第一話 見えない炎 ②

「ここがその研究施設なんですか……広そうですね」

 暁人は例の研究施設に来ていた。

「あ、じゃあこっちです!」

 結城は彼を案内しつつ、マリアについて説明していく。

「何か……かなり癖のある研究者って感じですけど……」

「癖と言うか、マリア先生は天才なだけですから」

 彼はマリアに好印象を抱いているように思える。


 結城からIHSについて説明を受けたあと、科捜研に警視正である成田幸四郎なりたこうしろうが入ってきた。

「成田警視正……こんなところまで一体……」

「新入りがここにいると聞いてな。君が、今日から配属された新入りの青井くんか?」

 彼から𠮟咤激励を受け、何と直々に「IHSとうちの架け橋になってもらいたい。君は科学を専攻していたね?だったらマリアと仲良くやれるんじゃないか?とりあえず一か月……どうだ?」と任命されたのだ。

 ありがたくもない任命だが、上の指示に逆らうことはできず、暁人は渋々ながら了承し、ここにやってきたのだった。

「何で俺が……」

 そうがっかりする暁人に、「僕は羨ましいですよ」と結城が笑顔で答える。

 直通エレベーターを上がり、扉が開くと目の前は既にガラス張りの研究室が佇んでいた。

「すごい……」

「でしょう?僕、ここに来るの好きなんですよね」

 ストレッチャーに乗せた遺体を運びながら、結城は高まる気持ちを抑えられずにいた。

「マリア先生!結城です!入りますよ~?」

「ん~?あ、まこっちゃん!待ってたよ~!成ちゃんから連絡受けて、私にパートナーを付けるって聞いたけど、もしかしてまこっちゃんが?」

 目の前に現れたのは、捜査一課内で遭遇……出会った、あの小さな女子だった。

「マリア……研究者……なるほど……しまった……」

「ねえ、何ひとりでぶつぶつ言って納得して、がっかりしてんのさ。うん……?あ、もしかしてあんた、さっきの人じゃん!私を少年課に来た子供と思った人!え、まさかこれがパートナー!?嫌なんだけど……」

「俺だって不服ですよ。敬語も話せない、常識もなさそうで、明らかに子どもみたいな人とパートナーなんて……」

 二人が互いをいがみ合う。だが、「従うしかないですから、とりあえず一か月はパートナーとしてお付き合いします」と暁人が折れた。



「じゃあ、私はご遺体の状態見てくるから」

 マリアは白衣を脱ぎ棄て、解剖用のガウンに着替える。そして研究室の奥に設置された小さな解剖室へ入っていき、鍵を閉めた。

「え、一人で……?」

「マリア先生は全部をお一人でこなされるんですよ。まあ、団体行動とか苦手な人みたいですから。ということで、僕は帰りますね」

 結城が帰り、この場に一人となった暁人。

 彼女の解剖が終わるまで、椅子に座って待つことにした。

「手際がいい……無駄のない動き。遺体への敬意……優秀なんだろうけど……なんかな~」

 散らばったデスクに肘を乗せると、乱雑に置かれていた資料が床に散らばった。

「しまった……」

 それらを拾い上げ、丁寧にファイリングされた一つの冊子を手に取る。

「これだけ丁寧に……」

 ファイルのカバーをめくると、【夢野真璃亜に関する調査書】と見出しがあった。

「調査書……?」

 好奇心から、ぱらぱらとページをめくる。


【夢野真璃亜 一九九七年十二月二十四日生まれ 

一九九八年、一歳半にして言語の獲得

一九九九年、二歳三か月で文字と言葉に興味を持つ

二〇〇〇年、三歳五か月、平仮名を理解する】


「何だこれ……」

「それは私のすべてだよ」

 声の主はマリアだった。

「刑事って何でも勝手に見るの?」

 そう言われ慌ててファイルを閉じる。

「すみません、マリア博士……」

「博士はやめてくれない?」

 少しの沈黙の後、「……これは一体……」と暁人が尋ねる。

「だから言ったじゃない。私のすべてだって。そこに書いてあるよ。知りたいなら読んでいいけど、別に面白いものじゃないよ」

 マリアは自嘲気味にそう言った。

「勝手にすみません。以後気を付けます……」

「まあ、別に見られて困るものじゃないけど……、とりあえず遺体の評価聞いとく?」

 マリアは丸椅子に座り、パソコンを起動させた。

「あのご遺体、通院記録があったから身元はすぐ分かったよ。名前は阪本創さかもとはじめ、男性ね。血液型はO型でRhプラス、生年月日は昭和四七年の五月一七日の五〇歳。職業は建築業。ここまでは警察も調べてるよね?」

「……多分……」

 マリアは大きなため息をついた。

「続けるよ?彼の直接の死因は火傷死、つまり焼死ね。もし何らかの傷があったとしても、判別は不可能……」

「やっぱり……」

「あのね、ちゃんと聞いて。普通なら不可能なんだけど、これはここだからできること。遺体の腰部に殴打痕があった。おそらく角材……木……かな。あと、この人ね亡くなる前に大量のアルコールを摂取してたの」

「なるほど……もし、衣服がアルコールで濡れていたとしたら、何らかの方法で引火し、死に至る……。仮に建築用の有機溶剤が服について焼死する場合も。どちらにしても事故死ですね」

 暁人はそう言った。

「結論付けるのは早い気がするけど?それに事故死かどうか分かってないじゃない。どんなご遺体にも、生前の行動がある。それを確認しないと……てことで、私を捜一に連れて行ってよ」

「マリア先生なら簡単に来られるんじゃ……さっきも来てたし……」

「あれは成ちゃんに呼ばれたから行っただけ。私、理由なく捜一に行ったらいけない決まりなの。と言うか、警視庁に簡単に出入りするなって言われてるからさ。だから、青井暁人さん、連れて行ってよ」

「フルネームですか……」

「だって、あなたは“青”なのか“赤”なのか分かんないんだもん」

 暁人は「は?」と気の抜けた返事をする。

「青井だから“青”、暁人だから“赤”、ちなみに“暁”だから“赤”ってやつだよ」

 マリアが説明するも、暁人は表情を変えずに「なんだこいつ……」と彼女を見ていた。

「今、絶対に“なんだこいつ”って思ったでしょ。残念、私は空気は読めないけど心は読める女なのよ~。てことで、ほら行くよ!?」

 完全に彼女のペースだ……と暁人は重い腰を上げた。



「お~!マリアちゃん久しぶり~!また崎田に文句言われるぞ~?」

「いいの!今日はで来たんだから!それより、馬ちゃんはまた三日……違うな……四日、帰ってないでしょ?」

 馬ちゃんこと、馬場譲二ばばじょうじは薄くなってきた頭を掻きながら「バレた?やっぱりマリアちゃんにはバレるか~」と笑った。

 警察内部でも、彼女のことを認めている人間はいるようだ。暁人は様子を観察していた。

「それより、君は?刑事だよな?雰囲気からして一課か?」

「あ、本日付で捜査一課に配属になりました、青井暁人です。今後ともよろしくお願いいたします」

 彼はそう挨拶する。

「俺にはそんな、かしこまらなくていいぞ?そんな大層な刑事じゃないからさ。俺は捜査二課の馬場譲二。よろしくな」

 馬場はそう言って手を差し出す。

「馬ちゃんさ、崎田がどこにいるか知ってる?」

 挨拶を交わしていると、突然マリアがそう言った。

「あいつはこの時間なら自分の部屋にいるんじゃない?」

「行ってくる~」

 彼女は暁人を置いて先に進んでしまった。

「あ、青井くん……マリアちゃんと一緒なのはしんどいこともあるだろうけど、理解してやってな……。彼女、いろいろあってあんな性格なんだ。たまに癪に障ることもあると思う。でも悪気はないんだ。それだけ理解してやって……」

 ただ、「はい」としか返事が出来ず、暁人は慌ててマリアを追った。

「あ、いた!マリア先生、俺を置いていかないでくださいよ!今日配属されたばっかりで、まだ覚えてないんですから!」

 少しイラつきを見せながらそう言ってしまう。

「あ、ごめんなさい……私はすぐに覚えるタイプだから、みんなそうかと……次から気を付けます」

 先ほどとは別人のようにしおらしくなった。

「あ、いや……分かってもらえればいいんです……」

 やりにくいな……暁人は込み上げるストレスを飲み込んだ。

「崎田、入るよ?」

 彼女はノックもせずに扉に手を掛けた。

「え、ノック……」

 暁人が扉に手を当てたときにはすでに、部屋の中が見えた。

「崎田さ、これ事故じゃなくて事件だよ。多分殺人。だから捜査したいから私に依頼してよ」

 マリアはそう言う。

「段階を踏んでくれといつも言ってるだろう?まず、どうしてこの遺体が殺人遺体だと思ったのか言ってくれないか?」

「ただの焼死じゃない。殴打痕があった。しかも何回も殴られた痕。その後に何らかの方法で火をつけられて、焼死した。多分……何かを隠すため……かな」

「これを捜査して、君は研究に活かせるの?それが君が警察や捜査に関わる条件なんだよ?この遺体は君にとって研究の材料になるの?」

 崎田がそう言う。

 ご遺体を材料って……暁人がその言葉を飲み込んだ時、「あのさ、ご遺体には敬意を払ってくれないかな。この男性だってこうなる前は生きてた。きっと今日、自分が死ぬなんて思ってない。確かに、私が捜査をするには自分の研究に活かせるかどうかが基準になってる。それが条件だって自分でも分かってる。でも、材料なんて言い方止めてくれない?気持ち悪いんだけど。生きてる人間なら材料なんていい方しないでしょ?死んだら、それは人間じゃないの?物なの?」と怒りを見せた。

 暁人はそれを止めるべく、「先生、少し落ち着きましょう」と肩を抱く。

「興奮した……ごめん……」

 マリアは口を閉じた。

「……解決できるのなら、“依頼”しよう」

 崎田はそう言うと、デスクの引き出しから一枚の紙を取り出した。

「はい、いつもの書いてね」

 マリアはポケットからボールペンを取り出し、署名欄に署名した。

「何回も言うけど、君は捜査権限はないからね。あくまで研究として現場に赴き、採取して、研究に活かす。それが目的だから忘れないようにね」

 暁人はそう言う崎田に、先ほどとは変わった印象を抱いた。

「何回も言うな!私は忘れないんだ!」

 マリアは捨て台詞のように吐きだし、部屋を出て行った。

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