第五話 神が授けた者 ②

「あと少しで着くからね」

 マリア、暁人、黒田の三人は北海道に来ていた。

 “自分が生まれた場所”を見てみたい。マリアはそう言った。

 生まれてからイギリスに行くまでの記憶が薄い。いや、ほとんどないのだと彼女は言う。

「ここが“マリアが生まれた場所”だよ」

 黒田は閉ざされたフェンスを半ば強引にこじ開けた。

 マリアはフェンスにできた隙間に足を入れ、中へと進む。その後を追うように暁人もまた足を踏み入れた。

「マリアから目を離すな」

 フォンスを通る一瞬、黒田は暁人に囁く。

 彼は頷き、マリアの元へ急いだ。



「ここが……“私が生まれた場所”なのか……」

 彼女はすたれた研究所を一瞥する。

「国立遺伝子・分子生物学研究所、それがここの表向きの名称だ。……この意味、マリアなら分かるね?」

「ああ……。まさか自分が、生まれたなんて……」

 二人の話に暁人はついていけない。

 見兼ねた黒田は説明した。

「この国立遺伝子・分子生物学研究所は、かつて日本でトップクラスの研究所だった。誰だって名前を聞いたことはあるはずだ。医療に特化したこの研究所は、国から莫大な資金援助を得ていた。そして研究が実を結び、国民に、国に貢献していた。だが、それは表向きだった。裏では遺伝子実験を繰り返していたんだ……。“遺伝子組み換え”というのを聞いたことはあるだろう?野菜なんかはこの技術のおかげで、病気が少ない健康な野菜を作ることが出来ている。だが、この技術を使い、何人もの人間を誕生させた……。やつらは、神が授けた人間だと馬鹿なことを言っていた……そして、この技術で誕生したベビーたちに……」

「“MARIA”そう名付けたんだよな」

 黒田の話を遮るように、マリアが口を挟む。

「私たちはそこで、名前ではなく識別名で呼ばれていた……。“M・Ⅰ”エム・ワン、“M・Ⅱエム・ツー”、“M・Ⅲエム・スリー”と……」

 記憶にあるのか、マリアはそう説明する。黒田はゆっくり頷いた。

「だが、三人の子供が彼らの思うように成長することはなかった。遺伝子を触り、作り替え、足しては引き……やつらは生まれてくる子を“デザイン”しようとした。無理やり作られた子供たちは、として育つことはなかったんだ。だが、その中で唯一……ちゃんとした人の形で生まれ、育ち、奴らにとってとして育った子がいた……」

 黒田は研究所を眺めているマリアを見る。それにつられるように、暁人もまた彼女を見ては「それが、マリア先生なんですね……」と呟いた。

「マリアは、奴らにとってでしかなかった。毎日毎日、寝てる時でさえ記録を取られている彼女を、この研究所から逃がし、保護し続けた人がいるんだ」

「それって……黒田警視監じゃ……」

「いや、私じゃない」

「それじゃあ……」

 暁人が口を開くが、「二人して何してんだよ!こっちから入れるから来いよ!」というマリアの声に遮られた。

 二人は仕方なく話を終え、マリアの元へと急ぐ。

 壊れ、錆び付いたフェンスの隙間。マリアは小さい体を簡単に滑り込ませた。一方で体格が良く、高身長の二人は苦労している。

「フェンスが頭に刺さりそうなんですけど……」

「こっちは腹に刺さりそうだ」

「気をつけてよ?これだけ錆びてれば破傷風菌がいてもおかしくないからね。いい?破傷風菌は強力な神経毒素を産生して、中枢神経を侵す。それで、命に関わる症状を引き起こすって最悪な菌だからさ。てことで、早く来てよ!」

 彼女は自慢げにそう説明し、彼らを急かす。

「それを聞きながらこんな所を通って不法侵入するの嫌なんですが……」

「おまけにそれだけ言っておいて早く来いって言うんだから……」

 二人は愚痴をこぼす。

「お前たち……ちっさいな!体はでかいくせして、どれだけ肝が小さいんだよ。これくらいでぐちぐち言うなよな」

 マリアはそう言う。だが、そんな彼女に慣れている二人は何とも思わない。それよりも、彼女の表情が気になって仕方なかった。

 施設内に入って行くにつれ、マリアの顔は強ばる。

「マリア先生、どうしますか?このまま進みますか?それとも……戻りますか?」

「……何を言ってんだよ……ここまで来たんだから……行くに決まってんじゃんか……」

 声を震わせ、マリアは歩みを進めた。



「なんだよ、ここ……」

 異次元の空間に迷い込んだマリアら三人。

 暁人は、部屋を見回しては語彙力を失った。

「ははっ……さすがとしかいいようがない」

 自嘲気味にそう言い、マリアは部屋を歩き始めた。

「こんなとこ……」

「私も初めて来たが……凄いとしか言いようがないな……」

 黒田でさえも、言葉を失っていた。


 彼女たちが目にしたもの。それは、丸く大きな水槽のようなものが並ぶ壁。無数の機械が所狭しと乱雑に置かれ、配線は壁をヤモリのように這っていた。

「私が作られた人工子宮はどこにあるかな~」

 マリアは笑いながら口に出しては、悲し気な、複雑な表情を浮かべている。

「マリア先生……」

「あの状態の時は放っておくのが一番だよ。自分でもどうしたらいいのか分からなくて、あえてあんな言い方してるんだ。昔からだよ」

 黒田は彼女に視線をやりながらも、暁人にそう説明する。

「やっぱり連れてきたのは間違いだったんじゃ……。いつものマリア先生の覇気がないです……なんか、見ていて辛いって言うか……」

「そうかもしれないけど、彼女が自分でここを見たいと言った。だったら私はそれに力を貸したいんだ。ここを見たせいで、もしマリアが正気を失ったら……私はそれを支えて面倒見るくらいの覚悟はあるよ。辛いことかもしれないけど、いつかは受け入れなきゃならないんだ……マリアだってそれくらいの覚悟はしてここに来たんじゃないかな?」

 彼は暁人にそう言った。

「ゴリラ、見てみろよ!」

 マリアの声は静かな部屋に響いた。

「何か見つけたのか?」

「ここだよ、私が作られた場所は……」

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