第五話 神が授けた者 ⑤

 あの事件から一か月。

 マリアが眠ってから一か月が経過していた。

「マリア先生、今日は雨なんですよ~嫌な天気ですよね。もう冬になっちゃいますよ……?」

 暁人は彼女を研究所兼自宅に連れ帰っていた。

 自分が目が覚めるまで看病するからと、医師の反対を振り切って連れ帰ったのだ。

「青井刑事、変わりますよ」

 眠ったままのマリアの髪を梳かす結城。

「俺だってできるだろこれくらい!」

「青井さんは下手なんですもん!マリア先生がかわいそうですって!」

「な……!俺だってな、練習してんだよ」

「僕は練習なんてしなくてもこれくらい簡単ですよ!鑑識はね、手先が器用じゃないとできない仕事なんです!」

「これと鑑識は関係ないだろ!」

「あり……」

 二人がマリアの枕元で言い合いする。

「先輩も結城もうるさいって。マリア先生に悪いと思わないんですか?」

 春日部がフライパン片手に二人を諫めた。

「マリアはこの状況見たら……なんていうんだろうな……」

 皿に盛られた料理を並べながら、黒田がつぶやいた。

「“お前ら何してんだ”が第一声だな」

 暁人が返す。

「いや、“ありがとう”じゃないですか?」

 春日部がそう言うが、「違いますね!マリア先生だから、“うるさい”って起きそうですよ」と結城も返す。

 

 マリアがここに戻ってから、暁人が一人で世話をしているところに黒田がやってきた。

「私にも……」

 それしか言葉は出なかったが、彼の言いたいことは分かる。

 暁人は了承したのだ。

 それから日が経つにつれ、春日部も結城も、いつの間にかここに全員が集まり、大人五人で生活していた。

 それぞれが、マリアの回復を願っていた。


「それはそうと……、どうしますか?」

 春日部がそう尋ねる。

 あの資料、それはに関するものだった。

「あの研究所は完全閉鎖して、あそこには僕が遠隔でロックを掛けています。プログラムもソフトも、研究資料も、マリア先生に繋がりそうなものはとりあえず僕が持ってるので、誰の手に渡ることも目に触れることもありません」

 結城を現場主任鑑識官として捜査した際、彼は全ての機械を停止させ、遠隔ロックを掛けていた。

 これ以上なにも起こさせないと、研究資料や実験のすべてを自分が持ち帰り、管理している。

「すべてはマリア先生が起きてから……と思っていたら、もう一か月か……」

 暁人はいまだに眠り続けるマリアを見つめる。

「先輩……見過ぎですよ……どれだけ好きなんですか!」

 春日部がそう言うと、彼は持っていたグラスを落とした。

「しかも動揺してる……」

 彼が暁人を茶化そうとした瞬間、暁人はその場に立ち、マリアを指さした。

「……起きた……目が開いてる……!」

 暁人のその一言で、黒田らはマリアに釘付けになった。

「マリア……」

「マリア先生!」

 暁人は彼女に近寄り、そっと体を起こした。

「先生、分かりますか?」

 マリアの瞳は、虚空を見つめる。

 やはり、無理なのか……そう一同が落胆した時、かすかに声が聞こえた。

「……意識がなくても……全部聞こえて……いるっての……本当……だったな……」

 言葉を発し、微笑み、宙を彷徨っていた目が暁人をしっかり見つめた。

「先生……おかえりなさい……」

 暁人は思わず、マリアを胸に抱きしめた。

「……お腹減った……」

 彼女はそう呟いた。



「何でお粥……?」

「先生は一か月も意識なくてずっと何も食べてないんですよ?いきなり俺たちと同じご飯なんて食べたら、胃がびっくりするでしょ」

 春日部はマリアの前にお粥を置きながら、そう言った。当の本人は不服そうな顔でスプーンを手にする。

「米粒がない……」

「ありますよ。でも、少量ずつから行きましょうね」

「梅は?」

「だめです」

「海苔は?」

「もっとだめです」

 二人の掛け合いを微笑みながら見ている暁人。

「マリア先生の文句が聞けて嬉しいとはな……目が覚めてよかったよ……」

「本当はあそこに混じりたいんでしょ?」

 結城がそう言うと、「一番そう思ってるのは黒田さんだよ」と暁人は部屋から出ていく黒田の姿をじっと見ていた。

「隠していたこと、気にしてるんでしょうね……」

「タイミング見て、マリア先生と話せる場を設けるよ。あの二人に俺ができるのはそれくらいだから」

「それにしても……また喋ってるマリア先生を見ることができて本当に最高ですよ」

 結城は感慨深げに話す。

 それは暁人も同じだった。



「入りますね……」

 暁人はマリアを連れて、IHS六階の給湯室前に立っていた。

「黒田さん、マリア先生が話したいことがあるそうです。お二人で少し話されては……」

 声を掛けるが、扉を開けていいのか分からない雰囲気が漂う。

 ドアノブに手を掛けようと腕を伸ばしたとき、「開けるからな」とマリアが勢いよく扉を開けた。

「ゴリラ……小さくなったか?」

 マリアは今までと変わりない言葉を掛ける。

「私はゴリラに隠されていたことなんて何も気にしてない。というか、この件にゴリラは関わってないでしょ。この仕事に就けるようにしてくれたのも、ここを警視庁と連携させてくれのも、私が一人で研究できるようにしてくれたのも、全部ゴリラが助けてくれたからだ。私は、ゴリラのことを父親のように思ってる。それは今も変わらないしこれから先、変わることもない。だからさ……」 

 マリアは案外、大人だった。

 暁人は給湯室から研究室に戻り、不安そうに自分を見つめる結城らに「大丈夫だ。俺らが気にするほどじゃなかったかもな。マリア先生は強かったんだ」と答える。

 その言葉が何を意味しているのか分かった彼らは、安堵の表情を浮かべた。

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