西日のさす温い部屋

高村 芳

西日のさす温い部屋

 僕らはぬるい空気に浸っていた。床に敷いた薄っぺらい布団のすぐ近くにあるファンヒーターは、もうしばらくの間つけっぱなしだった。ファンヒーターをつけたままにしていると、部屋の気温が上がりすぎて頭がぼうっとする。消せばいいのだけど、消さなかった。布団の中の僕らは、ふたりとも裸だったから。


「なにかんがえてるの?」


 僕の左腕に頭を預けている彼女は温い空気の中にいるとは思えないくらい冷ややかな手で、僕の頬に触れる。彼女の顔に浮かんだ表情は、少しいつもと違ってなまめかしい。それと比例するかのように、僕は下半身に熱を感じた。


「何も」


 僕は半分嘘をついた。考えていることはあったけど、それはこれからの行為にまるきり何も意味をなさないと思ったからだ。彼女はそれを察知したのか、それともただ格好つけたかっただけなのかはわからなかったけど、僕の目を見て、「嘘つき」、と笑った。「あ」と思ったときには、彼女の唾液に濡れた唇が目の前にあった。



 彼女と初めて出会ったのは半年前だった。いつもどおり同じ研究室の斎藤と、大学の学食でラーメンを食べながら期末テストをどうクリアするかを相談している最中さなか

 「斎藤くん」、と僕の後ろから声が聞こえた。女性がふたり、こちらへと歩いてくる姿が見えた。僕は急いで残りのラーメンをすすった。

 斎藤の名を呼んだのは、肩までの茶色のミディアムヘアに、紺のカーディガンを羽織った女性だった。目はつぶらでメイクは必要最低限、という感じ。斎藤と笑顔で二、三言交わしている。

 その後ろに立つもう一人は、少しゆるく巻かれた肩甲骨くらいまでのびる黒髪。くっきりとした目鼻立ちに、飴細工のように艶やかな唇。彼女の容姿を見た大抵の男は「美しい」と思うのではないだろうか。

 世間話をして彼女たちが去った後、「髪が茶色い紺のカーディガンのほう、最近できた彼女」、と斎藤は嬉しそうにはにかんだ。



 彼女の右手に、僕は自分の左手を絡ませた。彼女は僕の手の甲の皮膚が申し訳ない程度寄るくらいの力しかこめてこなかった。


「君と初めて会ったときのこと、思い出してた」


 僕のその言葉に、彼女は「ああ」と呟きながら、左手で前髪をかきあげた。僕の目の前にある胸のふくらみが、その動きと連動して揺れる。なぜ女性の胸はこんなにも男を誘うようにできているのか、普通の大学生である僕にはわからない。


 「斎藤くんと、学食にいたときね。あのときサトコもいたよね」


 僕はおもむろに彼女の胸に顔を埋める。やっぱり彼女も少し暑いのか、汗の香りが鼻をつく。彼女はそのしなやかな身体をくねらせ、腹の底から溜息をもらした。



 僕はまた思い出していた。期末テストが終わったから四人で酒でも飲もうという話になり、斎藤の家に集まった夜だったはずだ、彼女と初めてキスを交わしたのは。

 長時間バイトに入ったあとだったこともあり、僕は結構酔いが早くまわってしまっていた。彼女も酒にはあまり強くなかったようで、酔いはまわっているが意識のある、ふわふわとした一番楽しい狭間をいったりきたりしているようだった。

 そんな僕らをよそに、斎藤とサトコさんはまだ飲み足りない、けど酒がないから買ってくる、と言ってコンビニに出かけ、僕と彼女が残された。ビールとチューハイの空き缶と宅配ピザのチーズの匂いが部屋に満ちていた。


「たのしいねえ」


 彼女はこらえきれない笑いとともにそうこぼす。それがただの独り言だったのか僕に同意を求めているのかわからなかったので、僕は返事をせず、壁に背を預けながら温くなったビールをあおっていた。頭がぼうっとしていた。それは突然だった。


「ねえ、キス、しちゃおっか」


 聞き間違いだと思った。僕はいくら酔っていても、その言葉に笑えるほどは酔っていなかった。そのときは多分、え、とか、そういう声がもれたのだと思う。

 いつのまにか彼女は僕にすりよってきていた。僕は瞬く間に動けなくなった。彼女が僕の膝に手を置いたからだ。その感触に、一気に心臓と下半身が波打った。彼女のほんのり赤く染まった首元、その下にある胸のふくらみに、僕は目を奪われていた。

 顔が近づいてきて視界に影が落とされたとき、彼女と目が合った。そのときの彼女の目は潤みに潤んでいて、あと一秒経てば涙がこぼれるような、かといってその涙は喜びの涙でも悲しみの涙でもなく、ひとりの「女」としての潤みであることが無意識に感じとれた。目を閉じる間もなく、彼女の唇が僕の唇に重なっていた。



 それから体を重ねるまでに時間はかからなかった。こぼれた水がもとに戻せないように、あらがいもできず、どうしようもなかった。これまでに何度、彼女の肢体に舌を往復させただろうか。その起伏に沿うように、肌を押し込むように、丁寧に、乱暴に。 目を潤ませる彼女の顔を見てまた一段と下半身がうずくのがわかる。頭がぼうっとして何も考えられない。

 彼女は両手で顔を隠し、うわずった声を出す。彼女の腹に指を押し込むと、飲み込むように柔らかな肌が形をかえる。気持ち悪いなと思った。このまま僕は、彼女に飲み込まれてしまうのかもしれない。

 僕は組み敷いた彼女の熱い体を抱き締めた。



「もうそろそろ行くね」


  彼女は布団のまわりに点々と落ちている下着や服を集め出した。「用事?」と問うた僕に、彼女はブラジャーのホックを止めながら言う。


「今日、これから斎藤くんが家に来るから」


 彼女は少し伸びた髪をひとつにまとめた。白のロングカットソーを着て、出会ったときに着ていた紺のカーディガンを羽織る。 斎藤のことを愛おしそうに見つめていたそのつぶらな目にはさきほどの潤みの跡形もなく、その小さな唇からこぼれていた唾液も綺麗に拭きとられ、薄化粧が施されていた。

 彼女は半年前から何も変わってやしない。ただ、斎藤という恋人がいながらも、彼氏の友人である僕と寝ることができる女だっただけだ。



 彼女が部屋を去った後、僕はひとりで部屋を見渡した。いつのまにか窓から西日がさしている。狭い六畳の部屋には僕が脱ぎ捨てた服や、暑いからと蹴飛ばした布団などが散乱していた。部屋の空気は数時間前よりも重く、湿り気を帯びていた。




   了

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西日のさす温い部屋 高村 芳 @yo4_taka6ra

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