73――料理と受験と暴走と


 結局、車を事務所に譲った際に得たお金から捻出する事にして、圧力鍋は自分で購入する事になった。使い方の確認と試食を兼ねて作った肉じゃがは、寮のみんなやトヨさんと大島さんにも評判がよかったのでホッとひと安心。


 ただ、関東と関西では使う肉の種類が違うのが難点。私は関西出身だから牛肉を使うのだけど、みんなが食べ慣れているのは豚肉を使った肉じゃが。それぞれの土地の歴史的背景みたいなのがあってそうなったみたいなんだけど、今更それをどうこう出来る訳でもないので、気にせず関西風を振る舞うことにした。


 最初は違和感があったみたいなんだけど、食べ進めるうちに美味しいって褒めてくれたのが嬉しかった。それぞれにこだわりはあるだろうけれど、美味しさはそれすらも溶かしちゃうんだなぁ。


 これから冬本番でどんどん寒くなるし、色々な煮物やシチューを作って食卓に並べるのもいいかもしれない。これまでは時間的な余裕がなくて、食べたくても諦めてたんだよね。


 映画の撮影も終わったし、年末の公開に向けて宣伝の為にVTRで1コーナーにスポット出演したりっていうのはあるけれど、撮影中の時みたいに長時間の拘束はないから料理するぐらいの空き時間は確保できる。


 もちろん前から続いているレギュラーの仕事もあるから、毎日とはいかないんだけど。ギャラからいくらかを税金として納めなきゃいけないとはいえ、こうして定期的に収入があるっていうのはありがたい事だと思う、本当に。実際にどれくらいの税金を納めているかっていうのは、あずささんに処理をお任せしているのでよくわかっていなかったりするんだけどね。


 それはさておき、12月の下旬には受験する私立中学の願書提出が始まって、来年の1月下旬に入試が行われる。9月いっぱい学校を休んでいた私を心配して、比較的時間の余裕がある日の放課後に先生が学力テストをしてくれたんだけど、その時に過去問を元にした受験対策のテストも一緒に作ってくれていた。


 既に大学受験のレベルまで勉強は終えているので、どのテストでも満点を取ることが出来た。先生もその結果に安心してくれたんだけど、ひとつだけ苦言を呈された。それは算数の問題を解く時に、解答用紙に途中式を書いていない事だった。でも小学校の算数って答えは一緒なのに、方程式使っちゃダメだとかなんとか算しか使っちゃいけないとか、答えを導き出すのに無駄な遠回りをさせられている気がする。多分学習要項に入っていないからだとか、そういう杓子定規な理由なのだろうとは思うけど。


 だから私は頭の中で方程式を使って解いてしまうのだ、問題のどこにも方程式を使っちゃいけないとは書いていないからね。つるかめ算、植木算、過不足算なんて大人になって使った事ないし。一応、他の子に教える時の為に計算方法は覚えているけれど、今後も使う機会は多分なさそうな気がする。


 私は合格をもらったんだけど、同じ学校を受験するのだしついでだからと、一緒にテストを受けさせられたはるかの方が大変だった。


 元々学校の勉強は必要十分はできていたのだけど、受験というのは学校で習っていない問題が普通に出てくるので、そこで躓いてしまったらしい。一度自信を無くすと、間違えてはまた自信を無くすという負のスパイラルに陥ってしまう。そうなると勉強する意欲は無くなり、普段の勉強の成績まで下がってしまうのだ。


 私が映画の撮影に入るまでは、一緒に勉強をしながら教えていた事もあってなんとか学力は維持できていたのだけれど、どうやら2ヵ月ちょっと離れていた間に、はるかは勉強から逃げ出していた様だ。前までなら解けていた問題をいくつも間違えている、これでは合格なんて夢のまた夢だろう。


 目をぐるぐるとさせながら間違った問題を先生と復習するはるかを心の中で応援しつつ、私は邪魔にならない様に静かに教室を出た。


 今日は久々の完全オフの日なのだ。この間から誤魔化す様に少しずつしかできなかった自室の掃除もしたいし、溜まっている洗濯物も一気に片付けてしまいたい。


 寮に帰り着いてからの予定を頭の中で組み立てながら、いつもの帰り道を早足で進むのだった。




 はるかの受験勉強を見ながら私の中で曖昧だった部分を補強しつつ普段の仕事をこなしていると、あっという間に12月に入っていた。


 私も映画の公開日が迫っているという事で、大阪や愛知にプロモーションに行かなくちゃいけなくて、泊りがけで東京を離れる事もしばしばあった。一度サボりの前科があるはるかを置いていくのは心配だったけれど、さすがにこの時期になるとお尻に火がついたのか、仕事を終えて戻ってきた私の前には出していた課題の他にも自主的に自習を続けるはるかの姿があった。


 多分ユミさんに地元の公立中学校の話を聞いたんだろうね、それも今のはるかのモチベーションにもなっているのだろう。落ちたらそこに通わないといけなくなるからね、そりゃあ必死にもなるでしょう。


 別に学校が荒れているとかイジメが起こっているとかそういう事ではなく、優先すべきは勉強と部活という確固たる学校の方針があるらしいのだ。仕事があるから部活には所属できないと言うユミさんに絶対に部活に入る様に強要したり、仕事の日に学校を休むと問答無用で欠席にされてしまったり。あずささんと一緒に何度も学校と話し合いをして少しだけ融通を聞かせてもらえる様にはなったそうだが、はるかが入学したら多分また最初から話し合いをしなければならなくなるだろうと当事者のユミさんは言っていた。


 ちなみに何故ユミさんには中学受験を勧められなかったのか聞いてみたところ、どうやら学力が足りていなかったらしい。私とはるかの様に同級生でフォローできる相手がいれば話は変わったのかもしれないけれど、ユミさんはひとりだったしね。近い年齢で真帆さんと菜月さんがいたけれど、当時のふたりはあんまり勉強が出来なかったみたいで、八方塞がりだったみたい。


 ユミさん本人は辛かった事もあったけれど、その経験も自分の演技に活かせているから大丈夫と笑っていた。彼女なりの強がりかもしれないけれど、私もそれくらい貪欲に日常の色々を演技の糧にしたいと思う。


 冬休みになると勉強して息抜きしてまた勉強するっていう、普通の小学生からすれば苦行でしかない生活を送っていたのだけれど、はるかはよく頑張っていた。息抜きの内容は糖分補充のついでにお茶を飲みながらおしゃべりしたり、風邪をひかないように厚着をして寮の周囲を散歩したり。庭でラジオ体操をしたりもしたけど、同じ姿勢でずっと勉強しているからか、固まった身体がほぐれていい感じだった。


 さすがにこの頃になると過去問が載っている問題集もくたびれるぐらいに解いていて、私は自分のしたい勉強をしていた。英会話はキャシー先生のおかげで8割程度は問題なく外国の人に伝わる様にはなったけれど、文法は全然なので英文を正確には読めない。もしかしたら海外からのオファーも来るかもなんて洋子さんが冗談で言い出したのがきっかけだったけれど、勉強してみると読める本も増えて意外とお得だった。時折出てくる知らない熟語を、英和辞典片手に読み解いていく。前世ではアルファベットを見るだけで嫌悪感が溢れそうになるくらいの英語アレルギーだったのに、変われば変わるものだと一人ひっそりと笑った。


「よくそんな日本語が全然書かれてない本、スラスラって読めるよね。すみれってやっぱり、年ごまかしてるでしょ?」


「誤魔化してないってば。それに春に中学校へと進学したら、はるかだって英語を習うんだからね」


「ええー、日本に住んでるんだから日本語だけでいいのに。外国の人と話す機会だって、普通そんなにないでしょ」


 ほほを膨らませて言うはるかを見ながら、あと20年もすれば今の3倍は訪日外国人が増えるよと心の中で呟く。日本からも海外留学とか旅行で、たくさんの人が外国に行く様になるしね。世界の公用語とまで言われていた英語は身につけておいて損はない、読み書き会話を身に着けておけば、食いっぱぐれる心配もなさそうだし。


 それはそうと、こうして質問以外で話しかけてきたという事は、そろそろはるかの集中力も切れてきたのだろう。彼女もたくさん問題を解いて出題傾向を理解したのか、最近は変わった問題が出てもいいように他校の入試問題も解かせている。私立の試験問題って自由度が高いから、変わった文章問題とか自分の考えを書く記述問題とかもあったりするからね。


 そういうのが出ないとも限らないので、その時に慌てない様にね。正解率よりも平常心を身に着けている段階といえば、わかってもらえるんじゃないかな。


 休憩にしようとそれぞれ飲みたい物を入れて、寮のリビングに戻ってくる。手持ち無沙汰だったのか、はるかがテレビのスイッチをONにすると、ちょうど芸能ニュースのコーナーが流れていた。


「あ、すみれの映画の事やってるよ。もうすぐ公開日だもんね、いっぱい宣伝してもらわないと困るよね」


「洋子さん曰く、スポンサーさん達が満足する程度の集客は既に見込めてるみたいなんだけどね。こればっかりは蓋を開けてみないとわからないし」


 前売り券の捌け具合とか、そういうデータから予測をつけるらしい。前世なら公開日の夜には感想ツイートがどっさりで好評か不評かなんてすぐにわかったけど、この時代はそうじゃない。映画評論家が試写会に行ってテレビや雑誌で持論を交えつつ褒めたりこき下ろしたり、後は圧倒的に狭い範囲での口コミで評価される事が多かったりする。


 私としては全力で演技して、やれるだけの事は全部やった後だから、あまんじて観た人達の評価は受けるつもりなんだけど。でも映画を作ってそれでお金儲けだったり企業の評判を上げようとしている人達にとっては、これからが勝負なんだもんね。私も好き好んで観客に嫌悪感を持たれたいなんて変わった趣味はないので、できる事なら人気作になってほしいなと思っている。


「……ねぇ、すみれ?」


 そんな事を考えていると、正面に座っているはるかが『ズズッ』とホットミルクを喉を潤すぐらいの量を飲んだ後、そう私の名前をぽつりと呼んだ。小首を傾げながら続きを待っていると、ちょっとだけ照れた様に笑って続きを口にする。


「ありがとうね、すみれも大変な時期だったのに。2学期の間、ほとんど私の勉強に付きっきりだったでしょ。私とは違ってすみれにはレギュラーの仕事もあって、その上で勉強とかご飯とか、その他にも色々してもらって……申し訳ないなっていっつも思ってたの」


 真摯に見つめられながらそう言われ、私は思わず苦笑を浮かべてしまう。確かにスケジュール的に大変だったり、逃げ出そうとするはるかを捕まえたり、ここまで来るまでに色々と大変な事はあった。でもそれは100%善意かと言われるとそうでもなくて、例えば入学後に同じ学校だったら休みの日にあった連絡事項を聞けたり、ノートを見せてもらったり。私にも色々と得があるから、むしろ合格してもらわないと割と本気で困るのだ。


 それを素直に伝えると、はるかは私が謙遜してそう答えたと思ったのか、ますます感極まった様に瞳を潤ませる。まぁいいや、今はどれだけ言葉を重ねてもおそらく同じ様に捉えられてしまうだろう。だからまた試験も終わって心身ともに落ち着いた時に話してみようっと。


 その後も『すみれは私の憧れなんだよ!』とか『いつかすみれと共演できる女優になれる様に頑張るからね!』とか暴走したはるかを、落ち着かせて再度勉強させるのにものすごく苦労した。恩に感じてくれてるなら、その暴走癖は今後表に出さないでもらえるとすごく助かる、かな。

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