Ⅱ
ヒューマノイド連続破壊事件。
事件の名前および概要自体は捜査本部に関わる前から知っていた。名前の通り人間ではなくヒューマノイドを狙った、殺人為らぬ壊機械事件。
一ヶ月前──つまり二月から続いているこの事件は、当然世間でも取り上げられていた。しかし、単にヒューマノイドが破壊されたというだけで人間の関心は引けない。そう、この事件には報道規制が敷かれていた。
捜査会議終了後、次に通されたのは『特別捜査一課』と掲げられた豪勢な部屋だった。人数分のデスクは……味とでも言えば良いのか、それぞれ特色のあるものが置かれている。その中で一つだけ、やけに真新しいデスクが目に入った。わたしの分だと直感的に悟る。
「んじゃあ、ちょっくらお偉いさんとこ行ってくるわ。んで、紺野」
「は、はい」
「俺の机に資料があっから、それ上手いことまとめといて」
「上手いこと、ですか」
「そうそう、上手いこと」
それは随分と難しい注文だ。早速、指導係に助けを求めようと──
「あ、
──したのだが、聖辺さんと共に部屋を出て行ってしまう。既視感を覚えるのは気のせいだろうか。
果たして指導係とは何だったのか。そして有栖川さんと同じ空間に居るのは、少々気まずいものがある。
「あの、すみません。聖辺主任のデスクってどれですか?」
しかし背に腹はかえられまい。恐る恐るそう尋ねると、意外なことに答えはすぐ返ってきた。
「
……そう言えば、水鶏さんも居たのだった。忘れていたわけではないのだけれど、妙に熱い視線を感じていたので、出来るだけ気にしないようにしていた。
「ねぇねぇ篠ちゃん、篠ちゃんも旧・東大に居るんでしょ? どう? 大学生活は楽しい?」
「楽しくはありますけど、先生が先生なので何とも」
「向島教授でしょ? オレの時も厳しいって有名だったもんなぁ」
「あの、水鶏さんってわたしと同い年くらいに見えますけど」
「そんな若く見える? 一応、今年で二三になるんだけどね」
やはり、年はそこまで離れていなかったか。そして今の口振りから察するに、彼も旧・東大に在籍していたのだろう。わたしの視線に何か感じたのか、彼はそのまま耳打ちしてくる。
「因みに
「皆さん、随分とお若いんですね」
いや、一番年下である自分が言えたことではないけれど。確か、この捜査本部はアンヘルさんの人選だったか。聖辺さんも年長とは言え四十代くらいだろうし、年齢層の偏りは気のせいではないのだろう──と、そんなことを考えている場合ではなかった。
「すみません、水鶏さん。お話はまた後で」
「
「……では晴時さん、わたしに仕事をさせてください」
「え〜?」なんて不満そうな声が返ってくる。しかし有栖川さんを小さく指させば、彼もそちらを見て表情を強張らせた。因みに先ほどからずっと、あの鋭い目付きはこちらに向けられている。
デスクに戻る晴時さんを見届けると、わたしも言われた資料を移動させる。資料は情報媒体と紙媒体が混在しており、まずは一つ一つ目を通していく。
最初の被害者は東京郊外のオフィスで働くAI搭載型ヒューマノイド。登録名は『
工場で扱っている大型プレス機にシステムエラーが出ていたため様子を見に行ったところ、プレス機に潰されている柊氏を発見した。発見時刻に関して「詳しい時間は覚えていない」という証言が書かれているけれど、通報時間から逆算して朝の八時前だと考えられている。捜査当時は機体の損壊状態からGPS機能も当てにならず身元照合が困難を極めると予想されたが、工場付近に柊氏のものと見られる社員証が落ちていたことが身元発見の切掛けとなった。
その現場を見た際、責任者は腰を抜かしたらしい。何がそんなに驚いたのか、VRメガネを装着し現場再現プログラムを起動させる。
「うっわ……」
思わず椅子をひっくり返しそうになった。嗅覚まで再現されていたら吐いていたかも知れない。そのくらい凄惨な現場だった。
プレス機には潰された機械らしき破片。しかし機械にこびり付いていたのは体内を循環する燃料ではなく、粘り気のある赤い液体だった。調書によると責任者はこれについて、以下のように証言している。「人間が死んでいるのかと思った」と。
鑑識担当のヒューマノイド曰く、赤い液体の正体は血液。しかしこの血液自体、不純物が多すぎて生物のものかどうかも不明だそうだ。現在は引き継ぎ先である晴時さんが目下分析中とのこと。
そしてもう一つ、殺害時刻について。本来は死後硬直や司法解剖による結果から死亡推定時刻を割り出すけれど、当然機械には通用しない概念である。しかし柊氏はAI搭載型ヒューマノイドであり、ルーティンが学習されていた。昼は仕事、夜は社宅で過ごすという至極単純なものではあったが、社宅の近所に住む人たちとは面識があるようだった。そしてその甲斐あってか損壊機体が発見される前夜、社宅に帰る柊氏の姿が目撃されている。
ルーティンの設定について──何故こんな面倒なことを、とは正直思う。だが現代におけるヒューマノイドの扱いは非常に難しい。
昨今のヒューマノイド保護法により人間と同じ尊厳が与えられているのは、アンヘルと人間代替ヒューマノイドのみ。人間の姿形をしているだけでは人権は与えられない。それが日本政府およびアンヘルの見解である。
そうは言っても、ヒューマノイドの扱いは人それぞれ。人間同様に接する者も居れば、物同然に使う奴だって存在する。要は柊氏の働くオフィスが前者だったという話だ。オフィスの社長は柊氏の損壊を悲しんでいた。データさえあれば次の個体へと引き継ぎも可能だ。金さえあれば代わりは存在するというのが極論であり、「悲しむ必要はない」と事情聴取を担当したヒューマノイドは言ったらしい。……ああ、なるほど。調書から刺々しい感情が伝わるのはこの為か。
そして二体目の犠牲者は、その一週間後に発見された。
発見場所は千葉と東京の境にある自然公園。柊氏と異なり、機体の損壊はそこまで激しいわけではなかったようだ。データを切り替え、同じように現場を再現させる。
「…………」
確かに、機体の損壊はそこまで激しくなかった。ただ、腹部が──被害者の腹部が、綺麗に切り裂かれている。このヒューマノイドを覆う表面はシリコン製。切り裂くのは容易いだろう。
GPS含め機体内部の精密機器はすべて取り除かれている。代わりに水風船と思しきビニールの物体が収まっていた。「中身の正体は」と、資料に目を落とす。
『胃液および膵液の混合物と思われる。こちらも不純物が多く、人間のものかは不明』
ここから鑑識の担当がヒューマノイドから晴時さんへと変わっている。なら、こちらも同じように、目下分析中なのだろう。というかあの人、わたしに構っている暇などないのでは……?
そして一通り鑑識結果が並んだところで、ようやく被害者の詳細が出てくる。先ほどの資料ではこんな並び順ではなかったのに、恐らくこの事件から捜査権がこちらへと移ったのだろう。聖辺さんが「読みにくい」と言っていたが、確かに手直しが必要かも知れない。
被害者についてだが、登録名はなし。どうやら清掃用に購入されたごく普通のヒューマノイドのようだ。人型の作業用ロボットと言えば分かりいいかも知れない。清掃用ということで、職場は都内にあるゴミ処理場。収集車で家庭ゴミを回収する仕事をしていたようだ。
ゴミ処理場はほぼ全自動。書類上の責任者は存在するが、業務に関してはまったくのノータッチ。よって柊氏とは違い、このヒューマノイドがいつから行方不明なのかは分からない。ただ発見者である老人は、夕方に自然公園を散歩することを日課にしていた。損壊機体はその散歩中に見つけたらしい。発見時刻は午後四時、こちらはデバイスで確認していたとの証言が取れている。
キリの良いところでメガネを外し、目頭を抑える。捜査資料として出来上がっているのは前の二件まで。先日起きた三体目の事件に関しては全くの手付かずのようだ。捜査会議の内容が記憶にある内に、さっさと作ってしまおう。
先日と言っても、もう五日前のことか。機体は新宿区内のマンションで見つかった。戸籍上の名前は『
人間代替ヒューマノイドとはAI搭載型の一種で、『疑似人格』と呼ばれるプログラムが組み込まれている。
アンヘルは表情豊かではあるが、喜怒哀楽に準ずる感情を持っていない。『心』がない、とでも言えば良いのか。それに比べ代替ヒューマノイドは表情や会話はぎこちなくなるものの、感情の起伏が存在する。怒ったり泣いたり、はたまた笑ったりと主人に合わせた動きを見せる。
わたしも本物を見たことはないけれど、師匠曰く「飼い主に従順な子犬のようなもの」らしい。言葉通りの意味なのか、はたまたいつもの皮肉なのか。真意は不明だが、確かに代替ヒューマノイドは子供の居ない夫婦や老人にとても人気がある。実際、祐樹くんを購入していたのも老父婦だった。
代替ヒューマノイドは食事も摂れるし、内部の調節機関により発熱や排水も可能。モデルとしては幼少期から青年期までが主で、メーカーに頼めば人間の成長に似せた微調整も出来るとのこと。
そしてこのヒューマノイド最大の特徴は養子登録、つまりヒューマノイド保護法とは別に戸籍上も人間として認められるという点である。なので、今回の事件はヒューマノイドの
事件の概要に移ろう。
祐樹くんの遺体を発見したのは、彼の購入主である吾妻夫妻。五日前の早朝、朝ご飯に起きてこない祐樹くんを気にして部屋に入ったところ、冷たくなった彼を発見した。一応、捜査会議で写真は見せられたが、再現プログラム自体はまだ完成していない。聞くところによると、このプログラムは有栖川さんの担当分らしい。出来上がっているかどうか尋ねたいところだが、今は現場写真だけで十分だろう。
死体は一度ばらばらに解体され、それを再度繋ぎ止めた跡があった。晴時さんからの報告によれば、祐樹くんの体内にも何かしらの体液と思しき液体が発見されている。しかしあまりに少量だったため、未だ正体は分からないとのこと。
吾妻夫妻からの聴取は進んでいない。何でも夫人の方が体調を崩して、まともに話を聞ける状態ではないとか。自分たちの子供が殺されたのだから無理もない。報告書を見る限り現場検証も難航しているようだ。これは前の二件にも言えることだけれど、恐ろしいくらい手がかりが見当たらない。
この事件の目的は? 被害者の共通点は? そもそも同一犯なのか? 等々。疑問は尽きない。
「……うーん」
アンヘルさんから概要は聴いていたものの会議や資料からの情報は膨大で、そして凄惨だった。報道規制どころか、ここまで来ればマスコミ側でも配慮した内容もあっただろう。事実、テレビや新聞とは食い違っている部分も多々見られた。
わたしの役目は資料や会議録を作成することだけれど、大学の学部柄、と言うか教授柄、どうしても考えてしまう。この事件の犯人像というものを。
「まんま推理小説みたい……」
「向島先生の弟子とは思えない感想だな」
「うわっ!?」
頭上から降ってきた言葉に大きく肩を震わせる。恐る恐る振り返ると、背後には染谷さんが立っていた。一体いつ、どこから居たのだろうか。
「随分と集中していたようだが、存外平気のようだな」
「へ、平気とは?」
「耐性のない奴にはキツいだろう」
染谷さんはそう言うと、机の上に散乱した資料を手に取った。
「こういう事件は稀だからな。一般人にとっては特に」
「……ああ。確かにスプラッタ系の映画も減りましたし、触れる機会はあまりないかもですね」
そもそも先ほどの再現だって、特別平気という訳ではなかった。ただ師匠が所持している過去の資料には、猟奇的殺人も多く保存されている。単にこれが初めてではないというだけの話だ。どちらにせよ視覚情報だけなので、現場に赴くようになればまた違う感想が生まれるだろう。
「こうなってくると、アンヘルさんも狙われるんでしょうか」
「どうした、いきなり」
「いや。染谷さんが指導係になってくれた理由って、アンドロイドの側に置かせるのが危険だから、ですよね」
「あれは一応、人間だけどな」
「……皮肉ですか?」
わたしが問い返せば彼はニヒルな笑みを浮かべ、手中の資料に目を落とす。
「一連の事件、有り体に言ってしまえば気味が悪い。犯人の目的が不透明だ」
「単純に怨恨では?」
「怨恨なら、三件目の状態がやけに不自然だろう。どうして縫合した? 怨恨ならそのままの方がそれっぽく見える」
「戸籍上は人間ですし、人権を尊重したとか」
「だとしたら随分ご丁寧な犯人だ」
これもまた皮肉だろう、しかし今度は笑ってなどいなかった。表情には乏しそうだけれど、案外分かりやすい性格ではあるらしい。
彼は資料を戻すと同時に、目の前に何かを置いてくる。一見すると腕輪のようだが、黒一色のデザインは物々しささえ感じる。「これは?」と首を傾げると、
「アンヘルに頼んで支給してもらった。開発部が感想を聞かせてくれだと」
「あー、会議の前に言っていた身を守れる云々のやつですね」
試しに装着してみると、腕輪は手首に合わせて形状を変える。ウェアラブル端末のようだけれど、それで身を守れる訳がない。
「何かあれば自分の前に手を翳せ、だそうだ」
「え、それだけですか?」
「それだけだな」
「おお……」
あまりの雑さに思わず震えてしまう。今後外出する時は、染谷さんの側を離れないよう心掛けよう。
「そう言えば、明日は現場に行くんですか?」
「三件目の検分が済んでないものでね。資料作りの参考くらいにはなるだろう」
「やっぱり行くんですね、わたしも」
「そう捉えてくれるあたり、アンヘルが選んだだけのことはあるよ」
「それは褒め言葉ですか?」
「いいや」
それだけを言い残して、染谷さんは自分のデスクへと戻って行く。特に言及はしなかったが、あの様子と会話からしてわたしの指導者は彼で決まりのようだ。ちらりと晴時さんを見れば、丁度聖辺さんから何かを聞いた所らしい、片頬を膨らませ不貞腐れているように感じる。彼には申し訳ないが、その分鑑識に力を入れてもらおう。
明日は現場に赴く。ならば資料の型くらい、今のうちに完成させておいた方が身のためだろう。任されたものは遂行させなければなるまい、わたしはもう、このメンバーの一員なのだから。
Ca(r)nib(v)al 七芝夕雨 @you-748
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