ガガンボ氏の恋 🦚

上月くるを

ガガンボ氏の恋 🦚




 ガガンボ氏は朝を迎えるのが怖かったのです。

 なぜって罪業妄想の海が待っているから。💦


 ここまでの半生に行って来た公私(よくないことはもちろん、そうでないことも)が巨大な波濤はとうとなり、おまえの存在自体が罪なのだと執拗に責め立てて来るのです。


 商売道徳スレスレの仕事、先に逝った女房に珈琲ひとつ煎れてやらなかったこと、その妻に任せきりだった当然の報いとして、どこか他人行儀な娘や息子たち……。


 でも、とりあえず今日を生きねばならないので、その責め苦から逃れる手段としてテレビをつけたり、喉や気管支の筋トレも兼ねて、朝から大声で歌ってみたり……。


 そして、安定とまではいかなくても、どうにか心身の健康を保持できるラインまでたどり着いた現在は、毎朝のルーティンに小説のテーマ探しが加わっているのです。

 


      🌄

 


 ガガンボってヘンな名前……ですか?

 むろんペンネームですからご安心を。


 ちょっと補足しますと、暑い季節、網戸やガラス戸にやたらに体当たりしている、ひょろひょろした糸のように頼りない触角と脚を持つ昆虫……あれがガガンボです。


 背だけは高いのですが中身がスカスカといいますか、筋肉というものの存在が感じられない、178センチ×58キロの個体のイロニーのつもりで筆名にしたのです。


 仮名かなだと間抜けな感じなので(笑)、少しはそれっぽく見えるかと工夫したのが、



 ――@gaganbo



 正体不明感が受けたのかフォロワーさんも少しずつ増え、いえいえわたしなんぞと言いながらちゃっかり居座っている……それが氏のガガンボたる所以でして。(笑)



      💻



 あ、話が前後しますが、この春、古稀を迎えたガガンボ氏は、商社を定年退職後に一念発起し、ネット小説界に彗星の如き(笑)デビューを果たしたのでございます。


 もともと書くことが好きで学生時代は同人誌にも参加していたのですが、就職後は時代の要請どおり仕事人間に徹しまして、軟弱文学とは無縁で生きてまいりました。


 ところが、後輩のお義理拍手と花束ひとつで会社から追い出されてみますと、有名企業の部長だった? だからなに? という世界が待ち受けておりまして……。💦


 行政の広報を頼りに、カルチャーセンターやらボランティア団体やらへ顔を出してみましたが、どの組織も揃って年功序列、昨日今日の新人の居場所なんぞはあなた。


 それでも粘りに粘って20個所近い遍歴の末にようやくたどり着いたのが、会長を頂点とするピラミット組織とは真逆に位置するネット小説界だったというしだいで。


 かくて、リアル社会ではどこのだれとも知られていない@gaganbo氏の執筆活動は順調に展開し、気づけば150編余りの長短編小説が公開されていたのであります。



      🦕



 そんな@gaganbo:ガガンボ氏に、最近いささかショックな出来事がありました。

 元職場の同期中でも出世頭だった男が、まさかの晩節をつまずいたというのです。


 ガガンボ氏とは正反対の脂ぎった精力的なタイプで、定年後に起業した会社の社長として羽振りがよかったのに、自宅も売って、娘の嫁ぎ先に引き取られたとか……。



 ――それ見たことか、自業自得さ。

   神はいるんだよな、やっぱり。



 うわさを聞いたガガンボ氏の胸にまず湧き上がったのはそんな痛烈な罵倒でした。

 長年の恨みを晴らすべく、他人の失敗を歓迎する自分に、ガガンボ氏はガクゼン。


 恨みといっても具体的になにかあったわけではなく、営業成績がふるわない自分を見下げられたとか、持ち前の消極体質を鼻で嗤われたとか……そんな程度のことで。


 なのに、まるで鬼の首でも取ったように快哉を叫んでいる、自分という人間の器のちっぽけさ加減といったら……あらためて彼我の差異を突きつけられた思いでした。



      🏠



 ひとりで家にいると、矛盾だらけの自分と向き合わねばならず、またしても心身を喪失しそうなので、つぎの朝、ガガンボ氏は馴染みのカフェへ出かけて行きました。


 ほぼ満席でしたが、運よく窓際の明るいボックス席が空いており、当初は辟易したもののいまでは病みつきになっている小倉トーストモーニングをオーダーしました。


 読みさしの本を取り出し「さあて気分転換といきますか」と独り言ちたところへ、スレンダーな腰に黒いエプロンを巻いた若い女子店員さんが珈琲を運んで来ました。


 

 ――そのしおり、ステキですね~! ヾ(@⌒ー⌒@)ノ



 いきなり可愛らしい声が降って来たので、ガガンボ氏は思わず目を剥きました。

 え、もしかして、おれに言ってんの?(松重豊さんをご想像ください(笑))

 

 何年か前、版元各社が栞に凝った時期があり、そのうちのひとつで、向日葵と読書する少年をコラボさせたオシャレなデザインの栞をいまも大切に遣っているのです。


 あなたも本を? はい、大好きです、ミヒャエル・エンデがとくに。ほう『モモ』ですか。『はてしない物語』や『魔法のカクテル』も。「……ああ、あれね 💦」。



 ――栞も大好きで、ステンレス製の透かし彫りをコレクションしています。



 客との会話を禁じられているのか、やや早口で告げた彼女は、マニュアルどおりに「どうぞ、ごゆっくりなさってくださいませ」かたちよく一礼して立ち去りました。



      🔖



 その瞬間でした、ガガンボ氏の胸キュン時計の秒針がスタートしたのは……。

 といっても、もちろん、自分から行動を起こすような胡乱うろんはいたしません。


 毎回、案内された卓の目に付きやすいところに、さりげなく例の栞を置いておく。

 ただそれだけの恣意行動ですが、ガガンボ氏にとっては大変な冒険でして……。


 あの彼女がオーダーを訊きに来たり、配膳に来てくれたりしないかな。(≧▽≦)

 せめて横を通ったとき、この栞に気づいてくれるといいな……ハラハラドキドキ。


 むろんのこと、片想いに決まっていますが、そんなこと、ちっともかまいません。

 自分で言うのもアレですが(笑)栞好きな紳士がここにいますよ……それだけで。

 

 


 

 

 


 


 





 


 


 

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