67――修学旅行の顛末と会議室での怒号


 東京駅で幼なじみ達が乗る新幹線を見送って、早2ヵ月とちょっとが過ぎた。その間にも普通にレギュラーの仕事や隙間に入ってくる突発的な仕事をこなしながら、比較的のんびりとした生活を送っていた。


 6月にあった修学旅行は、特に事故もなく終了した。梅雨の時期なのに旅行中は雨も降らず、適度に晴れてくれたので快適に観光する事ができた。ただやっぱり小学生に神社仏閣への興味を持たせるのはなかなか難しいみたいで、清水の舞台や金閣寺みたいな有名な場所以外はみんなどうでも良さそうな表情を浮かべていた。


 一番みんながはしゃいでたのはホテルの中だった様な気がする、小学生も最高学年にもなると色恋沙汰で盛り上がったり告白イベントが起こったりと、監督する先生達にちょっぴり同情する有様だった……まぁ、告白された側の私が言う事ではないのだけれど。


 なおとふみかに付き合ってもらったお礼の約束通りに、ちゃんと透歌の背中を流したお風呂上がり。クラスごとに分かれて入るとは言え結構な大人数でお風呂に入ったため、脱衣所は茹で上がった女子小学生で混雑していた。本当はちゃんと乾かさないと洋子さんに怒られるんだけど、この時代のホテルにあるドライヤーって風も弱いし熱も安定しないから、髪を簡単に乾かして他の子達の邪魔にならない様に透歌と一緒に脱衣所を後にした。


 そしたら他のクラスの男の子に呼び出されて、ホテルの入り口から少し離れたところに連れて行かれた。きっとひとりだったら不安で仕方なかっただろうけれど、隣にいた透歌がそのまま付いてきてくれたのでちょっと安心できた。


「……なんで木村がいるんだよ、お前は呼んでねーんだけど」


「クラスメイトでもない男子に親友が呼び出されてるんだから、心配して付いてくるのは当然でしょうに」


 不貞腐れた様に言う男の子に、透歌は当然だと自信満々に言った。その言葉に気圧される様にしばらく呆然としていた彼だったが、引きそうにない透歌に諦めたのか私をまっすぐに見つめた。


「松田さん、オレ……松田さんの事が好きなんだけど」


 なんだか中途半端に告げられた言葉に、思わず小首を傾げてしまう。これは告白でいいのだろうか、それともただ気持ちを表明しただけなのかな? なんにしても、私としては『そうなんですか』としか言いようがない。誰かに告白なんて前世現世通じてした事がない私としては、その勇気は称えるものだと思う。ただそれを私が無条件で受け入れないといけないという決まりもないからね。


 しばらく言葉もなく対峙していたけど、何かを期待する様にこちらを見てくる彼を見て、やっぱり私が『ごめんなさい』と言わないと駄目なんだなと悟ってしっかりとその6文字を告げた。


 当然理由もしつこく聞かれたけど、自分自身の性の自認すら怪しいのに恋愛対象が男女どちらかなんか決められるはずがないし。何より今日初めて会って話した人とお付き合いなんてできるはずもない。そんな理由は当然言える訳がないから、『今は誰かと付き合うとか考えられない』『仕事を頑張りたいから』と玉虫色の建前でバッサリと切り捨てておいた。これでも無理やり付き合えなんていう自分勝手な人とはお近づきになりたくないし、上手な断り方だと思う。


 隣で透歌が睨みを効かせていたからか、彼は特に振られた事に激昂する事もなくとぼとぼとホテルの中に戻っていった。付き合ってくれた透歌にお礼を言って、少し間を空けてから私達もホテルに戻った。あんまり楽しい思い出じゃないけどこんな事は多分二度とないだろうし、修学旅行の苦い思い出としてはいいんじゃないかと無理やり自分を納得させた……そのはずだったのに、この2泊3日の旅行中に更に同じ事を3回も経験するなんて思ってもみなかった。正直なところ私よりもかわいい女子は透歌をはじめたくさんいるんだから、そっちに告白すればいいのにと思わずにはいられない。


 部屋に戻ったら戻ったで、ガールズトークに巻き込まれる。一緒の部屋になったクラスメイトの女子が何組の誰々くんが好きだとか気になっているとか、初耳情報がたくさんだった。両隣の敷かれた布団に寝転ぶ透歌とはるかはたまに飛んでくる質問を、うまくやり過ごしている。このふたりからは自分達が楽しめる話が聞けない事を察した彼女達は、私にターゲットを変えてきた。


 ただどれだけ根掘り葉掘り聞かれても、好みの男のタイプなんて考えるのもおぞましい。役者として尊敬している先輩方はいるけど、そういう対象じゃないからね。何度かそう言うと、どうやら彼女達にも真意が伝わったのか私をターゲットから外してくれた。ほうほう、あの子とあの子が付き合ってたのか。へぇ、あの子は去年卒業した先輩と付き合ってるのね。


 前世では他人の色恋沙汰なんて全くもって興味がなかったのに、自分が関係ない話を聞くと楽しくなってくる。これも女性として生まれ変わった事による変化なのかも、別に応援も邪魔もするつもりはないしいいよね、楽しむだけなら。


 そんな事を思っていたら2日目に、私に告白してきた男子のひとりを好きな女の子とその取り巻きに囲まれた。幼なじみらしいんだけど、別に付き合ってはいないらしい。どちらにしてもただ告白されて断った私に文句を言うのは、どこからどう見ても筋違いだと思うのだけど。そのままズバリ聞いてみたら泣き出してしまった、泣きたいのは言いがかりをつけられて囲まれている私の方だよね、泣かないけど。


 彼女が好きな相手からの告白を断ったのに責められるのにも納得いかないし、複数で周囲を囲むやり方も好きじゃない。彼女がすべきは私を責める事じゃなく、彼とそういう仲になれる様に努力すべきだ。幼なじみの距離が心地よくても、そこから踏み出さないと他の女子に取られるのは火を見るより明らかなのだから。私もイライラしていたからちょっと口調がキツくなった気がしないでもないけれど、最終的にはわかってくれたのか解放してもらえた。男子からの呼び出しじゃなかったから、透歌もはるかも付いてこなかったんだよね。お願いして付き添ってもらえばよかった。


 なんだか旅行を楽しむよりも人間関係のゴタゴタに巻き込まれに行った様な修学旅行だったけれど、ある意味貴重な経験が出来た様な気がする。この経験を演技にも活かせればいいな、もうちょっとしたらそういう役も舞い込んでくるかもしれないし。


 後はついに、と言っていいのかとうとうと言うべきなのか迷うけど、私にも初潮が来た。旅行から帰ってきてからしばらく経ったある日にトイレに入ったら、クロッチに血が少しだけ付いていて驚いてはるかに相談したら、生理だと言うことがわかった。


 ちょっとだけ下腹部が重たいかなぐらいで痛みも出血もほとんどなかったんだけど、まだ安定していないのか2週間に1回ぐらい出血があるのは少し心配。不安になって洋子さんに相談したら、初潮が来てからしばらくは周期が安定しないらしい。心配ならしばらく様子を見て、病院に行って話を聞いてみる事になった。前世でそれなりにそういう症状について、あちこちから聞きかじった知識はあるけれど、本当かどうかわからないからね。専門家の話は是非とも聞いておきたいところだ。


 ただ私としてはどちらかというと生理の症状よりも、身長の方が気になっている。ほら、生理が来たらピタッと身長の伸びが止まるとか聞くでしょ。さすがにもうちょっと、せめて150cmを超えるまで伸びてほしい私としては、今成長が止まると非常に困るのだ。既に初潮を迎えてしばらく経つはるかや透歌、他にもクラスメイトの女子達に聞いてみたところ、どうやらすぐにピタリと止まる訳ではないらしい。小学4年生の時に早めの初潮を迎えた子も、未だにちょっとずつ背は伸びているそうでホッとした。




 季節は一気に夏になり、期末テストも保護者面談もない小学生としては、のんびりとした気分で終業式の日を迎えた。大掃除もちゃんとしたし、通知表の数字も問題なし。受験のために気になるとすれば、出席日数かな。まぁそれは理由がちゃんとしてて、学校側が了承しているなら問題はないってあずささんも言ってたからそこまで不安になる必要もないみたい。


 残念ながら私の夏休みはほぼすべて撮影に費やされて、寮にも戻れない日々を送る予定になっている。前から出演が決まっていたあの映画なんだけど、撮影自体は既に始まっていて私が関わらないシーンから撮り進めているらしいんだけど、主役がいないシーンなんてそんなにないんだよね。なので私が夏休みに入ってからガッツリ撮影するとの事で、今日までは普段の仕事をこなしつつのんびり過ごさせてもらった。


 はるかと透歌に別れを告げて、洋子さんの車で現場へと学校から直接向かう。昨日のうちに荷造りはして洋子さんに預けていたので、私は今日もらった宿題類だけ持っていけばいいという算段だ。服や下着類も1週間分は詰め込んできたので、それをローテーション組んで着ればいいし、もし取材とかが入れば洋子さんが手配してくれるだろう。前世みたいに太っていたらサイズの心配と売っているかどうかを心配する必要があるけれど、今の私は小柄な小学生女子なのだから入手難度はかなり低いはず。それに現場にはスタイリストさんとかもいるんだから、そちらに頼めば衣装とは別に服を用意してもらう事も可能だろうし、普段は空き時間にコインランドリーに連れて行ってもらったらなんとかなるでしょ。


 そんな事を考えていると、あっという間に目的地のスタジオへと到着した。郊外にあるかなり広いスタジオで、屋内と屋外の撮影が1ヵ所でまとめて出来るんだとか。流石に街中とか代替の利かない場面はその場に行ってロケした方が早いんだろうけど、公園とか広場とかそういうロケーションなら十分ここで間に合いそうだ。


 今日の予定は監督さんや主だったスタッフさん達、そして共演者との顔合わせだ。受付の担当者に声を掛けて、広報の人が会議室まで連れて行ってくれた。トントンと形式だけのノックをすると、中からの返事を待たずに広報さんは会議室のドアを開けた。その瞬間、中年ぐらいの男性のものと思われる怒鳴り声が飛んできた。


「お前何考えてんだよ! 今日から撮影開始だって連絡してただろうが、それなのに台本も覚えてない映画の概要すら読んでないって舐めてんのか!?」


「……いや、別に舐めてはいないです」


 ハンチング帽を被って髭を伸ばしたおじさんが、高校生か大学生ぐらいの男の子を怒鳴りつけていた。怒気を含んだ大きな声を聞くと、自分の意思とは関係なく身が竦んでしまう。テレビやドラマなんかだと大丈夫なんだけど、現実で相手の感情が直に伝わってくる環境だと他の人も少なからず同じなんじゃないかな。


 身を硬くしている私の肩を抱くようにして、洋子さんが広報さんの後ろを付いていってくれた。案内された席について一息つくも、おじさんの怒鳴り声が飛んでくる度に心臓が跳ねて逆に疲れてしまう。


 周囲にいる人達も迷惑そうだけど、どちらかというとおじさんの味方みたいで若い男の子の方を迷惑そうな目で見ている。話の流れがわからないからなんとも言えないけれど、ひとまず落ち着くまで外に出ていようかな。そう考えていると見知った顔が頭をポリポリと掻きながら、私達の方に近づいてきた。前の映画で一緒に共演した、中村健児さんだ。


「よう、すみれ。ちょっとは背が伸び……た様には見えないな、ちゃんと食ってるのか?」


 いきなりの随分ご挨拶な言葉に、イラつきゲージが跳ね上がる。前の撮影でそれなりに仲良くなったけど、この人はこういう物言いで人をからかう悪癖があるのだ。悪気がない事はわかってるんだけど、コンプレックスを指摘されればムカッとするのは仕方ない事だと思う。


「お久しぶりです、中村さん。わたしの身長はちゃんとすくすくと伸びてますからご心配なく」


 一応先輩だしお世話になったし、椅子から立って頭をぺこりと下げながら挨拶した。私の身長がちゃんと伸びている事も併せて付け加えておくと、中村さんは納得した様に『あ、ああ……』と言いながらこくりと頷いた。


「中村さん、ご無沙汰しております」


「ああ、いや……こちらこそ」


 洋子さんと中村さんが挨拶してるのを見て、なんだか微妙に違和感を覚えた。前の映画の撮影の時、最初は衝突ばかりしていたけれど、最後の方にはお茶を飲みながら談笑したりふたりでお酒を飲みに行くぐらいには仲良くなっていたはずなんだけど。なんというか、わざと余所余所しくしようとしている様な印象を覚える。


「……洋子さん、中村さんとケンカとかしました?」


「ケンカなんてしてないわよ、そんな仲良くケンカする仲ではないですものね、私達」


 中村さんにそう言って、洋子さんはスタッフの人に私の到着を伝えに行った。その後姿を苦々しい表情で見送る中村さんの表情を見ると、多分何かがあったんだろうね。まぁ私は子供なのでそんなややこしそうな事情に首を突っ込むつもりはないけれど。


「何かあったなら早く謝ったほうがいいですよ、洋子さん怒るとすごく怖いから」


「……知ってる」


 私の言葉に苦笑しながらそう言うと、中村さんはポンポンと優しく私の頭を撫でた。二人とも大人なんだから、なるようになるでしょ。それよりも私としては、あのおじさんの怒鳴り声の方を早くなんとかしたい。


「それよりも、あの人なんで怒られてるんですか?」


「ああ……あいつこの映画でのすみれの相手役らしいんだけどな、台本は覚えてこないし大遅刻してくる。挙げ句に来たくてここに来た訳じゃないとか言ったんだよ。そりゃ助監督もああなるわな。いくらダニーズ事務所のアイドルでも、ちょっと庇い様がないくらいどうしようもない」


 あのおじさんは助監督で、そして私の相手役という事ならあの男の子が台本に名前があった石動竜矢か。ダニーズ所属の人気アイドルが初めての役者に挑戦っていう話題性からの起用なのかな、私はあんまりアイドルとか知らないから彼が本当に人気アイドルなのかどうかは知らないけど。知ってるのはゆっくんの友達とか先輩とか直接声を掛けてきた人と、前世で有名だった人達だけだからね。


「本人がやる気がないなら仕方がないんじゃないですか? あの助監督のおじさんが事務所に抗議して、代わりの人を代役として連れてくるかもしれないし」


 私がありそうな予想を口にすると、中村さんはなんだか気まずげに目をそらした。その意味がわからなくて小首を傾げると、言いにくそうに白状した。


「代役はなかなか見つからないと思うぞ。その……ヒロイン役のすみれが幼すぎて、演技でも恋愛対象として見れないって軒並み断られたそうだ」


 中村さんの言葉に、私は思わずぷくりとほっぺを膨らませて憤りを表した。確かに無理がある設定だけど、私のせいにされても困るよ、もうっ!

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