93――最後の撮影とポケットベル


 このドラマもほぼ全てのシーンを撮り終えて、私の仕事もそろそろ終わりが見えてきた。火事のシーンも赤とオレンジ色のフィルムを重ねて貼り付けたライトを炎に見立てて、ゆらゆらと燃えているように見せる照明さんの技術によって視聴者にはそれなりに火の中にいる感じに見える出来上がりになったんじゃないかな。


 煙に巻かれて咳き込む演技の練習もしたのだけれど、充満する煙を表現するために粉末状の撮影用煙幕みたいなものが空中を舞っていて、吸い込んだ息と一緒にそれが喉に入ってきてしまって思いきり咳き込んでしまった。監督やスタッフさんたちには『リアルだったよ』と褒めてもらえたけど、本当にゲホゲホと咳が出てしばらく息が吸えなかったのだからリアルに見えるに決まってるでしょとツッコミたくなった。


 このドラマは給食費の盗難事件の解決や捨て猫の保護と里親探し、お互いを思いやり過ぎて擦れ違っていた親子の手助けや火事に巻き込まれた友達を人知れず救助したり、姿を消せるようになった女の子が場当たり的にご近所の平和に貢献する物語だ。無鉄砲で無茶しがちな妹をサポートしながら行動を誘導するお兄ちゃん役が竜矢さんで、前は同僚役だったけれど一度は共演した仲だから妹役としてもやりやすかったと思う。


 視聴率もなかなかよかったみたいで、なおとふみかからも『面白い』とこの前電話で話した時にお褒めの言葉をもらった。ふたりも中学で部活に精を出しているみたいで、なんだか忙しそうだ。入学式からこの夏休みまでの写真を送ってもらったけれど、なおなんて小麦色に焼けて部活に打ち込んでいることがよくわかる。隣にいるふみかが色白だから、余計にこんがり焼けている風に見えるんだよね。ただあんまり日焼けし過ぎるのもよくないから、日焼け止めをちゃんと塗るように手紙の返事を書いておいた。平成末期の製品に比べると効果は弱いだろうけれど、塗らないよりはマシだろう。


 ふみかはなんだか儚げ美人な雰囲気が増して、それとは正反対の中学1年生が持つあどけなさみたいなものが混ざりあって、何やら意図せず異性を魅了しそうな感じになっていた。写真で見た私がそう思うのだから、実物を目の当たりにしたらもっとその印象が強くなるのかも。運動部系美少女のなおと清楚系美少女のふみか、一緒にいるとその相乗効果でさらに男子の人気者になってそうだ。


 だから変な不良に目をつけられちゃったのかな。なおからの手紙だとふみか自身の危機感があんまりないみたいで、かなり心配だと書かれていた。この年頃の男なんて異性のことで頭がいっぱいだからね。同一人物かはわからないけれど、前世ではなおが不良とそういう関係になって子供までできてしまったわけで。万一が起こる可能性は否定できないので、しつこいと思われるかもしれないけれどふみかには折に触れて私も忠告というか注意を促しているんだけど効果は薄そうだ。もういっそおばさんに話を通すべきか。でもあの心配性なふみかの両親のことだから、下手したらふみかを私立の学校とかに転校させちゃうかもしれない。


 そうなればせっかく楽しく一緒に学校に通っているのになおと引き離すことにもなるわけで、私としてもできればそういう風にはしたくないんだよね。ふみかの近くにいない私にできることは、効果が薄くても少しずつ男子に対する危機感を持たせるように注意を促し続けることなのかもしれない。すぐに解決できないのはなんだかもどかしいけれど、なおとも密に連絡を取り合ってやっていくしかないよね。


「では最後になりましたが、すみれちゃん。VTRへの振りをお願いできますか?」


 おっといけない、ぼんやり考え込んでしまった。今日は私の最終撮影日ということで、ドラマの現場に放送局で流れているワイドショーのレポーターが取材に来ているのだ。生放送なのだけれど、ボーッとしている時に変な表情とかしてなかったかな。撮って出しに近い過密スケジュールだったから、さすがに中学生という元気溢れる身体を持つ私としてもかなり疲れてきている。


 でもあとは玄関のセットで竜矢さん演じるお兄ちゃんと一緒に学校に出かけるシーンさえ撮影すれば、たった一週間だけど夏休みを満喫できるのだ。とにかくゆっくりしたい。絵を描く課題だけ残ってるけれど、それくらいの余裕はあるだろう。寮の掃除とかもしたいしね、洋子さんにも明日からは休みと確約をもらってんだからあと少し頑張らないと。


「話数もあと少しになってきましたが、このドラマがどういう結末を迎えるのか。是非皆様に見守っていただけたらと思います。よろしくお願いします」


 笑顔でそう言ってペコリと頭を下げると、レポーターの女性が『ありがとうございました』と言った後に取材側のスタッフさんが『はい、オーケーです!』と声を上げた。どうやら私の出番は無事に終わったようだ。レポーターさんにもう一度『お疲れ様でした、ありがとうございました』と頭を下げると、『いえいえ、こちらこそありがとうございました』と返事をして取材班のカメラマンさんとスタッフさんのところへ歩いていった。


「なんか慌ただしいな、あの人たち。取材対応お疲れさま、すみれ」


「あ、竜矢さん。竜矢さんもお疲れさまです」


 今回の中継はもちろん私だけではなく、監督や竜矢さんもインタビューを受けていた。彼が慌ただしいと言っているのは、放送時間の10分前ぐらいに来てまくしたてるように段取りをこちらに伝えると、なだれ込むようにすぐ生放送が始まったからだ。彼らが中継しに来るというのも今日スタジオ入りして初めて知ったし、なんというか振り回されてる身としては事前連絡とかそういうのはしっかりして欲しいと切実に思う。


「でも今日ですみれの撮影は終わりなんだな。俺はもうちょっと残ってるから、明日も来ないといけないけど」


「NGの撮り残し分ですよね、今の竜矢さんだったらあっという間に終わりますよ」


 ため息をつきながら言う竜矢さんに、私は冗談めかして返事をした。前の映画の時はお世辞にも上手とは言えなかった演技は、竜矢さんの努力によってかなり見られるものになっている。ただセリフをとちったり監督の演技プランに合わなくてNGを出されることもある。それは誰だってやることだからちゃんと修正すれば問題ないんだけどね、しつこく何度もダメを出されなければOKだ。


「撮影中はいろいろとお世話になりました。夏休みに入ってからは、撮影の合間を縫って花火大会に行ったりロケ地近くの海で遊んだり楽しかったですよね」


「大場さんとかめちゃくちゃはしゃいでたよな、俺たちの親と同じぐらいの歳なのに」


 大場さんとは私たちの父親役のベテラン俳優さんだ。海水に濡れると髪がベッタリするし衣装が濡れたら大変だから撮影後に波打ち際でお行儀よく遊んでいたのだけれど、昔はサーファーとして暇さえあれば海に通いまくっていたという大場さんが衣装のまま海に飛び込んでしまった。本人曰く『昔の血が騒いだ』とのことで、スタッフの皆さんも『まぁ撮影も終わってることだし……』と苦笑しながらも和やかなムードだったんだよね。


 でもその後映像チェックしていた監督たちから撮り直しの指示を受けたスタッフさんたちは、さっきまでの雰囲気を一変させて大場さんに冷たく接していたのがちょっと怖かった。本人の迂闊な行動が原因といえばそうなのだけれど、そこまで手のひらを返さなくてもとちょっとだけ大場さんに同情してしまった。


 でも近くのおうちの水道を借りて大場さんの体を濡らしている海水を流したり、衣装を元の状態に戻すために近所のホテルの洗濯機と乾燥機を無理を言って借りたりした衣装さんグループの苦労を思うとそれくらいはされて当然なのかも。


「お祭りは浴衣姿のすみれが見られて俺としては嬉しかったかな、花火もキレイだったし」


「楽しかったですよね。騒ぎになったら大変だからって、衣装さんたちが変装させてくれて」


 白い百合の花があちこちに描かれた紺色の反物で仕立てた浴衣を、衣装さんが私と竜矢さんには内緒で持ち込んでいた。結構なお値段がしそうなその浴衣を着せられて、髪も後ろでお団子にセットしてくれたんだよね。そのお団子の根本に何かが差し込まれた感覚がして鏡に後頭部が写るように振り向くように首を捻ると、小さなひまわりの花がいくつか付いたデザインの簪が私の髪を飾っていた。


「夏だからね、やっぱりヒマワリがピッタリでしょ」


 そう言って笑うのは衣装さんチームのチーフさん。他にはかわいらしい桜の簪もあったそうだけど、季節に合ってないからこっちを持ってきたんだって。薄っすらとメイクも直してもらって竜矢さんのところに行くと、彼は彼で作務衣を着せられていた。一緒にお祭りには喜んで行くけど、私服でいいじゃないかと結構抵抗したらしい。まぁ男だとあんまり和服とかに縁がないものね、私も前世ではスーツばっかりで紋付き袴とかは一度も着たことなかったし。作務衣もスーパーの衣料品売り場に売っているのは見たことがあるけど、サイズがなかったからね。


 居心地悪そうな竜矢さんが私に気付いて視線を向けた後、そのまままるで時間が止まったみたいに固まってしまった。なんだろう、掛ける言葉に困っているのだろうか。まぁ鏡で自分の姿を見て、自分でも馬子にも衣装っぽいなぁと思ったからね。言いにくいことをわざわざ言わせなくてもいいだろうと、私は先に竜矢さんに話しかけた。


「竜矢さんも着替えさせられたんですか? 作務衣、似合ってますね」


 ニッコリ笑ってそう言うと、竜矢さんは何故か慌てたように両手を上げたり下ろしたりした後で、私から視線を外して斜め上を見ながら『す、すみれも似合ってる』と返してくれた。なんか無理やり言わせたみたいで申し訳ない気がしなくもないが、せっかく着たのだからできれば褒めてもらいたいよね。


 『ありがとうございます』とお礼を言って、ふたりでフレームだけでレンズがないメガネを掛けて露店を回った。焼きそばとリンゴ飴をおいしく食べて、さらに花火も見られるというお得なお祭りで楽しかった。


「よかったら来年とかお互い友達を誘って、またお祭りに一緒に行けたらいいですね」


 私がそう言うと竜矢さんは視線を空中に彷徨わせたあと、逡巡したように何度か口を開けては閉じてと不可解な動きを見せた。何か言いにくいことでもあるのだろうかと私が小首を傾げると、意を決したように小さく頷いてから口を再度開く。


「すみれ、俺と「すみれー、石動くんー! 監督が撮影再開するってー!!」ってくれ!」


「あ、洋子さんだ。はーい、わかりましたー!」


 少し離れた場所でこっちに手を振りながら大きな声で呼びかけてきた洋子さんに意識がそれて、残念ながら竜矢さんが何を言ったのか全然耳に入ってこなかった。撮影現場であんまり大きな声を出すのはあんまりよく思われないような気がするので、洋子さんが再度声を出す前に短く返事を返しておく。私も大きな声を出せば、洋子さんだけが顰蹙を買うことはないだろう。まぁ私と洋子さんは一蓮托生だから、クレームが入るとしたらまとめて事務所に来るんだろうね。


「えっと……ごめんなさい、竜矢さん。聞き取れなかったので、もう1回言ってもらえますか?」


「……いや、また今度でいいや」


 ガックリと肩を落とした竜矢さんはそう言って、私の背中をトンと軽く押して撮影場所へと歩くように促した。大事なことだったらいけないから聞き返したけど、竜矢さんがそう言うならまた今度でいいのかな?


 ふたりで一緒に洋子さんが立っている場所に歩み寄ると、まるでタイミングを合わせたように洋子さんの胸元から『ピッピッピッピ』と規則正しい電子音が鳴った。


「あら」


 洋子さんがスーツの胸ポケットから親指と人差し指で摘むように取り出したのは、厚みのある黒くて小さな長方形の機械だった。この時代に産まれ直してから持ってる人が近くにいなかったので、私がポケットベルを直接目にしたのは本当に最近だったりする。


 大島プロダクションでは外に出かける社員には以前からテレホンカードが支給され、洋子さんたちは定期的に公衆電話から事務所に電話をして重要な連絡事項の有無を確認するというのがこれまでのやり方だった。でもある日事務所に『ポケベルを導入しませんか?』とポケベルを扱っている会社の営業さんが訪ねてきたらしい。以前から急を要する連絡をしたい時に、洋子さんたちからの連絡を待たないと伝えられない従来のやり方にモヤモヤを抱えていたデスクのお姉さんたちの猛烈なプッシュもあり、上層部で相談した結果を踏まえてあずささんはポケベルを導入することに決めた。


 これまでも本当に急ぎの時はデスクさんからテレビ局とかスタジオに電話をしていたそうなのだけれど、色々な部署へたらい回しにされるかにべもなく切られるかのどちらかで、嫌な思いをする割に結果として連絡が取れない可能性が高いので待ちに徹するようになったらしい。

 これで時間を掛けずに連絡が取れるようになると、デスクの人たちは本当に喜んでいる様子だった。


 まだお試しの段階なので、事務所に不在がちなマネージャーさんや営業さん数名への支給なんだけどね。私たち所属タレントは、どうせマネージャーと一緒にいるのだから持たせる必要なしと判断されたらしい。実際に全員に支給される時には私たちにも渡されるそうだけれど、あと数年で通話のみとはいえこれまでの物とくらべるとかなり小型になった携帯電話やPHSが巷に溢れ返るのを知っている身としては、全員にポケベルを貸し出すのはもうちょっと待った方がいいのではと思ってしまう。もちろんそんなことを口に出せば『何故そんなことを言い出したのか』と不審がられる可能性があるので、もどかしくても黙っているしかない。


 通知音を止めて、液晶に表示されているであろう数字を見た洋子さんの顔色が変わった。この頃のポケベルは数字しか表示されないので、解読しにくい数字が送られてきたのだろうか。そんなことを考えていると、洋子さんが私にもポケベルの液晶画面が見えるようにこちらに向けてくれた。表示されている数字は4つで『4949』、確かこれは至急事務所に連絡が欲しい時の数字だったんじゃないかな。


「これ、よっぽどのことがないと使わないようにしようってデスク側と話し合ったはずなのよね。ということは……」


「良し悪しはわからないですけれど、何かしら緊急事態が起こっている可能性があるってことですか?」


 洋子さんの言葉を引き継ぐように私が言うと、彼女は表情を硬くしながらコクリと頷いた。それならすぐに連絡すればいいのにと思いつつ、そう言えばこれから私の撮影があるので動きにくいのかもと気づく。まぁこの演技で引退するとかなら洋子さんにも絶対見てもらいたいと思うだろうけれど、このドラマの最後の演技っていうだけなのでこの場合は事務所への連絡を優先してもらいたい。


 その旨を告げると、洋子さんは名残惜しそうにスタジオを出て公衆電話が設置されているロビーへと早足で向かった。その後姿を見送ってから、監督に呼ばれて撮影へと向かう。


 さて、いよいよこのドラマの撮影もこれで最後だ。サクッと終わらせて、夏休みを少しだけでも満喫したい。そんなことを考えながら監督からの指示を聞いた後、気合を入れ直してドライテストに挑むのだった。

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