おんじ

牛丼一筋46億年

おんじ

私が生まれたのはとある限界集落だった。周りには同年代の友達なんていなかったのでもっぱら兄さんと遊んでいた。


 大きくなると山を1つ超えた中学に通った。その頃、同級生達におんじの話を一度だけした事がある。同級生達はおんじの話を気味悪がり、『嘘言うな』と言って一笑に付す子もいれば、『実は…』と重い口を開いてくれる子もいた。






 生まれた時からおんじは家の中にいた。大抵の場合リビングの隅っこでずっと立っていた。見た目はどこにでもいるおじさんって感じでいつも無表情だけど目が合うとほんの少し笑ったりもした。


おんじの事を家族みんな無視していたけどおんじの姿は全員に見えている事に薄々勘付いていた。


 小学生の頃、兄さんの部屋で兄さんとゲームをしていた時、思い切って兄さんに『なぁ、兄さんもおんじのこと見えとるんやろ?』と聞いてみた。すると兄さんはすぐに私の頭をバシっと叩き、部屋のドアを指差して『見てみろ』とだけ言った。ドアを見ると半開きになっていて、隙間からおんじが私たちの事をいつもの無表情な顔で見つめていた。兄さんは『もう、そのことは話すな』と言い、私は出来るだけドアに視線を向けない様にゲームに集中した。


 小学校高学年の頃、変な事があった。夜寝ていると頬をちょんちょんと突かれた。眠い目を擦って誰が起こしたのだろうか?と見てみるとおんじだった。おんじはいつもの無表情ではなくニヤニヤと嬉しそうに笑っていた。


 どうしたのだろうか、おんじがこんな風に私にちょっかいを出すのは珍しい、と言うよりも初めての事だった。おんじはそのニヤケ顔のまま私の下半身を指差した。


 すると下半身に変な感触、まるでおしっこを漏らしてしまったみたいに冷たい感触が股間に広がっていることに気がついた。


 私は慌ててパンツをずり下ろして確かめてみた。初潮だった。


 頭が真っ白になった。保健体育で知識はあったが知るのとなるのではまるで違う。豆電球の薄闇の中、おんじはずっと私の下半身を指差してニヤニヤと笑っていた。私はそんなおんじのことが憎くて、初潮を見られたのが恥ずかしくて、悔してく泣いた。本当は大声で泣きたかったけど、そんな事をするとみんな起きちゃうだろうし、余計におんじのことを喜ばせる気がしたから我慢して声を殺してすすり泣いた。


 それから月経を迎えるたびにおんじはニヤニヤと笑いながら私の下半身を指差した。その度に本当に嫌な気持ちになって、高校を卒業したら絶対に家を出ると決意した。




 おんじが泣いた事が一度だけある。兄さんが死んだ時だ。私が中学3年生の頃、兄さんは高校2年生だった。兄さんは学校から家に帰る途中に車に轢かれて死んだ。


 葬儀は無駄に広い我が家で行われた。父さんも母さんも号泣していた。そんな両親の姿を私はこれまで見たことがなかった。母さんは兄さんの棺にしがみついて狂ったように泣いていた。もちろん私も悲しくて大泣きした。兄さんは優しかったし、私の1番の理解者で唯一の味方だったからだ。


 私は号泣する両親の姿をこれ以上見たくなくてリビングに逃げた。


 するとリビングの端でおんじはさめざめと泣いていた。でも、それは兄さんが死んだから泣いているのではなく、この家の長男が死んだから泣いているのだと私は気がついた。兄さんの事をモノの様に見ている。そんな気がして無性に腹が立った。


 『馬鹿にしないで』私はおんじにそう叫ぶと自分の部屋に閉じこもって頭から布団をかぶってわんわん声を上げて泣いた。




 高校を卒業した私は実家から電車とバスを乗り継いで4時間もかかる大学に進学した。その大学を選んだ理由は進みたい学部があったこともあるが、それ以上に家を出たかったからだ。


 父さんには『家から通える範囲の大学にしなさい』なんて言われたけど、私は断固として従わなかった。母さんには『どうせ結婚するんだから大学なんて無駄』とまで言われた。殆ど喧嘩別れの有様だった。リビングでそんな言い合いをする私の事をおんじは怒り狂った目で鬼の形相で見てくるのだった。


 兄が死んでからと言うものおんじの関心を私は一手に引き受けなければならなくなった。月経の際には彼の口角が裂けるくらい笑ってきて、たまに小躍りまでするのだ。彼にとって私が唯一残された希望だったのだろう。


 私が地方都市の大学に行くと決めてから、おんじは常に私に付き纏うようになった。お風呂に入っていても扉を半分開いてこちらを怒り狂った顔で見つめてきたし、寝ていても私の顔を怒りの顔で覗き込んでくるのだ。あなた達の思い通りになんてなるものかと私は徹底的に無視を決め込んだ。


 そして、家を出る日、玄関に立つ私をおんじは廊下の奥から恨めしそうに見つめるのだった。父さんは怒って見送りもしてくれなかった。


 荷物を持って母さんの運転する車に乗って最寄りの駅に向かった。遠ざかる家を見ながら恐らく二度と帰ってくることはないのだろうと思った。


 最寄り駅に着き、車を降り、『それじゃあね』と母さんに手を振った。母さんは車のガラス窓を下ろして『あなただけ逃げるの?』と今にも消え入りそうな声で呟いた。その顔は母の顔でなく、1人の嫉妬に狂う女の顔だった。





 大学生活は楽しかった。初めて自分の人生を生きている気がした。家に帰って父さんも母さんもおんじもいないのがこれ程までに心地の良い事だったなんて驚きだった。


 仕送りもなく、学費すら自分で払わなくてはならず、バイトと勉強に忙殺される日々だったが、それでも自由は何よりにも代えがたいものだった。


 結局4年間の大学生活で私は遂に一度も家に帰る事はなかった。たまに母さんから『帰ってこやんの?』と電話があったが、それも次第に回数は減り、大学を卒業する頃には半年に一度あるかないかくらいだった。


 その頃には家の事なんて殆ど忘れていた。大学に入るまでの私は本物じゃなくて、悪い夢の中を生きていたのだとすら思った。


 大学を出て、その地方都市にある小さな弁理士事務所で働き出した。そして会社に入って4年目の夏、事務所で出会った4歳年上の弁理士と結婚することになった。


 彼は私と同じ地方出身者で、心根は優しく、何より両親の事を大切に思っているところに惹かれた。私には出来なかった事だからだ。


 彼から、『結婚をしたら仕事を辞めて家に入って欲しい、そして年老いた両親をこっちに呼んで一緒に住んで欲しい』と言われた。普通の女性なら顔色が悪くなるような言葉だけど、私はその頃仕事でトラブルを抱えていて退職は願ったりだった。彼の両親との同居も問題なかった。私は私が捨てた家族の代わりに新しい家族が欲しかったのだ。きっと彼と彼の両親となら素敵な家族を築けるはずだ。だって、彼の家にはおんじはいないのだから。


 結婚式が終わり、私たちは地方都市に二世帯住宅の大きな家を建てた。




 そして入居の日、私と彼と彼の両親は家の前に立っていた。私は胸は希望であふれていた。新しい家、新しい家族。


 私たち4人は家の中をぐるりと一周見て回った。彼の両親はとても良い人で『あんまり気を使わないでね』なんて言って笑ってくれた。


 一通り家を見て回った後、私たちはリビングで腰を落ち着けた。


 そうそう、と義母さんは思いついたようにこう言った。


 『あなた達、子供はいつ作るの?しっかり元気な男の子を産んでもらわないとね、私達の家をあなた達の代で終わらせるなんてご先祖様に顔向けできませんからね』


 にこやかな笑顔で義母さんはそう言った。


 すると、ねっとりとした、そして身に覚えのある視線を感じた。嘘だと言って欲しい。ここまで逃げたのに。私は祈るような気持ちでその視線の主の方を見た。


 リビングの端でおんじは私の事をニヤニヤと見つめているのだった。

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おんじ 牛丼一筋46億年 @gyudon46

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