68――石動竜矢の事情
『初日だから皆様にご挨拶を』とスポンサー企業から足を運んでいたお偉いさんや、先ほどまで石動さんを怒鳴り散らしていた助監督さん達は今後の話をするために急ぎ足で別室に移動した。
出演者の私達はこの部屋で待機する様に言われたので、ひとまず中村さん以外の出演者さん達と挨拶して、その後は雑談とか愚痴とか色々と交わし合う。件の石動さんは不貞腐れたのか居辛くなったのかはわからないけれど、この部屋の中にはいない。お偉いさん達が移動したすぐ後に、部屋から出ていくところは見たんだけどね。
演者さん達の一番の不安はこの遅れによって、他の仕事とのスケジュールの兼ね合いがつかなくなる事みたい。役者をはじめ芸能人は個人事業主なのだから、お仕事が無くなるというのは死活問題なのだ。ましてや映画は他の仕事よりも割が良い仕事だ、病気でどうしても降板しなくちゃいけなかったりすれば別だが、できれば降りたくはないだろう。
「そもそもの話だが、主役の片割れがやる気がないんだから企画自体がポシャる可能性もあるだろうな」
気のいい課長役でキャスティングされている、この中で一番年齢が上の飯尾さんが困ったように言った。それを聞いて周囲の共演者達が「ああ……」と何かを思いながら、私の方を見る。スケジュールがタイトになったのは、私の相手役がなかなか見つからなかったっていう理由もあるんだよね。でもそれを私に言われても困るというか、私はただオファーが来てそれを受けただけなのだ。別に私がこういう設定でヒロインを演じたいと企画を出した訳でも、事務所に自分をヒロインにする様にゴリ押ししてくださいとお願いした訳でもない。
それでも私ではなく他の子役や女優に変更しなかったのは監督や映画を制作するスタッフ達なのだから、私に責任をおっ被せる様な言い方や態度は正直なところやめてほしい。
まぁそれを全部正直にぶち撒ける訳にもいかないので、軽く「私のせいみたいに言わないでくださいよ」と冗談めかした感じで言い返して、お手洗いに行くと告げて部屋の外に出た。雰囲気を気まずくせずに済んだけど、なんだかその場に居辛くなったからだ。別にトイレに行きたい訳でもないし、気分転換のために屋上に向かう。さっき聞いた話によると、屋上も撮影で利用する事があるので開放されているんだって。
備え付けてある金属製の重たいドアを開けると、暑い夏の空気が流れ込んできた。それでも人がバタバタ倒れる様な前世のバカみたいな暑さよりは、全然マシだとは思うけど。
ほてほてと屋上に数歩足を踏み入れると、中央に備え付けられている少し大きめのベンチにあの石動さんが足を組んで座っているのが見えた。なんだかふてぶてしい感じがするのは、先ほどの出来事が先入観としてあるからだろうか。
「……お隣、座ってもいいですか?」
なにはともあれ、せっかく偶然にここで会ったのだから少し話をしてみようと聞いてみた。返事は返ってこなかったけど、断られなかったのでそのまま座る事にする。パパッとベンチを手で払って、そこに軽く跳ねる様にして座る。制服が少し汚れたとしても、どうせクリーニングに出すからね。ハンカチはお尻に敷くより少し広げて頭の上に乗せておく、熱射病……この頃はまだ日射病だったっけ? それで体調崩したらどうしようもないからね、帽子代わりに。
「わたし、松田すみれです。石動さん、ですよね?」
「……そうだけど、何?」
「さっき助監督さんに怒られてた事で、もしよかったらお話聞かせてもらえたらなと思って」
さっき無視されたし怒らせそうな質問をしてみたけど、石動さんは「なんでそんな事聞くんだ?」って言いながら不思議そうにこちらを見た。
「だって、さっき話してた映画の主演させてもらうのって私ですから。揉めてるのを目の当たりにしたら、やっぱり気になりますよ」
私の答えに何やら納得した様子で石動さんが頷く、なんで助監督に怒鳴られてた事を知っているのか、そこも疑問だったのだろう。
「この映画の主演をする君に愚痴るのもどうかと思うけど、今回の映画の話って内容についてほぼ何にも聞かされてなかったんだよ。ただある日レッスン場でダニーさんにさ『キミ演技できる?』って聞かれて、『できると思うよ』って言ったら『じゃあキミに任せるから』って肩叩かれてさ。その後事務所のスタッフに内容聞いても『ダニーさんが直接持ってきた案件については、本人に聞いてくれ』の一点張り。タイミングが悪い事にダニーさんは他の仕事で殆ど事務所に来なくてどうしようかと思ってたら、今日ここに来る様にいきなり電話で言われて。来たらあのおっさんに偉そうに怒鳴られて、オレにどうしろって言うんだよ全く」
深いため息をつきながら、石動さんは吐き捨てる様に言った。あー、連絡がうまく出来てなかったパターンか。それにしたってこれで責められるのは石動さんが可哀想、事務所側のミスに振り回されてる形だもんね。多分絶対にないだろうけど、うちの事務所でそんな事があったら多分あずささんが怒り狂うと思う。
それからしばらく相槌を打ちながら色々と聞き出したところによると、石動さんは最近5人組でメジャーデビューしたばかりの新人アイドルなんだって。歌とダンスが好きで得意だから、それを極めてトップアイドルを目指してるんだとか。グループと自分の認知度を上げるために今回の映画も前向きに参加する予定だったのに、そりゃ腐るしやる気も失くすよね。
でもこの世界で有名になりたいとかトップを目指したいって思うなら、ここでこの仕事を降りるのは悪手だと思う。私がそう伝えると、石動さんは不機嫌そうにこっちを見た。
「なんでだよ、ちゃんと指示も情報ももらえてないのに理不尽な事をいきなり言われたりされたり。それでもこっちが我慢しなきゃいけないのかよ」
「気持ちはすごくわかりますけど、それでもこのままちゃんと話もせずに帰ったらプラスはゼロでたくさんのマイナス面を抱えて、これから芸能界で活動していく事になるんじゃないですか?」
指折り数えながら、ひとつずつ思い当たる事を挙げてみる。このまま降板って事になったら、まずこの映画に関わってるスタッフや演者さん、それにスポンサーさんからは恨まれるんじゃないかな。スケジュールの遅れや代役を探す手間、万が一企画ごと無かったことになったらここまで色々掛かったお金は無駄になっちゃうし。期待していた利益が得られなくなったスポンサーさん達は、その原因になった人達を今後起用しようと思うだろうか。私がスポンサー側なら絶対使わないよね、また企画潰されたらたまったもんじゃないし。
協賛してる企業の中にテレビ局があるから、そこの番組に呼ばれにくくなるっていうのはあるかも。事務所の力が強いから完全出禁はなくても、関係者から話を聞いたプロデューサーとかが番組に出し渋る、なんて事も考えられる。そもそも味方のはずの事務所だって、今回の対応を見ていると石動さんを切り捨てる選択をする可能性だってある。
「いや、さすがにそこまで酷い事にはならないだろ……ならないよな?」
「わたしが言ったのはあくまでわたしみたいな子供でも想像できる、起こるかもしれないイヤな出来事です。本当にそうなるかどうかなんて、責任持てないですけど……そんな風になるかもしれないなら、さっきの助監督さんや監督さんにごめんなさいして、少しでも自分にとっていい状況に持っていった方がいいんじゃないでしょうか?」
自分は悪くないとしても、世の中には頭を下げて謝罪しなきゃいけない事がたくさんある。私だって前世で上司とかお客さんとか社内社外問わずに、理不尽に頭を下げなきゃいけない事が多々あった。石動さんもまだ若いから、きっと自分を曲げて謝罪するなんて死んでもゴメンだと思ってるはず。でもそれでも、自分から謝罪と事情説明するのとしないのでは、きっと相手の心象には雲泥の差があると思うから。
「そう言えば、マネージャーさんは来てないんですか?」
「うちのマネージャー、今日は他のメンバーの仕事についてて後で来るんだよ。その他のメンバーの方がグループ内の人気が高いから、オレの方は優先順位が低いってワケ」
自嘲気味に苦笑する石動さんの様子に、なんだかそのマネージャーにも問題がありそうな気がしてきた。事務所からの指示とか連絡って、マネージャーがいるなら普通はそこからタレントに下りてくるものなのに、石動さん自身が事務所に問い合わせを行っている時点で連絡網が機能していないのは明らかだ。
事務所内の問題だからそれをどうにかするのは事務所の人間がやるべきなんだけど、今回は事務所外の多数の人に迷惑を掛けている。そこをうまく説明しつつ、彼自身にも問題があったと反省しながら真摯に謝罪すれば、今回はうまく水に流してもらえるんじゃないかな?
そうと決まれば早速話し合いをしている場に乗り込もう、私は勢いをつけてベンチから立ち上がると石動さんへと視線を向けた。不思議そうにこちらを見る石動さんに私も着いていく事を告げると、驚いたように目をみはる。
「えっと……すみれちゃん、だっけ? 君には関係ない事だろ、なのになんでわざわざこんな面倒事に首を突っ込もうとするんだよ」
「無関係じゃないですよ、少なくともわたしが聞かされていた予定では今日顔合わせとか台本の訂正や演出プランの確認なんかをやって、明日から撮影開始だったんです。それがまったく予定通りに行かずに、他の仕事にも影響が出るのはすごく困りますから。それに……」
「それに?」
きょとんとした表情で問い返してくる石動さんに、私はいたずらっぽく笑って続けた。
「多分みんなピリピリしながら話し合いしていると思うので、今石動さんがひとりで謝りに行ったら必要以上にキツく当たられますよ。だから空気を和ませる役として、わたしが着いていくんです」
感謝してくださいね、と胸を張りながらおどけた様に言うと石動さんはようやっと笑顔を見せた。助監督さんに怒鳴られてた時からついさっきまで、張り詰めた様な表情しか浮かべてなかったからちょっとホッとする。
色々切羽詰まった話し合いの場に小学生女子が現れたら、ちょっと力が抜けるか余計に苛立つかの二択だと思うんだけど、後者だったら諦めて怒られる事にしよう。どうか優しいオトナばかりでありますように、なんて心の中でちょっと祈る。
「なんか君と話してると、同年代の人と話してる気になるな。見た目は間違いなく小学生の女の子なのに、すごく対等な相手って感じがするんだよ」
「そう思ってもらえるなら、今回の撮影はスムーズに進みそうですね。その為にも、まずはごめんなさいって皆さんに謝りに行きましょうか」
私と石動さんは連れ立って歩き出す、歩幅が違うから私が早歩きになるはずなのに普通の速度で歩けているのは、多分彼が私の歩く速さに合わせてくれてるおかげなのだろう。さすがアイドルになれる様な男の人は、女の子に対する扱い方を心得ているんだなと感心する。
途中で会ったスタッフに監督達が話し合っている部屋を聞いて、そちらの方に足を向ける。もしかしたらスタジオの外で食事でもしながら話し合ってるかもしれないと危惧していたので、建物内にいてくれて助かった。向かった先はちょっと広めの打ち合わせ室、学校の教室みたいな外観だなと思いつつ引き戸をノックする。
中から誰何する声が聞こえたので名乗ってから戸を開けると、タバコの煙がもわっとこちらに流れてくる。中年の女性の姿を見つけて、あの人が今回の映画の監督さんかと当たりをつける。
さてどうやって話を持っていこうかと考えているその瞬間、私の後に続いて室内に入ってきた石動さんがガバッと勢いよく床に膝をついて、額が床につくぐらいに頭を下げた。所謂土下座の体勢だ、私を含めた全員がびっくりして固まってしまった。
「本当に申し訳ありませんでした!」
大声だけど反省しているのが伝わる声色で言った石動さんに、戸惑っていたスポンサー企業の人が頭を上げて立ち上がる様に促す。監督さんがスタッフの人に椅子を用意する様に指示を出して、私と石動さんの席が急遽用意された。石動さんの真摯な態度が、監督さんやスポンサーのお偉いさんに話を聞く気にさせたのだとしたらすごい事だなと思う。やり過ぎると信用を失くして、誰も相手にしてくれなくなるんだろうけどね。
長い話し合いの結果、お叱りを受けたものの石動さんは今回の映画に参加できる事になった。連絡を怠った事務所に色々なところから抗議が届いたらしく、石動さんの事務所内の立場は微妙になったものの、本人はこれからの仕事の出来で挽回するとやる気だ。他の共演者の人達にも素直に謝ったので、たまに嫌味っぽい事を言う人もいるけどそれほど関係は悪くない。
こうして、スケジュールの遅れは出たもののなんとか制作中止の憂き目を逃れ、私達の映画撮影はようやく本当のスタートを切ったのだった。
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