第一話 見えない炎 ⑤

「あ、これです!この人魂を見たんです!」

 マリアはさっきの実験映像を見せた。

 黒い板が立てられ、真っ白な炎がゆらゆらと揺らめく。ひかりはそれをじっと見ていた。

「この時、あんたは鼻に来るような匂いを感じた。そうだったよな?」

 ひかりは「ええ」と頷く。

「その匂いを感じたのは、燃える前か?後か?」

 彼女は「……前……だったと。でも、確かではありません……目の前で人が燃えて、びっくりして……」と自分の肩を抱く。

「確かに、目の前で人が燃えると怖いか……私なら興味が湧くけどな~普通は怖いものなのか?」

「そりゃそうですよ!怖いに決まってます!私、生まれてから一度も事件に遭遇したことも、人が燃えるのも見たことないんですから!」

 ひかりがそういうと、マリアは「なるほど……勉強になるな」と感心していた。ひかりは暁人を見つめる。

「この先生はちょっと変わってるだけです……すみません」

「なんで“すみません”なんだよ!」

 そう食って掛かるマリアに「先生、子どもじゃないんですから……」とたしなめる。

「ま、いいや……。それより、あんたのこと教えてくれよ」

「私のこと……ですか?それなら初めにこの刑事さんに……」

「私は、あんたの口から聞きたいの。ね?教えて」

 マリアにそう言われ、まるで子どもに言われているかのように感じたのか、ひかりは微笑みながら「分かりました」と返事した。

「名前は大木ひかり、年齢は三十歳ちょうどです。仕事は、中学の理科の教師をしていて、独身。これでいいですか?」

「ああ。あ、理科の教師って危険物取扱者の資格いるのか?」

「絶対ではないみたいですけど、私は持ってますよ。乙ですけど、うちの学校には甲を持ってる教師がいるんで、大丈夫みたいです」

 彼女はそう説明する。

「あんたはどうして資格を取ったんだ?普通ならいらないだろ?」

 マリアにそう言われ、ひかりは「必要だと思ったから」と答えた。

「中学の理科教師に危険物取扱者の資格は必要ない。でも私は、大学在学中に将来は研究をしたかったの。それで必要だと思って取得しただけ」

「あんた、家族は?」

「……いませんよ。独身なんで」

「違う違う。両親や兄弟は?」

 ひかりは一瞬顔を曇らせた。

「……父は死にました。母は……自殺です……」

「父親が死んだ理由は?」

 マリアがそう不躾に尋ねると、暁人は制止に入る。だが、ひかりは構わずに続けた。

「父は建築業でした……建物の土台を造るトビです。でも、仕事中に事故に遭って落下したんです……命綱は着けていなかったと聞きました。でも……同僚は着けていたと証言して、殺人の線で捜査されたのに父に借金が見つかったから自殺に……」

「母親は?なんで自殺を?」

「父の死が受け入れられなくて……母は、主人は会社に殺されたと遺書を残して自殺していました……」

「二人が死んだのはいつだ?」

「私が高校生の時です……」

 ひかりは当時を思い出してしまったのか、涙を流し、震えていた。

 しばらくマリアは考え込んでいた。

 そんな彼女らを暁人はじっと見ている。

 ひかりの震えが落ち着いた数分後、「あんたはどうやって阪本創に火をつけたんだ?」マリアが突然口を開いた。

「……は?」

「いや、だからどうやって火をつけたんだ?やっぱりその資格を活かしたのか?」

 マリアの目はなぜか輝いていた。

「どうして私が殺すの?理由は?根拠がないでしょう?」

「いや、全て解けたんだ。今、あんたの話を聞いて全部。私の頭の中にはいろんな情報がストックされてる。読んだ資料も、実験も、会話も、すべてが映像のように保管されているんだ。もちろん簡単に取り出すこともできる。あんたと電話で話したときから、何か違和感は感じていたんだ。それが確証に変わっただけだ。それで……どうやって火をつけた?やっぱり人魂か?」

 マリアはそう言う。だが、ひかりは何も答えない。

「仕方ないな……全部説明してやる。いいか?お前が見た人魂は、私が作り出した白い炎と同じものだった。間違いないな?」

 ひかりはうなずく。

「だとしたら、お前は人魂なんて見えないのが普通なんだよ」

「でも私は確かに見たのに……」

「ああ。見たのは見たんだ。でも、真昼間で見たって言うのはおかしいんだよ」

「どこがおかしいっていうの!?」

「炎の色を考えてくれよ。白い炎が見えるのか?」

 マリアはそう言いながらパソコンを操作する。

「見えるわよ」

「お前はいつ見たんだ?」

 彼女はパソコンに写しだされた映像を再生した。

 それはマリアが実験を行ったもので、暁人の反応までもが音声付きで記録された映像だった。


【ねえねえ、青井暁人!これ見える!?

先生が持ってるトレーでしょ?見えてますよ!

違う違う!トレー以外に見えるかって聞いてんの!

トレー以外にって……

そんなまさか……なんで……何もないのに燃えるなんて……

じゃあさ、次はこれ見てよ!

え……人魂……

そう!これが、人魂と急に燃えた現象の結果ってこと!】


「ね?普通なら見えないんだよ。でも、さっきの映像であんたが見えたのは、私が黒い板を使ったから。明るいところだと、こいつみたいに炎は見えないはずなんだ。なのに、あんたは最初の証言で“人魂を見た”と言ったんだろ?それに電話で話したときだってそうだ。不可思議な事件だと印象付けたいんだろうけど、私にはそれが逆におかしいものとして記憶された」

 マリアがそう言う。

 ひかりは「なんで……?どうして私が犯人だって決めつけるの?」と言う。

「決めつけているんじゃない。でも、あんたの脳が自分は犯人だって言ってるんだよ。私はそれを読み取っただけ。でも、あんたが犯人で間違いないんでしょ?」

 ひかりは逃げられないとでも悟ったのか。意外にも簡単に自供した。

「そうよ。私が殺したの。火をつけてね……この資格が役に立つなんて思いもしなかった……」

「あんたが使った凶器は、“見えない炎”つまり……メチルアルコールとニトロメタンの可燃性液体。間違いないな?」

「……ええ」

 マリアは席を立ち、暁人に代わった。

「あとは任せる。ここからは警察の領分だからな……私は研究施設に戻ってるから、終わったら来てくれ……」

 マリアがいなくなった聴取室。

 暁人は彼女の話を聞き、記録し、質問する。

 そして、呼んでおいた応援に任せ、送検手続きを行った。



「マリア先生?入りますね……」

 ソファーの上で寝転がっているマリア。暁人は声を掛ける。

 だが、反応はなく、ただスースーと寝息が聞こえていた。

「寝てるのか……」

『寝ているのではありません。これは気絶です』

 どこからか声が聞こえた。

「な、何だ!?」

『あなたは警視庁刑事部の青井暁人警部補ですね』

「どうしてそれを……と言うか、どこから声が……」

『私の声は天井にあるスピーカーから聞こえています。そして私は人工知能“ゼロ”です。以後お見知りおきを……。マリアは気絶しているので目が覚めません。平均気絶時間は一時間半ですから、あと五分もすれば目が覚めるでしょう。お待ちください』

 それ以降、声が聞こえることはなかった。

 そして“ゼロ”が言った通り、五分後にマリアは起き上がった。

「あ、マリア先生……気絶をしてらしたんですか?」

「その前に糖分を……」

 彼女はふらふらになりながら冷蔵庫へと向かった。

 おもむろにガムシロップを手に取り、それを口腔内に流し込んだ。

「甘っ……生き返る……」

「先生……?」

「頭がこれなせいで、脳を使いすぎると気絶する……らしい。それはそうと、大木ひかりはどうなった?」

 今度は水を飲みながら、尋ねてきた。

「間違いなく起訴ですね。動機も、証拠も、凶器だって全部出ましたから。あ、動機は両親の復讐でした……彼女は独自に父の死を調べていたようなんです。そして、阪本を見つけた。彼と話をしているうちに、殺人じゃないのかと疑い……確証を得た。そして彼から全てを聞き出し、殺害しようと先生の言うように建築資材の角木材で殴打した。ここまでが、先生の言った殴打痕とアルコールが検出されたまでの流れでした。そして殺害方法は、メチルアルコールとニトロメタンを配合させたものを彼にぶっかけて、火をつけようとしたところ、彼は逃げ出し、どうせなら民衆の目がある場で殺害しようと、あの場で隠し持っていたライターを彼に近づけた。そして突然燃え上がったように見えた……これが今回の事件の経緯です」

 暁人はそう説明する。

「そうか……」

「それにしても、どうしてこの二つが分かったんです?」

「天才だからだよ……私が」

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