70――監督からのアドバイス
「どうしちゃったの、すみれちゃん。途中まではあんなに上手に演技していたのに」
私がNGを連発してただでさえ遅れ気味の撮影スケジュールに更に遅れが出ているのだから、監督さんはもっと怒っていいはずなのに。怒りなんて微塵も感じさせずに、心配100%な眼差しでこちらを見ている。ただ見られているこちらとしてはとっても居心地が悪い、自分の不甲斐なさのせいで監督さんや他のスタッフさん、共演者の皆さんに迷惑を掛けているのだから。
確かに監督さんの言う通り、シナリオの序盤を終えるぐらいまではNGも出さずにスムーズに撮影は進んでいたんだよね。ただ段々とシナリオに恋愛要素が出てきた途端に、監督さんからダメを出される様になった。助監督さんや他のスタッフさん達は何故撮影が止められたのかわからないという表情をしていたけど、監督さんは見抜いてたんだよね。その演技に恋とか愛とか、そういう類の感情が乗っていないという事を。
わざわざ個室を用意して私と二人きりでこうして話す機会を作ってくれた監督さんに、いつまでも黙っているのは不義理だよね。私はこくりと唾を飲み込んでから、覚悟を決めて打ち明ける事にした。
うまくまとまらずに話があっちこっちに飛んで要領を得ない私の話を、監督さんは辛抱強く聞いてくれた。一通り話し終えた後、しばらく黙り込んでいた監督さんがゆっくりと口を開く。
「なるほどねー、まぁよくよく考えたら当たり前の話よね。すみれちゃんはまだ小学生なんだもの、中学校に入ってから初めて恋をする子だって少なくないし、むしろわからなくて当然。決してその感情が理解できない事が、おかしいなんていう事はないわ」
そう言ってフォローしてくれた監督さんなのだけれどごめんなさい、中身は前世でアラフォーまで生きたおっさんなんです。家族以外の異性と縁がなかったし、見た目も底辺だったから自分から恋とか愛とかそういう事から目を背け続けていたら、その辺りの感情が凍りついたみたいに鈍くなってしまったのだろう。
「クラスメイトとして好きとか、親友に対しての好きっていう気持ちとは違うんですよね? わたしも色々調べたりマンガを読んだり、ドラマを観たりしたのですが全然わからなくて……」
「すみれちゃんはまず頭で考えちゃうタイプなのね、でも友達やその中でも特に大事な人達に対して感じる好きっていう気持ちも、そんなにかけ離れたものではないわよ。恋愛感情も友情も親愛も、どれも大雑把に言えば同じ好意だもの。それを感じられるなら、すみれちゃんも運命の人に出会った時にいつかはそういう気持ちを抱く事ができると思うわ」
もしかしたら自分には誰かを好きになる感情自体が備わってないのではないかと不安だったのだけれど、一般論であってもこうして誰かに大丈夫だと言ってもらえると少し安心する。ただその感情への理解が必要なのは、いつかではなく今なのだ。結局のところ、これからも皆さんに迷惑を掛ける事に変わりはなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
そんな気持ちが表情に表れていたのか、監督さんは苦笑しながら主要スタッフには事情と私がNGを出しても見守る様に話をしておくと言ってくれた。あんまり気にはしないようにしていたけれど、表立って舌打ちしたり面倒くさそうな表情を浮かべる人が減るならありがたい。そんなにダメージは受けていないけれど、やっぱり気持ちのいいものじゃないからね。
「あ、それと相手役の石動くんとはどう? 少しは仲良くなった?」
「えっと、待機中に雑談したりはしますけど。仲が良いかと聞かれると……」
私はそこで言葉を切ると、小さく首を振った。共演者という肩書きを外せば、良いところ顔見知りか知り合いと呼ぶのが一番合っていると思う。ただそんな事を堂々と言えないので言葉を濁したのだが、どうやらニュアンスで監督さんは理解してくれたようだ。
「歳も離れてるし異性だし、中々難しいよね。でも、せっかくすみれちゃんを始めとして演者さんもスタッフ達も頑張ってくれてるし、観てくれたお客さんが楽しめる映画を作りたいと思っているの。だから心を鬼にして言うね、石動くんと友達と思えるくらいに仲良くなって頂戴。もちろん、彼にも私から同じ指示を出すから」
私としてもせっかく出演させてもらっているのだから、できればいい映画を作りたいと思っている。恋はできないと思うけど、友達にはなれるかもしれない。随分と心理的なハードルは下がったけれど、それで恋をしている演技ができるのだろうか。そんな疑問が表情に出ていたのか、監督さんは小さく笑った。
「すみれちゃんなら友達としての好意を下敷きにして、そこに今の恋をしている演技を上乗せしたら、きっと観客への説得力が出ると思うの。このまま上辺だけの演技でやり過ごすより、よっぽどいい
現時点での私の演技は、前世で遊んだ恋愛シミュレーションゲームとかアドベンチャーゲームのヒロインが主人公に向けていた好意や、恋愛を題材にしたアニメやマンガを参考にして作り上げたものだ。こうして監督さんに指摘されるという事は、その演技はとても作り物めいているのだろう。そこにどんな種類であれ本物の好意を混ぜ込めば、メッキではあるけれど恋愛感情を観客に伝える事ができるのかもしれない。それに顔見知りと友人では、無意識に距離感も違ってくるだろう。なんだったっけ、パーソナルスペースが狭くなるんだよね。
どちらにしろこのままでは恋をしている女性の演技はうまくできないのだ、ここは監督さんを信じて石動さんと友達になって仲良くなろう。私はそう決意して、ぎゅっと右手を握りしめた。
「ああ、監督から話は聞いてるよ。とはいえ悲しいな、オレはもうすみれちゃんとは友達のつもりだったんだけどさ」
その日の撮影が終わって私は洋子さんと一緒に、スタジオの片隅に備え付けられている椅子に座ってぐったりしている、スーツ姿の石動さんにそっと近寄った。監督さんと話した内容を簡単に説明した後で協力を求めると、彼は快諾してくれた後で冗談めかしてしょんぼりとした表情を浮かべた。
「女の子は男子と違ってそう簡単に心を開く訳にはいかないのよ、すみれはそこのところをちゃんと理解してる子だからね」
何故か洋子さんが自慢する様に言って、石動さんのマネージャーさんである坂本さんも同意する様にコクコクと頷いている。平成末期に比べるとこの時代は、まだまだ女性の地位は男性より低い。さすがに昭和中期頃みたいに関白宣言なノリで過ごす男性も減ってはいるが、まだまだ女性に対するセクハラ・パワハラが横行していたりするし。
もしかしたら過剰に心配し過ぎなのかもしれないけれど、男だった経験があるからこそ男の欲をよく知っている。そんな私が異性である男性に壁を作ってしまうのは、ある意味仕方のない事だろう。同い年や少し年上の男の子なら、そこまで構えずに接することができるんだけどね。
「自意識過剰なんだとは思うんですけど、どうしてもそういう警戒心みたいな物を抱いてしまって。石動さんにも不快な思いをさせて、本当に申し訳ないです」
「ごめん、さっき言ったのは冗談だから全然気にしなくてもいいよ。それにしても警戒心か……じゃあ、まずは呼び方から変えてみるか」
「……呼び方、ですか?」
突然の提案を理解できなくて首をコテンと傾げると、石動さんは苦笑しながら説明してくれた。
「オレはすみれちゃんって名前で呼んでるけど、すみれちゃんはオレの事を名字で呼ぶだろ? だから名前で呼んでみたら、心の距離がグッと縮まるんじゃないかなと思うんだよ」
そう言われて、確かにそうだなと納得する。学校でも仲良しの子は下の名前で呼ぶし、逆にそんなに仲良くない子は名字呼びだもんね。確か前世で見た本だったかテレビだったかは忘れたけれど、それによると名前って自分にとって一番響きが良い言葉らしい。だから名前を呼ぶことで仲良くなれるんだって。私には前世の名前もあるけれど、最早すみれって名前の方が耳馴染みいいから名字よりも名前で呼ばれる方が嬉しいし。
「えっと、その……」
「ん?」
ヤバい、前世で名前呼びする人なんて姪っ子達以外にいなかったし、すごく緊張する。恥ずかしさで頬が急に熱を持ち始めるのを感じながら、えいやと気合いを入れて石動さんの顔を見ると声を振り絞るみたいに『り、竜矢さん』と呼んだ。するとブン、と音がしそうな勢いでいす……じゃないや、竜矢さんが首を明後日の方向に向けた。
「……石動くん、わかってるとは思うけれど」
「わ、わかってますって安藤さん! 誓って、すみれちゃんを変な目で見てる訳じゃなくて。なんていうか、OLの演技している時のすみれちゃんは全然小学生には思えなくて、むしろオレと同年代か年上みたいに見えて、撮影が終わってもその感覚を引きずってしまっているっていうか!」
「思いっきり拗らせ掛けてるじゃないのよ、すみれは小学生なんだからね! いくら可愛くても手出しは厳禁、わかった!?」
圧を感じさせる洋子さんの問いかけに、わたわたと慌てた様に言う竜矢さん。彼が何故慌ててるのかはよくわからないけれど、洋子さんは過保護というか心配し過ぎだと思う。私みたいな小学生に、大人な竜矢さんが何かするはずないだろうし。彼の周りには同年代の女性がたくさんいるんだから、その人達を放っておいて私なんかにどうこうなんてないない。
洋子さんによる竜矢さんへの言いがかりは、あちらのマネージャーさんの坂本さんがしっかりと目を光らせておくと約束する事で話がまとまったみたい。『洋子さんが失礼な事を言ってごめんなさい』と頭を下げて謝ると、竜矢さんはポンポンと優しく頭を撫でてくれた。
「オレ相手に敬語なんて使わなくてもいいよ、友達なのに敬語で話すってヘンでしょ。すみれちゃんは礼儀正しいから仕事の時は敬語でもいいけど、オフの時とかオレと二人だけの時は同い年の友達に話すみたいな感じで大丈夫だから」
「はい……じゃなくて。うん、わかったよ。竜矢さんには負担を掛けちゃうけど、よろしくお願いします」
彼も自分の演技で大変なのに、私の事にまで巻き込んでしまって本当に申し訳ない。こちらもお世話になるんだから、私も竜矢さんの演技上達に精一杯協力しよう。そう心に決めて、これからの撮影への意欲を高めるのだった。
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