたって無駄だからね」


「そこをなんとか。世界樹様を受け入れていただけるならば平穏が、受け入れていただけないならば、涼子様にそれはそれはきっつい、死んだ方がマシと思えるギリシャ悲劇的運命が訪れますよ」


 にっこり笑いながら、ラタトスクちゃんは不穏すぎる事を口走った。 


「……どういう脅しよそれは」


「仮に死んだとしても、魂はフレスベルグの物だから安心……です」


 何が安心なのかさっぱり分からない。語尾がより不安を煽る。 


「まあつまりはひどい目に遭わせます」


 簡潔に言い切りながら、ラタトスクちゃんが立ち上がる。


 一拍遅れて、フレスベルグさんも立ち上がる。


 射抜くような二人の視線が、私の胸に突き刺さった。理由も動機も分からないけど、やると言ったらやる凄みを感じた。


「う……わけのわからない脅しになんて、私は屈しないんだから」


「それは残念です涼子様。聞けないと言うのなら、聞けるようにするまで!」


「フレスベルグもそうするまで……です!」


 テンポの悪いフレスベルグさんの語尾をきっかけに、二人は私の方へにじり寄ってきた。


「ひ……?」


 ラタトスクちゃんが、獣のような四つん這いの姿勢になる。そのお尻に、大きく丸っこい、ふわふわ褐色の尻尾がくっついていた。先ほどまでは尻尾なんて無かったはずだ。夜だからと言って見逃すような大きさではない。


 それは突然『生やした』としか思えなかった。


「くっふっふ……スタンディングバイ……!」


 歪んだ笑みを浮かべたラタトスクちゃんは、大きな二本の足をバネにして、思い切りジャンプした。埃を散らし風が舞う。助走もつけていないのに、バレー選手も真っ青の跳躍力。このまま飛びかかられたら、やられる――と思ったら。


 どっごーん、と稲妻が落ちるような音がした。


 ラタトスクちゃんは、店の天井にしたたかに頭突きをして、地面に自由落下した。


 バカでかいたんこぶを膨らませ、床の上で大の字になって無様に気絶している。


「あれ……?」


 私は一歩も動いていない。勝手にログオフされた。


「ラタトスク……!」


 悲壮な表情のフレスベルグさんがラタトスクちゃんを見下ろす。


「仇は取ってやる……です」


「何の仇?」


 そもそもその語尾は誰に向けてるの? 謙譲語?


「フレスベルグ……フルオープンアタック」


 か細い声で大きく袖を広げながら、フレスベルグさんは私を見つめた。


 この人も飛び上がる気か? と思ったら。


 フレスベルグさんは袖を広げたポーズのまま、私に向かって突っ込んできた。


「わ、わー?!」


 長身の女性に猛突進された経験は無いので、さすがに恐怖で体が動かない。


 しかしながら、袖全開ではさすがに動きが大振りすぎた。私は猛牛に立ち向かうマタドールの如く、フレスベルグさんの袖をくぐり抜けた。


 結果。


 どっごーん、稲妻が落ちるような音、数秒ぶり二度目。


 フレスベルグさんは、店のレジカウンターに頭から突っ込んで、目を回して倒れていた。


 またしても強制終了――どうしろと言うんだ。


「口先だけでスペック低すぎるでしょあんたら」


 二人のコスプレ女性を見下ろして、私は呆れるばかりだった。


「うわー! よくもラタトスクとフレスベルグをー!」


 聞き覚えのある叫び声が、店の外から響く。


 曇った夜空の下、あの電波少女、せかいじゅさんが顔をくしゃくしゃにして立っている。


「やっぱり近くにいたのね……」


 せかいじゅさんは店内に飛び込んできて、気を失っているラタトスクちゃんとフレスベルグさんを揺すり起こしていた。


「頭打って倒れてるんだから、無理矢理揺すり起こすのは良くないんじゃないの」


「ひどいじゃないかリョーコ! 二人がお前に何をしたと言うのだ! 三行で説明しろ!」


「何もしてないし、襲いかかられたし、勝手に倒れたし」


 一行で説明した。


 その間に、半分目を回しながらラタトスクちゃんとフレスベルグさんは体を起こしてきた。タフな電波少女達だ。


「うう、このラタトスク、一生の不覚です世界樹様……涼子様は想定以上の手練れでございました」


 キッと私を睨むラタトスクちゃん。


「何もしとらんちゅうに」


「フレスベルグ……いたい」


 フレスベルグさんの語尾が変化した。パターンがあるのか無いのかどっちなんだ。


「ごめんな、私のために無理矢理呼び出した上に、こんな目にまで遭わせてしまって……」


 せかいじゅさんは本当に申し訳なさそうに、二人を抱き寄せる。


 ラタトスクちゃんとフレスベルグさんは、自分より小さいせかいじゅさんに黙って体を預けていた。人肌が暖かそうで、ほんのちょっと羨ましい。


「いいのですよ……私達は世界樹様の侍従なのですから」


 優しくせかいじゅさんを抱き返したラタトスクちゃんは、するりとせかいじゅさんの腕から抜けて、再び店の外に出た。


「力づくで涼子様を下すことは出来ない――かくなる上は!」


「今度は何よ、面倒臭いなあ」


 もう好きにして。


 私がただ眺めていると、いきなりラタトスクちゃんは歩道のど真ん中で、土下座した。


「どーか! どーかどーかこのラタトスクのジャパニーズドゲザスタイルに免じて、世界樹様を置いてやってはくれませんかー!」


 頭を地面にずりずりと擦りつける、燕尾服美少女。


「やめてよ人の店の前で! プライドないのあんた!」


「プライドで飯は食えませんものでいつ如何なる世も!」


 ラタトスクちゃんは満面の笑みでなんか気持ちよさそうだ。Mか。Mなのか。


「せかいじゅさん、あんた止めなさいよ! あんたの侍従なんでしょ!」


「ラタトスクは誇りを捨ててまで、私に尽くしてくれている……あの覚悟は止められるのはリョーコ、お前だけだ」


「いやその理屈はおかしい」


 夕飯時だけあって、人の往来が増えてきていた。会社帰りのサラリーマンの皆さんや、部活帰りの中高生達が、花屋の前で土下座している燕尾服の少女を、訝しそうに見ている。


 お父さん、ただならぬ風評被害の予感です。


「か、勘弁してよ……」


「フレスベルグもやる……ですか?」


 何故か疑問系混じりの語尾で、フレスベルグさんがラタトスクちゃんの隣に並んだ。


「マジですか。貴方も捨てちゃいますかプライド」


 せかいじゅさんは唇を噛みしめ、フレスベルグさんを誇り高い眼差しで見つめている。


「どうかこのフレスベルグに免じて……」


 長身美人が、高価そうな着物のままで膝をおり、頭を地面に擦りつけ――


「わあー! 分かった、分かったからとりあえず家の中に入りなさい!」


 このまま土下座のまま居座られたら、風評被害どころか、警察沙汰になりかねない。


「では、私達を置いてくれるのか?」


 甘えん坊上目遣いのせかいじゅさん。『達』がついていたことを、パニックに陥っていた私は聞きのがしていた。


「うん、まあ、部屋で話そう、ね!」


「ひへー」 


 せかいじゅさんは無邪気に、あの変な笑い方で笑んだ。


 ラタトスクちゃん達も、そっと顔をあげながらニヤリと笑った。


 どうやらこの時点で私は、逃げ道を失っていたらしい。


 飢えた吸血鬼を部屋に招き入れてしまった、純潔で素直な乙女のように。


 あ、純潔素直は流してくれていいです。





 私の部屋の間取りは、未来から猫型ロボットが来たあの某少年の部屋に似ている。


 勉強机と大きめの本棚があって、他は雑多に『何でも箱』に突っ込んである。それなりに片づいていると思うけど、女っ気が無さすぎるというのが由里の談。


 店先に出れば可愛い花はたくさんあるし、彩りはそれで充分だと私は思う。カーテンだって無地でいい。女の子としてはもっと『可愛い』を纏った方が世間体はいいのかもしれないけど、余計な男の子がやってきて、余計な人間関係を持ち込まれるのはお断りだ。


 だというのになんだこの状況。


 ラタトスクちゃん、フレスベルグさん、せかいじゅさんの三人は、並んで和気藹々と座布団に座っている。正座しているのはラタトスクちゃんだけで、せかいじゅさんは豪快にあぐらをかいている。フレスベルグさんは体育座りで足の指をぴょこぴょこ動かしている。せっかく和装なんだからびしっと正座を決めてほしい。


 座るスペースが無い私は、自分の勉強机から彼女達を眺めていた。六畳間に四人はさすがに狭い。とりあえず麦茶を出したら、せかいじゅさん含め三人とも喜色満面、無言でぐいぐい飲み出した。草野球帰りの小学生か。


「というわけで同棲開始だなリョーコ!」


「なんでじゃい」


「三人もの乙女を夜分部屋に招き入れるということは、つまりそういうことだ」


 旧弊的な価値観で断言された。


「女同士で何言ってんだか。あんたらはどーか知らないけど、私だって正真正銘乙女だし」


「そんな気がしておりました」


 深々と頷くラタトスクちゃん。


「子どもっぽくて悪かったわね……」


「いえいえそのような。若く美しく力強く、異性をはねつけるようなその気勢に私は感服致しました」


「フレスベルグもそう思う……です」


 続けて頷くフレスベルグさん。


 自分の部屋で珍妙電波な女の子達に囲まれながら、何故か私は女性性を否定されている。


 百万回泣いてもいい事態だと思う。


「リョーコは優しいからきっと私を招き入れてくれると思っていた。世界を支える者として、誇りに思うぞ」


 ぐびぐび麦茶を煽りながら、せかいじゅさんは上機嫌。


「だから、あんたのどこが世界樹なのよ……北欧神話の世界樹ぐらい、私もゲームかなんかで聞いたことあるけど、あれってとんでもなくでかい木なんでしょ? あんたはどこからどう見てもただの女の子じゃん。それも私よりチビだし」


「リョーコがそう思うのも無理は無い。私は世界樹の分かたれた意思そのものではあるが、体は一個の分霊に過ぎないからな」


「ぶ……分水嶺?」


「違う違う、分霊。私は世界樹、大いなるトネリコ、ユグドラシルではあるが、世界樹そのものが歩いて動いているのでは無い」


 説明されればされるほど、頭上に『?』が浮かぶ。


「僭越ながら、私が補足説明を」


 ラタトスクちゃんが、人ん家の麦茶のお代わりを勝手に自分のカップに注ぎながら言う。


「分霊とは、本体に宿る魂から分かたれた、別にして袂を同じく存在する同一存在のこと。涼子様も生き霊と呼ばれる概念はご存じでしょう?」


「あー。霊の中でも一番怖いってアレね」


 人の執念妄念が、霊という形になって相手に干渉するんだったっけ。よくある超常現象ものの特番とか漫画の説明だとそう言うことになっている。


「そう、その通りでございます。分身と呼び変えてもよろしいのですけどね」


「私は悪霊ではないぞラタトスク」


 口を尖らせてせかいじゅさんがラタトスクちゃんを睨む。


「涼子様の既知の概念ではそれに近い、というだけです世界樹様。ちゃんと説明しますからお待ち下さいね」


「うむ、なら良いー」


 諭されて満足そうに頷くせかいじゅさん。お姫様っていうか殿様っぽい。


「えーとそれでなんだっけ……そう、同じ魂でも、形を変えて異なる場所に存在することは可能なのです。それはこの世界だけでなく、世界樹様が支える九つの世界から分化した無数の世界でも言えること。そういった同じでありながら別の存在は、世界樹様の幹を通して魂がリンクしているのです」


「……分かるような分からないような。人間のコピーが、たくさんいる感じ?」


「オリジナルという概念が欠如していることを除けば、近いですね。コピーによって出来が違うという点も忘れてはなりません。世界樹様は、世界を支える者としてあらゆる世界を認識し、あらゆる『現在』と様々な分霊達を見続けてきました。そして今自分自身の分霊を人の形で作りだし、この世界に人として降り立ったわけです。ぱちぱちぱち」


 ラタトスクちゃんが自演で拍手する。せかいじゅさんが元気そうに、フレスベルグさんがリズムを無視してのんびり手を叩いて追従する。不協和音が気持ち悪い。


「いや、あのさ……超展開っつーかガンガン先に進んで解説してくれるのは有り難いんだけど、もっと信憑性ある証拠を見せてくれないとさ……」


 む、とせかいじゅさんが眉を潜める。


「リョーコは疑い深いのだな。夕刻、あの蘭に元気をくれてやったではないか」


「まあ確かにあれは凄かったけど……あれだけじゃねー。トリックでしたって言われた方が納得出来るし」


 うーんと腕を組んで首を傾げるせかいじゅさんに、合わせて自分も傾きながら頷くフレスベルグさん。シンクロすな。


「世界樹様、お見せするしかないのでは? ……です」


「絶対その語尾いらないでしょ」


「そうか……うーむ……そうだな。フレスベルグの言う通りだな。仕方あるまい」


 悩みだしたかと思うと、せかいじゅさんはやおら決然と立ち上がった。

 椅子に座る私に、せかいじゅさんが対峙する。


「な、なによ……」


 せかいじゅさんは私を凝視したまま、片手を上げて人差し指を突き出してきた。


 蘭を若返らせたあの力が思い出される。アレを、人間が受ければどうなるのか。


 私が慄然としていると、


「あっちむいてホイ」



 せかいじゅさんの指先が直角に左折した。


 無論無視した。


「あんた、どこまで私をバカにして……」


 呆れかえって私の体から力が抜けた瞬間に、 


「隙ありッ!」


「!?」




 せかいじゅさんは、私の眉間に指を突き立てた。


 針を刺されたような鋭い痛みが走る。激痛ってほどではないけどなんとも心地が悪い。


 やがて痛みが和らいで、ずぶずぶと私の頭の中にせかいじゅさんの指が入ってきた。


「ぬぁ……?」




 声がちゃんと出ない。出そうとしても舌が麻痺している。


 初めて胃カメラを飲み込んだときのような、得体の知れない不安が私の体を支配していた。それでも私は目を開いて、寄り目でせかいじゅさんの指先を観察してみた。 


 それは――『枝』だった。


 せかいじゅさんの指先から一本の木の枝が生えていて、それが私の頭を深く深く貫いているのだ。


 経験したことの無い奇妙な感覚が氾濫して、心が蹂躙されていく。


 私の体が幾重にも、何十枚も畳まれたティッシュペーパーみたいに重なった膜になっていて、それを力任せに串刺しにされているかのような。


 私の知らない私の全てが、せかいじゅさんの指から生えた枝に掌握されている。


 私の奥の奥のそのまた深奥で、枝の先から温かいものが滴っている。


 どくどくどくどくどくと、枝が脈打っている。


 体液――いや、樹液だ。直感的に私は思った。見えないのに、別の視覚がそれを見ている。


 せかいじゅさんから出た樹液が、私の奥を満たしている。とてつもなく熱い。


 私はいつの間にか瞼を閉じて、切羽詰まったその感覚に身を委ねていた。


 心地よくそれでいて不穏な、熾烈な快感。


 このまま身を委ね続ければ、きっと私は戻ってこれない――


 ――しゅ 


   ぽん。


 ハッと私は顔を上げる。体の自由が戻っている。


 刺し貫かれていた私と私と私と私と(中略)私の最深奥の膜から、枝が一気に引き抜かれていた。


 異常な倦怠感に、私は吐息を漏らす。魂の異物感、とでも言えばいいのだろうか。心が蹂躙されている感覚が抜けない。


 せかいじゅさんも、ハアハアと肩で息をしていた。


 こちらは身を任せていただけで疲れていたけど、せかいじゅさんにとっても相当体力を消耗する行為であったらしい。笹の葉のようにしなだれた枝が縮んでいき、せかいじゅさんの指先に収納されるのが見えた。


「あ……あんた……なにをしたの……?」 


 なんでか涙が溢れてきた。格好悪くて拭いたいのに、手を動かしたくない。


 私はぐったりと椅子の背もたれに体を預ける。じっとりと汗も全身から沸いてくる。


 せかいじゅさんはフレスベルグさんに寄りかかって、体を支えて貰っている。彼女も全身汗まみれで、上気した頬が紅潮していた。張り付いたシャツが暑そうだ。であるのに、せかいじゅさんはぶるぶると震えていた。


「はあ、はあ……りょ、リョーコ……お、お前は……何ということだ……」


 先ほどまでとは違い、せかいじゅさんの私を見る視線には明確な畏れがあった。


 怖いのはこっちの方なんだけど。


「せ、世界樹様……? どうされたのですか?」


 ラタトスクちゃんも中腰の姿勢で、心配そうにせかいじゅさんの顔を覗き込む。


 そのお尻に、大きな尻尾がピンと立っていた。


 分かりかけてきた。多分彼女は感情が高ぶると、隠している尻尾が丸見えになってしまうのだ。今も緊張しているのが丸分かりだ。栗鼠を自称していたのは本当だったのか。


 一方せかいじゅさんはじっと私の顔を見据えたままだ。


「リョ、リョーコは……いや……何でもない。とりあえず今ので、リョーコも私を見ることが出来るはず……」 


 言葉が尻すぼみで、何故か後悔しているようにも聞こえる。自分からやったくせに。


 息を整えつつ座り直したせかいじゅさんは、寄りかかっていたフレスベルグさんに向かって目配せした。


 無言でフレスベルグさんが頷き、立ち上がる。


 呆然と私が見ていると、フレスベルグさんは部屋の窓に近づき、長い袖の下から真っ白な指先を見せながら、閉まっていたカーテンを無造作に開いた。


 その向こうの窓も、一気に開け放たれる。


「見たまえ……です」


 部屋の中に春の冷気が流れ込んできて、汗だくだった私の体が急速に冷えていく。


 クレームを浴びせる前に、私の網膜はとんでもないものを見出してしまった。夜の町並み、といっても大して美しくもない商店街の夜景の向こうに、巨大な建築物が立っている。


「なんだっけ、あのビル……」


 呟いてから、間抜けなことを言ってしまったと気づく。


 ビルではない。その建築物はあまりにも大きく、上層が目では追えない。夜空の雲を貫いて、さらにその上、星空にまで到達している。


 それは、大樹だった。当然こんな木があるわけがない。有名なCMで見た、名前も知らない気になる木だって比べものにならない。幹の太さも異常だ。ここから見ても分かる、山の一つや二つでは効かない面積のごん太さ。


 見上げた上方には、どこまで広がっているのかも分からない鬱蒼とした枝葉も見えた。


 丸ごと町を覆ってしまっているのに、全く影を落としていない。


 そこに確かにあるのに――あの大樹は光を介在していない。


「あれが、まさか……」


「そう。あれが世界樹様の本体…………ですよ」


 フレスベルグさんが、柔らかな微笑みを称えて囁いた。


 突然どきん、と私の胸が高鳴った。フレスベルグさんの横顔が、驚くほど綺麗に見えたのだ。何故か照れくさくなって、私は目を背ける。



 振り向くと、せかいじゅさんはごくごく麦茶を飲んでいてこちらを見ていなかった。


 ……見とけよ。自分の本体だろ。


「あの世界樹様のお体は、存在するあらゆる世界を支えておられます。本来ならば可視にて認めること能わず、触れることも敵わず。その特別なお姿を、今凉子様のみに晒したのですよね! 世界樹様!」


「うんぐぇっぷ」


 ゲップで返答しやがったぞ。


 話を振ったラタトスクちゃんも責めない。甘やかしすぎだと思うので、私は容赦せずにせかいじゅさんのおでこを平手でぺしっとはたく。


「いでー!」


 涙目のせかいじゅさんを、フレスベルグさんが無表情で撫でている。


 少人数でのツッコミ不在は良くないと思う。仕切り直せないから。


「で、さっき私の中をぐっちゃぐちゃに掻き回したのは、あれを見せるためだったの?」


 私はおでこを抱えているせかいじゅさんに訊いた。


「う、うん、まあ……そう」


 せかいじゅさんは冷や汗を垂らしながら、あからさまに言葉を濁す。


「あんた……何か隠してるでしょ?」


 私はせかいじゅさんの目をじっくり見据える。


「か、隠してない。あーしなきゃ私の本当の体を見るのは無理なんだ。それに痛いのは最初だけで、もう平気なはずだぞ」


「確かに痛みは無いけど、まだ気持ち悪いんだって」


 刺し貫かれているような異物感が残っていて、落ち着かない。


「それもすぐに慣れます。やがては癖になって自分から懇願するようになりますよ」


 ラタトスクちゃんが身をよじらせる。フレスベルグさんも頬を染めて頷く。


「釈然としないなあ……」


「まあまあ細かいことは気にせずにな! それよりリョーコ、この私が世界樹の分霊として、人間の姿でやってきた理由を知りたくないか?」


「まあ、あんな物見たら気にはなるけど」


 再度私は窓の外に目をやる。


 幻覚などでは無く、確固とした存在感を持って巨木はそびえている。目の前のちびっ子の正体があの巨木だなんて信じ難いけど、何らかの関連があることは多分事実。


「そうかそうか、やっぱり気になるか」


「木だけに気になる……ですね」


 フレスベルグさんの聞き捨てならないダジャレが聞こえたけど私は受け流す。


「そんなに話したければ聞いてあげるわよ。あんた、なんで人間の姿になったの?」


「たまに一人になってみたいことって、あるじゃん?」


「は?」


「だから、いっつも同じことしてると頭痛くなるし、一人になってみたいことってあるじゃんじゃん?」




 うざ。日本語覚えたてか。


 要領を得ないせかいじゅさんを補足するのは、またしてもラタトスクちゃんだ。


「世界樹様は、無数に連なる世界を見渡し続ける無限の時間に、お疲れになられてしまったのです。人が人間関係に疲れ、孤独を楽しみに一人旅に出るように」


「家出みたいなもんじゃん……」


 語尾が移った。あー自分もうざい。


「ラタトスクの言う通りだ。見渡し見回すのは楽だし万能なのだがな、やはり飽きる。人間という中途半端な体を通して世界を歩くことは、私にとっても新鮮なのだ。このちっぽけな二本の足で地面を踏みしめることが、世界樹たる我が魂に刺激をもたらすのだぞ」


 そう言ってせかいじゅさんは、足で畳をばんばんと踏みならす止めろ。


「それにしたって、そんなに貧弱そうな体にならなくても良かったんじゃないの……」


 性別はともかくとして、せsaめてフレスベルグさんくらい大人っぽい姿を取った方が日常生活には楽だろう。


「ふん、姿なんてどう取ろうと勝手だ。それにどこの町を歩いていても、この姿は人気があったぞリョーコ。主に男性にな。たぎる眼で家に来いと誘ってくる親切な中年男もいたぐらいなんだぞー」


 せかいじゅさんは誇らしげに胸を張る。


「ついていっちゃ駄目!」


「ひっ?」


 私が凄い剣幕で怒鳴ったので、怯えたせかいじゅさんはフレスベルグさんの背中に隠れてしまう。


「大きいお友達の中には危ないことする人もいるんだからね! 誰にでもほいほいついていっちゃ駄目!」


「な、なぜだ!? 友達がなぜ悪いことをするのだ! 友達とは、縁によって結ばれた運命的な伴侶のことだろう!」


「せかいじゅ様、その友達に劣情をもよおし、いたずらに走る者もこの世界には少なくないのです。弱い子どもを身勝手に友達と認定した者達が……」


 ラタトスクちゃんがせかいじゅさんの手をぎゅぎゅっと握りしめて、興奮を冷ます。


 いいなあ何となく。


「むう、そういえばそのような卑劣な罪も人間は犯すのだったな……失念していた」


「気をつけなさいよね、全く」


 私も小学生のころ、見知らぬおじさんに手を掴まれて、いたずらされかけたことがある。


 あのとき私を助けてくれたのが、たった一人の友達だったっけ。


「ひへへ、リョーコは私の心配をしてくれているぞ、フレスベルグ」


「良い傾向……です」


 嬉しそうなせかいじゅさんに、フレスベルグさんが余計な相づちを打つ。鬱陶しい。


「分かったから、話を続けなさい」


「うむ。それでだな、私は人間の姿で、ラタトスクら侍従も連れずに世界を旅することにした。最初に選んだのが、この島国日本であった」


「ふうん。日本に思い入れでもあるの、せかいじゅさんは」


「思い入れというのは違うかもしれないが、この極東の島国は、数ある世界の中でも最も多くの災害に襲われ、立ち上がってきた国なのだ。壊滅的な戦禍や震災からも必ず復興しているからな。そこまで意地になって蘇る理由は私にも分からないのだが、奇妙な国であることは確かだ」


「『奴ら未来に生きてんな』はあらゆる世界が持つ、この国に対する共通認識なのですよ、凉子様。珍妙特異点ニッポンポンです」


 ラタトスクちゃんがせつせつと述べる。


「あっそ……誉められてるのか馬鹿にされてるのか微妙な気分だけど……」


「この国の再生力は並外れている。それだけ大地が力を持った国を、私は自分の足で歩いてみたかったのだ。……その目的も、わずか数日の間に潰えてしまったのだがな」


 せかいじゅさんの顔に陰りが見えた。


「……何か事故があったの?」


「うむ。実は――誘拐された」


 ほらやっぱり。


「だから、誰にでもついていっちゃ駄目って言ったでしょうが! 過去の話なんだろうけど、助かったのなら学習しなさいよ!」


「ひいい……で、でもそのときは相手が一人では無くてだな、何人も何人もいたのだ。胸に面妖なシンボル――確か曼陀羅と言ったか――を縫いつけた服を着た男達だった」


 私の剣幕に怯えながらも、せかいじゅさんは必死に弁明する。


「何人も? あんた、人身売買の組織にでも狙われたの?」


「人身売買の組織がそんなに分かりやすいシンボルをつけているのは変……だと思います」


 的確なフレスベルグさんの指摘。


 これだけ冷静ならツッコミに回ってほしい。テンポは無いみたいだけど。


「怖かったのだぞリョーコ。まさかこの姿でいるときに、誰かに狙われるとは思いもしなかったからな。世界を見渡す力など使えない。そいつらは私を真っ暗で四角い箱のような建物に連れていった。そこで体中すみずみ、あんなところやこんなところまでみっちりしっかり検査されてしまったのだ。汚された気分だったぞ」


「…………」 


 私は何を言っていいのか分からず、黙り込む。


 せかいじゅさんは、震えていた。世界樹でありながら女の子でもあるせかいじゅさんは、人間と同じように傷つくみたいだ。


「隙をついてなんとか逃げ出せたが、奴らの詳しい目的を知る余裕など無かった。だが私一人を狙った以上は……」


 恐らくは、そいつらは世界樹の存在を知っている。


「なるほどね……そこから逃げてきたあんたを、偶然私が拾った。そういうこと?」


「そうだそうそう! 物わかりがいいなリョーコは! やはり天才だな!」


 せかいじゅさんはぱちぱちと小さな手で拍手する。ラタトスクちゃん達も、また微妙にリズムのずれた拍手をして不協和音を鳴らす。


 ガチでイラっとくる。


「でもラタトスクちゃん達がいるなら、そっちに最初から頼れば良かったんじゃないの?」


 わざわざ私に土下座させるために、彼女達を呼び出したとしたらせかいじゅさんは希代のアホだ。


「私達も、本来はそうしたかったのですが……世界樹様がお辛い思いをしている間は、見ていることしか出来なかったのです」


 背を丸めたラタトスクちゃんが、尻尾をぺたんと畳に寝かせる。


「世界樹様の侍従たるフレスベルグ達は、世界樹様の梢や枝に触れている限りは世界を見渡す『視界』を持つことが出来る……です」


 饒舌でも語尾がやっぱり余計なフレスベルグさん。


 ふむ、とせかいじゅさんが頷く。


「世界樹が本来は実体ある存在では無いように、侍従も実体は持たないのだよリョーコ。ラタトスクやフレスベルグは、私が媒介を通じてこの世界に呼び出さねばならぬのだ」


「媒介?」


「そう。仮の体と言っても良いな。元々一人旅のつもりだったから、今回は最初から誰も連れてきていなかったが事情が変わった。私は町のペットショップに赴き、そこで販売されていた栗鼠とワシを媒介として、ラタトスクとフレスベルグをこの世界で実体化させた」


「正確にはジャンガリアンハムスターですけどね」


「フレスベルグはイヌワシ……です」


 二人が補足する。齧歯類と鳥類なら何でもいいのかな。 


「ハムスターがいきなり女体に変化したときの店主の顔! リョーコにも見せてやりたかったぞ、ひはは」


 愉快に笑うせかいじゅさんの額を私はぺしっと叩く。


「いでーってば!」


「何の罪も無いペットショップに迷惑をかけるんじゃないの!」


「……ごめんなさい」 


 しおらしく謝るせかいじゅさん。素直なのは良いことだけど、相手にし続けると疲れる。


「そういうわけだから、私達三人をここに置いてくれるな、リョーコ!」


 強い口調で押されているが、負けるわけにはいかない。


「うちには三人も養える経済力は無いってば……」


「心配するな、ラタトスクとフレスベルグは、普段は本来の動物の姿も取れる。餌代は大してかからないはずだぞ」


 尻尾をぶんぶんさせながら、ラタトスクちゃんが笑む。


 フレスベルグさんは無言だ。餌というワードが気に食わないらしい。気高い鳥さんだ。


「んなこと言われても、私にはメリットなんてないしさあ……」


「世界樹様がいないと凉子様が困ることになりますよ、きっと」


 ラタトスクちゃんは被虐的に目を細めながら、尻尾をピンと立てる。


 困ることなんて無い。無いはずだけど、この胸に押し寄せてくる不安感は何だろう。


「リョーコ……お前、ひょっとしてまだ気づいていないのか?」


 せかいじゅさんが、私の鼻先まで顔を近づけてくる。吐息が私の唇に触れて生暖かい。


「き……気づいてないって?」


 どぎまぎするのを誤魔化して、私は目を背ける。


 なんでこんなのにどぎまぎしなきゃならないのだ。


 ――あれ?


 さっきからどうして私は、ここまで女の子に胸が高鳴ってるんだ?


 そういう趣味は無い。結婚願望どころか恋愛願望すら無い。


 なのに私は、せかいじゅさん達に囲まれて――


 ちょっとだけ、興奮している。


「ふむ。生まれ出でた体に変容が起こっても、心はすぐにそれを受け入れられぬわけだな。よし、フレスベルグ、ちょっと来い」


「はい……?」


 フレスベルグさんが、せかいじゅさんに耳打ちされている。


 何故かみるみる内に、フレスベルグさんの顔が可憐に紅潮していく。


「恥ずかしい……けど、了解……です」


 頷いて歩み寄ってきたフレスベルグさんは、いきなり私の手を握りしめた。


「ななな、何ですか?」


 その手のぬくもりがひどく私の心を乱す。やっぱり私、おかしい。


「その……ここを。この部分を……」  


 フレスベルグさんは顔を真っ赤にして、目を伏せ、私の両手を握ったまま――私の下腹部に。さらに下へと、私の手を導いていく。


「ちょ、ちょっとフレスベルグさん、どこを……!」


 触って、と言いかけた瞬間。私は、自身の体に宿った違和感の正体に辿り着いた。


「何これ……?」


 私の体は、必要以上に突起していた。というか生えていた。


 触れたことなんか無いけれど、多分、それは。


 本来私に無いはずの――女性には存在しないはずの器官。


 棒状の、あれ。お父さんのセントラルエリアにあったアレ。


「お分かり……ですね?」


 フレスベルグさんがそっと手を離す。そのしおらしさに、私の胸は高鳴ってしまう。


 この高鳴りも――この器官のせいなのか。


「何よこれ……! 何なのよこれはああああああああー!?」


 それを握ったまま、私は絶叫していた。


「ふっふっふ……リョーコ、今やお前は女性であり男性なのだ。選びたければどちらにでもなれるが、きっかけさえあれば、完全に男性化することもあり得るのだぞ?」


「あ、あ、あんたの仕業なの?! あんたが、私にコレを生やしたの?」


 嫌だ。絶対に嫌だ。

 こんな体じゃ温泉にも入れない。


「そうだ。これが世界樹たる私の力なのだリョーコ。元の姿に戻りたくば、私達をしばらくこの家に住まわせるのだ」


「きょ、脅迫じゃない……! こ、こんなのって……こんな体……」


 いらない。絶対にいらない。器官から伝ってくるこの鼓動、いらない。


「まあ大丈夫だリョーコ。悪いようにはしないから」


「しませんから」


「しない……です」


 世界樹とその侍従は、魔的な微笑みを湛えた顔で私を見据えた。


 頭の中が苦み走って、泣けもしなかった。

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