エルフ物語

新藤広釈

第1話 永遠の花嫁

 応接間に入ってくるなり、その商人の顔が青ざめるのが分かった。

「こ、これはゴールド様。ま、まさか、新たな領主様はゴールド様なのですか?」

「君は確か・・・サルトル商会のペンスか。高名な商人とお近づきになれるとは、光栄だよ」

「それはっ、いえ、ゴールド商会に比べれば、恥ずかしい限りです」

 でっぷりとした体を震わせながら体を縮こませた。

 新たな領主に格の違いを見せつけようとしたのだろう、上質な服に宝石の散りばめられた豪華な装飾品を身に着け、上納品を持参してきていた。恰好の品のなさは目をつぶるとして、問題はそこじゃない。

 その上納品に問題がある。

「ペンス、彼らは君が持ってきた商品、という事でいいのかな?」

「はっ! はい! そ、そうです!」

 14、5歳ぐらいの少年少女が縛られ地面に倒れている。

 細く繊細な体躯をしており、陶器のように白い肌をしていた。まるで人形のように目鼻は整っており、形のいい顎をしている。

 そして、彼らの耳の先が尖っていた。

 特徴的なアーモンド形の目がこちらを睨みつけている。

 彼らは人間ではなく、エルフという種族だ。生物が決して逃れられない寿命から解放されている種族として知られている。

 無論、それにはそれなりの代償があるのだが・・・

「ま、まさか、バド王国の英雄ゴールド様が、トルシュの地の領主様になられるとは、お、思いもよらず」

 ペンスは傍から見ていても分かるほどに滝のように汗を流している。

「エルフが領地を得られるとは思わなかったか?」

 ゴールドが笑いかけると、失言に気づきペンスは更に顔を青くした。い、いえ、決してそのようなことは・・・消え去りそうな呟きが聞こえてきた。

 傑作ではないか、エルフ領主にエルフ奴隷を連れてきたのだ。ゴールドはペンスに近づくと、ひっと声を上げて縮こまった。

「“混沌の迷宮”を攻略した褒美として領地を頂けたのだ。この地はエルフ害も多く、ちょうど前領主は一族皆殺しにあったようでな、いろいろと噛み合ったのだろう」

 痛恨のミスをしてしまったという表情を浮かべるペンス。

「トルシュは犯罪が多く、しかしバド王国の玄関口。国王陛下の望みはこの地を他国に恥ずかしくない地へと変える事だ。まずは、犯罪や人身売買を急いで取り締まるつもりだ」

「は、はぁ、そうでございましょう・・・」

「急ぎ、そうだな、なんとか百年ぐらいでどうにかしたいな」

 ペンスは呆然とした顔を上げた。

「百年、ですか?」

「早すぎるか? 200年か、1000年はかけたくないな。なぁ、どう思う?」

 縛られたエルフ話しかけたが、口を塞がれているので返事はできなさそうだ。

「そ、それは、エルフの方は気長なのですな」

「はは、人間からするとそうかもな。ペンス、君はこの地トルシュに置いて有力な商人だ。あなたとは仲良くしたいと思っている」

 ゴールドはペンスに手を差し出した。

「エルフだけじゃない、奴隷がいるならすべて購入しよう。だがそうした市場を減らしていこうと思っている」

 わかるな? ゴールドはそういう笑みを浮かべた。

 このバド王国、この地に住む者たちにとってエルフは恐怖の対象だ。父親の父親、さらに父親の父親時代から恐れられている。

 エルフの森に足を踏み入れた者は、有無を言わさず殺される。

交渉どころか会話すら許されない。森には血も涙もないモンスターが住んでおり、彼らを怒らせてはいけない。思想にそう染みついているのだ。

 エルフから言わせてもらうなら、人間と交渉をしたところで無駄。人間が約束を守るのは、せいぜい20年から30年ぐらいだ。エルフの時間間隔からすると、20分から30分ぐらいだろう。エルフは千年単位で決まり事を変えるという習慣があるのだが、人間と交渉など時間の無駄としか言えない。害獣を追い払うために殺している。それだけなのだ。

「引き際だ、ペンス」

 恐怖の対象だからこそ倒錯的な執着を持つ者もいるかもしれないが、基本的には報復されたくないと思っている。捕まえて、奴隷にする。エルフの森が隣り合っていたバド王国からすると絶対にやってはいけないタブーだ。捕まれば確実に処刑される。

 危険な商売だからこそ、貴族を平然と殺す。前の貴族は何かしら裏切ろうとして殺されたのだろう。どこぞの変態貴族が高額出して購入するかもしれないが、儲けと危険が釣り合ってないはずだ。

 ペンスは、迷わずゴールドの手を握った。

「も、もちろんでございます! ありがとうございます! 商売にも限界を感じていた所です! ありがとうございますゴールド様!」

 両手で力強く握り、激しく上下させた。

 ペンスは頭を何度も頭を下げながら帰っていった。そして、部屋には3人のエルフが残された。

「帰って良し」

 ゴールドは細剣を抜くと彼らを縛るロープを切った。


 部屋に置いてあったそれなりに上質なテーブルに腰掛け、ぼんやりと考え込む。

およそ300年間復讐心だけで生きてきた。しかし“混沌の迷宮”を攻略することで、とうとう復讐は終わった。今は亡き兄弟が得るはずだった領地を得て、この地を豊かにすることが今は亡き兄弟の手向けとなるはずだ。だが、それはもう見通しは立っている。地位と名誉、金にエルフの寿命があればそこそこの理想郷が作れるだろう。

 ・・・燃え尽き症候群だ。今更復讐じゃない生き方を探さねばならないとか、今一つモチベーションがわかない。

 ゴールドは振り返り、エルフたち顔を向けた。

「帰っていいと言ったはずだ」

 3人のエルフは出て行こうともせず、じっとこちらを見ていた。

「エルフがまるで人間のように振舞う」

 女のエルフが話しかけてきた。

「人間は脅威だ。数も増え、武器も変わりつつある。お前は、そのことを知っている」

 感情の籠らない、硬い口調だ。エルフらしい喋り方だが、見た目通り幼い少女のようで笑みが浮かぶ。

「笑い事ではない。鉄の剣、鉄の鎧。数、戦略、人間は日々力を増している。このままではエルフは滅ぼされてしまう。人間を知るお前は、そのことに気が付いているはずだ」

 口調こそ静かだが、怒りに震えているのがわかる。

 ゴールドは彼らに三本、指を突き立てた。

「3回した」

 最初いぶかしり、言葉の意味を理解したのだろう女エルフは驚愕で歪む。

「俺は5歳か6歳ぐらいに村を追放された。エルフのガキが人間世界で生きていくのがどれだけ大変かわかるか? 俺はエルフを恨んでいる。それでも俺は3回、エルフの森に忠告に行った。お前らのことを思い、心配して、命の危険を顧みず森に入った」

 エルフは一度決定をすると、覆すことはない。

 決まり事を変えるには千年単位の時間がかかる。だが、100年もすればエルフたちは滅ぼされるだろう。

「人間の歴史は戦争の歴史だ。戦争をしている時間は、していない時間より短い。戦争ができるなら理由なんてなんでもいいんだ。火種は森にもかかる。だから無駄だと分かりながら3回も忠告した」

 ゴールドは肩をすくめる。

「俺はやるべきことをやったんだ。俺一人で人間を滅ぼせとかは言わないでくれよ? 残念だが不可能だ。そもそも俺はエルフというより人間だ。滅ぼすなら森の方に加担する」

 森の中心である“精霊樹”に住む長老たちは知らないのだ。世界が流れる川のように移ろうもので、濁流がすでに足元まで来ていることを。

 エルフの女は細い目を大きく開き、頷いた。

「それなら、あなたが侵略すればいい」

「は?」

 思わず素で返してしまう。

「お前がエルフを侵略すればいい」

「なにを言っている、フウラ」

「正気とは思えない」

 黙っていた後ろのエルフが前に出てきた。エルフらしく無表情で状況を見守っていたのだが、さすがに声を上げずにはいられなかったようだ。

「・・・賢いな。そうだな、ああ、人間に侵略されるよりはよっぽどマシだろ」

 考えてみると最良の選択だ。

 ゴールドはやっと、女エルフの顔を見た。

 近寄り顎を掴むと横を向かせたりする。

 容姿は醜くはないが美しいとも言えない。背が低く、かなり異様なほど痩せている。女性物の服を着ているので女だと分かるが、下手をすると少年と見間違えてしまいそうだ。白髪に近い金髪で、肌は青い血管が見えるほど白い。原始的な、エルフらしいエルフだ。

「な、なにをする」

「俺が森を侵略すれば、多くのエルフは救われる。だが、俺に何の得がある?」

「とく?」

 エルフたちは不思議そうに顔を見合わせた。

「俺はすでに追放された身だ。エルフとは縁もゆかりもない。まったく関係もない俺が、なぜエルフを救わねばならない?」

「だが、お前なら救えるのだろう?」

 話にならないと、ゴールドは出て行けと手を払った。

 エルフたちは戸惑い動こうとしない。

ああ、これがエルフだ。

 何百年、何千年生きると富を独占しようなどと考えなくなる。だからこそ、人間のことが理解できないのだ。

「察しの悪いお前たちに懇切丁寧に教えてやる。出ていけ。理解したか?」

「だ、だが・・・」

「俺はゴールド、バド王国の英雄でありゴールド商会の会長、そして貴族でもある。貴様らのような下賤な生物ごときが直接話すこと自体あり得んことだ。わずかでも恥があるならばらここより出て行け」

 男二人は顔を見合わせ、無駄だと出て行こうとする。

 だが、女エルフは動こうとしない。

 やはり賢い女だ。

 そうだ、今ここで引けばエルフは終わりだ。エルフは滅びる。

エルフは能力が高いが故に奴隷にはならない。主よりも知性があり、魔力があり、長寿の奴隷など恐ろしくて飼うことなどできない。すぐに反乱が起きて殺されるだろう。

容姿が美しいので愛玩奴隷としてわずかに生き延びることができるだろうが、だいたいは殺される。つまり、侵略ではなく大虐殺となる。

 そのことに気が付いているのは、世界でこの女だけだろう。

「とく、とはなんだ。なにを差し出せばいい」

 女は、素直に尋ねてきた。

「金の事か? いくら用意すればいい」

「金はいらん。貴様らが用意できる額などたかが知れている。俺はこの国で最も裕福な男だぞ?」

「なら、なにをすればいい。何をすれば、お前はとくなんだ?」

「それを考え、提案するのがお前らの仕事だ」

 彼女は、生真面目に頷いた。

 エルフの癖に人間を学ぼうとしている。面倒ごとを押し付けて終わりではない。ちゃんと、自分も戦うつもりなのだ。

「俺の妻となれ」

「つま?」

「愛を学べ。俺の得がお前の得となれ。そうすればお前の得は俺の得となる」

 言葉の意味を理解しているとは思えない、だが彼女は頷いた。

「つまとなる」

 身を焼かれる覚悟を決めるかのように。

 とんでもない面倒を請け負った。たかがエルフの女一人では割が合わない。だが、なぜだか懐かしい、忘れていた感覚を思い出していた。

 そうこれは、兄弟のシルバと共に冒険者となったばかりの不安と期待、痺れるような感覚だった。

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