78――洋子さんとのお話と中学校入学


 打ち合わせが終わって本来なら寮へと送ってもらうのだけど、今日はちゃんと話し合った方がいいと思って事務所へと寄ってもらった。


 さすがに夜間勤務はないけれど、少し遅い時間に急なオファーが舞い込んでくる事があるので、事務所には遅い時間まで人が残っている。


「あれ? 洋子さんにすみれちゃん、今日は直帰じゃなかったっけ?」


「あはは、ちょっと軽く打ち合わせする事がありまして。奥の個室使っても大丈夫ですか?」


 何やら厚いファイルをペラペラとめくっていたスタッフのお姉さんに声を掛けられて、私は苦笑しながら殊更明るく返事をした。こんな遅い時間に個室で打ち合わせする人達が私達以外にいるとは思えないけれど、確認は大事。使っていいよという返事を聞いて、私はお礼を言いながら洋子さんを連れて個室の中に入った。


「洋子さん、座ろ。ほら、こっち」


 何故かしょんぼりと落ち込んでいる様子の洋子さんを促して椅子に座らせて、私は机を挟んで対面の椅子に腰掛けた。もしかしたら洋子さんは私に責められると思ってるのかもしれないけれど、言いたい事はもうあの打ち合わせで言ったからね。これからここで話すのは、一応の確認のようなものだ。


「……すみれ、ごめんなさい。今日の事は本当に私の判断ミスだったわ、ちゃんと話を聞いたらすみれの負担が大きすぎる企画だと思う。まず話が舞い込んできた時点でいきなり社長に話を持っていくのではなく、すみれに相談して意見を聞くべきだった」


「洋子さん、もう謝らなくていいですよ。確かに事前に話を聞いておきたかった気持ちはありますけど、あずささんにも許可を得てたんですし、知人の企画なら仕方がないと思いますよ」


 私は洋子さんの謝罪に苦笑しながら手を何度か振って、怒ってない事をアピールした。それよりも気がかりなのは、洋子さんはどこまで企画の内容を聞いていたのかというところだ。


「洋子さんは西島さんから、今回の話をどんな風に聞いていたんですか?」


「今度バンド企画をやるから、すみれにも参加してほしいって言われたの。前にピアノもやってたし、キーボードに慣れるための練習は必要だろうけどあの映画の時みたいな負担はないって聞いていたわ」


 やっぱり、西島さんは洋子さんに都合のいいところばっかり伝えてたのがわかった。詳しい内容を聞いたのかどうかを聞いてみたけど、ガールズバンドで友情ドキュメントみたいなのがやりたいと言われたそうだ。視聴者は頑張っているところを映せば応援したくなるものだし、私にとっても知名度が上がって更にそれが悪名ではなく名声なら願ってもない事だろうと。


 以前からの知人ならあんまり内容に踏み込んでも関係が壊れてしまうかもしれないと、まだ受けてもいないオファーの細かいところを根掘り葉掘り聞くのを躊躇するのもまぁ理解はできるかな。


 西島さんと洋子さんのやり取りを初めて会った時に見ていると、タメ口だったし気のおけない仲なのかなと思っていた。でももしかしたら、洋子さんをちょっと下に見ていたのかもしれないね。それが年齢差によるものなのかそれとも別の要因なのかはわからないけれど、洋子さんに上辺だけの話をして承諾させたら後はどうとでもできると思っていたのだとしたらちょっと許せない。


 私達に都合のいい事しか言っていなかったのだから、洋子さんが先んじて私に話をしてくれていても、私も深く考えずにOKを出していた可能性だってあるもんね。


 これは完全に私の想像だけど、この時代の芸能界って女性を舐めてかかっている関係者がすごく多く感じるから、バリバリ仕事をしてはっきりと物を言う洋子さんは生意気だと思われていたのかもね。『前から世話してやってるし、俺だったら都合が良いように言う事を聞かせられるぜ』みたいな、変なプライドからの行動だったのかな? よくわからないけれど。


「わたしとしてはそういう騙し討ちみたいな事をされると、今後も同じようなやり方をされてオファーを強要されるんじゃないかと思ってしまうので、今回のお仕事はNGでお願いしたいと思います。あと完全に関係を断つのはなかなか難しいでしょうけど、西島さんとは距離を取った方がいいと思いますよ」


 真正面から喧嘩しても仕方ないしね、今回の仕事を受けないって態度で示す事で、こちらの不満は伝わるでしょ。西島さん的にも芸能界で働く男性からしてもプライドが高いだろうから、洋子さんじゃなくて自分に恥をかかせた私を目の敵にするんじゃないかな。嫌味や悪口ぐらいなら全然スルーできるし、もし仕事に私情を挟んで干してきたりするなら後ろ盾のあずささんに相談させてもらおう。前世でもいたけどね、私情で嫌いな人の仕事の邪魔する人……そんな事しても誰も得しないのにね。


 まだ可能性の段階だから心配しても仕方がないし、実際にそうなったら考えよう。今後は洋子さんの以前からの知り合いから来た案件でも、詳しく話を聞いてから検討に入りますと約束してくれた。ちゃんと私にも情報を共有して事前に相談してくれるみたいだし、私としてはそれだけでもう十分だ。必要以上に疑り深くなる必要はないけれど、疑問を感じたら誰かに相談できる癖付けはしておいた方がいいと思う。


 私としては洋子さんの『万が一のための役者以外の道に進む実績を作る』という気遣いも嬉しいし、転ばぬ先の杖を用意しておくのは絶対に必要だと思っている。早速相談として洋子さんが私がやりたいジャンルを聞いてくれたので、こっそりと声優のお仕事がしてみたいと希望を言っておいた。なにせ前世からの夢のお仕事なのだ、できるチャンスがあれば、是非挑戦してみたいからね。


 これからの方針を短い時間で打ち合わせて、洋子さんの運転する車で寮まで送ってくれた。これからあずささんにも事の次第を説明するらしく、叱られるのではないかと落ち込んでいる洋子さんを励ましてから車を降りる。


「それじゃあ、もし予定が合えば今日同席されていたスタッフさんにわたしも一緒に謝りにいきますから、また連絡くださいね」


「すみれが謝りに行く必要はないのよ、私がちゃんと一生懸命謝ってくるから」


「打算的かもしれないけど、わたしなんてまだペーペーの役者なんだから、本人が頭を下げに行った方が逆に気に入ってもらえる可能性だってありますし。逆に洋子さんに任せっきりにして、なんて生意気な子供なんだって更に嫌われちゃったら目も当てられないでしょ?」


 ふたりで謝りに行った方が、なんだか苦楽を共にする相棒っぽいじゃないですか。そう冗談っぽく言うと、洋子さんはいつも通りの笑顔を見せてくれた。


 ちょうど後ろから車も来たし、いつまでもここに停車しているのも邪魔になっちゃうからと、洋子さんは私に『それじゃあ、おやすみなさい』と告げて車をゆるゆると発進させた。少し前にあずささんを訪ねて関係者が来た時なんかに、車を停めておける駐車場が少し離れた場所にできた。そこに車を駐車しに行ったのだろう。


 あずささんに話をするのを忘れて、そのまま帰っちゃったりしないかな? そんな事を心配しながら、私は外玄関の引き戸を開けて寮へと向かったのだった。




 そんな嫌な出来事がありつつも、新中学生として始めるこれからの仕事に手応えを感じた春休みも終わりを告げた。


 学校が始める前に件のスタッフさんには、ちゃんと洋子さんとふたりで謝りに行ってオファーをお断りする事を伝えた。すごく怒られるかなと思っていたのだけど、どちらかというと私達に対する同情の方が強かったみたいで、『大変だったね』と労りの声を掛けてくれた。


 むしろスタッフさん側は私の参加がほぼ確定条件として嘯いていた西島さんの方に怒りが向いているようで、あの企画が立ち消えになろうとしている原因が私達にあると言いふらしている事を警告してくれた。ただ残念ながらスタッフさん達も彼の愚痴を色々な業界人に裏で言っていたらしく、西島さんひとりで悪評をバラ撒くよりも複数人で愚痴を言っていたスタッフさん達の言の方が早く回り、西島さんの噂は質の悪い責任転嫁だと思われているんだって。


「情報ありがとうございます、あまりに度が過ぎるようでしたら事務所から法的措置を検討すると警告を出します」


 洋子さんが凛とした立ち居振る舞いでそう言って、静かに頭を下げた。その動きにあの夜みたいな弱さは全然感じられなくて、完全に吹っ切れたのがよく伝わってくる。


 西島さんの今後の動きによってはどうなるかはわからないけれど、私達側としてはこれでこの件については終わりにしたい。嫌な思いもしたからね、そういう案件の事にいつまでも関わっていられないもん。


 いくつかの新しい仕事に参加しながら日々を過ごしていると、あっという間に入学式の日がやってきた。新入生代表挨拶をなんとか他の人に押し付けられないかなと思いつつも、仕事の方が忙しかったから何もできず。結局頑張ってやりましたよ、新入生代表。そういうオファーが来るかどうかわからないけれど、学生ドラマの定番キャラにいる優等生の演技を練習すると思えば苦でもないし。


 壇上から新入生と在校生がズラッと並んでいるのを見ると、父兄以外は女子しかいなかった。この学校は中学卒業までは男子生徒を受け入れているんだけど、偏差値が高くてもエスカレーター制度も使えない私立に入学するメリットを感じないのだろう。男子ってこれまでで殆ど在学してないんだよね、実質女子校みたいなものだったりする。


 登校前は同じクラスだったらいいねと話していたはるかとは、残念ながら違うクラスになった。AからFクラスまで6クラスに分かれたのだけど、私は推薦合格した生徒や都合で学校を休まなければいけないと事前に相談があった生徒が多く集められたAクラスに。はるかは私と同じ条件のはずなのだけど、仕事が舞い込み始めたとはいえまだ調整が利く量だからなのか、Cクラスに割り振られていた。別にAクラスがすごくてFクラスが一番能力が低いとか、そういう意味合いは全然ないのであしからず。


 入学式が終わってそれぞれのクラスの教室に入ると、先生の自己紹介から生徒達の自己紹介へと移っていく。名前とこの学校でやりたい事というお題を先生から出されたので、学校生活と芸能活動をうまく両立させていきたいと答えておいた。


「芸能活動って、芸能人になりたいって事かな?」


「うーん、私あの子の顔ってテレビで見たことあるかもしれない」


「自己紹介でわざわざ言うんだから、芸能人にこれからなるんじゃないの?」


 よろしくお願いします、とペコリと頭を下げて席に座ると、周りからそんな言葉がコソコソと交わされているのが耳に入った。すみれイヤーは地獄耳、聞こえてくる言葉には特に意地悪な感じはないし、無難にこなせたんじゃないかな?


 自己紹介を聞いていると、このクラスの生徒はバラエティ豊かなんだなーと改めて思った。陸上でインターミドル目指してる人や、学生が応募できる美術展で小学生ながら特選を取った人。ソフトボールの小学生女子大会で日本一になった人など、半分ぐらいが推薦入学や何らかの才能を持っている女の子達だ。ただ1クラスのメンバーを全員そういうデキる人達で埋めるのは難しかったのか、趣味や興味がある物を挙げたりやりたい事を見つけたいという普通の生徒達も多くいた。


 打ち込めるものが見つかればいいね、と思わず応援するおばさん目線で姪っ子を見るような感想を抱いてしまった自分に、ちょっとだけ悲しくなってしまったのは内緒の話。

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