89――絡まれたから話してみた結果


 ぎこちない空気を払拭すべく、スタッフさんが顔合わせを始める旨を大きな声で宣言した。


 『よろしくお願いします』と口々に挨拶すると監督や脚本家さん、演出家さんなどが紹介されていく。スタッフさん側の紹介が終わった後で、今度は私たち演者の紹介に移っていく。


 最初に私の兄役である竜矢さんが、紹介されると共に立ち上がって深々と頭を下げた。


「続きまして、高森やよい役の松田すみれさんです」


 私が立ち上がって竜矢さんと同じように頭を下げると、周囲から拍手が起こる。パイプ椅子に腰を下ろしたのと同時に、長机を力いっぱい叩いたような『バァン!』という音が部屋中に響いた。あれ、デジャブかな?


「どういうことなのよ! 妹役は私のはずでしょうが!!」


 さっき中村さんに叱られたにも関わらず、彼女はまた激昂して立ち上がった。2回も机を力いっぱい叩いて、彼女の手は大丈夫なのかなとちょっとだけ心配しつつそちらに視線を向ける。


 名前を知らないのであの子とか彼女とかごん兵衛さんみたいにしか呼べないんだけど、彼女やお父さんとの話はきちんと解決したと聞いていたのに実はそうではなかったのだろうか。


 人間って事情がわからない状況に身を置くとストレスが溜まるもので、段々と困惑と苛立ちの視線が彼女とそれを諌めない監督たちに集まっていく。それを嫌ったのか、脚本家がようやく口を開いた。


「座ってください、野村さん。あなたのお父さんにも言いましたが、このドラマの主役はすみれちゃんにお願いすることに決まっています。これは決定事項です」


「こちらとしては端役だが元々は存在しなかった君の役を用意した、これが最大限の譲歩だ。それでも気に入らないというなら、ここから出て行ってくれ」


 脚本家の言葉を引き継いで、監督が厳しい声で最後通告をした。まぁこれくらい言わないと、演者側からもイチ抜けたって言い出す人も出てくるかもしれないからね。誰だって揉めたり喧嘩したりはしたくないけれど、言わなきゃいけないことはちゃんと言わないと。責任者ならなおさらその役割を果たさなければ、新しい火種を生み出すことにも繋がりかねない。


 監督と脚本家の対応は満点ではないだろうけれど、及第点だったと思う。さて、諌められた野村某さんはどう出るのか。というか、マネージャーとかそういう人って今日は一緒に来ていないのだろうか。一番彼女を諌めなきゃいけない立場の人だし、さっきからの言動を見ている限りブレーキ役は絶対に必要だと思うのだけど。


 ピシャリと言った監督たちに、彼女は気まずそうに口を噤んだ。父親がテレビ局の重役の立場なら、もしかしたら周囲の人間が『彼女をドラマのヒロイン役として使いたい』とゴマすりの意味も含めて言ったのかもしれない。でもだからと言って父親の権力を使ってすでに決定済みだったキャストに、割り込もうとするのはよくないよね。


 ドラマを作るにはどれだけの人間が関わって、たくさんの労力を使っているのかを是非自分の目で見て学んで欲しい。そこから先に進めるかは努力と才能だけど、彼女がこれから進むどの道でも知ったことは役に立つと思う。


 ストン、とパイプ椅子に腰を下ろした彼女。それを見て、改めてスタッフさんが私の名前を読んで紹介を再開した。そこからは順番に演者さんたちが呼ばれていき、最後にスポンサー側の出席者の社名と名前が呼ばれて関係者紹介が終わった。


「本来ならここで休憩をはさみたかったのですが時間が押しておりますので、このまま簡単な内容説明と台本の読み合わせを進めます。お手洗いなどでどうしても席を離れる場合は、静かにお願いします」


 露骨な嫌味が含まれたスタッフさんの案内に、思わず小さく苦笑が浮かんだ。でもここに集まった人はみんな何かしらのプロなのだから、限られた時間を子供の癇癪で無駄にされたらそりゃあ怒るだろう。でも今日のことに関しては彼女だけのせいではなく大人たちの過失も大きいんじゃないかな、誰かさんへの忖度でうまく身動きが取れなかったみたいだし。


 別に彼女の味方はしないけど、子供に全責任を負わせるみたいなやり方は気に入らない。まだこの時代は子供のことよりも大人の意向や立場が大事にされる部分が多々あるので、仕方がないことなのかもしれない。でもやっぱり気に入らない。このままだと頭の中が堂々巡りになりそうなので、無理矢理に思考を打ち切ることにする。


「えー、本来ならばこの作品のコアターゲットである小中学生が生で視聴できる夏休み期間中に放送するはずでしたが、ゴタゴタがあり新学期にズレ込むのと撮影期間の短縮からは逃れられませんでした。これはひとえに私の責任です、申し訳ない」


 薄くなった頭を深く下げる監督を見て、周りの脚本家や演出家も頭を下げた。まぁよくよく考えると、監督たちも被害者なんだよね。ゴタゴタの原因である重役にも、何か天罰が落ちることを祈っておこう。


 放送期間がズレるということは見込んでいた視聴率が取れない可能性があるので、スポンサーさんたちも痛手だろうね。ただ他人ごとじゃなくて、私たちも撮影期間に余裕がないんだからいつも以上に頑張らないと。


 ちなみに肝心のドラマのあらすじを簡単にまとめると、関東近辺にある三郷みさと町という架空の町に住む兄と妹がご近所で起こる事件を解決するというライトな探偵もの。ここまではあらかじめ聞いていたけど、最初の1週間目は私が演じるやよいが朝起きると突然自分の姿を見えなくさせるという能力を手に入れるところから始まる。こういう特殊能力ものの作品ってもう少し後に出始めたイメージがあったのだけど、どうやらこの頃でもそういう発想は普通にあったみたい。


 よくよく考えたらビーズを自分へ飛ばしてテレポートする能力を持っている女の子のマンガだって、普通にアニメがテレビ放送されているんだからおかしいことではないよね。


 ただやよいが姿を消した状態でも見える人がひとりだけいて、それが兄である高森良一たかもりりょういちだった。妹の特殊能力を知った良一は、とにかく犯罪だけはしないようにときつくやよいに言い含める。おそらく万引きを危惧したのだろうけどやよいの能力は身につけている服は一緒に消えるのに、手に持ったアイテムは他の人からも見えてしまうというかゆいところに手が届かない仕様になっていた。


 例えば姿を消したままでボールを持つと、ボールが宙に浮いているように見えるということだ。良一に言われて検証した結果、姿が見えない状態を解除してから物を持ち再度姿を消すと持った物も見えなくなることがわかった。ちなみに消えていても他人がやよいに触れるので、バレないようにするには相手に触れない触れさせないことを念頭に置くべきだと良一は言う。


 ドラマは平日の午後1時から1時30分まで週に5回流れるので、この5回で1~2話のストーリーが進んでいくことになる。最初の一週目はやよいの能力の発現とその検証、そして放課後にたまたま見かけたクラス内で起こった盗難事件の解決までが描かれる。


「でもなんでこんな能力がやよいに……? お前、何か心当たりはあるのか?」


「わ、わたしだってわからないよ!」


 竜矢さんも前に共演した時より、お芝居が上達してるなぁ。そんなことを考えながら、私も突然のことに混乱している女の子を演じる。ついさっき台本を渡されたばかりだからセリフはほとんど頭の中に入っていないけれど、演技をする時は台本を持っている時でもできる限り相手や周囲に視線を向けること。これはあずささんからの教えだ。


 台本とにらめっこしても臨場感やリアリティは出ないし、それならできるだけその場でセリフやト書きを覚えて本番に近い演技をした方がいいと東京に来た頃から言われている。普段は息をするように自然と習慣づけされているからここ2年ぐらいはいちいち注意されたりしないけれど、たまに事前に台本が見れなくてぶっつけ本番になってしまった時なんかは文字を追いかけるのを優先してしまうことがある。最終的にはちゃんと監督や演出家の意図に沿えばいいとは思うのだけど、自分の成長のためにちゃんと師匠の教えは守りたい。


「とにかく、他の人の前ではその能力は絶対に使っちゃ駄目だ。あやしい研究所に連れて行かれて解剖されるぞ」


「お兄ちゃんの前で使うのはだいじょうぶ……?」


 不安そうな表情で竜矢さんと視線を合わせながら言うと、何故かふいっと視線を逸らしてから『兄ちゃんの前だったらいいぞ』とちょっと噛みながら言った。竜矢さんが言い終えるのと同時ぐらいに監督が『カット!』と声を出したので、ふーっと小さく息を吐き出して役者モードから普段のモードに切り替える。


 『最後の最後でとちりましたね』といたずらっぽく笑って竜矢さんをからかうと、竜矢さんは『ちょっと油断したんだよ』と不貞腐れたように首をぷいっと私とは反対側に振った。首が痛くなるくらい竜矢さんを見上げたら、耳が真っ赤になっているのが見て取れた。アイドルなのに意外と純情なのか竜矢さんが照れているのが面白くて、正面に回り込みながらも顔を上目遣いで見上げていると、ついにグイッと大きな手のひらで目隠しされてしまった。


「二人とも期待以上の演技でよかった、本番が楽しみです」


 監督がそう言うと、脚本家や演出家もうんうんと頷いてくれていた。その後も中村さんをはじめとして、複数の役者さんと掛け合いをした。時々カメラのフラッシュが焚かれて眩しかったけど、それぞれの感情の乗せ方とか演技を間近で感じられてすごく勉強になった。問題児の彼女とも掛け合うのかなと思っていたら、台本に記載されたセリフが一言だけだったので今日はやらなくてもいいとのこと。彼女の演技の実力がどの程度なのかは知らないけど、このメンバーの中で演技をするとなると幼い頃から演技のレッスンを受けていないと見劣ってしまうのは間違いない。


 撮影の開始は1週間後から始まるので、今日はこの台本と人物設定表だけもらって解散らしい。監督が立ち上がって『それでは、よろしくお願いします』と頭を下げたのを見て、私たちも『よろしくお願いします』と言いながら頭を下げた。そのまま解散の流れになって、洋子さんと合流。さて、今日はこのお仕事以外はスケジュールになかったので、このまま家に帰ろうかと思って足を一歩踏み出すと同時に誰かに腕をグイッと引っ張られた。


 驚いて振り向くと、憎々しげに私を睨んでいるあの子がいた。まだ怒鳴られるのも鬱陶しいなぁと思いながら『なんですか?』と尋ねると、さすがに今日だけで大人の男の人に2回も叱られて怖がっているのか小さな声で私に言った。


「なんで……なんでアンタばっかり! お芝居も大人と同じぐらい上手いなんてズルいじゃない!!」


 声は小さいのに語気が強い、彼女の言葉を聞いて最初に思ったのはそんなつまらないことだった。自分以外の他人をうらやましいと思うことは私だって多々あるけれど、なるべくズルいという言葉は使わないようにしている。何故かというと、ズルいという言葉には言われた人がこれまでそれを得るまでの努力とか時間とか熱意とか、払った対価を無視しているように思えるからだ。


 ズルいという言葉を簡単に言う人には、本当に言われた人と同じ実力を得られるぐらい頑張ったのかと問いたい。頑張ることとか努力することがダサいって現世でも言われるようになってきたけど、結局どんなことだって他の人より上手になるには努力が必要なのだから。


「何がズルいの?」


「だって、子供なのに……そんなに年も変わらないのに……」


 彼女の目を見て正面から尋ねると、その圧に気圧されたのか。それとも言いたいことがうまくまとまらないのか、絞り出すように答えてくる。意外と言ったら申し訳ないけれど、この子はちゃんと聞く耳は持ってるんだね。正直なところ、うるさいとか言われてこっちの反論は聞かない感じかと思っていた。


「あなたはこれまで生きてきて、なにか習い事とかしたことある?」


「……ピアノとか絵とか。塾にも通ってるけど、それが何?」


「習い事って、練習したら昨日までできなかったことができるようになったりするよね。それと一緒でわたしもレッスンを受けて努力して、演技が上達しただけだよ」


 『まだまだ下手だけどね』と最後に本音がこぼれてしまったのを聞いて、彼女は驚いた表情を浮かべていた。私の演技が未熟なのは本当のことだし、別に驚かれることは何もないと思うのだけど。


 彼女の実力がどの程度なのかは知らないけれど、プロの中に入って演技しないといけないのだからあまりに実力不足だと悪目立ちする可能性が高い。いらないお世話だと思うけれど、一言だけアドバイスしておくことにした。


「わたし程度の演技でも上手だと思ってくれたなら、撮影の日まで演技のレッスンを必死に受けて自分のセリフを仕上げた方がいいよ」


 なんだか意地悪を言ってるような感じで言葉足らずになってしまったけれど、どうやら無事に私の意図が伝わったらしい。自分だけが学芸会みたいな素人演技で浮いている姿が想像できたのだろう、顔を青ざめさせて悔しそうな表情を浮かべて足早に出口へと歩いていった。その後ろをスーツのおじさんが着いていくのが見えたけど、もしかしたらあの人が今日の付き添いだったのだろうか。全然関係ない人だったら申し訳ないけれど、付き添い役だったのならちゃんと役割を果たしてあげてほしいとちょっとだけ彼女に同情してしまった。


「……おせっかいねぇ、すみれ」


 私とあの子が会話している間、三歩程後ろで成り行きを見守っていた洋子さんが呆れたような声音で言った。それにしても、そんな風に言われるのは心外だ。大人たちが頼りにならないから、私が自分なりにお話しただけなのに。


「大人の男の人に上から目線で怒鳴られたり叱られたりしたら、子供って普通は怖がると思うよ。それでも恐怖とか反骨心とか色々なものが素直に謝るのを邪魔して、あんな風に虚勢を張っていたんじゃないかな。さっきのあの子は別の意味で怖がっていたから、今なら話が通じるかなって」


「別の意味?」


「見ている時は簡単そうに思えて気軽に始めてはみたものの、実際に自分がやろうとしたらレベルが高くてついていけなかったみたいなことってよくあるでしょ? あの読み合わせを間近で聞いて、プロの演技の中に素人の自分が混ざるっていう想像をさっき初めて具体的にしたんでしょうね。それを見た人たちが一体どんな感想を持つかも含めて。だからそれなりに見劣りしない演技ができているわたしに、嫉妬したんじゃないかとな思って」


 揺さぶってみました、と私が言うと洋子さんは『鈍いくせに変なところで敏いのよね、この子は』と深く重たいため息をつきながら言った。私の言葉で彼女の行動に変化が起こるかどうかはわからないけれど、話すチャンスがあって伝えられる言葉があるのなら言わないより言った方がいいと個人的には思うんだけどね。


 『まぁ私の言葉ぐらいでは何も変わらないでしょ』と思っていたら、結局彼女は出演を辞退したとクランクイン当日に監督から話があった。そうなると脚本もまた超特急で変更しないといけないし、脚本家さんたちは大変だろうね。そう思って同情を含んだ視線をスタッフさんたちに向けていると元々彼女の出演部分は無理やり増やしたものだったので、それを削除して時間調整のために泣く泣く消した本来のシーンを復活させればいいだけなので影響は少なかったそうだ。


 娘の希望を聞いて無理やりねじ込んできた重役パパは、娘のドタキャンでかなり周囲の顰蹙を買った挙げ句に裏で高額な賠償金みたいなものをドラマのスポンサーや制作会社に払ったらしい。スケジュールを遅らせたりいらない手間がものすごく増えたのだから、現場からすれば払ってもらって当然のお金だと思う。


「すみれちゃん、そろそろメイクお願いします!」


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、忙しく動き回っているスタッフさんに呼ばれた。さて、始まる前からすでに残り時間がマイナスになっている撮影なのだから、テキパキ動かないとね。私は気合を入れ直しつつスタッフさんに返事を返すと、メイク室へと足を進めるのだった。

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