第14話
十四
俺は大通りの前に立っている。通りの向こう側では、俺のことを気に掛けてくれたのか、喫茶店のおじさんが店から出てきて、心配そうにこちらを見ながら待っていてくれていた。車はひっきりなしに左右に流れている。
やっぱり、俺はこの大通りを渡れなかった。
すると、何人かの制服の警官が車道に出てきて、赤い電灯棒を振りながら車を止め始めた。向こう側の通りの車も止める。土佐山田薬局の前から、喫茶店の前までの路上から車がいなくなった。向こう側の歩道の上には喫茶店のおじさんが不安そうな顔で立っている。俺は何も走っていない大通りを悠然と歩いて渡った。涙を堪えながら。サイレンの音が鳴り響く。赤色灯を回したパトカーが、警察署の裏の駐車場から何台も出てきた。それらのパトカーは、通行止めになった大通りを猛スピードで突っ切って、信用金庫と土佐山田薬局の間の赤いレンガ敷きの狭い通りへと入っていく。最後の一台が走り去った頃、俺はおじさんの前に辿り着いた。おじさんは、優しい笑顔で俺を迎えてくれた。俺の後ろの大通りは、通行止めにされたままだ。警察署の方から賀垂警部と数人の警察官が通りを渡ってくる。警部たちがおじさんを囲むと、おじさんは下を向き、肩を落とした。そして、観念したように、手首を合わせた左右の手を前にそっと差し出した。
放火したのは、おじさんだった。きっと、インターネットで仕入れた高額のハムの分の赤字を取り戻そうと必至だったのだろう。「ホッカリ弁当」の営業が止まれば、信用金庫や警察署の人たちが自分の店に昼食を食べにくるはずだと考えたのかもしれない。おじさんは都会のレストランで修行した人らしいから、サービスも徹底していた。店のマッチもオリジナルだ。それは、外国人好みの摩擦マッチだった。きっと、海外の店の研究とかもしていたのかもしれない。だが、俺が、おじさんが犯人だと確信したのは、店のマッチを見たからではない。信用金庫の須崎支店長に三時のおやつを貰った時だ。須崎支店長さんは他の店で昼食を取っていた。食べ切れなかったハムを、いや、きっと俺のためにわざと残して持ち帰ってくれたのだろうが、それをあの時、俺に三時のおやつとして出してくれたんだ。俺は一口食べた時に、おやっと思った。昨日、おじさんに分けてもらったハムと同じ味だ。それでピンときた。須崎支店長さんがランチを取ったのは、おじさんの喫茶店だ。で、考えてみた。ウチの弁当が止まって得をしたのは誰か、ウチの弁当の販売を止めたかったのは誰かってな。しかも、放火する程に切羽詰っていたのは誰かと。そして、疑念は確信へと変わった。
おじさんは良い人だったが、犯罪は犯罪だ。しかも、放火は一歩間違えば、何十人の命を奪う事態になりかねない。重罪だ。軽重で決める訳ではないが、悪いことは、悪い。仕方ないな。昨日俺が撃退した連続窃盗犯は猫だから、多少は大目にみてもらえるが、おじさんは人間だ。法に従う必要と義務がある。もちろん、法律にも。そして、これを「正義」と言うんだ。難しいことでも何でもない。ごく当たり前のことさ。残念だが、仕方ない。
ああ、一つ言い忘れていたが、俺は人間じゃない。もう分かっているだろう。俺は猫だ。猫の探偵だ。胡散臭いが、動物臭くはないぞ。毎日、猫用シャンプーで洗っているからな。美歩ちゃんがリンスまでしてくれる。どっちも、舐めても大丈夫なやつだ。
「桃太郎」という名前は、まだ小さかった頃の俺が桃の缶詰の空き缶に入って、川の上を流れていたからだ。まあ、変な名前だが、気に入っている。とにかく、蜜柑やミートソースの缶じゃなくてよかったよ。ああ、それと、俺は、あんたら人間の言葉は分かるが、あんたらは俺の言葉が分からない。これが辛いところだ。ま、最初から読み直してみてくれ。俺の苦労が少しは分かるはずだ。
うん。言いたいことは分かる。分かるぞ。だが、違うんだ。俺はどうも、誰かにこうされちまったみたいだ。天然じゃない気がする。だから記憶がない。俺はそうにらんでいる。まあ、自称探偵としての俺の勘だがな。
さて、とにかく、これで一件落着だ。富樫健治も逮捕されたはずだ。暫らく、この町も平和だろう。めでたし、めでたし。で、俺は疲れたから、観音寺のイチョウの木の下で少し寝る。また何かあったら起こしてくれ。名探偵「桃太郎」は、いつでも駆けて行くぜ。悪を捕まえるために。ま、そういう訳で、とりあえずお別れだ。
じゃ、またな。
了
俺の事件簿 改淀川大新(旧筆名: 淀川 大 ) @Hiroshi-Yodokawa
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