第一話 見えない炎 ③

「マリア先生、大丈夫ですか?」

 肩で息をしながら自動販売機の前に立ちすくむマリアを、暁人は心配そうに見ていた。

「崎田は……昔からそうだ……。遺体を物にしか思ってない……私はそれが嫌なんだ……」

 彼女はそう呟くと、またもポケットから小銭入れを取り出し、一〇〇円を投入口に入れた。

 そしてミルクコーヒーを買おうと手を伸ばすが、「届かない……なんでいつもこのコーヒーだけ段が上なんだよ!」と自動販売機相手に怒り出す。

 見かねた暁人は、何も言わずボタンを押した。

 がこんと音を立てながら、缶が落ちる。それを取ると、マリアに手渡した。

「ありがとう。でも、私は身長は低いけど、こど……」

「子どもじゃない。分かってますよ、マリア先生」

 「ふん」と鼻を鳴らし、マリアはプルタブを上げ、口をつけた。

「それで?どうやって捜査していきます?」

「青井暁人の警察手帳があればなんとかなる」

 マリアはそう言って、飲み干した缶を捨てた。


「聖母マリア、こんなところにいたのか!」

「何回も言ってるだろ!私は子どもはいないから聖母ではなく、ただのマリアだ!このゴリラ!」

 強面の警察官相手にも、マリアは怖気づくことなく接する。おまけに“ゴリラ”などと、あだ名をつけている。

「君は今日から来た、青井暁人くんだね?」

「え?あ、はい……あの、どうして俺の……」

「ゴリラは警視監なんだよ!」

「け……警視監……」

 みるみるうちに顔色が変わっていく暁人を見て、マリアは「急な顔面蒼白……」と呟く。

「彼は私を見て顔色を悪くさせているんだよ、マリア。青井くん、私のことはゴリラでいいよ」

 この人は何を言っているんだ……と暁人は口をぽかんと開ける。

「と言っても、できそうにないだろうから自己紹介しておくね。私は黒田悟郎くろだごろうだ。ちなみにマリアは私をゴリラと呼ぶが……君のあだ名は?」

 暁人はようやく落ち着き始めた。口を開きかけたとき、マリアが先に話す。

「青井暁人にあだ名はないぞ」

「そうか……意外だな」

 マリアは「じゃあ、捜査するからまたなゴリラ!」と再び、歩いていく。が、今度は「青井暁人!早く来い!」と待っていた。先ほど受けた注意を覚えていたのだ。

「あ、で……では黒田警視監、また後日……。失礼いたします」

「青井くん、彼女にあだ名をつけてもらえるように頑張るんだぞ。まあ、君なら簡単にあだ名付けてもらえるだろうが」

 彼は意味深な言葉を残し、その場を去った。

「……あだ名をつけてもらえるように?どういう意味だ……」

「おい!青井暁人!」

 声をあげるマリアの元へ、暁人は走った。



「お疲れ様です、警視庁の青井です。現場を研究所の博士に見せるよう指示がありましたので、少し入らせてもらいますね」

 暁人は身分証を見せながら説明した。そして規制線を上げ、マリアを中に入れる。

「マリア先生、ここどうぞ」

 白衣を羽織り、ガウンを羽織る。

「ごわごわするな……」

 マリアが呟く。なら、脱げばいいんじゃないのか……?と思ったが口には出さず、彼女の動向を見守る暁人。

「かなり焦げているな……。青井暁人、映像はあるか?」

 SNSの映像、監視カメラの映像を彼女に見せる。

「何の前触れもなく発火……不思議だ……。目撃者はなんて言ってた?一言一句間違わずに言ってくれ」

 暁人は大木ひかりの証言を彼女に話す。もちろん、一言一句落とさずに。

「なるほど……それで人魂か……」

 マリアは再び映像を見る。

「見たところ、映像に人魂は映ってないな……霊体ならこういう記録媒体に写りそうだけど……」

 大真面目なのか、ふざけているのか分からないマリアを、制服警官である男性が凝視している。

「マリア先生、人魂って科学的に証明できます?」

 暁人が尋ねる。

「ああ、できるよ?」

 マリアはその場に立ち上がり、彼をじっと見る。

「いい?人魂の正体は文字通り人の魂だと言われているけど、実は証拠がない。それに科学的に証明もできるし、作ることもできる。遺体に含まれるリンが発光した。体についたリン化水素が酸素と反応したとか、色々ね。それで……あ……リン化水素……、青井暁人!この証言をした人はどこにいる!?」

 突然何かを思いついたのか、マリアは声を荒げた。

 通行人がマリアを見る。暁人は「連絡先を聞いていますから、連絡して話を聞いてみますか?」と携帯を差し出した。

「ああ、掛けてくれ」

 上司である崎田に報告をした方がいいんじゃないかと思いながらも、暁人は電話をかけ、事情を話し、マリアに代わる。

「私がマリアだ。あんたは、人体発火を目撃したんだよな?その時、匂いとか感じなかったか?」

『匂いですか……?鼻に来るような匂いと、何かが焦げた匂いくらいしか……』

「それはたんぱく質が焼ける匂いだ。人の体にはたんぱ……」

 【それは言わなくていいです】

 暁人は手帳に殴り書きした文字を見せる。それ以上の発言は、普通の人間なら不快に感じる。

「腐敗した魚の匂いとかしなかったか?」

『いいえ……』

「死んだやつに見覚えあるか?」

『見覚えって言われても……いきなり燃え上がって、私怖くて目を覆いましたから……でも、人魂を見たのは確かです』

 マリアは電話を暁人に返し、現場の焦げたコンクリートに鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。

「腐魚臭はないか……だったら、リン化水素じゃない……だとすると、発火現象はどう説明を……」

 暁人の手にあるタブレットを奪い、映像を再度確認する。

「これが被害者……腰部を庇う歩き方からすると、この時には既に殴打されていた。そして彼とすれ違ったのは……三人だけ……この女性はおそらく今電話している相手、あとの二人は……ねえ、青井暁人、ここに映ってる二人の男を探してくれない?話を聞きたいの」

 マリアはそう言って、タブレットを暁人に渡す。

「いきなり探せって言われても……」

「だよね~。だから私、いつも言ってんのよ?災害や犯罪に巻き込まれたときにいち早く身元を突き止めるために、DNAデータを保管しようって。なのに、プライバシーがあるからとか言って、いつも却下されんの」

 マリアは独り言のように話しながらも、手だけはしっかり動いていた。

 手当たり次第に証拠物質を採取している。

「よし、これで必要なものは取れた。研究所に帰ろっか!……車、どこに停めたっけ?」

「ぷっ……ははは!先生、記憶力良いんでしょ?なのに、俺の車は覚えてないんですか……?」

「どういう意味だよ!」

「そこにある黒いのが俺の車ですよ。ほら、帰りましょ」

 暁人は助手席のドアを開け、マリアを呼ぶ。

 大人しく乗った彼女に「シートベルト締めてくださいよ」と声を掛け、自分も運転席に乗った。



「私は先に検査に回すから、青井暁人はそれ科捜研に持って行って、まこっちゃんに探せって伝えて。多分、見つけてくれるからさ」

 マリアはそう言うと検査室に閉じこもった。

「まこっちゃん……俺はフルネーム……どういう違いであだ名があるのとないのと決まるんだ……?」

 彼はぶつぶつ言いながら、科捜研へ向かう。


「この人たちを探すんですね?マリア先生の頼みなら、お任せください!」

 結城はデータをパソコンに打ち込み、人物照会を行っている。

「あ、少しお時間かかりますから、もしよかったら座っててください」

 彼は笑顔で言い、丸椅子に促す。

「結城さん、あなたは……まこっちゃんと呼ばれてますよね?」

「え?ああ、マリア先生にですか?ええ、いつからかあだ名になってました」

「彼女は、あだ名とそうでないの、基準はどうなってるんです?」

 暁人はそう言う。

「もしかして、自分もあだ名で呼んでほしいとか……ですか?だったら、まだ時間かかるんじゃないです?マリア先生の基準は誰にも分りませんよ。でも、しいて言うなら……黒田警視監なら、その基準をご存じかもしれませんね。マリア先生と連携するように言ったの警視監ですから」

 結城は手を動かしながらそう言う。

「警視監とマリア先生は仲良いの?」

「仲も良さそうですけど、マリア先生の色々を知ってるのは警視監だけですからね。多分、昔から何か関係があるんじゃないんですか?それに、マリアとゴリラの関係ですから」

 彼は笑っていた。

「マリア先生、警視監にゴリラってあだ名付けてるの、あれヤバいよね……」

「でも、警視監も嫌そうじゃないですし、二人でいつも“聖母マリア”と“ゴリラ”って言い合いしてますから。多分、マリア先生だからできるんじゃないですか?……あ、一人だけヒットしましたよ!」

 結城は二人のうち、一人の男性の情報を印刷した。

木下大輝きのしただいき、二十三歳……十六歳の時に補導歴あり……。彼の情報、結構詳細に載ってますけど、これって聞き取りか何かですか?」

「あ~いや……個人情報の保管……と言いますか……あの、細かいことは……」

 結城が視線を逸らしたとき、パソコンからぴこんと音が鳴る。

「もう一人も出ましたね。これです。あ、二人の連絡先はここにありますから」

西条隆之さいじょうたかゆき……四十六歳、窃盗で逮捕歴あり……。職業は塗装関係か……」

 暁人は「マリア先生に渡してきます」と部屋を出た。

 二枚の資料をファイルに入れ、駐車場へと急ぐ。

「青井くん、ちょっといい?」

 声の主は黒田だった。

「く、黒田警視監……」

「そんな固くならないでくれないか?怖がらせているようでなんとも……。あ、ちょっといいか?」

 断れるはずもなく、警視監室へと案内される。

 ソファーに座るよう言われ、恐る恐る腰を下げた。

「君、マリアとパートナー関係を結んでいるんだろ?成田から聞いたよ。だったら、君にいくつか話しておいた方がいいことがあってね。マリアのことで……」

彼はそう言った。

「マリア先生には……何かあるんですか?」

 暁人が質問すると、黒田は「鋭いね。いい?これは他言無用だからね」とを始めた。


 マリアの元へ資料を運んでいる最中も、車内では黒田に言われたことが脳内を駆け巡っていた。

「薄々気にはしていたが……」

 口元に手をやりながら、暁人はつぶやく。


「あの子はね、いわゆるギフテッドなんだ。君はギフテッドを知っているか?」

「生まれつき知能が高い人のこと……ですよね?」

 黒田はうなずいた。

「マリアは、そのギフテッドがゆえに様々な経験をしてきた。好奇心が抑えられず、いわゆる“やってはいけないこと”もしてきた。想像力も洞察力も優れている。もちろん正義感も。だから私は彼女を警察官にと思ったが、彼女には難しくてね。彼女が研究を続けたいと言うから、科捜研や科警研にと思ったが、それも難しくて……結局、彼女をIHSに置き、うちと連携させた。マリアは話し方も独特だろう?女らしくなったり男勝りだったり、おまけにあの身長の低さに童顔、私はいまだに彼女を子ども扱いして、よく怒られるんだ」

 彼は笑った。

「彼女のことで何かあったら、いつでも言いなさい。何でも相談してくれて構わないからね、溜め込まないように」


 研究所についた暁人は、どういう顔でマリアに会えばいいのかと、わずかな葛藤が見られた。

「あ、二人の男について分かった?」

 検査室から出てきたマリアと鉢合わせる。

「え、ええ。これが資料です……どちらも補導と逮捕の歴がありました」

「ふ~ん……この男性は塗装業か……。この青年は?二人の連絡先はある?」

 マリアがそう言うと、「ここに連絡先ありますよ」と指さした。

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