中学生編
77――打ち合わせと自分がやりたい事
春休みは入学式の代表挨拶の原稿を提出して学校側にOKをもらったりして、新しい生活に向けて準備を重ねている。
新しい事と言えば、仕事でもこれまでは洋子さんに任せっきりだったオファーに対する打ち合わせに参加するようになった。さすがに全部は無理だから、あずささんの意向を取り入れつつ殆ど受ける方向で決まっている仕事ばかりだけどね。
あずささん曰く、これからは演技者の自分だけではなく素の松田すみれを業界関係者に覚えてもらう時期との事。自分以外の誰かを介したやり取りよりも、本人とも直接話した方がより親近感がわくし担当者の記憶にも残りやすいのだとか。
もちろんこれは諸刃の剣であって、担当者やスポンサー企業のお偉いさんの前で失礼な態度を取れば当然マイナスの印象しか残らないし、私みたいにまだまだ人気も知名度もそれなりな下の上から中の下ぐらいしかない役者だったら、わざわざそんな失礼な人間を使おうと言う気にもならないだろう。
『普段のすみれのままで接すれば、失礼だなんて思う人はいないでしょう』とあずささんに太鼓判を押されて、とにかく相手を目上の人だと思って対応すると皆さん笑顔で対応してくれた。
机の上に載ってる案件以外にも、こういうのはどうかと違う仕事を合わせて紹介してくれる人もいて、皆さん親切だなぁと心の中で思いながら笑顔でお礼を言った。まだ5件だけしか打ち合わせには参加していないのだけど、洋子さんもいい対応だったと褒めてくれているしこの感じで続けていこうと思う。
役者としての仕事は子役と同じ感じの仕事しか来ていないのだけど、レポーターの仕事だったりクイズ番組の解答者だったり、演技以外のオファーが増えてきた。以前はこういう番組への出演には否定的だったあずささんも、もうすぐ中学生になるからか『出過ぎなければいいわよ』と少しだけ制限を緩和してくれた。出過ぎる、の基準はあずささんと洋子さんの間ですり合わせが行われているみたいなのだけれど、私には教えてくれていない。余計な事は気にせずに、目の前の仕事ひとつずつに集中しなさいと逆に怒られてしまった、解せぬ。
「それでは、よい返事をお待ちしております。応援してるから頑張ってね、すみれちゃん」
テレビ局のディレクターが立ち上がりながら前半は洋子さんに、後半は私に向けてそう言った。私と洋子さんも椅子から立ってぺこりとお辞儀をして、その後に笑顔を浮かべて『ありがとうございます、頑張ります!』と元気よく返事をしておいた。
私も前世でおじさんだったからよくわかる、笑顔で素直な女の子をおじさんは応援したくなるものなのだ。というのは半分冗談だけど、どうせなら応援の気持ちでお仕事を依頼される方が嬉しいもんね。もちろんビジネスだからあちらにも打算や思惑はあるだろうし、私がこんな風にちょっとだけ計算高い事を考えていてもバチは当たらないと思う。
おじさん達に見送られながら、テレビ局の会議室を後にしてエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まるのと同時に肺に溜まっていた息を吐き出すと、隣の洋子さんがクスクスと笑った。
「なぁに、緊張していたの? すみれは上手に対応できていたから、多分あちらとはこれからもいいお付き合いができると思うわよ」
「そうだといいんだけど、わたしの態度が原因で相手の人に嫌われたら事務所にも迷惑掛けるかもしれないし、イヤじゃないですか」
「気にしなくても大丈夫よ、その場合は私も一緒に謝りに行くんだからふたりで頭を下げましょ。それで、美味しいものでも食べて忘れるの。嫌な記憶なんて残しておいても得になんてならないんだから、ささっと忘れて楽しい記憶に入れ替えれば楽しい人生を送れるわよ」
年齢だけなら前世の私の方が上だけど、人生経験ならきっと洋子さんの方が上だろう。そんな彼女がこれまで社会人として生きてきた中で培った嫌な記憶の忘れ方は、転生しても根っこがネガティブな私にとってきっと役に立つと思う。
心のメモ帳に洋子さんの教えを書き込みながら、送迎車の後部座席に乗り込んだ。今日はこの打ち合わせの他に、もうひとつテレビ番組の企画説明があるらしい。私はこれまでその番組には参加していないのだけど、何故かお声が掛かったらしいのだ。よっぽどその企画が私にマッチしているのか、それとも他に理由があるのか。思い当たるふしは全くないのだけど、まぁ行けばわかるよね。
車の振動に揺られながら次のテレビ局までの道のりをのんびりとしていると、洋子さんの運転する車が地下へと吸い込まれるように進んでいく。郊外のスタジオだと地上に駐車場があったりもするけど、街の中にあるテレビ局は土地を有効活用するためなのか駐車場を地下につくるところが多い気がする。
車を降りて受付の人へと洋子さんが担当者の名前を告げてしばらく待っていると、30代ぐらいの男の人が迎えに来てくれた。ゲスト用の入館証を手渡されて、打ち合わせが行われる会議室へとアテンドしてもらう。
ドアをノックすると中から男の人の返事が聞こえたので、開けてから部屋の中に一歩入る。中には長机をふたつ並べて、それぞれにふたつずつパイプ椅子が備え付けられていた。おそらく手前の空いている椅子は、私と洋子さんが座る場所なのだろう。対面には男性がふたり座っていて……ってあれ、あの人って。
「ご、ご無沙汰してます、西島さん」
なんとか名前を脳内から絞り出して挨拶すると、名前を呼ばれた彼は心底驚いたように目を見開いて私の顔を見た。
「いや、驚いたな。まさか前に一度だけ会った俺の事を覚えているとは、まだ小さかったのに」
「……あの時はわたし4年生になる春休みだったんですから、そんなに昔ではないですよ」
『まさか私の身長が低目な事をからかっているのではないでしょうね』と視線を鋭くすると、西島さんは誤魔化すように苦笑した。
ちなみに以前、事務所メンバーで花見を行った際に余興で私がうっかりと未来のアニメソングを歌ってしまって、更には洋子さんがその音声をテープレコーダーで録音していたという事件があったのだけど、洋子さんがそのテープを持ち込んだ先が彼のところだった。洋子さんとしては『うちの子すごいでしょ』と自慢したかった気持ちと、聞いたことがない曲なのに即興にしては随分と完成されていたから専門家の意見を聞きたかったらしい。それはそうだろう、未来ではプロが作曲・作詞して発売された曲だもの。粗末なものであるはずがないのだ。
当然の如くどこで披露した数曲を聞いたのかと尋ねてきた西島さんに、私は確か夢で聞いたとかそんな苦しい言い訳でその場を切り抜けたような記憶がある。西島さんがいい人だったからそこで追求を止めてくれたけど、更に踏み込んで聞かれていたら誤魔化しきれなかったかもしれない。
どんな形で西島さんが私の仕事に関わってくるのかなと不安になりながら、洋子さんと一緒にパイプ椅子に腰掛けた。できればあの出来事を掘り返すのはやめてもらいたい、いい言い訳が全く浮かばないのだから。
「えー、本日はお忙しい中ありがとうございます。今回の企画趣旨を説明させて頂きますので、質問はこちらの説明がすべて終わってからお願いします」
テレビ局の人なのか、40代ぐらいの男の人がそう前置きすると、企画のレジュメを見ながら説明を始める。彼が見ている資料は私達の手にもあるから、ペラペラとめくりながら耳を傾けた。
『バラマジ』というこの番組は、芸能人が企画で太平洋をヨットで横断したり、視聴者から経験者を募集してサッカーチームを組んでプロに挑んだり、視聴者参加型の挑戦バラエティだ。
今回私がオファーを受けているのは、番組でガールズバンドを作って売上げランキング1位を取ろうというものらしい。一般視聴者からボーカルをオーディション形式で選んで、その他のバンドメンバーはジュニア世代から上手な子を集めるみたいだ。既にOKをもらっているのはギター、ベース、ドラムで全員その地方では子供名人として地元テレビ局の取材を受けるぐらいの腕自慢なんだって。
そして残りのひとりのメンバーであるキーボード奏者を、どういう訳か私にお願いしたいそうだ。説明を終えた担当者さんに『なにか質問はありますか?』と聞かれたので、私は真っ先に手を挙げた。
「松田さん、質問をどうぞ」
「質問というか単純に疑問なんですけど、なんでわたしなんですか? はっきり言ってわたしの実力なんて、素人に毛が生えたぐらいでしかないですよ」
子供名人と呼ばれる同年代のメンバーと肩を並べられる訳もなく、ただ恥をかくだけではないだろうか。それにこの番組はドキュメンタリー的な側面も持っているから、あずささんの言いつけである『素の自分を衆目の前に出し過ぎない』という言葉に反していると思う。
その辺りどうなの? と洋子さんを見ると、既に前もってこの企画の内容を聞いていたのか、肩をすくめながらため息をついた。
「社長からは消極的な賛成をもぎ取ったわ。すみれに役者の才があるにしても、才能がある人間が必ず成功するなんて決まっていないもの。役者は演技の器、そう仰る社長の言葉もわかるけれど、『すみれに将来潰しが効く選択肢を作ってあげるのも私達大人の役割じゃないですか』って言ったら、いくつかの条件を守ってくれるならと許可が出たの」
洋子さんの言葉に、大事にされてるなぁと胸の奥が温かくなるのを感じた。確かに水物の芸能界、一生懸命頑張っても物にならずに去らなければならない可能性が高い業界だ。その時に役者以外でテレビに出演していれば、そちらの方向に舵を切る事だってできる。そちらで経験を積んで知名度を上げて、再度役者の道に戻るという方法もできなくはないのだ。そのためには人脈とか資金とかも必要だろうし、普通に役者の道を順風満帆に歩むよりもかなり茨の道を進むことになりそうだけど。
あずささんの許可が取れているなら問題はひとつクリアーだけど、一番気になる質問にまだ答えてもらっていない。何故他のメンバーに劣る私にオファーがきたのか、それがすごく気になる。
「何故すみれちゃんを選んだのかについては、俺の方から説明させてもらうよ。いいかな?」
口を開いたのは、西島さんだった。最後の問いかけは番組側の担当者への向けてのものだったみたいで、彼は特に気分を害した雰囲気もなく頷いた。
「確かにすみれちゃんよりキーボードが上手な子はたくさんいると思うし、無理に畑違いのバンドへの参加をゴリ押ししても良い結果にはならないんじゃないかという意見も実際にあった。でもこちらとしては演奏の腕よりも黙々と努力できる姿と、すみれちゃんの調整能力に期待しているんだ」
「調整能力?」
私が小首を傾げて尋ねると、西島さんは何やら自分の手帳をめくった。目的のメモが見つかったのか、ページをめくるのをやめてちらりとこちらに視線を向ける。
「すみれちゃん、君は初めての仕事で気難しくてコネもある子役の子をうまくノセて撮影をスムーズに終わらせたそうだね」
「ええと、すずちゃんとけいこちゃんの事ですか? 確かに最初は機嫌が悪そうでしたけど、すぐに仲良くなって遊びながら撮影できましたよ」
そう言えば撮影後にメイクさんから、すずちゃんが普段はワガママな子だって話を聞いたような気がしないでもない。だとしたらあの日はよっぽど機嫌がよかったのかな、今となっては本当のところはわからないけれど。
いまひとつ納得できないでいると私の表情からそれを読み取ったのか、西島さんは再び手帳に視線を落とした。
「君が出ていた教育テレビのドラマ、あの時も演者の中心人物としてみんなをまとめていたらしいね。ダニーズ事務所の逢坂祐太がそれなりの演技ができたのは君のおかげ、とあちらの事務所の人が感謝していたよ。そういう陰に日向に惜しみなく誰かをサポートできて、みんなをまとめられる力を俺達に貸してほしい」
そう言って頭を下げた西島さんに、私は大きくため息をついた。まぁ言い分はわかる、多分だけどそれぞれの楽器で取材が来るぐらいの演奏ができる子達が集まったら、揉めるのは目に見えてるもんね。人間が3人いたら派閥ができるって前世でも聞いた事あるし、今世では女子の中で生きてきたのだから揉めてる子達の姿もある程度見てきた。
その上で思うのだけど、どうせこの番組でもオーディションの過程とかメンバーの生活にも密着して撮影するんでしょ? だったら揉め事があった方が、番組的にはおいしいのでは?
私が思い切ってそう尋ねると、西島さんだけではなく番組側の担当者さんも頭を抱えた。曰く、『俺達じゃ上から押さえつける事はできても、円満に解決してバンド仲を良くする事はできない』だって。いや、そこは来月中学生になる女子に任せるんじゃなくて、大人が頑張るべきだと思うんだけど。
「西島さんはどの立場でこの番組に参加されるんですか? 作詞作曲を含めた音楽監修で入るなら、そういう部分でもメンバーの心を掴んでおいた方がやりやすくなると思いますが」
「……すみれちゃん、中学生とは思えない事を言うね。残念ながら俺は全体を見るオブザーバー的な役割で参加して、すみれちゃんが言った音楽監修は俺の息子がやるんだよ」
息子さんかぁ、確かあの時に一度西島さんのおうちにお邪魔した時に会った事があるようなないような。正直に言うと同じ年頃の男の子がいたなぁっていうぐらいの記憶しかなくて、姿かたちは全然覚えていない。
でもこれではっきりした、西島さんは息子さんの仕事に失敗という汚点をつけたくない。おそらく初めての大きな仕事なんじゃないかな、お父さんの楽器を触って音楽を始めるとか音楽一家だとよく聞く話だし。
で、これに加担したのは洋子さんだ。これも想像の範囲だけど、あの時に洋子さんと息子さんは顔見知りみたいな感じだったんだよね。小さな頃から知っている知人の息子のために、言い方は悪いけど私を人身御供として畑違いの仕事に押し込もうとしたとも取れる。もちろんこれは穿ちすぎた見方で、洋子さんなりに私にも旨味がある話だと思ったからとりあえず話だけでも聞いてほしくてこの場に連れてきたんだと思う。
じゃないと外部の人が知ってる訳がない情報を持ちすぎなんだよね、西島さん。多分洋子さんから話を聞いて、裏取りに当時の関係者からも詳細を聞いたんだろうけど。でも、本音を言えば頑張りどころを間違えてる気がする。
「息子さんの仕事を応援したいなら、揉めた時に西島さんがメンバーとコミュニケーションとって、彼女達の仲が改善されるように動けばいいじゃないですか。わたしを放り込んで任せきり、というのは親としても仕事としても雑過ぎて無責任です」
私がはっきりとそう言うと、痛いところを突かれたという感じで西島さんが顔を歪めた。それに何より彼らは勘違いしているけれど、私は別に人間関係の調整役が得意という訳ではないのだ。
地元の頃ならともかく、高学年はほとんど透歌の庇護下にいたから学校生活に問題が起こらなかっただけで、男子からの告白を断った時は私の事をイジメようとした子達も数人いたらしいし。ちなみになんで私がこんな事を知っているのかと言うと、卒業してから透歌と遊んだ際にはるかへの申し送りとして伝えられていたのをその場で聞いていたからだ。
その子達が好きな男子が私に告白して、その男子を振ったからって私をイジメようという発想になるのがよくわからない。もしイジメがその男子にバレたら、間違ってもその子への好感度は上がらないだろうし、下手したらガクンと下がる訳でしょ? 私だったら好きな人を振った子は安全だろうから放置して、好きな人を慰めたり仲良くなる方を頑張るけど。そう言ったら何故か透歌とはるかに頭を撫でられて『すみれはそのままでいてね』と言われてしまった、すごく子供扱いされてちょっとだけ拗ねたのはご愛嬌だ。
そんな私が同年代のプライドの高い子達の間を取り持つなんてできるだろうか、答えはできるかどうかはわからないけれどすごく難しいのだと思う。そんな私をそのためだけにメンバーに入れるのなら、普通にキーボードが上手な子を選んだ方がいいよ。
「……どうやら私達もそちらも話し合う必要がありそうですね、松田さんから頂いた意見は持ち帰って検討しますので、そちらも是非話し合いの結果を踏まえて検討して頂ければ幸いです」
担当者さんが少し気まずそうにそう言って、打ち合わせはお開きになった。とは言っても、私がやりたい事は演技の仕事であって音楽ではないのだから、検討するまでもなくお断りする可能性の方が高いと思うよ。どうせなら声優さんとかそういうのやってみたいのだけど、まだまだ知名度が足りないのか話が舞い込んできたっていう話は洋子さんから聞こえてこない。
もっと積極的にやりたい事を洋子さんに訴えて、話し合いの場を持つ事が大事なのかもしれない。いい機会だからちゃんと話をしよう、とそんな事を考えながら会議室を後にしたのだった。
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