3

 

 薄くしらんだ空を朝日とともに染める青。

 雲ひとつない、絵の具を流し入れたような空。

 朱色が混ざりはじめ、グラデーションを描く夕暮れ。

 星々がきらめきはじめ、夕暮れを呑んでいく夜の濃紺。

 空を支配した夜のとばりは、白い朝の香りが連れ去っていく。

 

 そうやって、〈エンプティス王国〉の空は一日を繰り返す。

 どこまでも完璧な天候が毎日続けば、さすがにこれがシステマティックなものだと気づく。だが、この天候こそ〈結界〉の効果である。

 天候が乱れるということは、すなわち、管理している宮廷魔術師の身になにかが起きたということだ。

 つまり、この国においてこそ『正常』なのである。

 セイがこれをいびつだと表する気持ちはわからないでもない。しかし、それだけが理由ではないだろうというのも、アケビはなんとなく察していた。

 

 仲間で随一の〈魔法〉の使い手になるであろう彼には見えていて自分たちには見えないもの――宙にある自分にはみえない〝なにか〟を一心に見る友人に、どう答えるべきなのか。

 ええいままよ。意を決し、アケビは口を開く。

 

「セイくん――」

 

 ――ぐう、きゅるるるる……。

 

 声が空気を震わせるのと同時、彼女の腹部から音が鳴った。

 ふたりは暫し固まり、顔を見合わせる。

 

「……」

「……」

「……失礼。あたしのお腹のウグイスさんが活発な時間になったみたい」


 アケビは澄ました顔で答えた。

 きゅるるるる。

 そのとおりです、と言わんばかりにタイミングよくもう一度腹の音が鳴る。数秒の――アケビにとっては数時間にも思えた沈黙の果て。少年は力が抜けたような顔で訊ねた。


「そ、そうな、んっ、だね……フフッ」

「おうおうおうセイくんよお、人間の生命の輝きを笑うたあ失礼なんじゃないんですかあ?」

「っふ、ごめんね、ふふ、アケビちゃんのおなかのウグイスさんは元気ねえ、っはは」

「くそーっ! 笑うならひと思いに笑えっ!」


 イーッと威嚇するアケビの耳は真っ赤に染まっていた。

 耐えきれなかったのか、ついにセイは腹を抱えて身体を丸めてしまった。ぶるぶる震える姿に「うー!」とアケビはうめきながら熱を持つ顔を手で扇ぐ。

 これが他の男子なら一発蹴りでも入れるところだ。だが、自分より十センチほど背の低い、つい最近まで虚弱だった相手に乱暴をするほどアケビは落ちぶれてはいないのだ。


 数分ほど笑ったセイが顔を上げたとき。

 片頬を膨らませたアケビが、じっとりとした目つきで彼を見つめていた。



  §



「朝から頑張ってるなあ」

「そうだねえ」


 訓練場へやって来たアケビは、広がる光景に感嘆の声をあげた。その隣、セイがのんびりとした声で同意する。

 どうやら早朝から活動しているのは自分たちだけではなかったらしい。

 片や洗練とした雰囲気の砂糖菓子のような美少年、片や髪で目元が隠れがちだが全体的に造形が整っているとわかる少年。

 共通点は、どちらもアケビにとって大切な仲間だということだろうか。


 ふたりの周囲には濃密な〈魔素〉が満ちていた。聞かずともわかる――〈魔法〉を使っているのだ。空気が熱い。ゴウ、と炎が宙を舞い、その熱がこちらまで伝わっている。 

 パチパチと拍手を送ると、少年の前髪で隠れた特徴的な目がアケビたちを捉えたのがわかった。

 

 彼等の動きが止まる。閉ざされた唇が、ふる、と動いて――


「おんやぁ……? そこにおわすのは寝起きでちょっと力が抜けた感増し増し普段は活発ギャル系女子として人生謳歌してそうな麗しの君、もとい光属性淑女レディのSSRオフショット……アケビ殿ではぁ⁉ やだやだ超偶然~~! おはようございますご機嫌うるわしゅう! 人生万事塞翁が馬、いっけな~いッ、拙者ったら朝からこんなどすっぴんなのにやだぁ~‼」

「朝から振れ幅激しくない?」


 恋する乙女のような黄色い声を上げた少年の圧にアケビは一歩後ずさる。直後、重めの打音と「い゛ったァ!」という野太い悲鳴が響いた。

 彼の頭部容赦なく叩いたヨクが申し訳なさそうな顔で謝る。その隣、これっぽっちも反省していない顔で少年――レンは笑顔で手を振っている。


「ごめんね、ふたりとも……朝から負担の大きいものを……」

「あー、慣れてきたし大丈夫だよ」

「気にしないで」

「というかぁ~こんな朝早くからプリティーなふたりが揃ってひそひそ何してらっしゃるんで? ハッ……密会、密会なんですの⁉ 許せない、拙者というものがありながらッ! 不潔よッ浮気者ッ! でも好きッ」

「うーん、なにもかも違う。その言葉そのまま返すねレンくん」

「ふたりとも元気だね」

「はは、まあね。アケビちゃんもセイもおはよう」


 ところで、とヨクが不思議そうな表情でアケビのほうを向いた。

 

「アケビちゃんはどうして浮いているの?」

「これは僕のできる最大限の贖罪です」

「あたしのお腹のウグイスがシャウト決めたのが相当面白かったみたいでぇ」


 拗ねた様子でアケビが答える。「ごめんって~」謝るセイに対し、アケビは宙に浮かびながらフン、とあぐらをかいて横を向く。

 その光景に、ヨクは微笑ましそうな顔で目を細め、

 

「もうすぐ朝だもんね。しょうがないよ、俺もお腹減ってるし」

「あたしのお腹が素直なばっかりに……てかふたりはなんで朝練してるの? 日中もしてるじゃん」

「俺は謁見が近いから、できるだけ予習しておきたくて」


 ああ……とアケビとセイは顔を見合わせる。


「次の謁見で〈大神殿〉で洗礼受けるんだっけ?」

「そうそう。国の神聖な儀式は主に〈大神殿〉で行われるみたいでね。俺たちが召喚されたのはバロンさん専用の塔にある斎場だけど」

「っていうかあ、神聖もなにもバロちいわく『癒着汚職まみれのドロドロ神殿』で洗礼とか、逆に清い拙者らの魂がけがれちゃうのでは~って拙者思うワケ。信じて送り出した仲間たちが洗脳闇堕ちして帰ってきたら、拙者たちどんな顔でお迎えすればよろしい感じ?」

「とりあえずミヤコちゃんとナゴミちゃんとセイに浄化フルコースを頼むかな」

「マジレス草」


 医療班を躊躇わずに出したあたり、彼の本気度が伺える。ケラケラ笑うレンにアケビが訊ねた。


「あ、だから夜ふかし常連のレンくんに頼んだ感じ? カイくんはアクティブ系じゃないもんね」

「あ〜んいいこと言いなすった! よくぞ指摘してくさったアケビ殿ぉ! ヨクってば酷いんすよ、拙者ならまだほぼ夜みたいな朝っぱらから叩き起して的にしても良いと思ってるんすよ! 拙者ド深夜夜型人間なのに!」


 レンがここぞとばかりに訴えた。アケビはうーん、と唸り、


「それだけレンくんのこと頼りにしてるってことなんじゃない?」

「アケビしゃまのそういうポジティブなとこ、拙者めっちゃラブですけど激ラブですけどマイラブですけどオンリーラブですけども、この男の場合はそういうんじゃないと拙者思うんすよ……どっちかっつーと『ひとりだけ楽はさせねえからな』みたいな闇寄りの思惑を感じるというかなんというか」

「はは! やだなあレンったら、それだけ信頼してるってことだろう?」

「そのセリフ笑顔でケツつねるのやめてから言ってくださいますぅ⁉」


 気心の知れた様子のふたりに、アケビはパズルのピースが嵌ったような気持ちになった。

 

(ああ、〈選ばれし者〉になったのは三人の中でヨクくんとカイくんだけだから)


 元の世界で、レンとヨクとカイはいつも三人で動いていた記憶がある。

 だが、本人の気質や〈祝福ギフト〉の特性上、レンはヨクたちと違って〈選ばれし者〉として表に出るメンバーには選出されず、アケビたちと屋敷で過ごしてきた。

 本人は異世界での生活を楽しんでる様子だったので、アケビも気にしたことはなかったが――


(ヨクくんなりに、レンくんのこと考えて引っ張り出したのかもなあ)


 早朝に引きずり出したのも夜型のレンが仲間内で浮かないように遠回しに体内時計を修正させようとしているのかもしれない。相手をしている時点でそれなりに体を動かしているし、今から体を動かせば夜にはちゃんと眠気が来るだろう。

 彼がそういう細やかな気遣いができる人だと、アケビはこの数ヶ月で思い知らされている。


「……なんかあたし、寝間着のままなの恥ずかしくなってきた」

「なぜに⁉」

「僕もちょっと恥ずかしくなってきちゃった」

「どうしたの、ふたりとも」

「だって……ねえ?」

「ふたりはこんなちゃんとしてるのに、まあいいかって散歩に出た自分の腑抜けっぷりがはずかしくなってきて」


 頬を掻き、ヨクは「ええ?」と困惑の声をこぼす。

 

「そんなに恥じらう理由がわからないんだけど……」

「寝間着上等では? 拙者、寝間着で普通に深夜のコンビニ行けますが」

「俺たちは汗をかくから着替えただけだよ?」

「でも……なんかちょっとやっぱはずいよ。ねえ、セイくん」

「そうだねえ、僕たち、完全に朝の散歩のノリだし」

「別に朝なんだからいいと思うんだけど」

「なるほど。言いたいことはよぉくわかりもうした。よろしいですかな、アケビ殿、セイ殿」


 首をひねるヨクの隣、やたら凛々しい表情のレンが言う。


「――寝間着には寝間着からしか得られない栄養素があるのです」

『栄養素』


 声を合わせて呟いたふたりに、深々とレンは頷く。


「寝間着特有の普段は逆立ちしても見られない〝素〟の部分……完璧ではないからこそかもし出されるあどけなさ! それらが! それらがどれだけ拙者ら青少年に潤いと情熱とパッションを供給してくださるかおわかりで? アケビ殿は平素のお姿もたいへん、たいっへん魅力的ですがこのオフショットを摂取することで我々はアケビ殿の〝解像度〟を上げてくわけなんすわ、おわかりになります?」

「わ、わかんない」


 すごいことを言ってるのはわかるが、早口過ぎて読み取りが間に合わない。

 心の底から困惑するアケビの隣で、スンと鼻を鳴らしたセイが「朝ごはんの匂いがしてきたねえ」とのんびりつぶやく。

 

 レンの熱弁はミヤコが呼びに来るまで延々と続き、それまでアケビは自分の知らない世界を垣間見ることになるのだった。

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異界漂流譚 黄昏の裁定者たち 伍槻 かこみ @hikamiact

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