第四話 自殺に誘う家 ①

 中崎が別れ際に言った言葉。

『それに関しては本当です。私は生まれる前の彼女に会ったことがある。ですが、私の口からは言えません……申し訳ない。もし、どうしても気になるのなら……』

 この言葉が、暁人の頭を支配していた。

「一体何が……」

「何がだ?」

 彼の隣で、マリアはアイスを食べていた。

「それ、二つ目ですよね?お腹壊しますよ」

 アイスキャンデーを食べた後にカップアイスまで……暁人はマリアの手に持たれる柔らかくなったアイスを見ていた。

「大丈夫だって!私、アイスでお腹壊したことないから!それより、何かあったの?」

 アイスを口に運びながら、彼女は聞いた。

「何でもないですよ。それより、アイス絶対にこぼさないでくださいよ?掃除が大変なんですから」

 暁人は信号が青に変わるのを確認し、車を走らせる。

“もし、どうしても気になるのなら……北海道にある研究所に行くと良い。潰れたらしいが、噂だとまだ稼働してると……私に言えるのはそれだけです”

 彼は、警官に連れていかれる直前、そう言った。

「それにしても、今回も私が必要な事件なのか?」

 彼の思考を吹き飛ばしたのは、マリアのその言葉と、こぼれたアイスを拭く彼女の姿だった。

「だーっ!マリア先生!?こぼれてるじゃないですかっ!」

「だから今拭いてるだろ?気にすんなよ」

「しかもチョコレート味……よりにもよって車内クリーニングした翌日に……」

 明らかに肩を落とす暁人を、彼女は「それより、私が必要なのかって聞いてんの」と全く詫びれの素振りを見せず、尋ねる。

「先生が必要だから、本庁に向かってるんです!捜査会議前に黒田警視監からお話があるんで、会議の時間よりも早いですけどこうやって急いで向かってるのに……アイスが……」

「暁人、お前……ちっこいな!」

 マリアはそう言い放ち、再びアイスに手を付ける。


 警視庁に到着してからも二人の痴話げんかは続いていた。

『ええ……薄々は気付いてたけど、まさか本当だとは……。それをマリアが知ったら……あの子は、君を信頼していた。彼女の呼びかたで分かるだろう……。なんて言うことを……。とりあえず、このことはまだ秘密に。時が来たら、マリアの方からここにたどり着く……』

 扉の向こうから黒田の声が聞こえる。

 暁人には聞こえないくらいの小さな声。マリアの耳にはしっかり入っていた。

「黒田さん、青井です。マリア先生をお連れしましたので失礼いたします」

 暁人は扉をノックし声を掛ける。その瞬間、声は消えた。

 今まで通りの、動揺すら見せない黒田の立ち振る舞い。 

 マリアは不思議に思いながらも、さっきの声を尋ねることはしなかった。

「マリア、今までだったら崎田がお前に依頼していただろう?これからは、私が直接依頼することになった。覚えておいてくれな」

 突然の彼からの言葉。

「なんでまたゴリラが?あ、そっか!元々、IHSは警視監の管轄だっけ?」

「それもある。けど、うえでの判断だからさ。それで決まりだから、いいね?」

 黒田はそう言って資料を手渡す。

 その顔は有無を言わせないものだった。

「今回の依頼はこれだ。頼めるな?」

「え~っ!?これ、私が必要な事件か?普通の家の調査じゃんか!」

 資料を手に、概要を読んだマリアがふてくされる。

「そうとは限らんぞ?もし、……とすればどうだ?」

 黒田は彼女の興味を惹くような言い方でそう言った。

 すると、マリアの顔はみるみるうちに、にやけはじめる。

「まあ、やらないで断るのもなんかな……それで?警察が介入したのは男性の自殺からか……」

 顔はすでに悪の笑みになっていた。視線は手元にある資料に落とされ、周りの声など入っていないようにも見える。

「じゃあ、後は頼むな青井くん」

 黒田はあとのことを暁人に任せ、マリアを見た。そのまなざしはまるで父親のようだ。

「黒田警視監、実は一つだけお聞きしたいことがあって……」

 彼はマリアに聞こえない程度の声で、黒田にそう尋ねる。

「それは……彼女に関すること?」

 耳元で黒田が聞き返す。驚く暁人は、目を丸くさせ彼をじっと見ている。

「君の様子から判断しただけだよ。マリアは凄く耳がいいから、聞かれたくない話は声に出さない方がいい。メールでもくれるかい?君の携帯にアドレスを送っておくからさ」

 彼は言った。

 暁人は彼に一礼すると、立ったまま資料を読みこんでいるマリアに合図する。

「マリア先生?会議室行きましょうか。そろそろ時間ですから」

「ん。分かった。じゃあまた今度なゴリラ!」

 マリアは彼に手を振ると、「暁人、会議終わったらおにぎり買ってくれ~!なんかお腹空いてさ~」と暁人に話しかけている。

「マリアがあんな風に懐くとはな……」

 黒田は嬉しいような、寂しいような、どこか複雑な表情を浮かべていた。



 会議室。

 相変わらずの物々しい雰囲気を醸し出し、刑事たちがこぞって入室したマリアを見た。

「おい、また来たぞ……」

「勘弁してくれよ……」

 どこからかそんな声が聞こえる。

 隣を歩くマリアを見るが、気にしているのか気にしていないのか、堂々と歩いていた。

「あのな、言いたいことがあるならはっきり言いに来い!男のくせに陰でこそこそと腹立つな。私がここに来たのはゴリラに呼ばれたからで、自分から来たわけじゃない。それにな、お前たちが無能だから私に依頼が来るんだよ!私に来てほしくないならさっさと事件解決しろよ!」

 大人しく席に着くかと思ったマリアは、声が聞こえた場所に向かい、そう言い放った。

 顔から血の気が引いていくのが分かる。ましてや、警視庁捜査一課の刑事相手にこんな言い方を……。暁人は「マリア先生!俺から離れないでくださいよ」と連れ戻す。彼らに視線は暁人にも注がれ、この場に居づらい雰囲気に。だが、そんなことなどお構いなしに、マリアは「早く会議始めろよ~」と再び放つ。

「これ以上、空気を悪くさせないでください」

 恐る恐る頼み込む暁人。

「空気が悪いなら入れ替えてやろうか?」

 本気なのか冗談なのか、彼女は真面目に答えた。

 そんなやり取りをしていると、会議室に崎田が入ってくる。彼はマリアを一瞥すると、すぐ視線を逸らした。

「全員集合してるな?じゃあ、始めるぞ!……号令っ!」

 彼はそう言い、捜査員たちの士気を上げた。

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