88――新ドラマに関するあれこれ
洋子さんのおめでたい話は少し横に置いておいて、前々から話題に出てた新ドラマの話。
結局オファーを受けることにしたのだけど、当初の予定では6月と7月に結構な急ピッチで撮影して7月下旬からの放送に合わせるという感じでスケジュールを押さえられていた。
でも中間テストも終わってもうすぐ6月になるというこの時期になっても、全然具体的な話が聞こえてこなかったので洋子さんに聞いてみることにした。
「ああ、あれね。ものすごい大モメ中らしくて先が見えない状態なの」
「大モメ……そんなに揉めるような要素ありましたっけ?」
夏休みに小学生から高校生ぐらいの学生をターゲットにしたドラマだから、最初の放送予定に合わせた方が絶対に視聴率よさそうなのに。
「最悪の場合はバラシになるかもしれないから、そこは覚悟しておいて」
「まぁ、それは残念ですけど。ありえる話ですもんね」
本当はキャスティングしたい子役や役者さんがいて、その人に断られそうだから2番手以降の候補にオファーを出してスケジュールをとりあえず押さえておく、というのはよくある話だ。そして何らかの理由によってその予定が無くなることを業界ではバラすとかバラシという。そのお仕事が丸々無くなってしまうのだから、できれば起こって欲しくはないよね。特に私みたいに自分で学費やら生活費やらを捻出しなくちゃいけない人間にとっては死活問題だ。
でも実際にバラされたことについて文句を言ったところで、『やっぱりすみれちゃんでお願いします』となる可能性は限りなくゼロに近い。扱いづらい役者だと思われるよりは、素直に
飲み込んで次に目を向けた方が前向きだし自分にもプラスになりそうだからね。連絡が前日や当日に来たりする酷い事例以外は、素直に受け入れるようにしている。
「何かの手配ミスですか?」
「うーん、私もまだちゃんと相手側の説明を受けた訳じゃなくてね。ただの噂なんだけど、放送予定のテレビ局の重役の娘が主役やらせろって言ってるとかでね」
「主役っていうことは、わたしの役ですか」
「すみれに向かって直接は言いにくいけど、そういうことね。ただ制作側は『ふざけるな』ってすぐに拒否したけど、局側は『業界から干すぞ』とか『放送枠無くすぞ』とか強権振るってきてるみたい」
うわ、公私混同も甚だしい。その重役さん、かなり上の立場っぽいけど親バカなのかな? 娘さんを強引に捩じ込んで役がもらえたとしても、普通ならその後も娘さんを起用しようとする制作陣はいないだろうしすごくやり方が拙いと思う。もしも大人の事情で役を譲れと言われても、さすがに無条件で降板はしたくない。せめて直接対決というかオーディションでお互いの実力を見比べてもらって、その上で降板しろと言われれば自分の実力不足ということで不満だけど降板に納得するしかないよね。
本当なら既にキャスティングされている私が、そんな風に気を遣う必要もないんだけどね。この業界で一度でも理不尽な要求を素直に受け入れると、舐められて次からも同じように譲れと付け込まれるようになるかもしれないから、本音を言えばできる限りやりたくなかったりする。
そんなことを考えていると、ふと脳裏にとある女の子の名前がよぎった。まさかあの子じゃないよね、とちょっとだけビクビクしながらも洋子さんに確認する。
「もしかしてその子の名前、池田すずちゃんじゃないですよね……?」
「ううん、聞いてる名前は違うけど。すみれ、心当たりがあるの?」
私が尋ねると、きょとんとした表情の洋子さんがそう聞いてきた。ああ、そうだよね。普通は何年も前に一度だけ仕事で絡んだ子役の名前なんて、覚えてないよね。
池田すずちゃんは私の初めてのCM撮影で共演した女の子で、確かテレビ局だったかプロダクションだったかは忘れたけど、関係先の娘さんだったはず。メイクさんとか現場のスタッフからはわがままな子と遠巻きにされていたのを覚えている。実際に共演した感じでは気分屋なところはあったけれど、ちゃんと撮影中は真面目に仕事をしていた。
すずちゃんのことを話すと、洋子さんは『よく覚えてるわね、すみれ』と驚きの表情を浮かべていた。前世では他人の名前を覚えられなかったり顔と名前を一致させるのが下手だった私だけど、すみれになってからは両方とも苦労なくできるようになった。多分脳の性能がいいんだろうね、勉強ができるのも多分このおかげじゃないかな。
「あの子は確か、プロダクションの社長の娘じゃなかったかしら」
朧気な記憶を頑張って遡ってくれた洋子さんの呟きに、じゃあ別人かと私はホッと胸を撫で下ろした。あのCM撮影の後、お仕事は一緒になったことはないけれど。元気にしてるのかな、すずちゃん。
洋子さん曰く、社長さんとか重役の娘だと箔付けのためにこうしてキャスティングに口出しされることがままあるらしい。箔付けしたいなら時間を掛けて準備をして、迷惑を掛けないようにやればいいのに。
こんな話をしていたからか、数日後にこの件で呼び出しを受けた時にはちょっと緊張してしまった。顔合わせということは話がうまくまとまったのかなと安心して、学校帰りに制服姿で参加した。
パーテーションで区切ったら打ち合わせ部屋が3つぐらいできるんじゃないかというぐらいの、かなり広い部屋に案内される。多分ここって大道具を一時的に置いておいたり、ドラマの本読みだったり色々なことに使われるんだろうね。
『おはようございます』と挨拶しながら室内に入ると、長机とパイプ椅子が多く並べられていた。ホワイトボードの片側に監督と演出家と女性の脚本家が、その反対側にはスーツのおじさんが数人並んで座っている。多分メインのスポンサー会社の人なんじゃないかな? 洋子さんに合図されてまずは監督達に、続いてスーツのおじさん達に挨拶する。おじさん達から名刺をもらったのだけど、ドラマが流れる放送枠を長年支えている老舗企業の人達だった。
下心と言われればその通りだけれど、テレビ局に出入りするような企業の人には礼儀正しくしておかないとね。もしかしたら、他のお仕事がもらえるかもしれないし。
ホワイトボードの前には長机が□の形になるように並べられていて、そこに出演者達が座っていた。パッと見て年長の人や近くにいる人から挨拶をしていく。遠くにいる年長の人を優先して、まだ挨拶を済ませてない人の前を素通りしたら失礼だし相手もいい気持ちはしないだろうからね。
「すみれ、こっち空いてるよ」
手を挙げて私を呼んでくれたのは、前に映画で共演した
「竜矢さん、お久しぶりです」
「こないだまでタメ口だったのに、なんか距離が広がってない?」
ええっ、タメ口じゃなかったよね? 基本的に私、仕事場では敬語のはずなんだけど。ああでも、たまにテレビ局の廊下ですれ違って立ち話する時は、タメ口も混ざってたかもしれない。
無意識だったからうまくタメ口のみに切り替えるのは難しいことを伝えると、竜矢さんは『じゃあ慣れるためにたくさん喋ろう』とか言い出した。まぁ私も撮影現場でお話する人がいないのは寂しいのでありがたい申し出だけれど、成人前後の男性が中学1年生の女子と話していて楽しいのかな。世間一般の中学生女子とはかけ離れているというのは自覚してるけど。
ふと対面のテーブルの方に目を向けると、『よっ』という声が聞こえてきそうなぐらい軽く手を上げた中村さんがいた。プロポーズの話を聞いた身をしては、他人事ながらなんだかくすぐったいような照れくさいような不思議な気分になる。それが表情に出ていたのか、中村さんの表情がムッとしたものに変わる。
「……なんだよ、ニヤニヤしやがって」
「いえいえ、なんでもないです。お久しぶりです、中村さん。これからまたよろしくお願いします」
先輩の機嫌を損ねてはいけないと、頑張って真面目な表情に戻してペコリと頭を下げた。そんな私にこれ以上不機嫌に絡むのは大人げないと感じたのか、中村さんも『……おう、よろしくな』と答えてくれた。せっかくの顔合わせなのに、空気悪くしたくないもんね。というか、中村さんピリピリしてるなぁ。多分私が洋子さんからプロポーズの件を聞いているだろうことを、予想しているんだと思う。こんなことを他の人がいるところでペラペラ話すわけにはいかないし、そもそもそんなつもりもないのにね。
私がそんなことを考えていると、突然『バァン!』と大きな音がした。そっちの方向に視線を向けると、ホワイトボードから一番遠い長机のところにポツンと座っていた女の子が、立ち上がり手のひらを長机に叩きつけたような格好で私を睨みつけていた。あの音の大きさからして、思いっきり机を叩いたのだろう。痛いのは想像がつくけど、それを私に八つ当たりされても正直困る。
「遅れてきたくせに、知り合いとくっちゃべってないでさっさと私に挨拶しに来なさいよ! 失礼でしょ!!」
ツバを飛ばしそうな勢いでそう怒鳴ってきたけど、多分初対面だよね? まぁ他にも初共演の役者さんもいたけどこの席に来るまでにちゃんと挨拶をしてきたし、こんな風に怒鳴られるようなことはなかった。実はすごく有名な役者さんとか? 私より背は高いけど年齢はそう変わらなそうな彼女の顔は、多分テレビとかで見たことないと思う。いや、もちろん役者さんや子役全員の顔と名前を知っている訳ではないので、私の記憶にないだけかもしれないけれど。
部屋の中はシーンと静まり返り、視線を巡らせると監督達も苦々しい表情を浮かべているが何か言葉を告げるわけでもなく黙り込んでいる。言い方は悪いけれど、彼女の無作法に何も言えないんじゃないかと思う。そこから思考を繋げていって、もしかしたらこの子が洋子さんが言っていた重役の娘なのではないかと思い至る。
とりあえず私が挨拶しないとこれは収まらないかなと思って頭を下げようとすると、それよりも前に中村さんがものすごく大きくて深いため息をついた。
「お前さん、さっき俺が言ったことが全然わかってないな」
「な、何よ……」
「この業界は年齢がどれだけ下でも、芸歴が長い方が立場が上だ。例えお前が自分のパパにおねだりして無理やりこの仕事をもらったんだとしても、お前のパパの権力は関係なくお前自身の芸歴で上下関係が決まる。すみれはこう見えて、小学生の半ばからこの仕事をやってるんだ。この作品がデビューのお前が挨拶しに足を運ぶのが正しいのであって、偉そうに怒鳴り散らすなんてもってのほかだとわからんのか? 常識だぞ、こんなの」
中村さんの丁寧だけどだからこそ馬鹿にしている感が強く伝わってくる正論に、それを感じ取った女の子がぐぬぬと言わんばかりに顔を真っ赤にする。怒りなのか恥ずかしさなのかはわからないけれど、彼女が再び爆発する前になんとかしないと。
「はじめまして、松田すみれです。よろしくお願いします」
ちょっと早口になってしまったけれど、彼女が言葉を発する前にと自己紹介を割り込ませる。ただいきなり怒鳴りつけられてムッとしたのは確かなので、頭は会釈程度にしか下げなかった。それでも部屋の空気は少しだけ弛緩し、息苦しかった空気が少しマシになる。
中村さんの言葉から察するにどうやら私達が到着する前にも、この子はやらかしたみたいだね。もう別に相手が名乗り返してこなくていいやと思いつつも、しばらくは言葉が返ってくるのを待った。どうしても私に対して名乗りたくないのか、ドッカリとパイプ椅子に腰を下ろし直した彼女はそのままむっつりと口を閉ざしてしまった。
顔合わせが始まったら、さすがに自己紹介ぐらいちゃんとするでしょ。それまではもう名無しのゴンベちゃんでいいや。それよりも庇ってくれた中村さんに口パクで『ありがとうございました』とお礼を言ったら、苦笑しながら『甘い』と同じように口パクでお叱りを受けてしまった。心配してすぐ側に来てくれていた洋子さんと、顔を見合わせて笑う。
大丈夫かという洋子さんの問いに頷くと、彼女はまだ少し心配そうだったけれど後ろに用意されている関係者席へと戻っていった。まぁ、大丈夫なんだけど今も向けられている敵愾心バチバチな視線には、ちょっとメンタルが削られていく。
精神的にしんどい撮影になりそうだなと思いつつ、ようやく私は竜矢さんの隣に用意されていたパイプ椅子に腰を下ろすことが出来たのだった。
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