72――打ち上げのビンゴ大会にて
柏木早紀は地味なOLである。
小学校高学年の時にびっくりする程に身長の伸びるスピードがゆっくりになり、中学校に入学するとピタリと止まってしまい、そのまま大人になってしまった。
好きになった人には告白をしても『俺、ロリコンじゃないから』と振られ、その度に段々と自分への劣等感に苛まれてどんどん目立たない地味な装いをする様になってしまった。
容姿を伸ばすよりも能力を伸ばしたい、そう考えた早紀は高校を優秀な成績で卒業した後に短大に入り、その後は大企業へと就職して社会人としての経験を積んだ。
どちらかと言うと結婚相手を探すために腰掛けで入社した女子社員が多い中、早紀は持ち前の真面目さと責任感から仕事に取り組み、いつの間にか重大な仕事も任される様になっていった。婚活よりも仕事に邁進するお局様と呼ばれる先輩女性社員にこっちにおいでおいでと手招きされるのをうまく躱しつつ、部署での存在感を増していく。
それに比例して周囲の女子社員からのやっかみや嘲笑も増えていったが、早紀は特に相手にせずやりがいを燃料に仕事に夢中になっていた。
就職して2年、研修を終えて配属された新入社員の教育係として抜擢された早紀は、同い年の後輩である高杉の面倒を見ることになる。見た目地味なOLである早紀に厳しく指導されて、最初は反感を覚える高杉だったが、真摯に仕事に向き合う姿勢やうまく出来た時は褒めて伸ばしてくれる早紀に段々と好感を募らせていく。
そんなある日、普段はニコニコとしていて気の良い人なのに硬い表情を浮かべている課長に呼ばれたふたりは、自分達の担当している取引先から苦情が届いている事を聞かされる。相手の怒りは相当な物で、取引を切るとまで言っているらしい。相手の言い分を聞いてから確認してみると、高杉が担当した見積もりにミスが見つかり、高杉が謝罪に行くと言い出したのを早紀は自分が行くと制止する。
どちらも自分が行くと引かない早紀と高杉に、課長はふたりで出向く事を提案する。本来なら謝罪して訂正すれば済む程度のミスにここまで強く苦情を言ってくるという事は、何か裏があるのかもしれない。最悪の場合は取引をこちらから切る旨を言ってもいいと課長から切り札をもらったふたりは、相手の会社に謝罪の名目で乗り込むことになった。
頭を下げるふたりに、相手の担当者はこんな簡単なミスをする様な会社とは付き合えないとニヤニヤしながら言った。何度か謝罪し譲歩案を提示するも、相手はネチネチと早紀達を責める。上司からも許可をもらってるし、このままでは埒があかないなと思った早紀は『わかりました、それでは御社との取引はそちらの希望で取りやめにさせて頂きます』とはっきりと告げた。
すると希望通りになったはずなのに、何故か担当者が慌てだした。『そこまでしなくても……』などと言い訳を始めた彼に、『こちらとしてはできる限りの謝罪と譲歩案を提案しましたが受け入れて頂けない以上、上司からの許可も得ておりますのでこうするより他にございません。長年弊社と取引頂きましてありがとうございました』と早紀はきっぱりと言った。
こちらが女だから舐めているのか、担当者は早紀に向かって勢いよく近づいて掴みかかろうとしてきた。学生時代でも社内でもチビで冴えない女だからと、舐められた経験は何度もあった。そんな偏見に負けたくない、他の誰に下に見られても自分だけは胸を張って前を向いていたい。だから早紀は担当者の暴力から逃げずにキッと強い視線で迎え撃った。
その瞬間、担当者と早紀の間に素早く割り込んだ高杉が担当者を受け止め、もみ合いになる。突然の闖入者に動揺したのか、担当者は握りしめた右手を振り上げて高杉の頬を殴った。だが高杉はその場に両足を踏ん張り、倒れる事も後ずさる事もなく受け止めて鋭い視線を相手に向ける。
蛇に睨まれた蛙の如く萎縮した担当者に殴り返す事もせず、高杉は『この事も上司に報告させてもらいます、こんな風に他人に暴力を振るう人がいる会社と取引を続けるのは無理でしょうね』と言葉で止めを刺して、後ろに庇った早紀に『帰りましょうか』と小さく笑みを浮かべて言った。
会社に戻った早紀と高杉は課長に報告し、後の事は任せて退勤した。異性に身を挺して庇ってもらうなどという経験は、早紀のこれまでの人生には存在すらしなかった。チョロいと言われようともときめいてしまって少し後輩の彼の事が気になっている早紀は、庇ってもらった事を口実にしてお礼に飲みに誘うことにした。普段は身長のせいで店に入れてもらえなかったりするので、居酒屋はあまり好きではないのだが。
すると高杉の方も『俺がミスしたせいで先輩を危ない目に遭わせてしまったので、その埋め合わせに奢らせてください』と、その誘いを受け入れた。それ以降、会社の帰りに一緒に食事をしたり飲みに行ったりするふたりの姿を課内のメンバーが目撃していたりするが、健全なふたりの交流を暖かい目で見守っていた。
高杉の同期の女性の存在に揺れたり、早紀のこれまでの恋愛経験の少なさから想いをすれ違わせたりもしたが、ようやく告白して想いを実らせた早紀と高杉が、背の高さが違いすぎる為に階段の段差を利用してキスをするところで物語はハッピーエンドを迎えた。
キスするかどうかのところで映像が引いていき、東京の街を映し出すところで背景が黒くなってスタッフロールが流れ出す。それを見つめながら、私は安堵のため息をついた。
うん、ちゃんと高杉くんに恋をしているヒロインを演じられたと思う。客観的に見ても、背や外見以外は大人の女性を演じられたのではないだろうか。そんな自己評価を、周囲の人達の拍手が後押ししてくれている様だった。
今日は関係者を招待した打ち上げ兼試写会パーティで、挨拶をするために大人っぽい紺色のドレスを着せられている。ただ私がこういう服を着ても、どうやってもコスプレ感や背伸びした子供にしか見えない。もうちょっとこういう服が似合う様になりたいんだけど、こればっかりは成長を待つしかないんだろうね。
石動さん……もとい、竜矢さんはモーニングを着こなしていて、さすがアイドルって感じのかっこよさだ。隣に並ぶと私の子供っぽさが際立って、なんだかいたたまれない。最初はぎこちなかった彼の演技もどんどん熟れていって最後の方には個性というか味になっていたから、竜矢さんには演技の才能があったのかもしれない。
今回の撮影では、竜矢さんには本当にお世話になった。監督からの指示があった後、竜矢さんは都合が合う限り一緒にご飯を食べてくれたり、水族館や動物園なんかにも撮影の合間に連れて行ってくれた。もちろん色々とお話もして、お互いの事もそれなりに知る事が出来た。竜矢さんは役者としては後輩だけど優しいお兄さんみたいに思えるようになって、その好意がうまくリアルな恋愛を感じる演技に色付けしてくれたのだろう。
だからと言って、別に彼自身に恋愛感情がある訳ではない。というか男と女の間には恋も愛も切り離せない感情だけど、すぐにそこに結びつけるのはどうなんだろう。と、最近思う様になってきた。スタッフさんとか共演者さんとかみんなそういう風にからかってくるんだもの、ちょっとうんざりする。
「すみれちゃん、劇中でキスシーンがありましたがファーストキスだったんですか?」
関係者の打ち上げパーティのはずなのだけど、どうやってか入り込んだ芸能リポーターの男の人がこちらにマイクを向けて質問を投げかけてくる。記者会見の場でもないし答える必要はないのだけど、塩対応をすると生意気だとか躾がなっていないとかマイナスイメージを付けられる可能性が高い。そんな余計なリスクを背負うぐらいなら、笑顔でちゃんと答えた方がいいだろう。
「それが、実際にはしてないんです。監督さんのご厚意で、ファーストキスを撮影で済ませるのは可哀想だって言ってくださったので」
「監督が撮影前に渡してくれたセロハンを、不自然にならない様にすみれの口許に当てるのが大変でしたよ」
私と竜矢さんがそう言うと、『せっかくアイドルとキスできるチャンスだったのにもったいなかったね』なんて言葉が返ってきた。別にいいんだけどね、家族以外の人との初めてのキスをファーストキスって呼ぶなら、私はもう済ませてるし。
保育園の頃、お昼寝の時間になおとふみかにぶちゅーと度々キスされていた事を思い出す。微笑ましかったのと同時に、涎で私の口許がベチャベチャになるのはちょっと嫌だったけど。
さっきの映像を見る限りでは竜矢さんと私のキスを防いでくれたセロハンは映ってなかったし、監督さんがうまく処理してくれたのだろう。ただし今後も恋愛ドラマや映画に出るなら、本当にキスをしなければならない場合も出てくると思う。それまでに相手が男性であっても女性であっても、キスができるように覚悟だけはしておかないと。
その他にも撮影中のエピソードとか撮影以外の時間の過ごし方とか色々と聞かれたけど、会場を警備してくれている警備員さんが間に入って取材を止めてくれた。
余興としてビンゴ大会も開催されたりして、意外と楽しい時間を過ごすことができた。私達出演者と現場スタッフは全員参加してOKで、衣装協力してくれた会社やスポンサー企業からは2名ずつの参加が許可された。結構な人数が来ているので、全員参加だとビンゴの台紙も景品も足りなくなるだろうからね。
目玉の景品は自動車メーカーが提供してくれた、お高いセダンだった。シートやハンドルは革張りだし、後部座席に座らせてもらったけどふわふわした座り心地でまるで社長さんにでもなったかの様な気分になれた。ただ現在の私は小学生だし運転する事もできないので、どうせ当たるなら高級圧力鍋の方がいいなと思いながら、丸い籠からコロコロと出てくる数字の台紙部分を指で押して凹ませる。
「あら、すみれ。それリーチじゃないの?」
隣で一緒に参加していた洋子さんが、はしゃいだ声で言う。まだ誰もビンゴを達成できていないので、次の数字でもし私がビンゴになってしまったら車が当たってしまう。スポンサーさんが提供してくれているのだから圧力鍋と交換してもらう事は無理だろうし、ましてや誰かに権利を譲る事もできるはずがない。
他の人は縦横斜めと複数のラインに数字が散らばっているが、私のはまるで当選に一直線へと向かう様に斜めに穴が空いている。あとひとつ、できれば外れて欲しい。そしてあわよくば高級商品を他の人が手に入れた後で、圧力鍋がもらえる時にビンゴになってほしい。
祈るような気持ちでコロコロと転がり出た球を見ると、25と書かれている。そして手元の台紙の右斜め下の数字も同じく25、どうやら当たってしまったらしい。
ヤラセだと思われないかなとか、私みたいな子供に車が当たってしまって他の人の顰蹙を買わないかなとか、そんな事を心配する暇もなく。私のビンゴの行く末を自分の台紙そっちのけで見守っていた洋子さんが歓声を上げて、まるでリングの上で勝者を発表する時の様に私の手首を掴んだまま腕を持ち上げた。
「はーい、うちのすみれがビンゴでーす!」
洋子さんの宣言に周囲がざわつき、確認する為に配置されているイベントスタッフさんが駆け寄ってくる。まぁ不正はしてないし、むしろ私は圧力鍋が欲しかったし。
確認が終わって問題がない事をスタッフさんが保証してくれた後、私は舞台へと連れて行かれた。問題になってくるのは私の年齢だ、確か前世の記憶では未成年者は車の所有者登録ができなかった覚えがある。ここにいる殆どの人は成人してるし、まさか子供の私が車なんて高額賞品を引き当てるなんて誰も想像してなかったんだろうね。
辞退するべきかなと考えながらスタッフさん達が慌てている様子を見ていると、ゲームに参加しながらスポンサー企業の人達に挨拶に回っていたはずのあずささんが壇上に上がってきた。
あずささんは今回戴く車に関しては事務所で所有し、私の送迎専用車にする事を明言した。来年の1月に受験する私立の中学校は少し離れた場所にあるし、電車では顔がさす事もあるだろうから送迎してもらえるならありがたい。はるかも合格できれば一緒に乗って行けるし、タイミングが合うなら高等部に通うユミさんも同乗してもらえばいい。
私があずささんの提案に同意すると、イベントスタッフや自動車メーカーの人がホッとした表情を浮かべた。ごめんなさいね、想定外にこんな子供が特賞レベルの高額賞品を当ててしまって。
他に賞品が当たったのは、竜矢さんに去年発売されたゲーム機とゲームソフト5本のセット。洋子さんは缶ビール1箱をもらっていた、お酒好きだから良かったね。
こうして思いがけず専用車両を手に入れた私だったけれど、後日あずささんから事務所で買い取りたいと言われて、少なくないお金を手に入れる事になった。いつもお世話になってるし寮でも備品はあずささん持ちなのだから寄付をすると言ったものだから、こういう大きな金額が動く事についてはちゃんと適正に処理すべきと窘められてしまった。
居た堪れないやら申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、正直なところ学費の足しにできるのはありがたい。あずささんの提案に、私は深々と頭を下げて受け入れたのだった。
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