94――ことの詳細
「すみれちゃん、これで全撮影終了です!」
カチンコの後のテープチェックを終えて、スタッフさんが大きな声でそう言った。いつも思うけどこの瞬間の達成感とかやり遂げた脱力感とか、そういう感覚のために頑張ったような気がする。まるで溜めていた夏休みの宿題を一気にやり終えたような、そんな気持ち。
温かな拍手が鳴る中、監督さんと今日が私の最終撮影日だと聞いてやってきた脚本家さんが近づいてきて、花束を渡してくれた。顔が隠れるぐらい大きな花束を両手で抱えながらお礼を言うと、監督と脚本家さんからもお礼を言われた。まぁゴタゴタがあったせいでスケジュールがかなりタイトだったもんね。でもそんな中で頑張ったのは私だけじゃなくて、演者もスタッフさんも必死に頑張ったんだからお互い様だと思う。
なので『また機会があれば、是非よろしくお願いします』と続編やその他の仕事も意欲的に頑張りますよと自分を売り込んでおいた。ふたりは『もちろん』と力強く頷いてくれたので、私の意図はちゃんと伝わったのだと思いたい。
その他にもスポンサー会社の担当者さんとかお世話になった衣装さんたちにも挨拶をしていると、事務所に電話をするために席を外していた洋子さんが戻ってきた。なんだかちょっとだけ表情が強張っているように見えるのは、私の気のせいだろうか。
「洋子さん、撮影終わりましたけど……何かありました?」
こちらに近づいてくる洋子さんにタタっと駆け寄って、報告と共に質問してみた。洋子さんは何度か口を開けたり閉じたりした後、意を決したように表情を引き締めて私を見つめる。
「すみれ、詳しい話は車の中でするわ。とりあえず撮影は終わってて、後は着替えたら帰る準備はできてるのよね?」
「……そうですね、後は衣装を脱いで私服に着替えるだけです」
「ならその間に私は関係者に挨拶しておくから、早めに済ませてちょうだい。置いてある私物はないわね?」
「昨日全部持って帰ったので、特にはないです」
テキパキと指示と質問をする洋子さんに答えると、『それじゃ、後で』と手を軽く上げた洋子さんと別れて更衣室へと向かった。後でクリーニングに出されるのはわかっているけど、ちゃんと畳んで衣装さんに渡すのが礼儀だよね。着てきたTシャツの上にボタンダウンシャツを羽織り、薄手のスカートを履いてトートバッグを肩に掛けた。
「バタバタしてごめんなさい、お世話になりました!」
「あっ、すみれちゃん! メイク落としてないわよ!?」
更衣室の中でメイクさんを相手に立ち話をしていた衣装さんに着ていた服を渡してペコリと挨拶をすると、メイクさんに呼び止められた。別に口紅とかはついてないんだけど、肌をキレイに見せるために下地やファンデーションはちょっとだけついてる。これくらいなら寮でも落とせるしこのまま帰ってもいいかなと思っていたら、後ろに立った衣装さんに両肩を軽く掴まれて鏡の前に連れて行かれた。
「何か慌ててるのはわかるけど、こういう時に限って怪我したり失敗する人って割といるのよ。ちょっと落ち着きましょ、ね?」
そのまま丸椅子に座らされて、メイクを落とすための薬剤で湿らせた柔らかい布で顔を拭われる。平成末期みたいに濃いメイクでも落とせるオールインワンの使い捨てシートなんてあるわけもなく、私がしてるみたいな薄いメイクを落とすのにも手間が掛かる。それでも普段から仕事でメイクして落としてを繰り返している彼女たちは、あっという間にスッピンの私に戻してくれた。
その短い間に一応私が知っている事情を話したのだけど、あの洋子さんが慌てている時点で何やら大変なことが起こっているようだという予測はメイクさんたちにも伝わったみたい。『早く行ってあげた方がいいね』と手早く髪もまとめてくれて、更衣室から送り出してくれた。背中を押されるように急かされたので、私も短く『お世話になりました』と挨拶をしてスタジオへと向かう。
予想よりも時間が掛かったからか、すでに洋子さんは挨拶まわりを終えてスタジオ前の廊下で待っていた。本来ならばもう一度私も中に入って全体に向かって挨拶をすべきだけれど、その時間すら惜しいらしい洋子さんが前もって話を通してくれていた。このまま直帰でいいらしいので、洋子さんと合流してそのまま急ぎ足で駐車場へと向かう。
乗り込むと即座に車を発進させた洋子さんに、これはただ事じゃないぞと気を引き締める。窓の外を流れる景色にちらりと視線を向けたと同時に、共演者の方々にも挨拶できていないことを思い出す。全員はいないだろうけれど、今日この後を無事にやり過ごせたら明日もう一回スタジオに行こうかな。全員はいないだろうけれど、数人には挨拶できるだろうし。特に竜矢さんは、何か私に言いたそうにしてたからね。休みの日に洋子さんに迷惑をかけるのは申し訳ないから、電車やバスを乗り継いでいこう。あくまでこの後何もなければ、だけどね。
「さて、それじゃあ話すわね。とは言っても、すみれにはちょっとしんどい話になると思うんだけど」
こほん、と小さく咳払いをしてから洋子さんはそう前置きした。運転中の洋子さんに頷いたところで見えないだろうから、ちゃんと声に出して『はい』と伝わるように返事をする。
「今日事務所にすみれのお姉さんが来てるらしいわ。いや、行動が非常識極まりないから本当にすみれと血が繋がってるのか疑問だけど」
「……えっ!? 姉がこっちに来てるんですか? というか『来た』じゃなくて『来てる』っていう言い方をするということは、現在進行系の話なんですよね?」
一瞬何を言われたのかを理解できなくて、固まってしまった。私と関わるなんて死んでもお断りとでも言いそうな姉が、わざわざ東京までやってきて事務所に押しかけるなんていうとんでもない迷惑行為をしているというのだから脳が理解を拒否しようとしても仕方がないと思う。でもあんな姉でも身内で、今この東京には姉の無礼を詫びられるのは私しかいないのだから逃げていても仕方がない。
私が確認するように質問すると、洋子さんはコクリと頷いた。
「デスクの主任が対応したそうだけど、名乗った後で『妹からの金を受け取りに来た』って言ったそうよ。追い返そうとしたら暴れたから、男性陣が力づくで抑え込んで身動きできないように縛って倉庫に放り込んだらしいんだけど」
それだけ聞くと手荒な感じに思えるかもしれないけれど、多分姉の暴れっぷりがすごかったんだろうね。もしかしたらガラスが割れたり、物理的な損害が出ているかもしれない。私が返す謂れはないけど、お世話になっているみなさんに迷惑を掛けたのだから謝罪してなんとしても弁償する必要がある。というか、弁償して謝り倒さないと私の気が済まない。
「……もしかして、前にすみれに相談された電話でのお金の無心の話ってまだ続いていたのかしら」
洋子さんの呟きに、思い出したのは前に掛かってきた電話のことだった。『実家に連れ戻されそうだから、お前の貯金を全部こちらに寄越せ』なんて無茶な要求をされたことは記憶に新しい。当然そんなメチャクチャな要求には答えられないし、それなのにアドバイスまでしてあげたのにこんなことをしでかすなんて。
恩をあだで返すっていうのはまさにこのことだろう。
しかし私も終わったことだと思ってすっかり頭の中から消していたのに、さすが洋子さん。『よく覚えていましたね、こんな話』と思わず口に出すと、洋子さんはちょっと怖い表情で『身内からとはいえ担当タレントへの集り案件なんだから、覚えてて当然でしょう』とちょっと叱られてしまった。これは自分の危機感が足りなかったなと、素直に謝って反省する。
「しかし本当に救いようがない子ね、まさかこんなバカことを実際にするなんて」
洋子さんが吐き捨てるように言うのを聞きながら、姉に対してどう対応するべきかを考える。小学生の頃ならまだ更生の余地があると思って姉に意見したり、両親にも忠告みたいなことをした。でも姉ももう中学3年生、そろそろ自分の人生をしっかり考えるべきだと思う。事務所がどういう状態になっているのかはわからないけれど、もしも物が壊れていたり誰かが姉によって怪我をさせられていたらそれはもう犯罪だ。他人に迷惑をかけたのだから、その責任は負うべきだろう。
そしてそんな姉を親として矯正できなかった両親も、保護者として責任をとるべきだと思う。子供がふたり同じ家にいる状態ならどちらにも配慮が必要だから中途半端になることもあるだろうけど、私が家にいなかったんだから両親は姉に対して全力で向き合うこともできたはずだ。姉の両親への不信感が根強くて最初は話にならなかったとしても、4年間地道に姉とのコミュニケーションを続けていれば今のような状況にはなっていないんじゃないかな。
(家を出る前に、ちゃんと姉と向き合うようにって約束したのにね)
私に対しての行動でこの世界の両親が前世とは違う風に変わったんだと思っていたけれど、多分それは違ったんだろうね。前世では自分の意見に反論されたりすると、父も母も『もういい』って話を切り上げてそこから無視を続けるような人たちだった。それは今になって思えば子供に暴力を振るわないようにするための自分へのストッパー的な行為だったのかもしれない。それと同時に、両親に無視され続けた私たち子供側から謝らせれば、ひとまずの解決を迎えることができる。でもそれじゃなんにも解決してないし子供側の中にはわだかまりがずっと残り続ける、責任の押し付けとも言える非常にまずいやり方だったんじゃないかな。前世の私はそのわだかまりをずっと自分の中に溜め込み続けて、病になった原因のひとつになったわけだし。
両親は多分、話が通じる人間に対してしか腹を割って話すことができないんだと思う。だから両親を完全に拒絶してまともに話ができない姉には、私に対してみたいな理性的な話し合いができなかった。私が東京に来ることを相談した時みたいに自分の経験とかそういうのを交えながら話すことができれば、きっと姉の現在の状況は変わっていたんじゃないかな。
私や家族にだけ迷惑を掛けている状態ならまだ許せていたけれど、私が頑張って東京で築いてきた人間関係や環境をこんな風にぶち壊そうとするならもう容赦はしない。人生2周目だから同じ目線に立たずに姉の傍若無人な態度もなぁなぁにやり過ごしてきたのがいけなかったのなら、今回私はちゃんと怒ろうと思う。『今までは許してきたのに、急に怒るなんて器が小さい』みたいに言われるのかもしれないけれど、そんな意見なんて知ったことか。
胸中で怒りをどんどん膨らませる私を乗せて、いつの間にか車は事務所の駐車場へと到着していた。車から降りて早速事務所に入ろうとすると、洋子さんが肩をぐいっと掴んで私を引き止めた。どうしたのかなと首を傾げながら振り向くと、『私が前に立つから』と呟いて私を背に隠すようにジリジリとした動きで扉に近づいていく。
中に入るとさっき話に出てきたデスクの主任さんが駆け寄ってきて、私の方に視線を向けてホッと胸を撫で下ろしていた。なんだか疲労困憊という様子で、事務所内を見回すと他の人も大なり小なり疲れた様子を見せていた。とにかく謝らないとと、隠れていた洋子さんの背中から出て勢いよくペコリと頭を下げた。
「みなさん、ごめんなさい! わたしの姉がひどいご迷惑を掛けて……」
「すみれちゃんが謝ることじゃないでしょう? 悪いのはあの女なんだし、家族だからって本人以外が頭を下げるべきじゃないわ」
私の謝罪に主任さんはきっぱりとそう言い切って、下げた私の頭を何度か撫でた。すると他の社員さんたちも『そうだよ、気にしないで』『でもあんなお姉さんがいて、すみれちゃんも大変ねぇ』と口々に労りの声を掛けてくれた。ここまで言われるなんて、姉はここでどんな態度をとったのか。そう思った瞬間、暴れたらしいことを思い出して主任さんに尋ねた。
「あの、姉が暴れたと聞いたんですけど……何か壊されたものとかありましたか?」
見たところいつもの事務所の風景なんだけど、洋子さんから聞いた話だと何かが壊れていてもおかしくない暴れっぷりだったみたいだし。覚悟を決めて聞いてみると当然『すみれちゃんは気にしなくていいのよ』と言ってくれたけれど、あるなら見せてほしいと食い下がると主任さんはため息をついて奥の休憩室に連れて行ってくれた。
「……うわぁ」
金属製の足が歪に折れ曲がって、天板が外れているテーブル。あと陶器の何かだったものが割れて、その破片などがゴミ袋に入れられているのを見て、思わずそんな声を漏らしてしまった。テーブルはともかく、陶器はちょっとお値段が高そうな雰囲気がある。半透明の袋から見える柄から察するに、来客スペースのところに置かれていた結構な大きさの花瓶だった記憶がある。
この破壊活動の痕を見ると、物だけじゃなくて誰か怪我をしたのではないかと心配になる。主任さんにそれを尋ねると、どうやら怪我をした人はいなかったらしい。『本当によかった』と思わず膝が崩れそうになりそうなのを持ち直しながら、ホッと胸を撫で下ろした。
その後はいよいよ姉が閉じ込められている倉庫へと向かう。直接会うのは本当に久しぶりだから、今の姉がどんな風になっているのかはわからない。言い知れない不安感を覚えてちょっと足が竦みそうになっていると、半歩後ろを歩いていた洋子さんがそっと背中をポンポンと撫でてくれた。多分私の不安が彼女にも伝わってしまったんだと思う。
なんだか励まされたような気持ちになって、足をしっかりと前に出す。正面から姉に気持ちをぶつけなければいけないのだから、こんなところで竦んでなんていられない。
倉庫の前には私も知っている男性社員さんが、まるで門番のように立っていた。よく見ると彼のワイシャツの袖が、引き裂かれたように破れていることに気付く。多分彼が暴れる姉を取り押さえてくれたことは、わざわざ聞かなくてもなんとなくわかる。
「姉がごめんなさい、シャツは弁償させてください」
「いやいや、すみれちゃんにそんなことはさせられないよ。君は被害者なんだし、弁償してもらうとしたら中にいる人にお願いするよ」
倉庫のドアを見ながら社員さんはそう言ったのだけれどその時の瞳がすごく冷たくて、姉への強い怒りが私にも伝わってきた。妹である私と姉を姉妹だからと混同することはしないと、事務所のみなさんが徹底してくださってるのが嬉しくて申し訳なく思ってしまう。これからも頑張って、仕事で恩をお返ししていかないと。
主任さんがドアを開けてくれて先に洋子さんが中に入って電気を点けてから、私も意を決して足を踏み入れるのだった。
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