76――小学校の卒業式


 今日は小学校の卒業式だ。3月下旬に入ったばかりの初日、公立学校の場合は文部省が卒業式の日取りを決めているのか、概ね全国的に同じ日で行われている気がする。


 大抵の学校は小学校の制服を着て卒業式に参加するのだけど、私達が通う学校は少し変わっていて、なんと進学する中学校の制服を着て出席するのが長年の習わしなんだって。


「すみれ、リボンがバランス良く結べない~」


「もう、結んであげるからちょっとかがんで」


 身長差があって結びにくいのでそう言うと、はるかは素直に膝を曲げて私の目の前に襟元がくるようにした。真新しい白い長袖ブラウスに、ちょうちょ結びの赤いリボンがよく映えている。これなら微調整でいけそう、ちょいちょいと形を整えてポンと胸元を軽く叩いた。


「これでよし、入学したら毎日結ばなきゃいけないんだから練習した方がいいよ」


「いいよ、どうせ一緒に通うんだし。すみれに結んでもらう!」


 にっこり笑いながら甘えるはるかにため息をつきながら、まぁいいかと苦笑を浮かべる。でも通う時間がズレたりどちらかが休んだりする事もあるんだから、ちょっとずつ練習するようには忠告しておいた。前世の制服では男子のネクタイと共にリボンの後ろにクリップみたいなのがついていて、それをパチンと止めるだけでよかったので便利だったのだけどね。


 今日の卒業式には、あずささんと洋子さんが来てくれるんだって。他にもビデオの撮影に事務所のスタッフさんが数人お手伝いしてくれるんだとか、両親やなおとふみかにもビデオを見せてあげたいからありがたいなぁって思う。この間届いた手紙では、ふみかのお父さんが新しいビデオカメラを買って張り切っているらしいから、きっとあちらの卒業式の様子も私のところに送られてくると思う。どんな風にふたりが映っているのかが、今からすごく楽しみだ。


 もちろん3年生の2学期から動く姿を見ていない、他の同級生のみんなの成長も気になる。もちろん一緒に中学校を卒業した頃の前世での彼らの事は知っているけれど、流石にそれ以前の小学生時代の同級生達の姿なんて、最早記憶の彼方で薄ぼんやりとしか覚えていない。なおとふみかの場合は何度か思い返したりしていたし今世では親友という間柄なのだから、他の子達よりは鮮明に覚えているのだけどね。


 保護者のふたりは式に間に合うように後から来るそうなので、はるかとふたりで学校へ向かう。教室に入ると殆どの子達は地元の中学校にそのまま持ち上がるらしいので、私達みたいに違う中学の制服を着ているのは片手で足りるぐらいの人数しかいなかった。


 とは言っても制服なんて大抵はアウターが紺色か黒が多いので、パッと見た感じではそんなに違いはないような気がする。白いセーラー服とか灰色のブレザーに赤いチェックのプリーツスカートなんていう組み合わせも、たまに電車に乗っていると見かけるけど少数派だ。


 灰色と言えば前世で友達が通っていた学校が、灰色のブレザーに灰色のスカート・スラックスで、更に学校指定のコートまで灰色という灰色推しの学校があったなぁ。周囲にある別の学校の生徒や近隣住人からは『歩く墓石』とか『墓石の百鬼夜行』とか揶揄されてたみたいで、なんとなく同情した思い出がある。


「みんな同じ中学の制服ばっかりなんだね、すみれと一緒の学校に合格できて良かった。ひとりぼっちで目立たなくて済むし」


「それは一人だけ違う学校の制服を着てる、この私に対しての当てつけ?」


 ホッとため息をつきながら言うはるかの後ろから、いつもより低い透歌の声がする。私が視線を向けるのと同時に透歌の手がガシッと後ろから伸びてきて、はるかの肩を掴んだ。ギュッと強めに掴まれているのかはるかが『痛い、痛いってば』と言っているけど、ふたりとも笑っているからじゃれているのがすぐにわかる。


 おはようと挨拶をして、お互いの感想を言い合う。私達の制服はブレザーだけど、透歌の制服はセーラー服だった。この小学校の制服がセーラータイプだったので目新しさはあんまりないけど、色が白なので清楚な感じがしてかわいい。3月下旬とはいえまだ肌寒い時期だから、セーラー服の上に薄いピンクのカーディガンを着ているのもかわいさを引き立てていると思う。


「すみれもはるかも少し大きめのサイズにしたのね、すみれは大きいのにしたらブカブカになるかと思ったけど、少し大きいぐらいで済むのがあってよかったわね」


「……既製品だとこれが一番小さいサイズだったの、もうひとつ大きいのだとあまりにもブカブカ過ぎてみっともなかったから」


 もちろん私はこれからも成長する、してもらわないと困る。でもそれを期待してあんまり大きくて体に合ってない服を着るのはすごくみっともないからね、小学校の時は母にゴリ押しされたけど今回は私に決定権があるからそこは譲れない。学費免除のおかげで懐具合には余裕があるし、にょきにょき成長して制服を買い換えるぐらいになってほしいぐらいだと切実に思う。


 先生が来て短い注意事項を告げると、廊下に並んで全員で体育館に移動する。5年生の子達に花を胸元に付けてもらって、拍手に迎えられて私達卒業生が入場していく。途中であずささん達を見つけたので、小さく手を振った。ところであのカメラがたくさん並んでいる中で一番大きくて明らかに業務用なの、もしかしてあずささん達が持ち込んだのかな。カメラマンさんがいなかったから確信はないけど、うちの事務所がどこかから借りてきたものだと思う。


 私達が大きくなって女優として人気になれば、この映像も色々なところにレンタルしたりして、事務所も利益を得る事ができる。私とはるかに対する期待と投資だと考えれば、これからも頑張らなきゃと自然と背筋が伸びる。


 ひとりずつ卒業証書を壇上で受け取るのをぼんやり眺めていると、同級生だけど全然知らない人も多いなと改めて気付く。この学校に通い始めてもう3年以上経つけど人付き合いの範囲が狭いのは、前世からの人見知り部分が原因なのかもしれない。仕事だと割り切れば初対面でも臆せず対応できるのだけど、学校はプライベートな面が強いので素の部分が出てきてしまうのかな。


「松田すみれ」


「はい!」


 そんな事を考えていると、担任の先生に呼ばれたのでしっかりと返事をする。とてとてと壇上に上がると、明らかに多いフラッシュの光とシャッター音が聞こえてきた。


 なんだろう、カメラを向けられるのは慣れているけれど、自分の子供でもない私を撮影してどうするのだろう。平成末期で例えるならば、とりあえず芸能人を見掛けたらスマホのカメラで写真を撮る、みたいな感覚なのかな? 一応私も芸能人の端くれではあるし、少しは知名度が上がってきたのかもしれない。


 校長先生から証書を受け取って、練習通りに礼をして自分の席に戻る。全員が証書を受け取り終わると、次は卒業の言葉を卒業生全員で一節ごとに大きな声で言う謎の儀式が行われる。


 前世での小学校の卒業式でもやった記憶があるので、全国的に行われていると思われる。割り当てられた部分が終わっても、唱和しないといけないところが何箇所があるので、中々気が抜けなかったりするのだ。


 途中から女の子達の一部が泣き始めるというトラブルがあったものの、無事に卒業の言葉の披露を終えて私達卒業生は会場から退場する。教室に戻ると、泣いたのか目もとにハンカチを当てている子がチラホラと目に入る。私は前世でひと通り経験しているので特に感慨はないけれど、今世の同級生達にとっては初めての経験なんだから涙も出てくるよね。


 卒業して疎遠になる事もあるけど、本人達が繋がり続けたいと思っていればその縁は絆ぎ続けられる。実際に私となおとふみかは3年以上離れ離れになっているけれど、お互いに連絡を取り合ったりして友達を続けられている訳だし。


「まったく、これで一生会えなくなる訳でもないのに、何を泣いているのかしらね」


 透歌がそんな憎まれ口を叩きながら近づいてくるけれど、その瞳は少し潤んでいて目もとが少し赤くなっている。目尻に小さな水滴が浮かんでいるのが見えたので、少し手を伸ばして親指で優しく拭ってあげた。透歌も私の大事な親友だもん、これからも透歌が嫌だって言うまで友達付き合いをするんだから。これで他の子との別れが悲しくて泣いているんだったら、すごく恥ずかしい事をしているような気がする。


 そんな私の行動が透歌の琴線に触れたのか、突然私の頭を胸元に抱え込んでぎゅーっと抱きしめてきた。透歌の成長途中の胸が頬に当たって、ふにゅっと柔らかい感触が伝わる。


 透歌の身体が少し震えているのを感じて、彼女が泣いているのがわかる。少しでも安心できる様にと、背中に手を回してしばらくポンポンと優しく撫でる様に叩いていると、落ち着いたのかゆっくりと透歌の方から身体を離した。


 なんだか視線を感じて周りを見回すと、慌てて目をそらすクラスメイト達がいた。ちょっとだけ感傷にひたっていた自分達に恥ずかしさとそれを見られていた事に照れを感じて、私と透歌はチラリと目を合わせて照れ笑いを浮かべた。何故か男子の方が私達を見ていた人数が多かったんだよね、不思議。多分女の子達は友達との会話とかお別れを優先したのだろうけど、男子も私達の事なんて気にせずに同じようにすればよかったのに。


 そんな事をしているうちに先生が入ってきて、春休みの注意事項や卒業する私達への応援を含んだ話をしてくれた後、卒業アルバムを配ってもらってから解散となった。『スケジュールが空いている日があったら、春休みに遊ぼうね』と透歌と約束してはるかと教室を出ようとすると、タケくんに後ろから声を掛けられた。


 『ああ、そう言えば仲良くしてもらったのに挨拶もしてなかった』と思い立った私は、タケくんにこれまで仲良くしてもらったお礼を言った。ムッくんもいればよかったんだけど、彼は既に教室には姿がなく、外に出てしまったようだ。よろしく伝えてくれるようにお願いすると、タケくんは曖昧に頷いてから何かを言おうとして口を噤むという動作を何度か繰り返した。


 何か言いにくい事があるのかなと彼の言葉を待っていると、ただ一言『待っててほしい』とだけ言われて思わず首を傾げてしまった。何を待てばいいのだろう、主語がないから全然話が見えてこない。ただあれだけ躊躇した上で出てきた言葉なのだから、多分タケくんは詳しく説明するつもりはないんじゃないかな。だからわからないなりに、私も誠意を持って答える事にした。


「どういう事なのかよくわからないけれど、一方的な話にそんな約束はできないよ。タケくんの中で話してもいいと思った時に、言いに来て。わたし、ちゃんと話を聞くから」


 とりあえず解るように話してもらわないと答える事もできないし、友達だけどこういう風に突き放すような返事しかできなかったけれど、私としては最善の答えを言えたと思う。別に拒絶している訳でもないしちゃんと聞くって言ってるのだから、話す覚悟が出来たら是非聞かせてもらいたいと思う。だってどんな話なのか気になるしね。


 はるかに促されて教室の引き戸をくぐる時にもう一度タケくんを見ると、何やら呆然としたような表情でこちらを見ていたのが印象的だった。もしかして彼は私が『うん』と頷くと思っていたのだろうか、だとしたらちょっと自分勝手なんじゃないかと思う。無責任に空手形なんて出せないし、適当に頷く方が失礼だと思うから。


 誰かに呼び止められる前に、はるかとふたりで校門を出た。あずささんも洋子さんも仕事の合間をぬって来てくれていたので、先に帰っていた。透歌ともちゃんと挨拶したし、もうやり残した事や忘れ物はないはず。


「それじゃ、帰って自主レッスンでもしよっか」


「はるかは春休みの宿題を片付けないとでしょ、入学式なんてあっという間に来ちゃうよ」


「うぅっ、わからないところ教えてくれる?」


「もちろん、ちゃんと教えるから投げ出さずに頑張ろうね。多分入学してからすぐに実力テストがあると思うから」


 私がそう言うとはるかは悲しげなうめき声をあげながら、やけくそのように繋いだ手をぶんぶんと大げさに何度も振った。顔を見合わせて笑うと、また次の話題で賑々しく帰り道を歩く。


 最後に小さな謎ができた卒業式だったけれど、こうしてはるかと楽しく帰り道を歩いているうちにその事は私の頭の中からすっかり消えてしまったのだった。

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